夢水泳
「ここはどこだろう」
鬱蒼とした森の中に身を佇ませる者ではあるものの、残念ながら何故ここにいるのか理解をできるほどの脳みそはどこかに置いてきたようだ。
「暑い」
森と呼ぶには暑すぎる。付き纏う湿気に夜とは思えない暑さ。肌がここはジャングルなのだと叫び訴えてくる。俺は肌に呼応して状況を理解し歩み始める。
犬がいる。目を光らせてこちらを監視している気がする。俺は迷わずに謎の犬に着いていく。
ジャングルは俺を囲い込み、遣いである犬を寄越してどこかへと誘導する。それが正なのか誤なのかを判断することはしないし歩みを進めることしか俺には出来ない。
月は夜の帳を幾分か明るくして道を示す。そのお陰で迷うことなく犬の後ろを着いていくことができる。
「そなた名をなんと呼ぶ」
「覚えてない」
「そうか」
犬に名を聞かれたが覚えていなかった。覚えていないのか名がそもそも無いのかは神のみぞ知るのだろう。
木々が悪口を言ってくるけども不思議と嫌な気持ちにはならない。反論してもいいが、そんなものに反論するほど俺が幼稚な者だとは思わない。沈着冷静に受け流す。
「川…」
いつの間にか川にたどり着いていたらしい。足元は水に浸かっている。水面を歩く犬は後ろを振り向くことなく歩みを進めるので躊躇なく後を追う。まだまだ川とは言っても浅いためか、水を障壁と一切認識せずに足を動かせる。
ただ、嫌な予感はする。堂々としながらも軽やかな音色が先から聞こえてきて脳に直撃する。
「この先は滝だ」
「滝にしては音が軽いけど」
「高さが5m程しかないし水量も少ない」
滝という固有名詞から醸し出される堂々さに騙されていただけで、実際は大したことの無い滝だ。そんなものを怖いとさえ感じない。
だんだんと近づいてついに間近まで来た。滝の下ではなく滝の上だった。犬は迷いなく滝つぼに向かって飛んだ。何事もないかのように着地して再度水面を歩く。俺の身体は勝手に動いて滝から飛び降りた。胃の浮遊感と普段では味わえない謎の高揚感を刹那感じ取った瞬間着水していた。滝つぼはやはり深い。どうにか水面まで浮上した。
「泳ぐのか」
「お前はな」
俺は四の五の言わずに泳ぎ始めた。
暑さ故に泳いでいると気持ちが良い。大自然に挟まれてただ1人泳いでいる。犬1匹を除けば誰の目も感じないこの環境下で自由に泳ぐことの優越感は何にも変え難い。プールとは全く異なる環境。生の水流に人工物を感じない肌触りの水。これぞ真の水泳なのだ。
「最高に楽しいでは無いか!」
いくら全力で泳いでも疲れを知らない。
犬を追う俺は持ち得る限りの力を使ってその姿を捉える。犬は相変わらず大して後ろを確認なぞしてこないがそんなことどうでもいい。話しかけ来る時のみこの犬は振り返る。
全力で泳いでいるうちに水流が強くなっていることに気がついた。強いという言葉では何かが足りない。引き込まれているという言葉を使う方が相違は大きくないし違和感を感じない。
渦潮に巻き込まれるでも深海に足を引っ張られる事でもない。これは天然の水の滑り台だ。
「これはまた!楽しいものではないか!」
楽しく滑っていると横で声を発する奴がいた。
「カナズチは生きて帰れないよ」
「何を言う!俺はいくらでも泳げるぞ!」
二足歩行の兎は俺を煽る。そんな煽りでは俺は屈しない。
「兎は泳げるのか!」
「困ったら飛べばいいのだ」
「なるほどそうか!それは面白い」
そう言ってる間に滑り台は終了した。
すると、犬は陸地に上がった。折角心地よかった水とはここでおさらばなのか。いや、ここはジャングルなのでいずれにせよ川には戻ってくるだろうと直感は囁く。犬に一々行先を聞いていかなければ先に進めない臆病者であれば話は変わるだろう。
陸地を進みに進むがどうも景色が一向に変わらない。同じような景色を横目にただただ犬を追尾する。時々暇で空を見上げて月と睨み合う。今日の月は機嫌が悪いらしく、見るだけで苛立ちを露わにする。
「月よ何がそんなに気に食わない」
「今日は人が多い」
「そんな訳ないだろう」
人なんて出会いもしなかったのに、この月は何をほざいているのだろうか。人の気配なんてものは何一つ感じやしないし、いたとしたら即座に話しかける。
「置いていかれたいのか」
月と話してたら俺は犬と距離を開けていたらしい。早く歩けと犬は俺を催促する。
走ると隣々の草木からはガヤが飛んでくる。俺はマラソン大会にでも参加してる気分になっていた。平坦な道のみならず上りも下りも経験し、はたまた簡単な崖まで登らされた。
「崖を登るのは苦手か」
「お前みたいにジャンプで越えられないからね」
「次はお待ちかねの川だ」
もう陸地は懲り懲りだ。早く川に入りたい。そう思って歩くといつの間にか川に辿り着いていた。今回は浅瀬では無い。最初から泳がないと先には進まない。
泳いでいても疲れは感じない。先程の川よりは明らかに流れが早い。こちらが本流なのかもしれない。このような流れに負けてはられないという気持ちが込み上げるけども、何と戦っているか不明確という自覚も持ち合わせている。
そんな戦っている最中隣では木の船が通り過ぎる。誰も乗っていないけども禍々しさと煌びやかさの両方が残香として鎮座している。
「なんだこれは」
「気にするなただの船だ」
「犬よ。なぜ船がここを通る。誰も乗っておらんではないか」
「使うものでなければこんなところ通らない」
意味ありげな言葉を残して犬は先へと進む。船は俺を待たずに川を下る。いくら頑張って泳いだところで及ばない。
「そろそろ下流だ」
泳いだ時間は分からないがどうやら下流に着いたらしい。
目を疑った。
俺はなんと稀有なことをしていたのだろう。
月の言うように人が沢山いる。そして、先程流れてた船はひっきりなしに川岸を往復する。
白装束を着た人々を乗せて。
「犬よ俺は死んだのか」
「そなたはまだ夢とうつつの間に挟まれ戯れているだけだ」