第1話:その「飯炊き係」、実は神の料理人につき
料理人が世界を変える。
そんな話を信じる人間は、この世界にはいない。剣で魔物を斬り、魔法で嵐を呼ぶ者たちが英雄と称えられるこの世界で、包丁しか持てない男の居場所など――どこにもなかった。
少なくとも、この日までは。
◇ ◇ ◇
「――お前はクビだ、レン」
勇者アレクの声が、薄暗い森の中に響いた。
夕暮れの国境の森。木々の隙間から差し込む橙色の光が、四人の冒険者を照らしている。
Sランクパーティ『聖剣の導き』。
その中で唯一、武装らしい武装を持たない青年――レンは、焚き火の前でシチューをかき混ぜる手を止めた。
「……クビ?」
「聞こえなかったか? お前はもういらねえって言ってんだよ」
金髪碧眼の勇者アレクは、腕を組んだまま見下ろすようにレンを見た。
その隣では、賢者メルヴィンがインテリぶった顔で頷き、僧侶リーゼが退屈そうに爪を磨いている。
レンは静かに鍋から視線を上げた。
「理由を聞いてもいいか?」
「理由? そんなもん決まってんだろ」
アレクは嘲笑を浮かべた。
「お前、Eランクの【料理人】だぞ? 戦闘じゃ足手まとい、レベルだって上がらねえ。パーティの恥だってずっと思ってたんだよ。……ぶっちゃけ、お前がいなくても何も困らねえ」
メルヴィンが眼鏡を押し上げた。
「付け加えると、経費の観点からも合理的な判断だ。レンの取り分を削れば、一人あたりの報酬が三割増える。戦闘に参加しない者に報酬を分配する必要はない」
リーゼが爪から目を上げず言った。
「てか、あんたの料理って味気ないのよね。毎日毎日同じような飯ばっか。もうちょっと凝ったもの作れないわけ? ま、Eランクじゃそれが限界か」
三人は笑った。
声を揃えて。
――二年間だった。
誰よりも早く起きて火を起こし、朝食を準備した。
行軍中は荷物を一人で運び、休憩のたびにサンドイッチを配った。
夜はシチューを煮込み、全員が食べ終わるまで鍋の番をし、洗い物を済ませてから、一番最後に冷めた残りを食べた。
怪我をした仲間には薬膳スープを作った。疲れた日にはハーブティーを淹れた。雨の日には体を温める生姜のスープを。
二年間、一日も欠かさず。
「ありがとう」の一言は、一度も聞いたことがなかった。
「手切れ金は?」
「はあ? Eランクの雑用係に払う金なんざねえよ。荷物にあるガラクタでも持ってけ。お前が集めた『ゴミ』だろ?」
アレクが顎で示したのは、レンの固有スキル『無尽蔵』――容量無限の食材庫スキルだ。
中には、二年間の冒険で手に入れた素材が詰まっている。希少なハーブ、珍しい香辛料、上質な岩塩。コツコツと集めてきた、レンの宝物だ。
もっとも、アレクたちはその中身を「ゴミ」としか認識していなかったが。
「……わかった」
レンは立ち上がり、エプロンの土埃を払った。
「じゃあ、このシチューは置いていく。最後の晩飯だと思ってくれ」
「いらねえよ、そんな味気ない飯。明日からは町で本物の冒険者飯を食うさ。せいぜい野垂れ死にするんだな、飯炊き係」
――味気ない、か。
レンは背を向けた。
(あの飯、全部バフ付きなんだけどな)
攻撃力+50%の『力の猛牛ステーキ』。
魔法威力+30%の『知恵のハーブティー』。
MP持続回復の『MP回復クッキー』。
勇者パーティのステータスの三割は、レンの料理で底上げされていた。
それがなくなったら、どうなるか。
――まあ、知ったことじゃないか。
レンは振り返らなかった。
二年分の報われない献身に、ようやく背を向けた。
◇ ◇ ◇
夜が来た。
国境を越え、北へ歩き続けたレンの前に広がるのは、見渡す限りの荒野だった。
枯れた草と灰色の岩だけが続く不毛の大地――通称『嘆きの荒野』。
強力な魔物が出るため、誰も住み着かないとされている場所だ。
「……さすがに、こんな場所でテントなしは辛いな」
冷たい風が吹き抜ける。
空には月だけが浮かんでおり、周囲に灯りは一つもない。
レンは腰を下ろし、『無尽蔵』を開いた。
「テントは……ないか。あいつらの分しか持ってなかったしな」
ため息をつく。
二年間、自分のための装備なんて一つも買わなかった。稼ぎは全部、パーティの共有資金に入れていた。
今の所持金は、鉄貨が数枚だけだ。
「……せめて、最後の晩飯くらいは」
俺は誰かのためじゃなく、自分のために料理を作ったことがあっただろうか。
パーティでは、いつもアレクたちの好みに合わせていた。アレクは脂っこいものが好きで、メルヴィンは薄味を好み、リーゼは甘いものしか食べない。
自分の食事は、余りものをかき込むだけだった。
「……今日は、俺のためだけに作ろう」
その瞬間だった。
ピロン、と脳内に通知音が響いた。
《――条件達成》
《長期間、他者のためだけに調理スキルを行使していた使用者が、初めて自己のために調理を志しました》
《真のスキルを解放します》
《【簡易調理】 →→→ 【万能調理】》
「…………は?」
レンは目を瞬いた。
スキルウインドウを開く。
そこには、見たこともないスキルの説明文が浮かんでいた。
――――――――――――――――――――――
【万能調理】
ランク:神級
効果:あらゆる素材を「調理」することができる。
対象は食材に限定されない。
鉱石、植物、土壌、液体、魔石――
この世界に存在するすべての物質は、
使用者にとっての「素材」である。
※素材の品質・使用者の技量に応じて、
調理結果の性能が変動します。
――――――――――――――――――――――
三回、読み返した。
「…………対象は食材に限定されない?」
もう一度、読み返した。
「あらゆる素材を……調理?」
鉱石を、調理?
