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贖罪と決別 ~後悔のあとに~

作者: 望月 栞

 寺の本堂の前を横切り、そのまま誠の墓へ向かう足取りは、五年前ほど重くはなかった。それでもまだ、あの目的を達成するまでは、誠に対して謝罪以外、何と言えばいいのかいつも迷ってしまう。

 俺は大学が夏休みに入ったのを機に、高校時代からの友人の陽平と、誠の妹の真由子と共に墓参りに来ていた。高校一年の時に亡くなった親友の墓は五年前と変わらない。俺達が来る前に、誠のご両親がいつも綺麗にしている。

「尚樹、線香もらうよ」

 俺は手を伸ばしてきた陽平に、多めに線香をわたす。陽平と真由子の後に線香を香炉にあげて手を合わせ、誠の墓を見つめる。

 全部終わったら、ここへ報告に来る――

 誠が亡くなった当時、何も出来なかったことの謝罪と共にそれを伝えた。ここへ来るたび、誓ったことをやり遂げようと心が自然と奮い立っていた。

 誠の墓をあとにして、本堂の前を通り過ぎる。すると、真由子がバッグから何かを取り出した。

「これ見て。昨日、アルバム見ていたらこの写真があったの」

 集合写真だった。真由子から写真を受け取って、よくよく見るとそこには誠と陽平が写っていた。

「あぁ、これ、部活に入部したばかりの時の写真だ。……懐かしいな」

 俺の横から陽平が覗き込んで言った。写真には前列に新入部員が並び、脇には顧問の先生、後列に上級生が並んでいる。前列の真ん中より、少し左寄りに誠と陽平がいて笑っていた。これからどうなるかなんて全く想像もしていなかった時だ。この誠の笑顔が俺には懐かしくもあり、悲しくもあり、後悔が襲ってくるものでもあった。上級生に目を移せば、後悔の原因でもある三浦が澄ました顔で写っている。

「……この間、三浦先輩を見かけたよ。友達から聞いた話だと、今はA大学院に行っているみたい」

 写真をじっと見続けている俺の沈黙に耐えかねたのか、真由子がそう言った。それは俺にとって貴重な情報だ。

「A大学院?」

「うん。法学を専攻しているんだって」

 三浦の情報は、目的を達成するのに必要だった。写真の中の三浦を見て、俺は昔抱いた不信感が自然と思い起こされた。


 俺と誠は小学生からの幼馴染で親友だ。同じ高校に進んだ春、陽平と出会ってすぐに打ち解けた。俺は帰宅部だったが、誠と陽平はワンダーフォーゲル部に入部した。当時俺は知らなかったが、三浦もその部活にいた。三浦は代議士の息子で有名で、学校の中でも目立つ存在だった。俺は直接関わったことがなかったから、校内で友達や女子を数人連れて歩いているところしか見たことがない。ただ、当時聞いた噂では、代議士の息子ということもあって、教師は三浦を慎重に扱っているらしかった。しかし、成績優秀で性格が良いという評判は俺の耳にも入ってきていたため、別段気にしなかったし、興味もなかった。

 最初の一年目は穏やかに過ぎていたように思う。大きな問題も無く、テスト勉強に明け暮れながらも、誠達の部活がない日は三人で遊んだ。二年目になってから事が起こった。

 夏休みに入るひと月前に、誠と遊ぶことがあった。その頃、誠と陽平がどちらも元気がない様子でずっと気になっていた。梅雨の時期ぐらいから二人が度々、腕や足に怪我を負っているのを心配して尋ねたことがあったが、いつもはぐらかされていた。だからこそ、じっくり話を聞けるいい機会だと思った。

 その日、陽平は体調が悪いと言うのでいなかった。俺と誠はファミレスに入って、オーダーを取ってもらった。そのタイミングで俺は切り出した。

「最近、誠も陽平も怪我がひどいな。部活か?」

 それまで楽しそうにしていた誠は、俺の問いに視線を逸らした。

「まぁ……そうなんだ。けっこうきつくてさ。去年よりも大変なんだけど、たいしたことないよ」

「そうか? それにしちゃ、あんまり元気ないよな?」

「……そうかな」

 誠は困ったように笑っていた。やっぱり何かあると踏んだ俺は誠の左腕を掴み、袖をまくった。

「おい……!? 尚樹!」

 誠は驚いて、腕を引っ込めた。案の定というより、思った以上にひどかった。腕にいくつもアザがあったからだ。誠はそれをシャツの袖で隠す。

「どうしたんだ、それ」

 誠は視線が泳ぎ、何か言おうと言葉を探しているようだったが、何も言わなかった。

「陽平にもあるのか?」

 そう訊くと、誠は口を開いた。

「うん」

「なぁ、まさか……」

「実はしごかれているんだ。俺や陽平だけじゃなくて、下級生は全員」

「それって先生に?」

「うん。それと……三年生にも」

「三年? 何でだ? 去年はこんなことなかっただろ?」

 誠はうつむいて黙っていた。その間はお互いにテーブルの上の水を飲んだり、注文した料理が運ばれてきたが、店員が去った後、意を決したように顔を上げて誠は話し出した。

「六月から先輩達が厳しくなったんだ。顧問の先生も新しく変わったし、最初は先輩達が三年になって、やり方の方針を変えたのかって思ったんだけど……」

 その時、店員が俺達のテーブルに来て水を要るか尋ねてきた。気付いたら、誠の水は全くなくなっていた。俺は店員にお願いして、まだ半分残っている俺のグラスと誠のグラスに水を注いでもらった。俺は店員が別の客に呼ばれて離れるのを確認して、誠に先を促す。

「違ったんだ。下級生全員をしごいているって言っても、俺や周りの友達に対して特にひどくて、もう……先輩達は楽しんでいるんだ」

「いじめじゃないかよ。先生も一緒にやっているのか?」

「先生は見て見ぬふりだよ。それに、最近は先輩達に合わせて先生もひどくなっているんだ」

「何で先生は何も言わないんだ?」

「……逆らえないんだよ」

「逆らえない?」

「……食べよう」

 誠はそれから何も言わず、ひたすらパスタを食べ続けた。俺もその間、自分で注文したハンバーグを食べた。誠は食べ終わると、うつむいたままぽつりぽつり話し始めた。

「俺、先輩とうまくいってないんだ。気付かない間に先輩を怒らせたのかもしれない」

「何でそう思うんだ?」

「きっかけは俺なんだ。俺に対して当たりが強くなって、それから俺の周りの奴も同じようになっている。特に、陽平は一緒に入部して初めから仲が良いから、俺と同じくらいひどい目に合うようになった」

「それで、そのアザか……。無理して部活に出ることもないだろ?」

 俺がそう言うと、誠は顔を上げた。

「俺がきっかけなのに、出来ないよ。辞めた人もいるけど、まだ続けている人もいる。俺がいなくなったら、別の誰かが俺の代わりになるかもしれない」

「でも、だからって……」

「それに、陽平も心配なんだ。俺よりも参っている。今日、体調が悪いっていうのも、部活の先輩が原因なんだよ」

 陽平もそうだが、他人を気遣う誠が俺は心配だった。この後、何度か部活を退部するよう促してみたが、誠の意思は変わらなかった。

「無理するなよ。何かあったら言えよ」

「うん、ありがとう」

 誠は疲れたように力なく笑っていた。俺はこの時、どうしてやればいいのかわからず、誠の話を聞くことしかできなかった。

 それから俺は、夏休みに入る直前に陽平からも話を聞いた。陽平はこのことに関してあまり口を開こうとしなかった。それでも俺が食い下がると、陽平も誠と同じ被害を受けていたことを話してくれた。俺は担任に相談してみることを提案したが、陽平は出来ないと言った。

