令嬢、帝都ヘクトパスカルに立つ
さて──
サングラス男とのにらみ合いも一段落して、わたしはそのまま地下街を後にした。
あのバジリスクって男、見た目は無愛想で冷たそうだったけど、わりと礼儀はあるのよね。
子供を助けてたし、わたしの魔眼耐性を気にするあたり、案外やさしい……のかもしれない。
まあ、まだ“婚約者候補”とは言いづらいけど。
◇ ◇ ◇
翌朝、わたしは帝都の宿屋で目を覚ました。
木造三階建てのボロ宿──でも水は出るし、ベッドは柔らかい。感謝すべきかしら。
「ふあぁ……さて。今日の目標は、“貴族街に潜入”かしらね」
第二層の貴族街には、いわゆる“政略結婚市場”があるって話。
高位貴族の子息が、わたしみたいな美貌と実力を兼ね備えた女性にアプローチしてくるらしい。
もちろん、“婚約者探し”という建前で、政争の道具にされるのが目に見えてる。
でも、それも面白そうじゃない?
「さて、そろそろ準備を──」
ドアの前で、気配がした。
──コツ、コツ、コツ。
足音。軽やかで、同時に殺意を含んだ気配。
普通の訪問者じゃないわね。さて、どう迎えようかしら。
「入っていいわよ。ノックもせずに来るくらいだもの、わたしへの用件は急なんでしょう?」
ギィ……と、扉が開く。
入ってきたのは、全身黒づくめの女。
顔の下半分を布で覆い、背には二本の細剣を背負っている。
──帝国暗殺部隊、“黒衣の指”。
「アルシェ・クライン。命をいただきます」
「あら、挨拶も礼儀もなってないわね。今どきの暗殺者は荒っぽいのね」
相手の気配は本物だ。迷いも、容赦もない。
でも──その程度で、わたしを止められると思ってるの?
スッと、わたしは右手を上げた。
狙いをつける必要なんてない。ほんの一歩、近づいてきたその瞬間──
ツン。
人差し指で、軽く小突く。
ゴバァァッ!!
黒衣の女は、完全に予測不能の軌道で吹き飛び、廊下の柱をへし折りながら壁にめり込んだ。
宿屋が軽く揺れる。
2階の客から悲鳴が聞こえるけど、気にしない。わたし、被害者だから。
「……ふぅ。布団を壊さなかったのは評価してあげる」
正直、もうちょっと歯ごたえある相手が来ると思ってたけど──これじゃ拍子抜けよね。
◇ ◇ ◇
その直後、宿の外で再び殺気を感じた。
「今度はなにかしら? 第二ラウンド?」
わたしが扉を開けた瞬間、視界の端で何かが“跳んだ”。
屋根の上。サングラスの男──バジリスクが、そこにいた。
彼はわたしと視線を交わすと、ほんのわずかにあごをしゃくった。
「外に、あと三人いる。……待ち伏せだ」
「なるほど。なら、先に動いたほうがいいわね」
バジリスクは屋根から降り、音もなく地面に着地した。
わたしは彼の背に続いて、路地裏へと回り込む。
そこで待っていたのは、まるで人形のような動きの黒衣たち。
ひとりは弓を構え、もうひとりは双剣、最後のひとりは──魔術詠唱中。
「さすがに、わたし一人では面倒かもしれないわね。少しは手伝ってくれる?」
「ああ。“俺の眼”を使わない程度でな」
そして──戦いが始まった。
バジリスクが一歩踏み出すだけで、弓の暗殺者が吹き飛ぶ。
彼の拳が風を裂くたび、敵はひとりずつ倒れていく。
そして最後の魔術師へ、わたしが近づいて──
「詠唱中に動かないって、馬鹿なの?」
ツン。
人差し指が軽く彼の胸に触れた瞬間――『ズドォン!』と爆発音。
魔術師はそのまま、空高く打ち上げられて夜空の星になった。
「これで……全部かしら?」
「いや、まだ“上”がいる。あれは、宰相の手勢だ」
バジリスクの表情がわずかに険しくなる。
「ふうん。つまり、わたしの存在がもうバレてるってことね」
「面倒になる。逃げるか?」
「まさか。むしろ、燃えてきたわ」
──わたしの名は、アルシェ・クライン。
婚約者を探しに来ただけなのに、なんだか帝都の悪い連中を指ひとつで掃除する流れになってる。
でも、悪くない。
どんなに巨大な権力でも、この“人差し指”には勝てないんだから。
◇ ◇ ◇
一方そのころ──
宰相ナヴァロは、またも水晶玉を睨みつけていた。
「……また片付けられた? 嘘でしょう」
黒衣の刺客たちが、何の成果もなく倒されたその光景に、
彼女の指が白くなるほど拳を握る。
「ふざけた小娘が……!」
水晶を叩き割り、ドレスの裾を翻す。
「ならば、次は“あの男”を差し向けましょう。クライン家の忘れ形見など──この帝都に要らない!」
指先と魔眼のコンビが、帝都を揺らし始める。
次なる刺客は、宰相直属の最強の暗殺者。