第19話:勇者パーティ、前線で干し肉を齧る
荒野の前線基地。
王国軍がスタンピードに備えて急造した野営地だ。テントが数百張り並び、兵士たちが慌ただしく防御柵を組み、武器を研ぎ、矢を束ねている。空気には緊張と、埃と、汗の匂いが混じっていた。
その一角。最も端の、最も貧相なテントに、勇者パーティは押し込められていた。
テントの布は薄く、風が吹くたびにバタバタと音を立てる。入口は麻のカーテンで仕切られているだけで、冷たい夜風がどんどん入ってくる。
「なんで俺たちがこんなところにいるんだ……」
アレクが泥の地面に座り込んで呟いた。金髪は伸び放題で、かつての輝きは失せている。頬はこけ、目の下に隈ができていた。
「借金返済の条件だ」
メルヴィンが疲れた声で答えた。眼鏡のレンズが汚れているが、拭く布すらない。
「国がお前の借金を肩代わりする代わりに、スタンピード討伐に参加しろと。強制招集だ。断れば投獄。選択肢はなかった」
「Sランクの勇者が、強制招集って……冗談だろ」
「Sランクの実績がないからだ。今の我々のギルド評価はBランク。Bランク冒険者は、国家非常時には強制招集の対象になる。規約どおりだ」
テントの隅で、リーゼが膝を抱えて黙っていた。かつての艶やかな栗色の髪は手入れが行き届かず、パサパサになっている。
配給の時間を告げる鐘が鳴った。
兵士が木の皿を三つ、テントの入口に置いていった。
皿の上に乗っているのは、干し肉の薄切り三枚と、水で溶いただけの小麦粥。以上。
「……また、これか」
アレクが皿を見下ろした。
干し肉を手に取る。硬い。革のように硬い。噛んでも噛んでも繊維がほぐれず、塩辛いだけで旨味がない。
小麦粥を匙ですくう。白い液体が匙からぽたぽたと落ちる。味はしない。温度すらぬるい。
噛む。噛む。噛む。
顎が痛くなるまで噛んでも、干し肉から出てくるのは塩辛い汁だけだった。
「…………」
記憶が蘇った。
不意に、唐突に。
あの日の朝食。テントの中に漂う、パンの焼ける甘い香り。
小さなかまどの前で、レンがパン生地を丁寧に形作っていた。毎朝、誰よりも早く起きて。
焼きたてのパンを割ると、ふわりと湯気が立ち上り、小麦の甘い香りが広がった。外はカリッと、中はもっちり。バターを塗らなくても、噛むだけで幸せになれるパン。
夜のシチュー。大きな鍋の中で、肉と野菜がとろとろに煮込まれていた。一口飲むと、体の芯から温まった。冷えた指先、凍えた足、疲れた心まで。全部、あのシチューが溶かしてくれた。
冒険の合間に差し出されたサンドイッチ。「食べろ」の一言と一緒に。具はその日によって違った。肉の日もあれば、卵の日もあった。どれも美味かった。
隣のテントから、一般兵士の声が聞こえた。
「おい、勇者様。文句言ってんじゃねえぞ。俺たちと同じ飯を食えるだけありがたいと思え」
「……………」
以前なら怒鳴り返しただろう。「勇者に向かって何だ」と。
だが、今のアレクには、その気力すら残っていなかった。
メルヴィンが干し肉を齧りながら、遠い目をしていた。
「……レンがいたら、この干し肉を使って何を作っただろうな」
「やめろ、その話は」
「おそらく、干し肉を薄くスライスしてから、水で戻すんだろうな。そこに香草を加えて臭みを消し、根菜と一緒にスープに入れる。小麦粥にも塩と脂を足して、最後にチーズでも削れば——」
「やめろって言ってるだろ!」
アレクの声が裏返った。テントの中に沈黙が落ちた。
アレク自身が続けた。小さな声で。