「言っても変わらない。それに相談したことが先輩達の耳に入ったら、今よりもっとひどくなるかもしれない」

 そう言われて俺は考えてみたが、この状況を打破できる方法が浮かばなかった。それでも、この時に二人に部活を辞めるよう説得するべきだった。

 夏休みに入って二週間後、誠は亡くなった。俺はそれを陽平からの連絡で初めて知った。部活の合宿が始まった日から、誠は三十キロの荷物を背負って三日間歩かされたという。遅れたり、疲労で倒れたりすると上級生から靴で胸や背中、足を蹴られる。さらには、転がり落ちると足をロープで縛って逆さに引きずり上げたりするなどの異常なしごきが行なわれた。誠はとうとう呼吸困難に陥り、吐血して動かなくなる。救急車で病院に運ばれたが、助からなかった。

 陽平はそれを震える声で俺に話してくれた。俺は頭が真っ白になり、一瞬の間、何の音も聞こえなくなった。陽平の言葉を理解するのに時間がかかってしまった。

「何言ってんだ、陽平……?」

 陽平の話す内容は俺にとって現実味がなく、信じられなかった。しかし、陽平は俺の言葉が聞こえていないのか、そのまま続けた。

「尚樹……僕、休んだんだ。もう耐えられなくて、僕だけ休んだ。誠を一人にしちゃったんだ……」

 後悔の入り混じった消え入りそうな声で陽平は言った。俺はしばらく何も言えなかったが、運ばれた病院の場所を聞き、「陽平のせいじゃない」と言って電話を切った。

 俺は急いで病院へ向かった。総合受付で霊安室の場所を聞き、そこへ行くと部屋の前には医者がいた。中には誠の両親と真由子、学校の校長や先生、そして三浦もいた。先生達は誠の両親に謝罪し、ひたすら頭を下げていた。誠の両親は泣いていた。そこから先は、顔にかけられた布をめくられた、血の気のない誠がベッドに横たわっている姿と、それを呆然と見つめる真由子の姿しか覚えていない。

 その後、顧問の先生と三年生数人が逮捕された。陽平などの被害を受けていた生徒が部活の内情を警察に話したこともあり、学校側も調査に乗り出して事実を認めた。

 俺はお通夜と葬式に両方出席した。遺影は高校の入学式の写真で、その中の誠は今の俺とは正反対で笑顔だった。陽平も出席したが、精神的に参っているようで、笑顔の誠を見られずにうつむいていることが多かった。

 周囲で事件に関する様々な憶測が噂として広まっていた。それらを信じるつもりはなかったが、三浦は部活の部長であり、誠が亡くなった日に病院にいた。そしてその後、校内で友人らと楽しそうに談話している姿を廊下ですれ違いざま見ている。俺は学校に行っても、しばらく何も手につかなかったが、その三浦の様子だけは気にかかっていた。

 だが、三浦は何事もなく、卒業していった。

 俺は大学受験に備えて塾へ通うようになる。俺を担当してくれる人が大学三年生のアルバイト講師で三浦と交流があるという話を聞いた。同じ高校出身で三浦が一年生だった当時、三年生だったという人だ。その講師と仲良くなってきた春休みのとき、俺は三浦と事件に関する疑問をぶつけてみた。

「あぁ、その事件ね。驚いたよ。まぁ、三浦があの事件に気付かなかったっていうのはどうもな……」

 講師は俺が亡くなった誠の友人だとも知らずにそう言った。

「……どういうことですか?」

「あいつはしごきに直接関わっていなかったから気付かなかったって言うんだ。先生と他の同級生がやっていたってさ。それもどうかと思うけどあいつの親は代議士だから、まぁ、あいつだけ普通に卒業していたよな」

 その講師は三浦も黒だと言う。状況を考えてみれば、たしかにそう思えた。誠が相談しても無駄だと言ったのは、三浦がいたからじゃないのか。三浦を中心にやっていたとすれば、先生も周りの上級生も一緒になってやっていてもおかしくない。三浦が父親の権力を利用して罪を逃れたのかと考えたとき、俺は三浦をこのままにしておきたくはなかった。そしてこの瞬間、俺は三浦へ復讐することを決め、誠の墓前でもそう誓った。

 それから俺は三浦の情報を何か得られないかと、事件が落ち着いた頃にワンダーフォーゲル部の部室へ足を運んだ。怪しまれないよう、陽平が部室に用があるというタイミングで俺はついて行った。

 事件があった後、部活を退部したのは三浦だけではない。しかし、部員は減ってしまったが、陽平は辞めなかった。しばらく部活を休んではいたが、誠の分まで最後までやろうと決めたようだった。

 その日の部室には誰もいなかった。陽平が自分のロッカーの中を整理している間、俺は部室の中を見わたす。その中で一つ気になるものがあった。

「陽平、あれは?」

 壁に掛かっている何枚もの写真を指差して訊いた。証明写真のように一人ひとり違う人が写っている。

「あれは歴代の部長の写真だよ」

「三浦先輩のものがないけど?」

「たぶん、はがしたんだよ。……あんなことがあったから。事件の後、先輩は部活を辞めたし」

 俺は他の写真も見てみた。棚の上に飾ってある写真に誠をいじめていた上級生が写っているものはあったが、何故か三浦の写っているものは全くなかった。アルバムも発見したがその中にも一枚もなく、抜き取られた跡が見受けられた。他に何かないかざっと探してみたが、三浦がいたという痕跡が見当たらない。まるで、最初からいなかったかのようになっている。

「尚樹、どうしたの? さっきから何してるの?」

「あ、いや……誠のものはもう何もないのかと思って」

 俺がためらいがちにそう言い訳をすると、陽平は俺から視線をそらした。

「ないよ、何も」

 やっぱりそうだ。陽平は誠の話をしたがらない。三浦の情報が欲しいと思い、陽平に何度か部活に関して訊こうとしたが、誠に繋がってしまうからかずっと避けていた。

 また、それは真由子も同じだった。女子の間で三浦に対して黄色い声を上げる人はたくさんいる。事件が起こる前から、井戸端会議で三浦の話を耳にする機会は多いはずだろうとそれとなく話題を振ったことがあるが、真由子は陽平以上に敏感で口数が減った。俺はこれ以上、無神経に尋ねることは出来ず、上級生の知り合いもいないため、情報を得るのは全て塾の講師からだった。

「そんなに三浦のこと気になる?」

「えっ?」

「いや、よく訊くからさ。気持ちはわかるけど、受験勉強に身が入らなくなったら心配だからね」

 秋の勉強の追い込み時にそう言われた。俺はあまり不自然にならないよう気を付けていたつもりだったが、今この人に尋ねるのは難しいと感じてひとまず受験に集中した。

 無事に受験に合格し、卒業後もその講師と会って話す機会を定期的に作った。三浦は大学でも高校時代と変わらず友人が多く、サークルでも人気で目立ち、よく飲み歩いているようだった。なんとか近付きたかったが、俺の通う大学と三浦の大学は別だったし、次第にその講師は三浦と疎遠になっていったようで、彼を通して三浦に会うことは出来なかった。大学院に行くことを考えているという情報はあったが、それがどこなのかはわからず、そのまま三浦は大学を卒業してしまった。

