永遠稲荷
いくら歩いても疲れないこの環境は夢か真か。
いや、夢であればどれほどよかったであろう。いくら歩いても疲れないという意味は今ある現実を逃避して全力で美化して吐き出した微かな足掻き。
いくら歩いても疲れない場所に俺は足を踏み入れて一生歩いている。
この世には安易な考えで近づいてはいけない場所がいくつか存在をする。普段であれば何ともなくとも、馬鹿にして荒らし尊敬の念を捨てて踏み入れることで逆鱗に触れる場合もある。俺は今回それだ。
「永遠稲荷大社だな」
何を勘違いしたのかふざけてかの有名な稲荷大社へと夜に足を踏み入れた。尊敬の念なんてなかった。
最初はよかったのだ。
真っ赤な鳥居がトンネルを形成しては包み込むだけで、人の少なさから不気味な雰囲気は匂ったが特段気にもしなかった。
事態の発端は勝手に満足をしては引き返して降りようと戻ったその時。いくら歩いてもいくら歩いても出口は見えてこなかった。山の斜面に作られたこの神社は出口に向かう場合は下るはず。なのに、俺は出口に向かってるのになぜか登っているし、正規の向きで歩いても登っている摩訶不思議な状態に遭遇した。
それから俺はいくら走っても疲れないし、景色も変わらないこの赤い鳥居鎮座する稲荷大社に閉じ込められてしまった。
あれから何日歩いているのか考えたくもない。
何日なのか何年なのか。
時間感覚の欠如は芋づる式でその他連結する全ての神経を毒して殺していく。
腹は減らないし発汗も無ければ脳内を整理する力さえも欠け始めてくる。
だが、意外にも嗅覚だけは鋭敏に作用する。
「ドクダミ」
微々たるドクダミの匂いに心は歓喜する。
ずっと歩いていて景色は変わらないはずなのに、何故か草花等の匂いは定期的に俺を覆う。ドクダミなんて好ましい匂いではない。
嫌味のようにジメジメした隅っこに縄張りを置くこの葉は基本的に忌み嫌われる鬱陶しい存在ではあるのに、そんな存在でさえも1つの楽しみとして捉えてしまう俺が情けない。
藁にも縋る思いでこのルーティン世界での非日常を探す。
「なんてデカいドクダミなんだ君は」
ドクダミがどこから匂いを発するのか。
それは赤い鳥居の右手側にいるかなりの大きさのドクダミからである。
鳥居と鳥居の間から見えるだけだがかなりの大きさを誇る。多分3メートルはあるだろう。この大きさを考えるとドクダミの匂いは少なすぎやしないか。
「図体がでかいならもっと自己主張してもいいのではないか」
ドクダミは何も答えない。
匂いは何も変わらなかった。
放っておいて歩くといつの間にか匂いは消えて、引き返してもドクダミの所へと戻ることは出来なくなった。再開したいとは思っていないが会えなくなるのも寂しきもの。
いつ会えるのか。もしかしたら二度と面を向かうことはないのかもしれない。
「悲しきかな」
会えない物に執着する必要性は満にもない。
空腹の絶頂になった二足歩行草食動物でこの鳥居を破壊するだけの力があれば別であろう。息を荒げて血眼でこの道を破壊する。
ただの空論だが、頭が上手く働かない中での妄想は良き娯楽だ。
「快楽だ」
自らに妄想癖があるとは気がつかなかった。
妄想するとその妄想が頭から零れ落ちていつの間にか忘れているので、娯楽としての反復性は高い。毎度0から妄想できる。
「夜空も物寂しいな本当に」
ずっと夜を過ごしているのだが、夜空には北極星を除くすべての星が見えない状態となっている。
名前のみ知る唯一の1等星が寂しげに輝きを見せる。
「残念だけど君以外の星を俺は知らないんだよ」
北の方角を指すと言う北極星は道標になる有用な星ではあるけども、道が鳥居に囲まれたこの参道では道標の価値はないに等しい。歩むべき道は全て決められているのだから北極星だけ見えるというのは皮肉でさえある。
北極星に向けて歩いてこのトンネルから抜けられるのであればどれだけ楽なのか。
「夏の大三角は知っているが何がそれを形成するのかもわからない」
あれだけ夏の夜空に毎日敷かれていた夏の大三角を最後にみたのはいつだろうか。いつから俺は上を見上げる余裕を持たない生活を強いていたのか。あれだけ毎日見れる物なのに名前さえ知らないことに驚愕する。
見る気がなかった物を見たいと願い、今はもう見たくもない赤い鳥居を毎日目に焼き付ける。
ただただ辛い。
1つ輝く北極星を見て鳥居から目を逸らす。
俺はそうでもしないと赤い鳥居を見続けトラウマが出来上がりそうだ。
「北極星が消えたら上を向く理由がなくなるのか」
北極星は視覚的娯楽の命綱。その状況を鳥居はより一層赤を強めて俺を馬鹿にする。
「なんだてめえら折ってやろうか!」
腹が立って鳥居に突っかかることをしてみたが、あまりにも鳥居が丈夫すぎて触れただけで折ることなんてできないと判断できた。立派な木であるのかここの狐が作り出すものだから硬いのかはわからないけども、どちらにせよどうにもならん。
「チッ!袋小路だよ言葉通り」
何本もの鳥居はずっと俺を囲っては逃げ場を閉じる。
鳥居と鳥居の間をくぐって逃げようかと思ったが、当たり前のように見えない何かで鳥居の間をくぐるという愚行は閉ざされる。
非常に腹立たしい。
「狐様よどっかで見てるんだろ。なんだ俺をどうしようって言うんだ」
