美苔
時期は梅雨。私は目的を持ってこの京都嵐山にある祇王寺へと来ている。梅雨らしいと呼ぶべきか。小雨とは言えない程の雨の強さだ。祇王寺に来ていると言ってもまだ敷地内には入っていない。歴史感じる木の看板を左折し、何かに導かれるがまま真っすぐ歩いた祇王寺の入り口付近にいる。
(暗い・・のか)
祇王寺に近づくにつれて太陽光は影を潜める。曇天で太陽は姿を現していないけども、ここに足を踏み入れることでより一層太陽の存在を忘れる。代わりに空を覆うは雲ではなく満天の緑。
(木々が多いな・・)
私の上空には木々から伸びた沢山の葉っぱがトンネルを造っている。本当にここは現実世界かどうか怪しいのかもしれない。世界観が異質で時代感でさえも現代とは思えない。
「雨が葉っぱに当たる音が心地よい」
耳がそう言っている。
入り口でじっといているのも不自然であるので受付へと歩んでいった。
簡単な受付を済ませて祇王寺の中へと侵入する。雨だからなのか他に参拝客はいない。真っ先にこの言葉が浮かんだ。
(禍々しい)
この言葉に尽きる。受付を済ませた私はこの禍々しい所以を目の当たりにする。
一面全て苔。庭と呼ぶべき領土には苔が所せましと蔓延っている。何なのだろうこれは。私はこの苔たちと対峙しているのだ。誰もいないこのお寺で全方位から見られている。厄介なことに雨がこの苔に活力を与え、晴れの時よりも活き活きとさせている。普段の苔からはこんな圧は受けない。見たことも無い量の苔、雨による活力。それら相乗効果で本来であれば目にも付かない苔たちが存在を示してくる。
禍々しいという言葉の次に出てきたものは意外な言葉。
(美しい・・なんて美しいんだこの場所は)
だった。おかしな話だ。禍々しいという言葉と美しいという言葉なんて相反する言葉と言っても過言ではない。だが、どうだ。実際にはこんな正反対の言葉が私の中で共存してしまっている。理論上矛盾していても私のなかでは矛盾していない。もはや「禍々しい」と「美しい」は紙一重なほど近き存在なのではとさえ考え始めた。
「苔の匂いだ」
ただの雨の匂いではない。都会で嗅ぐようなあのホコリ混じりの雨の匂いでもなければ、田舎で嗅ぐ土混じりの雨の匂いでもない。明確に言える。苔の匂いなのだ。
先に進めば進むほどこの祇王寺という場所に取り込まれているのではないだろうか。お世辞にも広いとは言えないこの場所から私は抜け出せるのだろうか。そんな不安を吐露せねばならないほどここの虜になっている。
庭も半周を終えて出口に近づいている。茅葺屋根の小屋。そこの玄関とも呼べる縁側に腰掛けた。屋根があるため一度客観視して苔達が見れる。
(苔が視界から消えない)
客観視しているはずなのだ。距離を置いてゆっくりと見ているはずなのだ。なのに、なのに、苔の主張は止まらない。
(綺麗だ。美しい)
私はふと手を伸ばした。すると頭に言葉が流れ込んだ。
「落ちる雨で活きる苔の香り。魅了されるが最後。五感が浸食される。
視界は緑、匂いは苔、音は雨、味は無。触れるは苔神」
私は一瞬で我に返った。私が考えたわけではない言葉たち。それが一気に流れ込んできた。最後に謎の言葉も記されていた。「苔神」と。
なんのことかわからない。ただ、字の如く苔の神なのだろう。
私の頭に直接言葉を送ってきた方が苔神なのかもしれない。異常に苔が存在を示し、普段ではあり得ないほど苔に目が行ってしまったのも納得がつく。私はここに入った瞬間から苔神に触れていたのかもしれない。我に返ってからはもう苔も普通だ。苔神が私から離れたのだろう。
なんのために私に憑いていたかは不明。気まぐれだったからなのか、意図があったのか。それを知る由もない。ただ、稀有な出来事であったことは事実。
「ふっ・・面白い出来事だなぁ。何度でも来たいと思ってしまった。苔神よ。また会おう」
この出来事以降私はこの寺に魅了され、何度でも来るために意識の一部をこの寺に幽閉した。
その後何度もこの寺に訪れるも、苔神に出会うことは一度もなかった。