 これからどうしようかと考えていたときに、真由子が思わぬ情報をくれた。真由子だって三浦が誠の件に関わっていたと知れば、許せないだろう。だが、親友の妹の手を汚すわけにはいかない。俺が勝手に決めたことだし、一人でもやり遂げる。

 肩をポンッと叩かれて、我に返った。陽平が俺の顔を覗き込んでいた。

「どうした? 写真じっと見て」

「いや……良い笑顔だなって思ってさ」

「あぁ、うん。そうだな……」

 陽平も俺のように自分を責めている節があった。だが、俺の計画に陽平も巻き込むわけにはいかない。全部終わったとき、真実を話して陽平のせいじゃないことをもう一度伝えよう。

 俺は家に帰るとベッドに腰掛けてスマートフォンでA大学院のホームページを見た。行事予定やイベントの項目を見ると、五日後に大学のオープンキャンパスがあるようだった。三浦に近付くにはここに潜り込む必要がある。まずはオープンキャンパスを利用して大学の中を巡っておいた方がいいだろう。

 俺は一息つき、ベッドに倒れて目を閉じた。計画を本格的に動かすとあって、自然と胸が高揚していた。

 五日後の正午、俺はリュックを背負って家を出た。電車に乗り、一度乗り換えて目的地まで一時間かけて向かう。駅からは歩いて五分で目的地が見え始め、俺は念のためリュックから伊達メガネを取り出して掛けた。大学の校門には警備員や職員がおり、受付の場所を案内していた。

 受付では、大学の在校生が対応していた。案内パンフレットが入った、大学ロゴ入りの手提げをもらって館内を巡る。各教室では、それぞれの学部生のレポートや授業風景の写真などが展示されており、希望者には個別面談もできるよう、学部の先生が時間帯によって待機していた。俺はその教室には入らず、キャンパス内を案内している集団の横を通り過ぎ、手提げに入っていたマップを見ながら、院生が使用する教室へ向かった。そこへ近付いていくと共に人気がなくなっていき、俺はいつの間にか一人で静かな廊下を歩いていた。教室の中へは入れなかったが、扉の窓から覗く。今、三浦はここで講義を受けているのかと想像し、あいつだけが何事も無く生活できていることに自然と怒りが湧いてくる。俺はそれを押さえつけながら校舎を出ようとすると、見覚えのある顔の男を見かけた。それは法学部の教授である矢野だ。ホームページで顔写真を確認していたからすぐに分かった。俺は一瞬悩んだが、またとないチャンスに何か情報を得られないかと、思い切って声をかけてみた。

「すみません、ここの法学部の先生ですよね?」

 矢野は五十代くらいの白髪交じりの男だった。俺の声に振り向くと、笑顔で応じてくれた。

「はい。君は……オープンキャンパスで来た人?」

「そうです。ここの大学院を目指しているんですけど、お話を伺えないでしょうか?」

 俺の急な要求に、矢野は嫌な顔一つしなかった。

「君は法学を希望しているの?」

 俺は頷いた。

「それじゃあ、教室で話を聞こう。短い時間になるけど、個別面談をやっているからそこへ」

 矢野は生徒に好かれるタイプの先生だと俺は思った。見た目の印象も清潔感があって悪くはないし、親しみを持ちやすそうで俺は少しホッとした。この方が三浦の事を聞きやすい。

 俺は矢野についていき、先程の学部の展示がしてある教室まで戻ってきた。そこの法学部の展示教室へ入り、面談用に設けられていた椅子に座った。俺は講義や論文に関することなど、法学部に関わる質問をいくつかした。興味はなかったが矢野の話を聞き、最後に本題を切り出した。

「ここの大学院に三浦先輩っていらっしゃいますよね?」

 俺がそう言うと、矢野は驚いた顔をした。

「君、知り合いかい?」

「三浦先輩と同じ高校に通っていた後輩です。法学専攻の大学院を探していたんですけど、三浦先輩がここに通っていたのを思い出して」

「あぁ、そうだったのか。彼に論文の指導をしているけど、他の人よりもスムーズに書いているし、テーマも興味深いものを取り上げているよ」

「高校生のとき、先輩は人気だったんですけど、今もそうですか?」

「そうだね。友人は多いみたいだし、学部生の時には写真愛好会っていうサークルに入部していたから、そこに顔を出すこともあるみたい。後輩の子とも飲みに行っているようだしね」

 写真愛好会は手提げに入っていたサークル紹介の用紙に記載されていた。

 俺は矢野との会話もそこそこにし、席を立って教室を出た。手提げの中には文化祭を予告しているチラシがあった。二週間後の日付が大きく載っている。その日の午後は俺が通う大学のゼミがある日でもあったが、俺は迷うことなく、文化祭に行こうと決めた。

 その当日、俺は午前中に大学の講義に出席した後、A大学院へ向かった。門には鮮やかな色合いの文化祭の看板が掲げられていた。俺は校舎に入る前に案内図を総合受付でもらった。それを見て写真愛好会の場所を探してみると、三階の教室で展示を行なっているようだった。

 俺はそのまま階段を上って三階に行き、他のサークルの教室の前を通り過ぎて写真愛好会の札が掛かった教室に入る。

「こんにちは、どうぞ~」

 写真愛好会の学生からパンフレットを受け取る。それは写真愛好会のそれぞれの学生が一番のお気に入りの写真を載せたものだ。それとは別に学生が撮った空や海、夜景、動物などの写真集やポストカードが売られている。

 教室には俺以外にも展示を見ている人がいる。その展示は様々なテーマで撮られた写真だった。

 それを見ていく途中で俺の目がある一点に釘付けになった。「人」をテーマにした写真の中に写真愛好会のメンバーが写った集合写真があった。そこに三浦が写っている。写真の中の三浦は楽しそうに笑顔で、隣にいた男と肩を組んでいた。

「あっ、先輩! 来てくれたんですか?」

 俺がその声に振り返ると、三浦が教室の入り口で別の学生に声をかけられていた。ずっと殺したいと思っていた奴が不意に目の前に現れて俺は驚いたが、三浦に近付く絶好の機会だ。

 俺は自然と気分が高揚していた。今日を逃したら次はいつになるか分からない。俺は写真を見るフリをしながら聞き耳を立てた。

「あぁ、どうなっているかと思ってな。人は結構来ているのか?」

「そうですね。ポストカードを買ってくれる人がまぁまぁいますよ」

 少しだけ視線を動かして三浦を見ると、あいつは後輩の言葉を聞きながら、展示に目を向けている。俺はタイミングを見て、三浦に声をかけた。

「三浦先輩ですか?」

 俺の言葉に三浦は振り向いた。

「誰?」

「俺、井上と言います。先輩と同じ高校に通っていたんです」

 俺の言葉に、三浦はハッとして言った。

「あぁ、矢野先生が言っていた高校の後輩って君のこと?」

「そうです」

「先生から聞いたけど、法学志望なんだって?」

「はい。そうなんです。今日は矢野先生から三浦先輩が写真愛好会に入っていたって聞いたので、見に来ました」

「そうか。まぁ、今は所属してないけど、後輩の作品があるからね。それで今日は俺も来たんだよ」

 俺は三浦と初対面にも関わらず、意外に早く打ち解けられたようだった。その後も写真を見ながら三浦と学校のことや、先生、サークルの後輩の紹介と話が進んだ。

「でも残念ですよ。これから大学新一年生だったら、サークルに入れたのに……」

 三浦が紹介した写真愛好会の遠藤が呟いた。

「そうですね」

「でも、三浦先輩は面倒見のいい先輩ですから、困ったときは色々聞くのがいいですよ」

「面倒見って……。来年はサークルの勧誘、手伝わないぞ」

「えぇ、そんなぁ」

 この二人のやり取りでもそうだ。代議士の息子である三浦は、この気さくな感じが周りから慕われ、友人が多い理由の一つなのだろう。これが表の顔なんだ。白か黒か探るには、もう少し懐に入らなければならない。

