懐かしい町
『私は兎を見たい』
そう言い残して住処を飛び出しました。
話に聞いたことがあるだけで、実際には見たこと無いのです。好奇心が沸点を突き破った結果、誰にも何も言わず召使いに無理を言って住処を飛び出してしまいました。
『申し訳ない気持ちを糧に是が非でも探してみせるわ!』
全ては兎を探すため。
全力を尽くして、住処に住みし全ての者に文句を言わせなければ私の勝ちなのです。
私は残した者のことを全て忘れて、冷静に降り立った場所を見渡します。
この町を訪れるのは初めではないはずなのに、時の流れは残酷であり、また華麗でもありました。面影を残しつつも全てが変わってしまったことを現実として突きつけてきます。
『あぁ。ほんとーーーに変わったんだ』
変わらないのは空だけ。あの時と夜空は何ひとつとして変わらなかったので、上を見上げていれば不思議と落ち着きました。
頭ではわかっていました。
情報としてもう私がいた時の町では無くなったことは分かっていたのに、分かっていたのに、やはり自分の目でその現実を突きつけられると受け入れられ難い気持ちにもなってしまいます。だけど、これは世の流れとして仕方ないのです。そんな私のわがままが抜かり通ることはありません。繁栄を望まないことは世の理に反するのです。
変わらない夜空に目を向けると、一滴の流れ星が私の涙の代わりに流れました。
『よし!クヨクヨしてる暇なんてない!探すぞ!頑張れ私!』
全てが変わった町で、何もあの時から変わらない私は時代に順応すべく前に進みます。
焦る必要はありません。
まだ兎を捕まえるには時間があります。まずは私の中の昔の記憶を塗り替えながら、新しく生まれ変わった町の日常に溶け込んで楽しむことも悪くありません。
『情報って正しいんだね』
この町を離れてからもずっとこの町を気にして、定期的に情報は仕入れていました。特段何か目立つ町でもなければ、大都会でもありません。ごく普通の田舎と呼んで解釈は一致するでしょう。
移りゆくこの町の情景の答え合わせに私は少しの悲しみが心に浮かぶのが分かります。
ずっと得続けた情報は何一つ間違えてませんでした。畑であった場所に家は建ち、かつての民家は形を変えてコンクリートの今時の家に変わっていました。初めて見ましたが、公園や学校というものも作られていて、子供達やその他大人達が生き生きと活動しているのがよく分かります。
世間に目を向けず情報を遮断していたら、記憶との乖離や人々の発展に脳がついていかないことで、精神が壊れていてもおかしくはありません。我々の住処はこの世界とは隔離されてるのですから。
『この風も久しぶりね』
思いっきり鼻で息を吸えば冷たく澄んだ空気が肺に入ってきます。田舎の空気は非常に綺麗で、肺もとても喜んで風を堪能しています。
故郷に帰る喜びで私は今にも駆け出したい気持ちでいっぱいですが、夜に駆け出すのはあまりにも不自然が過ぎるため、グッと我慢。
『夜道を歩くのが楽しい!紅葉だ!鈴虫だ!』
夜の紅葉は暗い視界に暖色を添えて華やかにし、鈴虫は静寂の夜に音楽を添えます。これですら懐かしいと感じてしまう私は、どれだけの時間この世界から隔離をされていたのか考えさせられてしまいます。
私の住む殺風景この上無い無機質な世界は私にとって退屈で仕方がなかった。紅葉は生えておらず、鈴虫どころか虫さえ見ないあの世界にいなければならない現実はなんて寂しいことだろうか。それが使命であり、仕方の無い事だとしてもなんて無機質な生活でしょう。
向こうは向こうで楽しいこともあるし、やりがいのあることもある。でも、私はこちらを知ってしまいました。
夏の暑さ冬の寒さ。
虫や鳥のせせらぎ。
山の季節による衣替え。
美味しいご飯とたまの贅沢のお菓子。
そして、人間の温かさ。
知ってしまったのです。
逆に今まで反旗を翻して駄々を捏ねて外に降りようとしなかったことを褒めて欲しい。ずっと耐えて耐えて自分の成すべき姿を演じてきました。
衝動は唐突です。
私がたまたま調べたら見つけてしまった兎について、気になってどうしようもなくなってしまったあの瞬間に、今までの鬱憤は衝動に変わって破裂しました。散々我慢したのですから少しくらい願いを叶えても罰は当たりやしません。
