無音花火
「花火というものはカメラで綺麗に撮ることが難しい。目に焼きつけるものだ」
そう言った者がいた。
必ずしも綺麗に撮れないなんて俺は思わない。ちゃんとした技術を持つカメラマンであれば、そんな言い分を跳ね返せる程の写真をこの世に誕生させることだって可能なはずだ。
だが、ただのスマートフォンでの撮影はやはり困難を極める。
何が原因かなんてのは素人の俺には分からない。アパートのベランダから見れる絶好のこの部屋で俺は苦戦する。ベランダに置いてある観葉植物は俺を見て不敵の笑みを浮かべてこう述べる。
「下手くそだな。もっと近くに行けばいいのに」
「残念ながら俺にはセンスが無くてね」
「だから、近くに行けよ」
「近くねぇ…確かにな…でも、音デカいんだよな。穏便に見れない」
花火は見えるけど近くは無い。
近ければ自ずと綺麗に撮れるなんて保証は無い気がするが、遠いよりは綺麗に撮れるだろうというのは直感的に判断出来る。
どうしても花火をスマホに収めたいという心は動くことがなさそうなので、仕方なく外へ出ることにした。
上手く回らなくなってきたドアノブを慣れた手つきで回す。このアパートはそこそこボロボロだ。
「おぉ…涼しい」
あの唸るような暑さで痛めつけられる日中とは打って変わって涼しさを感じる良き夜だ。
「匂いも…いいねぇ!涼しい匂いだ」
涼しい空気はフィルターかけずに鼻に直接入ってくる。暑さの匂いでは感じない清涼感に脳は安堵感を覚える。なんなら肌に触れる風も柔らかい。肌を焼く感覚も凍りつかせる感覚もない調度良い風加減とはまさにこの事。
ニヤけてしまう。
「おっと!いけないいけない。先に進まねば」
時は有限である。
一生花火が打ち上がるのでは無い。時間感覚に特殊能力を有している訳では無い一般人の俺にとって、時間の無駄遣いをしてる暇は無いので先へと歩む。
歩きている間にも絶え間なく花火の音は鳴り続ける。急ぐ必要も無いのに花火はこれ忙しとハイペースで音をあげる。
何も塗ってない真っ黒な夜空のパレットに7色の光は色を塗りつけては消えるを繰り返す。実に美しい限りである。このパレットから直接切り抜いてカメラに収められればどれ程楽なのか。
「自販機か。飲み物でも」
所狭しと並べられているサンプルと一つ一つ目が合うが、そもそも買うものは決めているので迷う要因にもならない。
麦茶を即座に押した。
「なんだよテメェ即決めやがって」
「麦茶かよつまんないな」
「私の方が美味しいわよ」
サンプル達は目の前にいる客に向かって毒を吐き始めた。聞こえないところでやって欲しい。
麦茶の顔がどんどん申し訳なくなってる。土地柄が田舎だと自販機の飲み物サンプルさえも柄が悪いのが多くなるのかもしれない。
「元から決めてたんだよ」
「夏は私のような炭酸の方がいいわよ」
「君ぬるくなると美味しくなくなるんだよ」
「一気飲みしなさいよここで」
「しないわ!あ…」
これは珍しい。自販機のルーレットで「7777」が表示されている。つまり、当たったので1本無料か。これそもそも当たるのか。
「おぉ!客よ!1本無料じゃん!」
「運がいいわね」
「好きな物買えるな客よ」
「さぁ選びたまえ」
俺は迷わずに2本目の麦茶を押した。
「テメェ!2本麦茶ってどういうことだよ」
「当たって同じもの買うって神経どうなってんだ!」
「見損なったわ」
俺が何を買おうが勝手であろうに、何をこいつらはグチグチと客に向かって毒を吐いてるんだ。麦茶のサンプルなんてどんどん肩身が狭くなってるぞ可哀想に。
うるさい奴らにはおさらばだ。
花火に近づいてきて俺はとある物に声をかけられて困っている。
「この森の奥はよく花火見れるよ」
「鬱蒼としてるけどここ」
話し相手はカナブンである。
「話に嘘は無い。神秘」
「森に入る格好じゃないから」
「君にとって稀有な体験になる。これも奇跡なこと」
「そこまで言うとはねカナブンよ」
誰がどう見ても夜に入ってはいけない類の森。整備されてない木々に光を通さないほど密集した葉っぱ共。
地元で遭難するかもしれないとは、そんな恥ずかしい話は無い。その可能性を秘めてる時点で入りたいとは思えない。
「音の無い花火だよ」
俺はその言葉に耳を疑う。
音の無い花火という矛盾した言葉の羅列に。
そして、引き込まれる。
音の無い花火という言葉の魅力に。
「音の無い。それは嘘じゃないんだな」