「それなら、もう少し話したいです。進学のこととか、色々ご相談してもいいですか?」

「あぁ、いいよ。ただ、これから矢野先生の研究室に用があるから、その後でもいい?」「はい」

「じゃあ、またあとで」

 そう言って三浦は出ていった。しばらくの間、今後どうしていこうかと考えていたところに、遠藤が声をかけてきた。

「井上さん、いま先輩からメールが来たんだけど、時間がかかるみたいですよ。今日はあんまり話を訊けなくなりそうだから、別日で良ければそのときにゆっくり話せるよ……てことなんですけど、どうします?」

 俺は迷った。出来れば少しでも距離を詰めておきたいが、後日に会う方がいいか? しかし、これでまたすぐに会えるとは限らない。やはり、今日のうちに話しておきたい。

「三浦先輩が今日でもいいなら待ちます。ここじゃなくて、別の場所でも構いません」

 俺の言葉を聞いて、遠藤は少し悩んでから言った。

「よく先輩と行く店があるんですけど、実は文化祭の後、飲みに行く約束しているんです。井上さんも来ます?」

 俺は思ってもみない提案に驚いた。

「もし、井上さんがここの大学院に来るなら、今後顔を合わせることも増えるし、これからよろしくっていうのも含めて。学校で待つより、先に店に行っている方が楽じゃないですか?」

「そうですね。ぜひ、行かせて下さい!」


 俺は文化祭終了後、遠藤と共に三浦の行きつけの居酒屋に行った。そのまま奥に案内され、テーブル席に座る。先に飲み物だけ注文していようとメニューを見ていると、三浦が店にやってきた。

「先輩、お疲れ様です。先に来てましたよ」

「あぁ。思ったより、時間かかった」

 三浦は席に座ると、俺を見て言った。

「待たせてごめん。井上君はお酒飲める?」

「あまり飲めなくて……。ノンアルコールにします」

「そうか。いいよ、好きなので」

「僕はいつも通りビールで!」

 嬉しそうに遠藤が言った。

「ほどほどにしろよ、弱いんだから」

 三人分のお酒といくつか料理やつまみを注文した後は進学や将来のことについて話していた。俺は酔わないようにノンアルコールビールを選んだが、三浦が言っていたように遠藤は酒に弱かった。一杯目で顔や耳が赤くなり、二杯目で呂律が怪しくなり、三杯目で完全に酔って眠ってしまっていた。

 一方、三浦はさすがに遠藤ほどではなかったが、顔が少し赤らんでおり、酔いが回り始めているようだった。俺は今だと思い、三浦に尋ねた。

「三浦先輩は高校の時から、大学院まで法学専攻でいこうと決めていたんですか?」

「あぁ、高三に上がった頃にね」

「そうなんですか……。そういえば、先輩は憶えていますか?」

 赤い顔できょとんとした三浦に、俺は膝の上に置いた手に力を込めて訊いた。

「部活で生徒が一人亡くなった事件……ありましたよね?」

 俺のその言葉に、ビールジョッキに伸ばしかけた三浦の手が止まった。

「……そういえばそんなことがあったな。でも、あれは顧問の先生や一部の生徒のせいだったんだよな」

 そう話す三浦は笑おうとしているようだったが、顔は引きつっていた。

「三浦先輩も驚いたんじゃないですか? 同級生にあんなことした人がいるなんて」

「そうだね……」

「俺は同級生で亡くなった人がいるなんて驚きましたよ」

「どういう状況だったのかはわからないけど、やりすぎたのかもね」

「先輩は、そういう経験あります?」

 三浦は俺の言葉に目を見開いた。

「先輩は仲の良い同級生や後輩が多そうだから、からかったりイタズラしたりとか」

「……あぁ、そうだね。からかうこともあるよ」

 三浦は、頼んだばかりのジョッキいっぱいのビールがいつの間にか底をついており、それに気付いて飲もうとしたジョッキを下ろす。

「……それが楽しくもあったからね。まぁ、だいたい周りの奴らがやりすぎることが多かったけど。俺は直接イタズラをするより、それを見ていることの方が多かったし」

 三浦は昔を思い返すように呟いた。

「まぁ、特に高校の時は決まった人に……それなりに可愛がっていたよ」

 三浦は自分の髪を触り、視線をキョロキョロしながらそう言った。俺は三浦の言葉と様子でやっぱり関わっていたのだと確信した。もっと聞き出そうとしたが、三浦のスマートフォンが鳴った。確認した三浦の眉間に皺が寄る。

「そろそろお開きにしよう。昔話はまた今度ね。……おい、遠藤起きろ」

 三浦はタクシーを呼び、酔った遠藤と乗り込んで帰っていった。それを見送りながら、俺は三浦への復讐を改めて決意した。

 三日後、俺はその日の最後の講義を終えて教室から出ると、廊下で陽平が待っていた。

「陽平? どうした?」

「あっ、終わった? 僕もさっき終わってさ、この後の講義が休講なんだ。バイトもないから、これからご飯食べに行こう」

「あぁ、そうなのか。いいよ。行こう」

 俺と陽平は大学を出て、少し早めの夕飯を摂ることにした。駅近くまで行き、一軒あったファミレスに入る。

「久しぶりにファミレス入ったな」

「そうだね。高校の時はよく来たよね」

 俺はカレー、陽平はドリアを注文し、ドリンクバーでそれぞれの飲み物を取ってきてテーブルに着く。

「この間さ、三浦先輩と一緒にいた?」

「えっ?」

「大学から帰る途中、三浦先輩と店から出てくる尚樹を見かけたんだ。他にも誰かいたみたいだけど、何で一緒に……?」

 俺は視線を感じながらも何と言おうか迷った。黙っている俺に、陽平は訊いてくる。

「何するつもり?」

 陽平はじっと俺の目を見ていた。俺は隠し通せそうにないと思い、観念した。

「三浦を殺すためだ」

 声をひそめて告げると、陽平は口を開けて固まった。

「開いた口が塞がらないっていうのは、まさにこのことか」

「……本気?」

 身を乗り出して陽平は俺に迫ってきた。

「もちろん。冗談じゃないよ。あいつも誠や陽平と同じ部活だったのを知ってから、あいつの情報をリサーチしていた。通っている大学院を突き止めて、そこに潜り込んだらちょうど会えたんだよ。その時は他に人もいたし、あいつに近付くだけだったけど、近いうちにあいつを……」

「そんなのダメだ」

 陽平は俺に訴えかけるような必死の目だった。

「確かに、三浦先輩とは部活が一緒だった。事の発端も先輩がきっかけだ。でも、先輩は直接手を出してない」

「手を出してないのに発端って?」

「三浦先輩は酷い言葉を投げ掛けてくることが多かった。精神的にいびってくるっていうか……。そこから始まって他の先輩達も同じようにし始めたんだ。それから、もう少し厳しくした方がいいなって三浦先輩が言って、他の先輩達が手を出してくるようになったんだ」

