2-3 『(いやはや、シンジも隅には置けないな)』
イッカクの切実なその頼みに、慎二は答えをすぐに出せずにいた。
コーヒーを飲もうかとお湯を沸かしたが、もうそんな雰囲気ではなくなった。
朝から重くなり始めた空気を変える為、慎二は無理矢理明るい声を上げる。
「兎にも角にも、まずは日々の生活の為にも労働に勤しみますかね」
取り敢えず問題を棚上げし、慎二は出勤の準備をし始める。
怪人うんぬんよりも先に、世知辛いが仕事は待ってくれないのである。
「(仕事しながら、少し考えを纏めてみるか)」
洗面所で電動髭剃りを顎に当てながら、慎二はそう独りごちる。
スマホにイッカクがいる以上、今までより必然的に独りの時間は減る。
スーパーにて黙々と仕事をこなしている時間は、案外考え事をするのにもってこいなのかもしれないと彼は結論づけた。
髭を剃り終えたら顔を洗い、手拭いで拭きながら洗面所をパタパタと出た慎二。
『私も出来うる限りでサポートしよう』
「サポート?」
『少しでも君に恩義を返す為に』
「仰々しいな」
だがしかし、言い方こそ堅苦しいがイッカクが言っていることはつまりソシャゲイザーとして慎二が戦うことのメリットとして自分を差し出すということに他ならない。
彼のサポート能力に関してどの程度頼りになるか、リターンとして割にあっているか。
その辺は未知数であるが、取り敢えず慎二はあまり期待しない方向で軽く彼に答える。
「じゃあ、頼むわ」
白のワイシャツに赤い革ジャン、グレーのスラッグスといった姿に着替えた慎二が部屋を出る。
「──あ」
アパートから出てすぐ大きく伸びをしたところで、慎二の耳に見知った声が届く。
「うん?」
振り返るとそこに、モスグリーンのブレザーを着た女子高生が一人立っていた。
マゼンタのインナーカラーを施した長い黒髪と意志の強そうな吊り目と気怠げな雰囲気をしたその少女は、慎二の姿を確認するとツカツカと早歩きで距離を詰めてきた。
彼女の早歩きの勢いが結構あり、慎二は思わず数歩後ずさる。
慎二の目と鼻の先、と言わんばかりに距離を詰めた後、少女はこう言った。
「──おはよう叔父さん」
妙に圧を感じるその挨拶に、一瞬怯みながらも慎二はぎこちない笑みで言葉を返す。
「お、おはよう縁寿ちゃん」
彼女の名前は、真城縁寿。
慎二にとっては兄の娘、つまり姪にあたる少女である。
彼女の通う高校への通学路に慎二のアパートは面しており、朝はこのようにまたに顔を合わせることがあるのだ。
「ところで、その」
「うん」
「何か昨日大変だったってパパから聞いたんだけど、だ、大丈夫だったかしら!?」
「あー、見ての通り全然へーきよ!」
「叔父さん、あんな危なっかしい事する人だったかしら」
「ははは、面目ない」
「パパやママが心配するんですから、変な事や危ないことは控えて下さい」
──それに、私も。
ぼそりとそんな言葉が聞こえた気がして、慎二は聞き返す。
「うん?」
「何でも無いです、まじきもい!」
背中をバタンとスクールバックで叩かれた慎二は苦笑いを浮かべる。
幼い頃から親交のある少女であるが、思春期に入ったあたりからちょっと慎二に対して当たりが強くなっていた。
ちなみに、現役女子高生からの「きもい」にちょっとだけ慎二は傷ついた。
『(これは、アレか? そういうヤツか?)』
スマホが拾う音声越しに慎二と縁寿の様子をしばらく見守っていたイッカクが、何となく何かを察する。
『(いやはや、シンジも隅には置けないな)』
AIでありながら、意外と俗っぽい思考回路で二人の関係性を察するイッカク。
『はたして、この関係は私が何か手伝うべきか否か──?』
高性能を謳っておきながら、サポートAIが余計で下世話な考えを始めたことを当事者の慎二はまだ知らない。