「さっきも言っただろう。話に嘘は無い」
真実なのであれば俺は待つ手段を行使しない。
すぐにでもその森に飛び込みたい。
焦る気持ちはメロスをも超越する。
「早く連れてってくれ」
「最初からそう言えばよかったのに。ほら、こっち来な」
森という暗闇の中に入るとそこら中から植物達の手荒い洗礼を受けた。
どうやらここの植物はあまりにも品がない。
野次を飛ばしてくるが、付き合ってたらキリがない。世間に合間見れないところに生えている植物は世間を知らない故に他を冒涜することでしか自己を保てないのか。
「案内はここまでだ」
「木の根でできたトンネルか?」
「そうだここを抜けろ。以上だ」
カナブンは立ち去る。
入る他選択肢を選べない俺は不安な気持ち片手にトンネルへと入洞する。
トンネルは様々な音や声で響き渡るようで、俺の耳には痛みを伴う程のものである。
「頭が痛い」
脳に流れてくる音や声は俺の処理能力を超えていく。反響する音は耳の入口から入るが出口は無いので、反響は脳内で増すのを助長するだけ。ただひたすらに頭が痛い。
「このやろう…クソ…頭が…俺の耳」
俺の耳じゃ無ければこんなにも苦痛を味合わないかもしれない。
「うるせぇ…消えろ…俺の頭に入り込んでくるんじゃない!」
色んなものが脳内に入り込んでくる。
目も痛い。
脳内で再生される映像は目に直接ダメージを与えてくる。
「目が!やってくれるじゃねえか!」
目から血は流れて頭の中では音が反響する。
足どりは重いし、歩けど歩けどトンネルの出口は見えない。出口の見えない恐怖は心臓の鼓動が聞こえるほどに促進させてさらに足取りを重くする。
「出てけよ!身体に入り込む許可を与えた覚えは無い!」
己の身体とは思えないほど自由の聞かなくなっな肉の物体を精神だけで動かしているような状態である。
臓器は意志を持ったかのように質量を感じさせて重力の影響を受けており、身体の中が重いという摩訶不思議な現象を体験させる。
「これが…これが俺の願いの代償か。随分と大きな支払いだなァァァ!運命よ!!いつまで俺を苦しめれば気が済むんだ!」
俺は膝から崩れ落ちた。
全ての精神を使い果たした俺はもう抗うことなく地面に突っ伏すはずであった。
頭の痛みは消えて目はちゃんと見える。身体の中に入り込んでいたものは跡形もなく消え去る。出口から出ていた。
俺は衝撃的なことを耳にしなかった。
「出れた!聞こえない!聞こえ…ないんだ」
これが静寂かと拳を握りしめてガッツポーズを天に向けて示し上げる。
「おいそこの木よ何か喋れ」
「…」
「喋らない…?木が俺に話をしてこないなんてことが現実として存在するのか。やった…やっと解放される」
俺は誰からも話しかけられないし、人以外のものの声が全て聞こえなくなった。どんな小さな音でも拾う俺の耳は無駄な音を全て遮断した。
「あぁ…美しい」
これが花火か。
近づくと耳が良すぎるせいで痛みを伴う故に、近くで見たことが無かった憧れの1品。
俺には天の川にしか見えない。手が届きそうな程大きな花火は音もなくひたすらに目の前に花開く。瞬きを忘れ生涯1度しか見ることが叶わないかもしれない花火を思う存分味わい尽くす。
真っ黒な夜空のパレットに7色の光は色を塗りつけては消えているどころではない。
「俺の心だ!真っ黒な俺の心に歓喜の光を照らしつけてくれる…輝き」
出る涙は留まることを知らず地面に叩きつける。俺が感慨にふけている最中でも冷やかしてくる物達の影は1つもない。誰も何も言ってこないのがこんなにも快適だとは遥かに想像を超えてくる。
「しゃ、写真だ」
急いでカメラを起動した。花火に向けてレンズを構えて花火が弾けた刹那にシャッターを押す。しかしどうだろう。お世辞にも綺麗では無い。
「場所だ。場所が悪いんだ」
高いところに低いところ色んなところを駆け回りベストスポットを探し求めた。そんな駆け回りをばかにするかのように花火は綺麗に写ってくれない。
俺は1つの自分だけの答えを見出した。
「花火はカメラじゃ撮るものでは無い。目と心に焼き付けるものか」
花火大会は終了を迎えてあれだけ明るかった夜空は星々を再度纏い始める。
俺の最初で最後の花火大会は言葉では表せない静かなものとなった。
また今からけたたましい生活が再演される。
「年に1度俺はここに戻る。毎年の運命に耳を立てて」
俺は来た道を戻った。