「そうか。始まりは全部あいつか」

「でも、殺すのはダメだ。酷い人だけど、殺すのは……」

「あいつだけ普通に生活しているのはおかしくないのか?」

「尚樹の言いたいことはわかるけど……」

「見物していたってことだろ? 自分は何もしないで、他の奴らにさせていた。手を出してないからって父親の力を借りて一人だけ罪から逃れている!」

「見物……」

 何かを思い出したように陽平は呟いた。

「そういえば、三浦先輩の対象ってほとんど誠だった。時々、俺にもするときあったけど、先輩は他の下級生には何も言わなかった」

「え?」

「それまで仲良かったのに、急に誠のことをいじめるようになって、そこから周囲に広がったけど、三浦先輩だけはずっと誠のことばかりだった」

 その時、俺は当時の誠の言葉を思い出した。

「そうか。怒らせたのかもしれないって誠が言っていたのは、三浦のことだったのか。やっぱりあいつをこのままには出来ない」

「尚樹……」

「三浦がそんなことしなきゃ、誠は死なずにすんだかもしれない。そうだろ?」

 陽平はうつむいて何も言わなかった。

「俺はやるよ。だから止めないで、陽平は今話したことを忘れて」

「……それなら僕も手伝う」

 一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。

「僕は誠を一人にしちゃったんだ。僕がいたところで何か出来たわけじゃなかったかもしれない。でも、だからこそ、誠のためにも今出来ることをしたい。誠も辛い目に遭っていたのに、僕を励ましてくれていたから」

 陽平の言葉を聞いて、今度は俺が何も言えなくなった。

「巻き込みたくないとか、考えなくていいよ。僕が手伝うのは他にも理由がある」

「他に?」

「どうして三浦先輩が急にあんなことをするようになったのか知りたいんだ。僕が知る限りじゃ、誠が先輩を怒らせるようなことしてないと思うし。だから殺す前に、はっきり理由を聞きたい」

「そうだな。……俺もそれは知りたい」

 その時、店員がカレーとドリアを運んできた。店員が去った後、俺は口を開く。

「ありがとう。協力してくれるのはとても助かる。だけど、犯罪者になるぞ」

「尚樹だけにやらせないよ。それに、同じくらいの男を相手にするんだから、一人より二人の方がいいでしょ。でもさ、これからどうする?」

「この間入った居酒屋が三浦の行きつけの店なんだ。そこを利用しよう」

 それから俺達は食事をしてファミレスを出た。そのまま一人暮らし中の俺のアパートで実行日や場所など、今後の計画を練る。

 高校のときは誠に関わる話はずっと避けていたのに、こうして陽平と三浦の殺害計画を立てているなんて、とても不思議だった。


 その日、俺はアルバイト帰りに地元の駅のそばにあるベンチで真由子と偶然会った。真由子は少しうつむき加減で地面の一点をじっと見ているような様子だった。俺が先に真由子に気付いて話しかけた。

「真由子?」

 俺の声を聞いて、真由子は我に返ったように見上げてきた。

「尚樹君……」

「やっぱり真由子か。……そのおでこ、どうした? 大丈夫か?」

 真由子の額の右側が赤く腫れていた。

「あっ……これ、ぶつけちゃって」

「ぶつけた? そそっかしいなぁ。気をつけろよ」

「うん」

「それにしても、こんなところで何しているんだ? ボーっとしていたみたいだけど」

「え?」

「心ここにあらずって感じ」

 俺がそう言うと、真由子は何も言わずに再びうつむいた。

「どうしたんだよ?」

「ちょっと色々あって疲れちゃって……。それで電車に酔ったから休んでいたの」

「そうか。家まで送ろうか?」

 真由子はかぶりを振った。

「少し休んだから、もう大丈夫。ありがとう」

 真由子が立ち上がり、俺達は一緒に歩き出す。

「今日はバイトだったのか?」

「ううん。バイトはお休み」

「そうか。色々って……何かあったのか?」

 俺の問いに、真由子は何か言おうとしたが、口をつぐんだ。

「まぁ、何か困ったことがあったら遠慮なく言えよ。いつでも聞く」

 真由子は俺を見上げてきた。

「……お父さんが入院したの」

 俺は不意を衝かれた気分だった。全く予想していなかった答えだ。

「入院? どこか悪いのか?」

「うん。でも、とりあえず大丈夫。お父さんが自分の部屋で倒れていたんだけど、病院に運ばれて医者に診てもらったら意識も回復したから」

「今度お見舞い行こうか」

「大丈夫よ。もうすぐ退院するから」

「そうか。元気になったなら、良かったな」

「うん……」

 そこまで話すと、俺は真由子と別れて家路に着いた。その間、別れた時の真由子の元気のない、疲れたような様子がずっと気にかかっていた。

 三日後、俺は本屋でのアルバイトを終えてロッカーで帰り支度をしていると、後輩の磯部がお疲れ様ですと言って入ってきた。磯部は最近入って来たばかりの新人で、まだ親しいと言う程でもないが、仲良く話せるくらいにはなっている。

 磯部が入ってきた初日、ちょうど俺も出勤日だった。早くなじめるようにと俺から話しかけたら、なんと磯部は三浦と同じ大学に通っていた。

「三浦さん、知っていますよ。大学院の人ですよね」

 俺は頷いた。

「有名ですよ。特に女子の間では。僕は観光学部なんですけど、三浦さんの話を聞くこともあります。それも女友達からですけど」

 それから俺は磯部と出勤日が被った日に、不自然にならない程度に三浦の話題を振るよう努めた。磯部は三浦と直接関わりがあるわけでもないため、あまり有力な情報は得られてなかったが、俺が高校時代の三浦の後輩と知り、磯部は嫌な顔一つせずにわかる範囲で答えてくれていた。

 他には誰もいない。今日も磯部に三浦の話を持ちかけた。

「そういえばこの間、三浦先輩を見かけたんだ。居酒屋から出てくるところだったよ」

「あぁ、なんか、気に入っている店があるらしいですね」

「へぇ。じゃあ、けっこう行っているのかな」

「そうみたいですよ。女子達の中には三浦さんのSNSをチェックしている人もいるんですけど、今日も飲みに行ったっていうのがよく書かれているみたいです」

 俺は目を見張った。

「先輩、SNSしているのか?」

「みたいですよ。飲みに行ったときに撮った写真とか上げているみたいですけど。直接会話できない女子はそれで交流しているみたいです。思い切って合コン誘ってみたけど、断られたとか言ってショック受けている人もいましたよ。文化祭の写真もあったし、最近は知人が所有している山でキャンプしたって。先輩もSNSなら三浦さんと話せるんじゃないですか?」

 それはすでに直接会って済ませているが、良いことを聞いた。無駄なものが多そうだが、本人のSNSなら有益な情報も得られるかもしれない。

 俺は磯部に挨拶して先にアルバイト先を出ると、帰りの電車の中で三浦のアカウントを探した。それはすぐに見つかり、女子達とのやり取りが多かった。その中であの居酒屋で撮っただろう写真がいくつもあった。他にもあったが、ほとんどに三浦本人が写っている。      

 遠藤の言っていたキャンプの写真は炊いたご飯と肉やキノコ、野菜を焼いて食べている様子や自然の風景だった。「知人や彼女と一緒にキャンプ!」とコメント付きだ。三浦の近況を見ていくと、その後にどうやら誕生日会をしたようだった。その投稿の日付の後にはお腹が痛いと書かれている。

