婚約破棄、指先ひとつで吹き飛ばす
「──アルシェ、貴様にはもう家の敷居は跨がせん」
うちの父、ドーティス伯爵は、いつも通り冷たい声だった。
わたしのことを娘じゃなくて、“余計な荷物”とでも思ってるんでしょうね。
広すぎる大広間には沈黙が満ちていて、わたしの隣では、元・婚約者のアレクセイが笑っていた。
ああ、この顔。もう何度見たかわからない。
「ふっ、ざまぁないな。誰が娶るかよ、田舎娘なんか。あっちの方がずっと魅力的だぜ」
ほらね。浮気がバレても悪びれない、典型的なクズ。
そのくせ、ずっとわたしのことを格下扱いして気取ってる。
「……なるほど。なら、ひとつだけ置き土産をしてから出ていきますわ」
わたしはくるっと踵を返して、アレクセイに向かって人差し指を突きつけた。
この指だけで、全部終わるのよ。
「へっ、なんだよその指──」
ツン。
小突いた。たったそれだけで、アレクセイの身体が浮かんで、
次の瞬間には──
ズバァン!!
爆風のような無音の衝撃が走り、彼は一直線に吹っ飛んでいった。
森の向こう、地平線の彼方まで。たぶん今日中には帰ってこない。
振り返れば、父も使用人もぽかんと口を開けて固まっていた。
わたしはスカートの裾を整えて、背筋をすっと伸ばし、ひとこと。
「それでは失礼いたします。あのクズと縁が切れただけでも、感謝すべきですね」
こうして、わたしの伯爵令嬢生活は、静かに終わった。
◇ ◇ ◇
帝都ヘクトパスカル。
その街は、まるで魔法陣のように美しく、円形に広がっていた。
わたしは丘の上から眺めて、思わず息を漏らす。
「……ふーん。案外、趣味いいじゃない。帝国ってやつも」
背中にはトランクひとつ。護衛も従者もいない。
でも指はある。わたしの最強の武器、それが“この指先”。
通りすがりの旅人に聞いた話じゃ、帝都では「花婿選抜会」なんてものまであるらしい。
それ、乗るしかないでしょ。
「さて。今度こそ、マトモな婚約者を見つけてやろうじゃない」
あのクズの顔を思い出す前に、帝都に踏み出す。
ここからが、わたしの人生の本番だ。
◇ ◇ ◇
帝都・市民環状区。雑多な人混みに紛れて歩いていると、すぐに歓迎イベントが始まった。
「姉ちゃん、財布出してもらおうかァ!」
スリ上がりのチンピラ3人。刀持ち。しかも歯抜け。
もうちょっと洗練された犯罪者っていないの?
「まさか歓迎会とはね。泣かせてくれるじゃない」
わたしは人差し指をすっと差し出して、チンピラの胸元をツン、と小突いた。
「さようなら」
ドゴォン!!
ひとりが空を舞って、街角の石壁にドカンとめり込んだ。
周囲の通行人がザワつく。
「な、なんだあれ……!?」
「今の女……ひと突きで……?」
わたしはスカートの裾を払いながら、さも当たり前のように歩き出す。
「さて、次は婚約候補を探しましょうか。石にはならない人がいいけど」
◇ ◇ ◇
地下街はじめっとしていて、空気も悪い。
でも、こういう場所の方が“面白い男”が隠れてるかもしれない──そう思って歩いていたら。
「へへっ、いい物持ってんじゃねぇか。来な!」
「きゃあっ……!」
子供が盗賊に腕を掴まれていた。
「その子、放してもらえないかしら? わたし、あんまり待つの嫌いなの」
わたしが人差し指を持ち上げかけた、その瞬間──
「どけ」
低く、冷えた声。背後に立っていたのは黒衣の男。
サングラスをかけた、なんとも場違いな風貌の男だった。
彼がサングラスを、ほんの少しだけずらす。
パキィン……バリバリッ!!
盗賊たちは一瞬で石化し、そのまま崩れ落ちた。
「…………」
「…………」
しばらく、見つめ合うだけの沈黙。
「……妙な登場の仕方ね。普通に助けるって選択肢はないわけ?」
「殺してはいない。眠ってるだけだ」
何それ、意味不明。けど──妙に気になる。
「名前は?」
「……バジリスク」
「へぇ。わたしはアルシェ。婚約者探し中なの。……って、別に勧誘してるわけじゃないわよ?」
「お前、俺の魔眼を見て平気なのか」
魔眼、ねぇ。
「わたし、顔の濃い親戚に囲まれて育ったの。多少の異形じゃビビらないのよ」
彼はほんの少し、口角を動かした。これ、笑ったわね?
「……笑った。可愛いじゃない」
「違う」
あ、即答。まあ、そこも含めて可愛いと思うけど。
「で、あんた。もしかして、ちょっとは強いの?」
「どうだろうな。“その指”と、どっちが勝つか──試してみるか?」
わたしは、人差し指をゆっくり立てた。
バジリスクは、サングラスをちょっと上げた。
空気がピリッと張り詰める。
でも、それはまだ“火花”に過ぎなかった。
◇ ◇ ◇
一方そのころ──帝都中枢、宰相府。
女宰相ナヴァロは、水晶玉を睨んでいた。
そこに映っているのは、チンピラを指ひとつで吹き飛ばす、銀髪の少女。
「……クライン家の娘が、帝都入り?」
漆黒の髪が揺れ、女宰相は唇を歪めた。
「ふふ……不快ですね。目障りですわ」
手のひらで水晶をなぞる。
「アレクセイを吹き飛ばした上で、婚約者探し……ふざけた真似を」
彼女は、背後に控える黒衣の者たちへ目配せした。
帝国暗殺部隊──“黒衣の指”。
「──歓迎の儀を始めましょう。あの娘が二度と笑えないように」
──ワンパン令嬢と魔眼の男。
帝都の空気が、静かにきな臭さを帯び始めていた。