「兄ちゃんそれ買いすぎじゃない?」
「折角買ってきていいと言われたんだから、好きな物買いたいだろ」
「でも、甘いものばっかり」
「うるせえ!母ちゃんも甘いもの好きだからちゃんと分けるよ!」
なんと微笑ましいやり取りでしょう。
親御さんからお使いを頼まれて買いに行ったのに、兄は調子に乗って好きなものを沢山買ってしまい、怒られることを心配する弟。なんて人間味溢れて微笑ましいのでしょう。
「ケーキにチョコに和菓子って。兄ちゃんがめついよ」
「うーん。ジャンルもバラバラだなたしかに。まぁ美味しければ何でもいいさ。風邪ひいて寝込んでる母ちゃんも、これだけ美味しいものあれば元気になるさ」
その言葉を聞いて私は泣きそうになりました。
『な、なんていい子達なんだ!!お姉さん泣いてしまう!』
健気なお子2人は寝込んだ母のためにわざわざ沢山の甘いものを買っていったなんて、こんな心温まる話があっていいのでしょうか。
知らない甘味の名前も多いですが、さぞかしあの子たちの持っているものは美味しいのでしょう。
『2人の可愛い男の子よ。幸せを母に分け与えたまえ。きっと母は泣いて受け取ってくれるから』
2人の兄弟は私の目の前を横切って行きました。私の声は聞こえてないでしょう。
彼らをゆったりと見届けることが出来て、家族愛を見れて私は幸せです。
『これが温かさだよ。これだけ心が温まるなんてやはり素晴らしい!久しぶりに来た甲斐が有った。家族愛は昔と全然変わらないことに安心だ』
全力の独り言は空中に思いっきり分散しましたが、残念なことにその言葉達の行先は無いでしょう。誰にも届かないのですから。
『山は…やっぱり変わらないね』
どれだけ色んなものが変わろうとも昔から地形は変えようが無い為、山だけは何一つ変わらずに姿を残していました。変わらずに残っているものを見つけるだけで安心感がありますね。
この町が生まれて記録に残る前から鎮座し続ける山。生まれる全ての人々を見守り、微笑み続けたこの町の魂。私もここで生まれた。私が生まれた時からあるのだから、歴史にこの山ありと言ったところでしょう。
久方ぶりの人物の帰還に若干山が動揺しているのは気のせいでは無いかもしれません。無理はありません。とんでもない月日を突き抜けて戻ってきたのですから。もはや、生えてる木々の中でも長寿な木ですら、私の生まれた後に生えてきた木のはずです。連絡なく急遽現れた古の女が悠々と闊歩してる姿には戸惑いを示して然るべき。私だって少し照れくさい。
ただ懐かしいだけで訪れたのではない。確信を持ってその場所に向かっています。この山にずっと住み続け、この山自身となっている御神体の偶像へと。
何となく雰囲気で場所は分かってしまったので、想像以上に早く見つけてしまいました。いや、あちらの方が私のことを先に見つけていました。
『して、懐かしい顔を見せてきよって』
『お久しぶりですね。あれ、新しい身体になってますね。お地蔵さん』
『身なりはどうだっていいからね。魂自体はこの山にずっとあるから器なんてあってもなくても変わらないよ。ありがたいことに誰かが作っては置いていってくれるから、使わせて貰ってるだけさ』
私がこの町にいた時からこのお地蔵さんにはお世話になっていましたが、まさか私を覚えているなんてありがたい話です。
『私のこと覚えてるんですね』
『忘れることないだろう』
お地蔵さんの表情は変わりませんが、絶対に笑顔で応えると思われます。
『久々に来ましたけど、ここは変わらないですね』
『山を切り開くなんてめんどくさいことわざわざやらないだろう』
『いやいや、みんな山のことが好きなんですよ』
『そうだといいんだけどね』
山に住むもの生えるもの全てが私のことを見てざわつき、ヒソヒソ話をする中、長であるお地蔵さんは何の揺れもなく淡々と出迎えてくれています。
『私がいなくなってからの時間はどれだけ経ってしまったのでしょう』
『時を刻む時計が泣くほどだな。それは今見てきたお前が1番分かること』
『えぇ。嫌でも目に入りました』
『だが、住み着く人々の本質は変わっとらん。緩やかな町だよ昔から』
『えぇ。それも先程見てきました』
『接触したのか』
