3-7 「大人気ない」
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夜22時を過ぎた頃。
街灯の少ない寂れた道をモーターの回転音を閑散とした闇にこだませながら、薄汚れた中古自転車ライトの頼りない白光が細く夜を駆けていく。
慎二が自室にで自己嫌悪に悶えていたのと同じように、ペダルを踏むその男もまた苦虫を噛み潰した様な苦悶の表情を浮かべていた。
「──チッ」
数時間前の出来事を思い返して、誰もいない夜道であることをいい事に大きな舌打ちをする。
苛立ちと自己嫌悪による舌打ちであった。
「もっと上手くやれただろ、大人気ない」
アレは、彼にとって不快な質問だった。
いや、実際のところは不快というのも生ぬるい。
まさしく地雷と言うべきモノであった。
偶々あのスーパーの休憩所に、あのポスターが貼ってあったのを見た直後で非常に気が立っていたというのもある。
しかし、だからといって初対面の相手に自身の都合を慮れというのも酷な話である。
そんな事は彼も重々承知している。
だが、それでも尚あの様な態度を返してしまった理由は自己嫌悪が主な原因であった。
自分の機嫌は自分でとるモノ、感情のコントロールは社会人の基本。
「それでもボロが出ちまったのは、社会人経験が浅いから──いや、ただの言い訳か」
カッコ悪いと自らを嘲る様な陰気な笑みが口元に浮かぶ。
経験が浅いといっても、それは年齢の割にと言う話。
自分が八つ当たりをぶつけた青年の方が、社会に出てからの年数は経っていないだろう。
──何もかにも、自業自得。
長い時間をかけて、情熱を注いで積み上げてきたモノに意味は無かった。
これからの人生はそのツケをどれだけ払いきれるのか、はたまた挽回出来るのか。
何気なくそう考えて、吐き気を催すような嫌気が彼を襲った。
「もう、いっそのこと」
何かを口にしかけた時、燻んだ白光が毒々しく禍々しい赤をチラリと映した。
慌てて急ブレーキをかけて自転車を静止させると、ちょうど進行方向に道を塞ぐようにスーツケースみたいな寸法の物体が置かれていた。
彼の進路をわざとらしく塞ぐように、あるいはわざと目につくように鎮座しているソレは赤に青にと鏡のような表面を脈拍のリズムで点滅させている。
無機物的な外観と相反する生物的な印象は、見る者にある種の生理的な嫌悪感を湧き立たせる。
誰の目から見ても明らかに尋常ならざるとはわかる物品。
だが、目が離せない。
病的というより麻薬的な誘惑を──破滅的な魅力を放つソレに自然と視線が吸い寄せられる。
悪辣な異界人により齎された筺は、こうして然るべき人の前へと現れる。
然るべき人──内に凶暴な悪感情を秘めた、未来ある人物。
篝火に惹かれる夜蛾のように、鏡太郎は自転車を降りて覚束無い足取りで筺へと歩みを進める。
古臭い自転車がガシャンという音を立てて倒れたのにも気に留めず、彼は筺に触れる。
そして不思議と脳裏に浮かんだ言葉を──破滅への第一歩となる呪文を彼は口に出した。
「怪着」
そしてこの瞬間、自身が忌む過去と向き合わざるを得なくなったことを彼はまだ知らない。




