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トラウマは丁寧に保管されています  作者: 続けて 次郎


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第二十二章:約束は、声を持たないまま残る

夜が、深さを増していた。

時計の針は進んでいるはずなのに、時間は凪の足元で足踏みをしているようだった。


眠ろうとして、眠れない。

起きていようとしても、何をすればいいか分からない。


凪は、布団の上で仰向けになり、天井を見つめた。

視界いっぱいの白が、今夜はやけに重たい。


——ここで、話していた。


そんな気がした。

声は聞こえない。

言葉も思い出せない。


けれど、空気だけが覚えている。


夜中。

凪が眠りに落ちた、そのあと。


母と灯が、ここではないどこかで向かい合っていた。

台所かもしれない。

玄関かもしれない。

あるいは、凪の知らない部屋の前だったかもしれない。


凪は、布団の中で手を握る。


(……約束)


その言葉が、胸の奥で転がる。


約束とは、本来、音を伴うものだ。

「いいよ」

「お願い」

「大丈夫」


だが、今凪が感じているそれは、音を持たない。


破られない代わりに、語られない約束。


凪の喉が、きゅっと鳴る。


灯は、何を引き受けたのだろう。

母は、何を頼んだのだろう。


思い出そうとした瞬間、

記憶の奥で、誰かがそっと手を出す。


——まだ、だめ。


その制止は、強制ではない。

懇願に近い。


凪は、その感覚を拒まなかった。


拒めなかった、が正しい。


なぜなら、その手つきが、

とても丁寧だったからだ。


(……俺は)


(守られてたんだな)


その理解は、刃物のようではなかった。

鈍く、重く、しかし確実に、胸に沈んでいく。


凪は、身体を横向きにする。

布団の端が、わずかに冷たい。


——ここに、もう一人、眠っていたことはない。


頭は、そう断言する。

だが、身体は、否定しきれない。


夜の静けさの中で、

凪は、自分の呼吸の“間”に気づく。


吸って、吐く。

吐いて、吸う。


そのわずかな隙間に、

自分以外のリズムが、重なっていた気がする。


それは、

同じ部屋で眠る音ではない。


同じ家で、眠らない音。


凪の胸が、じんわりと痛む。


灯は、眠らなかった。

眠れなかったのではなく、

眠らなかった。


凪が眠るために。


その可能性が、

胸の奥で、ゆっくりと形を結ぶ。


(……だから)


(俺は、夜が怖くなかったのか)


思い返せば、

夜に怯えた記憶はあっても、

夜そのものを拒絶したことはない。


それは、

夜の向こう側に、

誰かが立っていたからだ。


見えなくても。

名前を知らなくても。


凪は、目を閉じる。


暗闇の中で、

灯の背中が浮かぶ。


白い廊下を、迷わず歩いていた背中。

決められた道をなぞる人間の歩き方。


——あれは、覚悟の歩き方だった。


自分を後回しにすることに、

慣れてしまった人の。


凪は、歯を食いしばる。


(……灯)


名前を呼ぶだけで、

胸の奥が、きしむ。


それは痛みではなく、

歪みだった。


長い時間をかけて、

少しずつ曲げられてきたものが、

元の形に戻ろうとする音。


凪は、初めて思う。


——守る、ってなんだ。


——守られる、ってなんだ。


答えは出ない。


ただ、ひとつだけ分かる。


灯が選んだ「妹」という立場は、

逃げ場所ではなかった。


それは、

凪が眠るための、

最前線だった。


凪の呼吸が、深くなる。


夜は、まだ終わらない。


だが、

この夜は、もう一人分の重さを持っていた。

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