土壌を、調理?
意味がわからない。
「いや待て、待て待て。神級って……。俺のスキルランク、さっきまでコモンだったよな……?」
手が震えている。
Eランクの不遇職、【料理人】。
コモンランクの役立たずスキル、【簡易調理】。
それが、俺のすべてだと思っていた。
それが――
「……神級」
月明かりの下、荒野の真ん中で、レンは呆然と立ち尽くした。
風が吹く。
寒い。腹が減った。
でも、頭の中は嵐だった。
あらゆる素材を調理できる。
食材に限定されない。
つまり、この荒野に転がっている岩も、足元の枯れ草も、全部「素材」になるということか。
「……試すか」
レンは深呼吸をして、足元の枯れ草に手をかざした。
「【万能調理】――『下処理』」
淡い光が手のひらから零れた。
次の瞬間、枯れ草が変化した。
カサカサだった繊維が柔らかくなり、淡い緑色を取り戻し――やがて、一束の香草に変わった。
「……嘘だろ」
鼻を近づける。
清涼感のあるハーブの香りが広がった。
「枯れ草が……香草に? 下処理しただけで?」
次に、足元の灰色の岩を拾った。
「【万能調理】――『精錬』」
岩が光に包まれる。
不純物が弾け飛び、中から銀色に光る金属の塊が姿を現した。
――『味覚解析』が自動発動する。
味覚解析。【料理人】クラスなら誰でも持っている基礎スキルだ。
と言っても、本来は「この肉は新鮮」「この野菜はちょっと傷んでる」程度のことしかわからない。料理人の間では「あってもなくても変わらない」と言われるほど地味な代物で、レン自身も今まで使い道を感じたことがなかった。
だが――【万能調理】の覚醒と同時に、味覚解析の精度が桁違いに跳ね上がっていた。
目の前に、文字列が浮かび上がる。
《素材名:ミスリル銀(純度:S級)》
《備考:通常の精錬では到達不可能な純度です》
「ミスリル……!? その辺の岩から!?」
レンの手が震えた。
ミスリル銀。金貨数枚では買えない超高級金属。それが、道端の石ころから精錬できた。
この瞬間、レンは理解した。
――このスキル、とんでもないぞ。
興奮を抑えて、もう一つだけ試す。
パントリーから保存食のジャーキーを取り出した。カチカチに干からびた、味も素っ気もない肉の欠片。
「【万能調理】――『調理』」
光が肉を包んだ。
カチカチのジャーキーが膨らみ、色が変わり、脂が浮き――小さなステーキに変わった。
ジュウ、と脂の弾ける音。肉汁が染み出す。塩と香草の完璧な下味。湯気と一緒に、信じられないほど美味そうな匂いが立ち上った。
一口、食べた。
「っ…………」
声が出なかった。
旨い。
旨すぎる。
肉の繊維が舌の上でほどけ、噛むたびに旨味と脂の甘みが溢れ出す。塩味が絶妙だ。香草の風味が鼻に抜け、後味がすっきりと締まる。
二年間、冷めた残り物しか食べてこなかった舌が、震えた。
「……こんな味が、出せるのか」
目頭が熱くなった。
――俺の料理が、こんなに美味いなんて。
Eランク。雑用係。飯炊き係。味気ない料理。
そう言われ続けてきた。
でも本当は、こんな力があったのかもしれない。ずっと、ずっと眠っていただけで。
「…………」
最後の一切れを飲み込んだ。
口の中にまだ、旨味の余韻が残っている。
空を見上げる。
月は変わらず冷たく光っている。
荒野の風は相変わらず冷たい。
でも、もう寒くない。
「……さて」
レンは腕をまくった。
「まずは、キッチンを作ろうか」
広大な荒野に、料理人がたった一人で立っている。
手には包丁も鍋もない。あるのは、神が与えたたった一つのスキル。
でも、それで十分だった。
――追放された飯炊き係の、新しい物語が始まる。