『目の前で見ただけです。私のことは見えてませんから。あちらは』
こちらで過ごせる肉体はもう持っていない。存在してしまったらややこしいのだから、魂としてだけこちらにやってきました。
『よくあちらの方々は降りてくるのを許したな』
『あ。それは無理矢理です』
『とんだ無茶しよって。目的はなんだ』
お地蔵さんはため息混じりに聞いてきます。
『兎を見るため』
『兎?』
説明が少なすぎるため、通じていません。
『空飛ぶ兎を見るために』
『なんだかよく分からんがいいだろう』
『もう明日には見れると思います』
『そうか。じゃあ明日まで、お前のあっちに行ってからの話でも聞かせてくれ』
『もちろんです』
秋は深まり、麗らかなる姿を纏いしこのお山。包まれながらこの町のことと、あちらに行ってからを懐古します。紡ぐ時間の欠片はとどまることを知らずにこれでもかと溢れてきては、私とお地蔵さんの空白の年月を埋めていきます。お互い長い時間生きているからこそ、振り返る過去も多ければ忘れる過去も多いのです。
どれだけの話が行われたでしょうか。
月が逃げて太陽が懐かしむ顔で我々を見ながらまた月が挨拶をしてきた頃。
兎を探す時間です。
そして、私がこの町にいる最後の時間でもありました。
過去を懐古するには短し。
古い記憶を宝箱から引っ張り出してきても、溢れ出てくるため語り尽くすことは不可能でした。
さて、最後の時間です。
『そろそろかな。お地蔵さん』
『いやぁいい話を聞けた。こうやって誰かと話すのも何年ぶりかな』
余程嬉しかったのが見て取れます。
『私も久々に地上の人と話して楽しかったです』
『お互いに苦労するな』
兎を見るために待つ間お迎えもどことなく近づいてきていると、私の勘は訴えかけます。それは分かっています。ここまで野放しにしてくれたことを感謝せねばなりません。もっと早くに向かえば来てれば私は兎を見ることが叶わなかった。
『そろそろお迎えも来てますので』
『兎は』
『もう見えましたよお地蔵さん』
私は月を指さします。
お地蔵さんは笑っています。
『なるほど!こりゃ驚いた。お前が今まで見れなかった兎というのも納得納得』
『兎が餅を突いている姿は嘘ではなかったのですね』
綺麗で真ん丸な月に浮かぶ兎。どことなくいつもより光り輝く兎の住処は、私を見つけたかのように喜ぶように思えます。
美しいという言葉では足りません。だけども、これを沢山の言葉で言い表すのも何かが違います。目で見て自らの中にスっとしまい込むのが良いのでしょうか。
『十五夜のお月様だ。年に一度の中秋の名月に兎は現れる』
『とっっても綺麗です。また見たいくらい』
『また待ってるよ私はここで』
『ありがとうございます。私が地上に降りてきて話せるのは多分貴方だけですから』
『それは私もだ』
見つめ合って互いに少し悲しい顔をします。
次会うのは何年後。いや、何百年後なのか。それまでこの町とこの山は存在していると断言することは些か難しいです。私もお地蔵さんも理解しているからこそ悲しい顔になってしまいます。
『さて、迎えが来たようだぞ』
お地蔵さんに言われて月に目を合わせました。無茶言った召使いが血相抱えてこちらに向かっていました。待ってくれたのでしょう。私が見終わるのを。
この世界における私の時計の針は再び止まります。その気持ちを持ちながら召使いのお迎えに抗わず、優しい顔と申し訳ない気持ちで住処へと帰ります。
そんな気持ちの整理をするととある物を差し出してきました。
『これを食べていきなさい最後に』
『これは?』
『月見団子だ。中秋の名月では月見団子が供え物として置いてもらえてな。1人じゃ到底食べきれん。最後の思い出だ。食べてってくれ』
『じゃあ遠慮なく』
差し出された月見団子は味が質素でしたが、その素朴な味わいがどこか懐かしく、昔迎えてくれたおじいさんとおばあさんを思い浮かべてしまいました。懐かしさで涙が出るのを涙腺でグッと堪えて空を見上げます。
私が生まれたこの山。この町。また会う日まで。
『じゃあお地蔵さん。またいつか会ってくださいね』
『何を言うここはお前の故郷だろう。かぐや姫』
最後に笑顔を残して名残惜しさを胸に私は月へと帰りました。