「……あいつがいたら、この食材でも美味い飯を作れたんだろうな」
「ああ。間違いなく」
「毎朝、焼きたてのパンを焼いてくれた。夜は必ず温かいスープがあった。冒険の合間には弁当を作ってくれた。雨の日はハーブティーを入れてくれた。……俺たちは、それが当たり前だと思ってた」
「ああ」
「……当たり前じゃなかったんだな」
メルヴィンは何も言わなかった。メルヴィンも、ようやく同じことに気づいていたからだ。
リーゼが毛布にくるまったまま言った。
「ねえ。明日……スタンピードと戦うんでしょ」
「そうだ」
「……死ぬの?」
「規模次第だ。だが今回のスタンピードは過去最大級だと聞いている。五万体以上の魔物。まともに戦えば、前線の兵は半数が死ぬだろう」
「今の私たちの実力で……大丈夫なの?」
沈黙。
三人とも、わかっていた。
バフが切れた今の実力では、Bランクの魔物にすら苦戦する。スタンピードの主力であるAランク以上の魔物が来たら、一合も持たない。
「…………レンの飯が、食いたい」
アレクが呟いた。
それは、初めてアレクが自分の口で認めた言葉だった。
メルヴィンもリーゼも、何も言わなかった。
ただ、硬い干し肉を噛み続けていた。噛んでも噛んでも、旨味は出てこなかった。
◇ ◇ ◇
同じ夜。美食の砦。
「作戦会議ディナー、始めるぞ」
レンが食堂のテーブルに料理を並べていく。暖炉の火が食堂を温かく照らし、料理の湯気が天井へ立ち上っている。
精霊トマトの冷製スープ。氷のように冷えた深紅のスープに、新鮮なバジルの葉を浮かべた。一口目のトマトの甘みと酸味のバランスが絶妙で、緊張で硬くなった体を内側からほぐしてくれる。
コカトリスの丸焼き、ローズマリー風味。皮はパリパリに焼き上がり、中の肉汁を完璧に閉じ込めている。切り分けるとジュワッと肉汁が溢れ、ローズマリーの清涼な香りが食堂を満たした。
深淵キノコのリゾット。魔力小麦をキノコの出汁でじっくり炊き上げた一品。キノコの旨味が米の一粒一粒に染み込み、チーズのとろりとした食感が全体をまとめている。仕上げにオリーブオイルをひと回しすると、黄金色の光沢が浮かぶ。
黄金のパン、焼きたて。いつもの、安心する味。
デザートに魔力メロンのコンポート。白ワインで煮た魔力メロンに、バニラアイスを添えた。
「93点! 107点! 99点! 88点! 112点!」
セレナが料理を口にするたびに即座に採点する。もはや条件反射だ。
フィオナがリゾットを三杯目おかわりしながら、地図を広げた。
「砦の防衛ラインは三段構えにする。第一防衛ラインはフェンリスとルナの氷のブレス。射程距離内の魔物を凍結させる。第二がミスリル弾の防衛タワーによる面制圧。第三がフィオナの近接迎撃と精霊魔法の防壁だ」
「セレナは?」
「精霊魔法で風の壁を展開し、空からの奇襲を防ぎます。それと、兵站……つまりレン様の料理を前線に届ける補給係もやります」
「俺はキッチンに籠もって料理を作り続ける。バフが切れないよう、リアルタイムで補給する」
「……おいしい」
ルナが丸焼きの骨をかじりながら呟いた。
「ルナ、作戦は聞いてるか?」
「きいてる。たたかう。まもる。たべる」
「……まあ、要約としては正しい」
窓の外で、フェンリスが夜空に向かって静かに遠吠えした。
冷たい北風が荒野を渡り、砦のミスリルの壁が低く鳴った。
対比は残酷なほど鮮明だった。
前線基地では、硬い干し肉と味のない粥を噛みしめる元勇者。
美食の砦では、フルコースの作戦会議ディナーを囲む追放料理人。
決戦まで、あと二日。




