バレンタインデー
2月になってしまった。あかり先輩の高校卒業まで、残り1か月を切っていた。
あかり先輩はほとんど毎日、学校に顔を出していた。生徒会の引き継ぎ作業のためだ。新執行部がすでに動き始めているというのに、先輩は丁寧に後輩たちに仕事を教え、書類を整理し、細かなアドバイスをしていた。
2月中旬。勉強会も、いよいよ期末テスト対策が中心になってきた。この勉強会もあと数回で終わりだと思うと、また胸が締めつけられる。でも、同時に僕の心は別の理由で高鳴っていた。 バレンタインデーが近づいていたからだ。 これまで、母以外からチョコを貰ったことなど一度もない僕が、今年は初めて――しかも二人から――女の子から貰えると思っていたからだ。
それだけで、もう勉強に集中できなかった。授業中も、ノートを取る手が止まり、頭の中は甘い想像でいっぱいだった。 そして、運命の2月14日の数日前。いつもの勉強会の日。 先輩の豪邸に上がり、勉強部屋のドアを開けた瞬間、甘いチョコレートの香りが鼻をくすぐった。心臓が跳ねた。もう、わくわくが止まらない。
でも、勉強はちゃんと始まった。きっと、チョコは勉強が終わってから渡してくれるんだろうと思って、僕は必死にノートに向かった。 1時間ほど経った頃、先輩が「ちょっと休憩しようか」と微笑んだ。そして、楽しそうな顔で口を開いた。
「今日はね……ゆうな君に……」 その瞬間、僕の胸が高鳴りすぎて爆発しそうになった。 先輩とあゆみちゃんが、そっと紙袋を差し出してきた。
――キターッ! そう思ったのに、現実は全く違った。
袋を受け取り、中を覗くように促された。封を切って見ると――板チョコ、トッピング用のナッツやドライフルーツ、そして手書きのレシピ用紙。「えぇっ!?」 思わず声が漏れた。 2人は顔を見合わせてくすくす笑っている。
「あかり先輩と私、ゆうな君が作ったチョコが食べたいんだよね」
「ゆうな君って、私たちにお礼したいって思ってるでしょ? 材料もレシピも用意したから、作ってプレゼントしてね」
――逆じゃん。 バレンタインデーって、普通は女の子から男の子へのはずなのに。 でも、今の僕がここにいられるのは、この2人のおかげだ。それに、たまに女装もする僕からすれば、別に性別なんて関係ないかもしれない。むしろ、ちょっと面白い。 頭の中で何かが切り替わった。
――なら、めちゃくちゃ美味しいチョコを作って、2人を驚かせてやろう。「わ、わかりました! 頑張って作ります!」 僕は袋を抱えて、キッチンへ駆け込んだ。 そこにはすでにエプロンやボウル、道具一式が揃っていた。エプロンを腰に巻き、レシピを熟読する。
板チョコを細かく刻んで湯煎で溶かし、型に流し込み、トッピングを散らして冷蔵庫で1時間冷やす。 ――意外と簡単じゃん。 そう思ったのは、束の間だった。 実際にやってみると、包丁でチョコを刻むのも、湯煎の温度管理も、予想以上に難しかった。しかも横で2人が
「もっと細かくしないと溶けにくいよ!」
「もっとかき混ぜて、ダマにならないように!」と容赦なく指示を飛ばしてくる。
オドオドしながら作業する僕を見て、二人はとうとう手を出してきた。結局、3人でチョコを作ることになった。 でも、それがとても楽しかった。
「このナッツとオレンジピールの組み合わせ、絶対美味しいよ!」
「こっちはホワイトチョコにベリーをたっぷりで!」 わいわい言いながらトッピングを散らし、笑い声がキッチンに響く。3人で作る時間は、宝物のような時間だった。 型に流し込んで冷蔵庫へ。
待っている間は勉強を再開したけど、正直、誰も集中できていなかった。特に先輩が一番そわそわしているのが、なんだか可愛かった。 1時間が経ち、冷蔵庫を開ける。型から慎重に取り外したチョコは、見た目も美しく仕上がっていた。
それぞれが自分が主に担当したものを一口。
「……美味しい!」 手作りとは思えないほど、なめらかで甘さがちょうどいい。 ところが、ここで本当の事件が起きた。 先輩とあゆみちゃんが、同時に自分で作ったチョコを手に持って、僕の方へ差し出してきた。
