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ワンパン令嬢、指先ひとつで無双す  作者: 桜井正宗


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10/12

令嬢、指先と心を取り戻す旅へ  

 わたしは今日も、ベッドの上で寝転がっている。


 ……というより、現実逃避している。


 顔に冷たい布を当てながら、天井の剥がれかけた木目をぼんやりと見つめる。


「アルシェ様、……お茶、置いておきますね」


「うん、ありがと。飲む気力は、まだ戻ってないけど」


 セレスタが小さくため息をついたのが聞こえた。

 わかってる。みんながわたしに期待してたのに、あんな形で裏切った。

 火炎瓶。群衆の罵声。庇ったセレスタの涙。


 そして──動かなかった、わたしの指。


 


 そんな空気を破るように、扉がミシリと軋んで開いた。


「起きてるか」


「寝てるふりをしてたわ。どうせバレるけど」


 椅子を引く音。

 バジリスクがわたしの枕元に座り、すこし黙っていた。


「帝都は……まだ燃えてない。お前が動かないからだ」


「……皮肉?」


「事実だ」


「ひっどい」


 思わず笑ってしまった。少し、楽になった。


 


「……ねえ、バジリスク」


「なんだ」


「ちょっとだけ、逃げるわ」


「…………」


「……いいえ、“離れる”の。帝都から。

 今のままじゃ、また間違える。わたし、自分を見失いそうで……」


 


 しばらく沈黙が落ちた。

 でも、バジリスクはわたしの手を取ったり、慰めたりなんてしない。ただ、こう言った。


「なら、行け。俺もついていく」


 


◇ ◇ ◇


 


 夜明け前の帝都。

 人気のない裏路地を抜けて、わたしとバジリスクは城壁の外へ出た。


「……これが、“逃亡劇”ってやつかしら」


「堂々と歩きすぎてる。逃亡じゃなくて、散歩だ」


「そういうこと言うから、賞金首なのに緊張感ないのよ」


 でも、わたしは少しだけ笑ってた。

 笑える余裕がある。これだけで、随分とマシになってた。


 


◇ ◇ ◇


 


 昼頃、わたしたちはひとつの村に立ち寄った。

 素朴な家並みに、畑と家畜と、子どもたちの声。


「……あ、旅のお方!」


 ひとりの少年が駆け寄ってきた。


「お姉ちゃん、魔法使えるの? 剣とか持ってないのに、強そう!」


「ふふ。まあね。わたしの“武器”は──」


 ツン。


 指先で地面を軽く突くと、小石が吹き飛んで空中でパチンと弾けた。

 少年の目が丸くなる。


「すっげぇえええええ!!」


「うるさい」


 バジリスクの声が、ほぼ無意識に飛んできた。


 


 そのとき──村の外れから、怒鳴り声。


「ほら、さっさと金出しな! ここらの村人はおとなしく払えばいいんだよ!」


「や、やめてください! 今月はもう、子どもたちの食料が──」


 また、か。


 


 村の入り口で、三人の盗賊風の男が年寄りを恫喝していた。


 わたしはため息をついて、ゆっくりと歩み寄った。


「ねえ、あんたたち。指名手配犯に絡むなんて、勇気あるわね」


「なんだぁ? 女ひとりで──」


 ツン。


 地面に転がっていた枝を指先で小突く。

 その瞬間、男は3メートル吹っ飛んで、逆さまに藁小屋へ突っ込んだ。


 残る二人が顔を真っ青にして叫ぶ。


「に、逃げろぉぉぉぉ!!」


「“ワンパン令嬢”だあああ!!」


 


 村人がわたしの方に駆け寄ってきた。


「助けていただいて……本当にありがとうございます。でも……本当に、あなたなんですね?」


「うん。ワンパン令嬢、ただいま田舎道を漂流中」


 村人たちが少しざわつく。


「でも、帝都で指名手配って……やっぱり危ない方なのでは?」


 そのとき、バジリスクが静かに言った。


「危ないのは、あの指だけだ。心は──意外と軟弱だぞ」


「おいこらバジリスク」


 


◇ ◇ ◇


 


 その夜、わたしたちは小川のそばに野営地を作った。

 焚き火のパチパチという音が、やけに心地よかった。


「ねえ、バジリスク」


「なんだ」


「……わたし、あのまま帝都にいたら、折れてた。

 でも、こうやって歩いてるとね、“まだ立ってる”って実感できるの。

 だから、行ってよかったのかもって」


 焚き火越しに見た彼の横顔は、静かで優しかった。


「アルシェ」


「ん?」


「お前がまた立つなら……俺は、その横に立ちたい」


 焚き火の灯りで、彼の言葉が胸の奥まで届いた気がした。


「……それって、もしかして……」


 言いかけたわたしに、彼は少し視線を逸らして──


「意味は、あとで伝える」


「……やっぱりね。そうくると思った」


 でも、そのときのわたしは、少しだけ顔が熱かった。


 


◇ ◇ ◇


 


 一方そのころ、帝都。


 宰相ナヴァロは、公開処刑の計画書に署名していた。


「支援者は見せしめに。吊るされれば、誰も逆らえなくなるわ」


 書類の名簿に記された名前の中に──


 セレスタ・ヴァルデンの文字があった。


 令嬢は、指先と心を取り戻す旅へ。

 帝都では、次なる“粛清の火”が灯り始めていた。

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