現在を生きながら未来へ過去へ忙しい僕たち
みなさんも、それに一度は思ったことがあるのではないでしょうか。
「あのころに戻りたい」と。
あのとき、あの選択をしていたら。
あの人にあの言葉を伝えられていたら。
もし違う未来を歩んでいたら。
人生には、必ずいくつかの「後悔」があるはずです。大きなものも、小さなものも。たとえば学生時代の何気ない一言、あるいは就職や転職の選択、恋愛での決断。振り返ると「あのとき別の道を選んでいれば」と思わずにいられない瞬間があるのだと思います。僕も消したい黒歴史が20や30はあります。
話は変わりますけど人は、毎日に“数万回”の意思決定をしているそうです。
水を飲むか、飲まないか。本を読むか、読まないか。早く寝るか、夜更かしするか。その積み重ねの上に、僕たちの人生は形作られていきます。
ほとんどは無意識に近い小さな決定です。だから自分では意識していなくても、毎日の細かい分岐が、未来の大きな方向を決めています。
僕は学歴最底辺なので詳しくありませんが、動物はたぶん「今」しか見ていないのだと思います。お腹がすいたから食べる、危険だから逃げる。それ以上でもそれ以下でもない。
でも人間だけは違います。過去を思い出し、未来を思い描きます。
「時間軸」という感覚を持っているからこそ、後悔や期待、そして想像力が生まれる。ある意味、それは人間だけが背負っている贅沢であり、同時に呪いでもあるのかもしれません。
しかも困ったことに、僕たちの記憶は正確ではありません。
思い出はとても曖昧で、時間が経つほどに脚色され、美化されます。
「子どものころは楽しかった」と思っても、実際にタイムスリップして戻れたとしたら、意外と当時も苦しかったはずです。宿題に追われたり、友達との関係に悩んだり、子どもなりの世界でいっぱいいっぱいで生きていたのだと思います。
たとえば、一時間目から始まる算数の授業。今振り返ると「たいしたことない」と思うかもしれませんが、当時の自分にはあの45分はただただ拷問でした。大人になってからの「みんなの前で上司に怒られるくらいの衝撃」と同じくらいのストレスを感じていたのだと思います。
人は物体を持つ生き物である以上、過去に戻ることはできません。タイムマシンは存在しないし(ドラえもんが大好きな僕は言ってて悲しい)、どれだけ後悔しても、現実は「今」しか生きられない。
それでもつい、人間である以上、気持ちは未来へ行ったり過去へ行ったり、忙しく揺れ動いてしまいます。後悔や郷愁にとらわれたり、まだ来ない未来に不安を抱いたり。
でも考えてみれば、その「過去を懐かしみ、未来を思い描く力」こそが、人間を人間たらしめているのかもしれません。
過去には戻れません。けれど、その「戻れない」という事実が、記憶をより鮮やかにしているのだと思います。
忘れかけた思い出の断片を拾い集めて、「あのころに戻りたい」と思うこと。
実際に戻れても、そこまでの感動は意外になさそうなこと。
その矛盾を抱えながら僕たちは今を生きています。
このエッセイは、この僕がすでにこのアカウントで執筆、投稿した【30分読破シリーズ】の1作品を書いていて思ったことを書き綴ったものです。
作品名は
『【30分読破シリーズ②】夏の日に、キミが消える未来を変えてみせる』
です。ぜひ、合わせてこちらもお読みください!