「復活! 腹痛が治ったよ。元気になったところで、近々またあそこに飲みに行ってくるか!」

 三浦があの店に来る。書き込まれた日付を見ると、ちょうど今日だった。


 一週間後、俺は一人で三浦の行きつけの居酒屋へ行った。ここへは三日連続で通っており、今日で四日目になる。俺はお酒とつまみを頼み、お酒を飲まずに三浦を待った。もう四日目だが、このまま三浦に会えないようなら、また大学院に潜入して連絡先を交換するしかないかと思い始めたとき、居酒屋の入り口が開いた。

 いらっしゃいませと言った店員が対応していたのは三浦だった。俺は口を開きかけたが、三浦が俺に気付いた。

「あれ、井上君!」

「こんばんは、三浦先輩」

「来ていたんだね。一人?」

「はい。先輩もですか?」

「いや、あとから遠藤が来るんだ。せっかく会ったんだし、もし良ければ一緒に飲む?」

「いいですね」

 俺は入り口が見えるようにカウンター席にいたが、三浦と一緒にテーブル席へ移った。俺の向かいに三浦が座る。俺は事が順調に運んでいることにほくそ笑み、三浦と会ったことを陽平にメールで連絡する。

「遠藤さんは何時くらいにここへ来る予定ですか?」

「一時間後だよ。それまで俺も井上君みたいに一人でしっぽり飲んでようかと思っていたんだ」

 そう言って、三浦はメニューを開く。お酒とそれぞれ好きなものを選んで店員を呼び、注文する。

 今日、俺は三浦をここから連れ出し、陽平と落ち合う予定になっている。少し離れた場所に空き家があるため、そこで三浦を殺すつもりだ。もちろん、その前になぜ誠にあんなことをしたのか、問いただす。そのためにまずは、遠藤が来る前に三浦を連れ出さなくてはならない。

「井上君もここを気に入ってくれたの?」

「はい。機会があったら、また来ようと思っていたんです」

「そっか。それじゃあ、連絡先を交換しよう。話したいときに、またここで会える。ついでに遠藤のも教えとくよ。あいつもうちの大学院に入学予定だからね」

 そうして俺は二人分の電話番号とメールアドレスを交換した。

「ここはうちの大学院から近いから、入学すればここを利用しやすくなるよ。俺は前回、君とここに来てからしばらく来られなかったから、久しぶりに来られて嬉しいんだ」

「そうなんですか。論文に集中していたってことですか?」

「それもあるけど、体調が悪かったんだ。この間、俺の誕生日にサークルの後輩と何人か友達を家に呼んでちょっとしたパーティーをしたんだけど、その後にお腹が痛くなってね。せっかく誕生日を迎えたのに、幸先悪いよ」

「それじゃ、遠藤さんもいたんですね。今はもう大丈夫なんですか?」

「うん。食べ物に当たったんだろうね。病院に行きたくても動くと辛くて。代わりに彼女が薬を用意してくれてさ。助かったよ。やっとここでお酒が飲める!」

「良かったですね」

 そんな話をしていると、店員が注文した酒と料理を持ってくる。俺はノンアルコールをちびちび飲み、料理をつまみながら三浦のジョッキに睡眠薬を入れるタイミングをうかがっていた。

 遠藤が来る予定時間の二十分前になって、三浦のスマートフォンが鳴った。遠藤からの連絡かと思ったが、確認した三浦の表情が険しくなった。

「どうしたんですか?」

「最近、元カノがしつこくてさ。困ってるんだよね。もう、彼女いるのに」

 三浦が立ち上がりながら言った。

「ちょっとトイレ行ってくるよ」

 俺はチラッと三浦のジョッキを見た。よし、まだ入っている。大丈夫だ。これに入れて溶かして……。

 その時、うめき声が聞こえた。振り返ると、三浦が倒れていた。三浦に気付いた店員がそばに駆け寄って声をかけている。俺もとっさに三浦に駆け寄った。

「先輩!? 先輩……!」

 俺はまた体調が悪くなったのかと思った。飲んだ酒の量はまだ一杯目だというのに、苦しそうに悶えている。俺は店員に救急車を呼ぶように言った。計画を進めるどころではなかった。

 救急車が来るまで、俺は三浦のそばに付き添い、声をかけていた。しかし、その間、全く反応がなかった。予期せぬ事態に、俺は戸惑った。救急車が来ると、俺は隊員に説明しながら一緒に乗り込む。そのまま近くの病院に到着し、三浦は手術室に運ばれる。俺はひとまず陽平にメールで連絡し、手術室の前で待った。

 しばらくして、手術室から医者が出てきた。

「申し訳ございません」

 医者は頭を下げた。

「手を尽くしましたが、内臓の細胞がすでに破壊されてしまっており……お亡くなりになられました」

 俺は驚きのあまり、言葉が出てこなかった。

「尚樹?」

 後ろから陽平の声が聞こえたが、俺は返事が出来ない。殺そうと思っていた奴がいきなり死んだ。そのことにまだ頭がついていかない。そばで陽平と医者が何か話していたようだが、俺の耳には届かなかった。

 その後はあまりよく覚えていない。唯一覚えているのは、三浦の家族が病院へ来て、三浦の姿を見るなり、そばに近寄って泣いている姿だった。それは、誠が亡くなったときと重なって見えた。

 翌日、俺は大学の講義もバイトもあったが、どちらも行く気にはなれなかった。殺すつもりだった三浦が死んで、目的をなくした俺は脱力していた。俺は自室のベッドの上で横になりながら、あっけない幕切れに呆然としていた。

 すると、家の呼び鈴が鳴った。俺は無視しようと思ったが、ドアを叩いて俺の名を呼ぶ陽平の声が聞こえたため、重い体を起こして玄関に向かった。

「尚樹、大丈夫? 連絡しても返事がないし、今日の講義にいなかったからどうしたのかと……」

「あっ、ごめん……。気付かなかった」

 俺はスマートフォンでメールの確認をする。電源を落としていたため気付かなかったが、メールと電話の着信があり、どちらも陽平からだった。

 いつの間にか陽平は勝手に部屋にあがり込み、床にドカッと座った。

「どうしたの? 体調悪い? 病院で会った時も様子がおかしかったけど」

 俺はベッドに座って言った。

「いや……なんか、三浦を殺す前に先に死んだから、気が抜けたっていうか……」

「確かに、直前にあんなことになってびっくりしたね。でも、わざわざ僕達がやらずにすんだよ」

「だけど、あいつが何で誠をいじめるようになったのか、結局わからずじまいだ」

「それは……そうだね。僕も知りたかったけど、今は尚樹が犯罪者にならなくてホッとしているよ」

 俺は陽平から視線を逸らして言った。

「ごめん、巻き込んで……。心配もかけた」

「いいよ、今さら。僕も自分で決めた事だったし。……それよりさ」

 陽平は目の前のテーブルに肘を乗せて身を乗り出す。

「三浦先輩の父親が納得しなくて、警察沙汰になっているみたいだ」

「警察?」

「死因を調べたみたい。医者は内蔵の細胞が破壊されたことによる機能障害って言っていたけど、それを起こしたのは毒キノコだったって話だよ。それで、三浦先輩の行きつけっていうあの居酒屋も調べられたみたい」

「毒キノコ?」

 予想外のものを言われ、俺は声が上ずった。

「そう。僕も調べてみたんだけど、猛毒キノコ御三家って言われている三種類のキノコがあって、三浦先輩はそのうちの一つを食べたみたいなんだ。実際、それを食べると嘔吐や腹痛などの症状が起こるんだけど、その後に症状が治まって回復したような状態になるらしいんだ。でもそれから数日経つと、内蔵の細胞が破壊されて死ぬケースがあるって。三浦先輩もそうなったみたいだけど、尚樹は何か聞いている?」