怒りの矛先は明確な対象を捉えることなく四方に散っては最終的に北極星へ目を向ける。虚空を割くだけの叫びは手ごたえは無ければ回答もない。
ひたすらに歩いて出口を見つけるしかないのがこのトンネルの解決正当法。
黙って歩く。
どれだけ歩いただろうか。
疲れないはずの俺の体は心が疲弊して足を動かすことに恐怖を覚えてさえいる。
そんな状態の俺にとっては嬉しい話で、景色に少しだけ変化が生まれ始めた。
各鳥居の根元に青い花が咲いた。名をネモフィラと呼ぶ。
それらネモフィラはただ咲くだけでなく光を発する。
その光は青白く俺の体を照らして心の闇を少しは解けさせてくれる。ネモフィラという名前を知る機会が昔にあってよかった。その機会なければただの青い花で終わっていた。ただし、なれと言うのは怖いもので綺麗なものをずっと見ていると欲望が出てくる。
「他の花が見たい」
見飽きるのは仕方がない。
贅沢なのは百も承知なんだが、花に興味のない人間がずっと花を見ていても飽きるだけなのが普通のことだろう。見れることが叶うなら是非他の花も見てみたい。
ネモフィラも綺麗なのは認めるし見ていれば心がゾクゾクしてくる。妄想と視覚的なゾクゾクを楽しみに今は人生を楽しんでいる。
これが普通の生活の中での娯楽だったら人間としてだいぶ終わっている。何もないところではちょっとした変化を娯楽と捉えるデフレが起きる。
「はぁ他にも娯楽・・・ん?なんだこの焦げた匂いは」
急に空が一点明るくなった。わけではなかった。
確かに一瞬明るくなったのに、空を見上げれば北極星が目を逸らす。太陽があがってはいないのに明るいと認識したには必ず理由がある。
鳥居を見たが別に発行しているとは思えない。だが、鳥居をじっと見るとその奥で異様な光景を目の当たりにする。そして、明るさの正体が判明した。
「なんだこれは。兵隊が行進している。その先では爆発・・・?」
明るさを感じた要因は太陽ではなかった。爆撃の炎であり、焦げ臭さの正体は火薬。非常に異様な光景を物語るのはその兵隊達。一糸乱れぬ行進は一直線に進みその先で爆撃が起きている。しかも、兵隊が全員灰色に見えて色がない。
「どういうことだ気味が悪い」
爆撃は炎の色を見せるのに兵隊は何も色を発さない。その状態は爆撃のみにフォーカスしてしまい、より爆撃の怖さを強調させる。兵隊は人間味を出さずに機械のようにさえ映る。鳥居の間から凝視するように観察するが、爆撃が強調されるこの色合いは戦争の恐怖を際立たせる。
「やめろ!ダメだ!戦争はダメだ!」
爆撃の音圧は破裂するたびに鼓膜を直撃する。
これが恐怖だ。
生気の感じない兵隊達は黙々と色なく進行する。俺はそれを見ていることしかできない。
本当に恐ろしい。
脚は震えて身の危険から心拍数は急上昇する。恐怖は体の正常な行動を無視して運動神経を妨害する。動けない。
火薬の匂いは鼻から取れない。
「戦争はダメだ!誰も幸せになんてならない!やられた側の気持ちは計り知れないんだぞ。恐怖は更なる恐怖を生む。それがわかってるのに何で辞めないんだ!」
誰にこの言葉を届けているのか。正気の無い無機物の兵隊に投げかけたところで状況は変わるはずがない。だからと言って黙ってみているのも違う。声を上げる事が何かのきっかけになればいい。
音圧が俺の声を踏みつぶして爆発音が俺の声をかき消す。
届かない俺の声は何とも無力なのか。
自らの無力さに肩を落とすと足元ではネモフィラ消え、代わりに何かがいることに気が付いた。
「狐?あんたまさかここの稲荷様か」
「左様」
何の前触れも無き登場に驚きを隠せない。言いたいことが山ほどあるので、それら一つ一つ聞きたいところであるが、聞く前にむこうが先に話を進める。
「お主は人の気持ちがわからないひよっこだ」
「え?」
「賽銭もせず尊敬の念も持たずにこの地に足を踏み入れただろう。だから、お主を改心させるべくこの永遠稲荷へと招き入れた。そしたらどうだ。何でもかんでも酷いことを言いよって、お前は性根から腐っておるのか」
「酷いことって」
「ドクダミにしろ星にしろネモフィラにしろ悲しむことしか言わない。お主は相手の気持ちを考えられない者だ。いじめをする側の人間だ」
あの変化は全て稲荷様が起こしたこと。そして、俺は何も気にせずに思ったことを口にしていた。
「この永遠稲荷の中で許してやろうと間接的に表したがダメだった。最後の戦争にはよい反応を示したな」
「どういうこと・・・」
「戦争はダメだと言ったが、戦争といじめは同じだ。恐怖を身を持って感じ取っただろう。いじめの被害者は同じ気持ちなんだよ」
「あぁ・・・」
俺は身を持って被害者の辛さを体感した。あの怖さがいじめと同じなのだとしたら恐怖は考えられないほど大きい。いじめる側はそれをわからないし、何かあればこちらの力の大きさでうまい具合に事実を曲げる。
「届かぬ恐怖の恐ろしさがわかったよ」
「お主は昔からいじめる側であろう。人の気持ちも理解できないものが威勢よく叫ぶとは都合がよい」
「そうか」
「ほんの少しでもわかっただけましだ。どうだ恐怖とはなんだった」
恐怖を感じる直前に感じとったものを俺は忘れない。
恐怖の引き金となったものを俺は頭から消すことはできない。
あの匂いが全ての恐怖の始まり。
「俺にとっては火薬の匂いだった」