「食べて!」「ゆうな君、食べて!」 ――打ち合わせ済みだろ、これ。
僕は完全に固まった。どっちから先に食べればいいんだ? 選んだ方が負けのような気がする。選ばれなかった方が傷つくような気がする。 二人は困る僕を見て、さらに楽しそうにチョコを近づけてくる。 僕は必死に頭を回転させた。
「2人とも美味しそうすぎて、僕には決められない……だから、ジャンケンで決めて!」 正直、却下されると思っていた。 なのに、二人は目を輝かせて「いいね!」と即答した。
――え、マジで? 本当の闘いは、ここから始まった。
僕がルールを説明する。「3本勝負。先に2勝した方が勝ち」 あゆみちゃんが「私、絶対負けないから!」と先輩を挑発すれば、先輩も「私だって負けないよ!」と笑顔で返す。空気が一気にバチバチになった。 僕はただ、怪我だけはしないでくれと祈るばかりだった。
第1回戦。
2人は真正面から睨み合い、気迫がすごい。最初はグーで勢いよく手を出したのに、2人ともパー。あいこ。 即座に手を引っ込めて、次の手を考える2人。僕は冷や汗をかいた。
再び。最初はグー、ジャンケンポン! 先輩がグー、あゆみちゃんがチョキ。先輩の1勝目。 先輩が本気で喜び、あゆみちゃんが本気で悔しがる。完全にガチだった。
第2回戦。
今度は心理戦。2人が「次は何出す?」と探りを入れ合う。先輩はグーをあゆみちゃんはチョキを宣言した。それで最初はグー、ジャンケンポン! 先輩がパー、あゆみちゃんがチョキ。あゆみちゃんの勝ちで1勝1敗。 あゆみちゃんが小さくジャンプして喜び、先輩が「グーのままにすれば……」と呟く。
そして運命の第3回戦。
2人とも無言。静寂がキッチンを包む。 最初はグー、ジャンケンポン! 先輩がグー。 あゆみちゃんが――パー。あゆみちゃんが勝った。 2勝1敗であゆみちゃんの勝利。
あゆみちゃんがガッツポーズ。先輩は俯いて、肩を落とした。
――女の子の本気の闘い、恐ろしい……。 僕は心に誓った。2度と、女の子同士を競わせるような真似はしない。 ところが、次の瞬間。 勝ち誇ったあゆみちゃんが、意外にも先輩の肩を抱いて「先輩、すごい接戦だったよ!」と慰め始めた。先輩もすぐに笑顔を取り戻す。 女の子の戦いは、あっという間に終結した。 僕はただ、ほっと胸を撫で下ろした。
そして、あゆみちゃんがチョコを手に持って近づいてきた。 ――渡してくれるのかな。 そう思った瞬間、あゆみちゃんは僕の口元にチョコを当てて、にっこり。「あ~ん」 反射的に口を開けた。 すると、死角にいた先輩が、同じタイミングでもう一片のチョコを――。 僕の口に、2つのチョコが同時に押し込まれた。
甘い。
甘すぎる。
口から零れそうになるのを必死に頬張る僕を見て、2人は腹を抱えて笑った。 どうにか飲み込むと、2人が同時に聞いてきた。
「どっちが美味しかった?」 ――答えられるわけがない。 僕が困り果てた顔をしていると、2人は「ごめんね」と笑いながら、僕の両頬に軽くキスをした。 頭が真っ白になった。 その後は、3人で残りのチョコを食べ合いながら、笑い声が絶えなかった。
帰り道、あゆみちゃんが全てを明かしてくれた。 最初は3人で楽しく作ろうという話だったのに、先輩が「ゆうな君1人に作らせたら面白いかも」と言い出して、あゆみちゃんもノリで乗ったらしい。
ジャンケンになったのは完全に予想外だったけど、楽しかったと。 そして、バレンタインデー当日。 僕は2人から、それぞれ丁寧にラッピングされた手作りチョコを貰った。
人生初のバレンタインチョコレート――しかも2つも。 甘いチョコを頬張りながら、僕は期末テストの勉強を頑張ったよ。
春が来る前に、まだ少しだけ、あかり先輩と一緒にいられる時間が残っている。
その時間が、僕にとって何よりも甘く、かけがえのないものだった。
読んでいただいてありがとうございます
ゆうな君のバレンタインデーの出来事でした