 俺は陽平の話を聞きながら、三浦の言っていたことを思い出した。

「三浦が言っていた。家でパーティーした後、体調が悪くなったって。その時に、キノコを食べたのか」

「それ本当? 変じゃない?」

「何が」

「だって、そのパーティー、他にも人がいたんでしょう?」

 俺はハッとした。

「俺達の他に三浦を殺そうとした奴がいるってことか……?」

 そのとき、また呼び鈴が鳴った。俺は立ち上がって玄関の扉を開けた。そこにはスーツを着た男が二人立っていた。

「すみません、井上尚樹さんですか?」

「はい……。どちら様ですか?」

「警察です」

 男らは警察手帳を開いて見せてきた。

「三浦淳さんの事で伺いたい事があるのですが、今よろしいですか?」

「えっ?」

「三浦さんが病院に運ばれたとき、あなたが付き添っていたということで、色々とお話をお聞きしたいんです」

 中年の刑事が言うと、隣にいた背の高くて若い刑事が俺の部屋を覗き込んで言った。

「奥にいるのは菊池陽平さんですか?」

 自分の名前を呼ばれて、陽平は玄関まで来た。

「はい、そうです」

「あなたもあとから病院へ来たそうですね。ぜひ話を聞かせて下さい」

 断れるはずもなく、俺は二人の刑事を部屋へ通す。それからは質問攻めだった。三浦との関係、居酒屋でのこと、三浦の誕生日会には出席したか、遠藤のことまで……。

「では、菊池陽平さんは何故病院へ?」

 俺は一瞬、どう言おうか迷ったが、陽平が代わりに言った。

「俺も三浦先輩と高校が一緒で、部活の後輩なんです。それで、三浦先輩が倒れたって尚樹から連絡を受けて行ったんです」

「そうなんですか。あなたも三浦さんと付き合いがあったんですか?」

「いえ、先輩が高校を卒業してからは全く。でも、尚樹から三浦先輩のことを聞いて、近いうちに尚樹を通して先輩に会えたらと思っていたんです。でも、その前に倒れたと聞いて、三浦先輩もそうですけど、尚樹のことも心配で病院へ行きました」

「なるほど。確かに、三浦さんが亡くなった事を知った井上さんは、しばらく呆然とした様子だったと、その場にいた看護師から聞いています」

 刑事の視線が菊池から俺に移る。

「はい。かなりびっくりして……。あの後、陽平が俺を家まで送ってくれたんですけど、その間のこともあまりはっきり覚えてないくらいなので……陽平が来てくれて助かりました」

「では、お二人は三浦さんの友人関係について何かご存知ですか?」

「俺が知っているのは、後輩の遠藤さんくらいです。あとは、文化祭に行ったときにサークルの後輩の人達を見かけただけで、それ以上の事は知りません」

 俺の後に続けて陽平が言った。

「僕も三浦先輩の友人関係はわかりません」

「そうですか……。では、三浦さんと遠藤さんの関係は尚樹さんから見てどう見えましたか?」

「仲が良い先輩と後輩って言う感じでした。特に仲が悪そうな様子もなかったですし、一緒に三浦先輩と飲んでいた日もあとから遠藤さんが来ると聞いていましたから」

 思い返しながら話すと、一つ気になったことが浮かんだ。

「そういえば、元カノがしつこくて困ってるって言っていました。でも、どういう人かは訊いてないのでわからないんですけど」

「なるほど。元カノですか」

 俺達の話をさんざん聞いた後、刑事は帰っていった。自分で三浦を殺そうと考えていた分、質問されている間は緊張していたが、彼らが帰った後は、また気が抜けた。

「陽平、ありがとう。上手く言ってくれて」

「いいんだ。もし、僕達が三浦を殺して、今みたいに警察に聞かれたら答えようと考えていたことだったから」

「そうか。それにしても、やっぱり三浦は誰かに殺されたんだな。だから警察は俺達にも話を聞きに来たんだ」

「パーティーに参加した誰かってこと?」

「それか、元カノも怪しいな」

「誰にせよ、何で三浦先輩を殺したのかな?」

「さぁ……。でも、警察が動いているんだし、犯人が捕まるのは時間の問題だな」

「どうやったんだろうね」

「……誕生日だっていうから、それを理由にして三浦にそのキノコを使った料理でもふるまったんじゃないのか」

「元カノのなんて、食べるかな?」

「パーティーだったら、作れるかもな」

 俺達は陽平が帰るまでそんな話を続けていた。目的がなくなった俺は、これからは大学生として、今まで通りの生活をすればいいだろう。

 でも、誠にはなんて報告をすればいいんだろうか――


 それから二日後、俺は三浦の事件が気になり、遠藤にメールで連絡を取ってみた。どうやら、遠藤も警察に事情聴取されたようだったが、意外にもまだ犯人は捕まっていないようだった。

「誰にも気付かれずに毒キノコを食べさせたのか……?」

 俺はパーティーにどれだけの人数がいたのか遠藤に訊いてみると、想像していたよりも多かった。

「三十人かよ」

 でも、それだけの人数なら、適当な理由をつければ元カノでも潜り込めるかもしれない。

 俺は大学の講義で陽平に会うと、早速それを告げた。

「う~ん、それだけいたら誰か見ているような気はするけど、もしかしたらみんな浮かれていて、あんまり覚えてないかもよ? お酒だって飲んだだろうし」

「酒ね……」

「調べてみる?」

 陽平が俺の顔を覗き込んで訊く。

「そうだな。気になるし、今のままじゃ誠に伝えられる言葉がない」

 陽平は頷いた。

「三浦先輩を殺した人は、誠の事件を知っている人かな?」

「えっ?」

「いや、もしそうだったら、三浦先輩が誠をいじめた理由を何か知ってるかなって」

 そのとき、俺は遠藤からの返信メールの文面を思い出し、もう一度確認する。

「今日は三浦のお通夜、明日は葬式だ。情報、集めてみよう」

 俺達は急遽、明日の講義を休むことが決まった。情報を得るため、俺は遠藤にメールを送った。


 次の日、俺と陽平は遠藤から聞いた葬儀場へ向かった。代議士の息子とあってか、多くの人が来ており、テレビで見たことのある政財界の人がいる中で、三浦の友人だと思われる人もちらほら見かけた。

 葬儀が終わった後、俺は遠藤の姿を見つけて声をかけた。

「遠藤さん」

「あっ、井上さん! 来たんですね」

「はい。昨日メールしたとおり、お話を伺いたいと思いまして」

「それはいいですけど、先輩のこと訊いてどうするんですか?」

 いぶかしげな様子の遠藤に対し、俺は慎重に言葉を選んだ。

「三浦先輩がどういう人だったのか、先輩に近い人から聞いて知りたいんです。今回の事件、やっぱり気になるので」

 遠藤は腑に落ちないようだった。

「気持ちはわからなくはないけど……。とにかく案内します。……君は井上さんの友達?」

 遠藤は陽平に視線を向けて訊いた。

「はい。菊池といいます。僕も三浦先輩と同じ高校の後輩です」

「そうでしたか。井上さんから聞いていると思うけど、僕は遠藤。よろしく。とりあえず、待たせているから、行きましょうか」

 俺と陽平は遠藤について行くと、会場のロビーのソファで男が一人コーヒーを飲んで座っていた。遠藤がその男に近付いて言った。

「村田さん、待たせちゃってすみません。この人が井上さんです」

 村田はコーヒーカップを置いて、立ち上がった。

「初めまして、村田です。あなたが淳の話を聞きたい人?」

「はい。井上です。こっちは菊池といって、俺と同じように三浦先輩の高校の後輩にあたります」

 俺が菊池を紹介すると、菊池が村田に軽く頭を下げた。

「急にすみません」

「いや、いいよ。淳は友達が多いけど、俺が一番付き合いが長いと思うし、よく知っているよ。でも、急にこんなことになって……驚いたな」

 俺達はソファに腰を下ろす。

「で、何が知りたい?」

「先輩が高校生だったときに出身校であった事件って聞いていますか?」

「あぁ、覚えているよ。淳から聞いた。君らもその当時は学校にいたの?」

 俺が頷くと、村田は頭を掻いた。

「そうか……。今だから話すことだけどね、淳だけが直接手を出さなかった分、一人だけ助かったような感じだったけど……あいつも何かしらはやっていたよ」

「何かしらって?」

 俺が食いつくと、村田は困ったように首を傾げた。

「いや、何というか、あいつのことだから精神的になぶったりしたんじゃないかと思う。特に高校時代は、表面的には優等生だったけど、実際は荒れていたからな」

「荒れていた?」

「そう。親が代議士っていうのもあってね。色々窮屈な思いをしているようだったよ。それを部活で亡くなった人にぶつけていたのかもな」

 俺は村田の言葉を聞いて、モヤモヤした。三浦は家庭の事情で俺達にはわからないようなつらいことや嫌なことがあったのかもしれないが、だからといってそのはけ口の対象として誠をいじめていいはずがないし、亡くなる原因にもなっているんだから許されるわけがない。

 俺が黙っているのを見かねたのか、陽平が代わりに話を振ってくれた。

「村田さんは三浦先輩の誕生日のパーティーに参加したんですか?」

「うん。行ったよ。毎年やっていたわけじゃないけど、淳の誕生日会をやるっていうときはいつも参加している。その時々で多少、面子が変わることもあるけど、俺はずっといるね」

 そこまで言うと、村田は目を瞬いた。

「……まるで、警察の事情聴取のときみたいだな。君達も淳の事件、気になる?」

「はい」

「聞いた話じゃ、毒キノコが原因らしいけど、俺はパーティーのときもそれ以外で淳に会ったときも、あいつはキノコなんて口にしてなかったけどな」

 俺は自然と身を乗り出した。

「そうなんですか?」

「あぁ、パーティーのときなんか俺は淳の隣に座っていたけど、キノコなんて食べてなかったと思うよ。そもそも料理にキノコ使ってなかった気がするけど。俺も食べてないし、俺はキノコが嫌いだから、あったら絶対憶えている。たぶん、淳は俺に配慮してくれたんだ」

「三浦先輩だけが食べた料理とかはないんですか?」

「そんなものはなかったよ。昨年はビュッフェ形式だったけど、今年はみんな同じものを食べたし」

 俺は陽平と顔を見合わせた。だったらどうやって毒キノコを摂取したんだ?

「俺の耳に入った情報だと、淳が食べたっていうキノコは遅効性っていうし、実際にパーティーやった次の日に体調が悪くなったって淳から連絡は来ていたけどな。そもそも、毒キノコなんて山で直接入手でもしないと、料理で使うなんて無理じゃないか?」

 俺はハッとした。肝心なことを見落としていた。

「三浦先輩って最近、山でキャンプしましたよね? その山を所有している人もパーティーに参加を?」

「いや、パーティーは同世代の仲良い人だけでやったから。知人っていうのは、あいつの親の知り合いだよ」

 俺は村田の話を聞いて、一つの可能性を考えた。

「三浦先輩って彼女いますよね?」

「あぁ、いるよ。体調悪くなったときもその彼女が淳を看病していたようだし」

「今日、来ていますよね? どの人かわかりますか?」

 俺は周囲を見渡しながら質問した。すると、村田も参列した多くの人だかりの方を見て言った。

「それが今日は見てないんだよね。昨日のお通夜は見かけたんだけど。出席出来なかったのかな」

「その人もパーティーに来ていたんですよね?」

「もちろん」

「その三浦先輩の彼女って、どんな人ですか?」

「う~ん、そのときに初めて直接彼女に会ったから……まぁ、可愛い子だったよ。高校のときから付き合っているって聞いている」

「それまで全く会う機会がなかったんですか?」

「うん。……いや、正確に言うと、高校のときにたぶん会ってはいるんだよね。まだ、その子が淳の彼女になる前にその年の誕生日会に出席していたらしい。俺は全然憶えてないし、そのときは会話もしてなかったと思う。いつか会わせるって話はしていたんだけど、うまくいっていない時期もあったみたいだから、この間のパーティーのときが淳の彼女として初対面って感じだったかな」

「上手くいっていないのは、元カノが原因とか?」

「それはわからないけど、でも確かに淳の元カノは最近、しつこかったみたいだ」

「どういう人ですか?」

「淳が高校生のときに教育実習生として学校に来ていた人だよ。あそこにいる」

 村田の視線を追うと、俺達よりも年上らしき茶髪の女性がいた。ハンカチ片手に泣いている。

「三浦先輩の今の彼女とのお付き合いは高校のときからなんですよね? もしかして俺達と同じ高校の人ですか……?」

「あぁ、そう言っていたよ」

 俺と陽平は再び顔を見合わせる。その人も誠が亡くなった事件を知っているはず。

「その人と三浦先輩は仲良さそうでした?」

「うん。パーティーのときは普通だったし。……でも、最近は淳から彼女の話を聞いていなかったな」

「というと?」

「あんまりうまくいってないときは、自分からは彼女のことを話さないんだよ。そういうところはわかりやすい奴だったな。その彼女にけっこう執着していたから、なかなか別れなかったし、他の子に告白されても全部振っていたし」

「いいな、僕も先輩の彼女会ってみたかったなぁ」

 俺の隣で遠藤が呟く。

「その人の特徴を教えてもらってもいいですか?」

 俺は遠藤の呟きを聞き流して、村田に質問を続けた。村田は眉間に皺を寄せて首を傾げた。

「そうだな、これといった特徴はな……。よくいそうな感じの子なんだけど、黒髪で目がぱっちりした……。写真でもあればいいんだけど」

「あっ! 僕、持っていますけど」

 村田が説明に困っていると、遠藤が口をはさんだ。

「本当ですか?」

 俺がもっと早く言えよと思いつつ問うと、遠藤はスマートフォンを取り出して三浦から送られてきたというメールの画面を俺に見せてきた。

「まだ、先輩がサークルにいた頃に彼女さんの写真見せて下さいって言ったら、送ってきてくれたんですよ」

 俺の後ろから覗き込んで見た陽平が息を呑んだ。そして、ぽつりと言った。

「この人が、三浦先輩の彼女……?」

 遠藤は頷く。その写真は、三浦とその彼女が仲良さそうに寄り添って写っていた。俺はそれを見た瞬間、愕然とした。

 村田と遠藤と別れた後、俺と陽平は元カノだという女性に尋ねた。彼女は、俺達が事情を知っていることに驚いていたが、早口でまくし立てた。

「私は三浦君を殺してないわよ! そんなことするわけない! 私はよりを戻したかっただけ。当時は立場上、出来なかったけど、今なら付き合えると思って連絡していたのよ。振り向いてくれないからって殺さないわ! 彼女と上手くいってないって知ってたんだもの」

 そう喋ると、泣きながら去っていった。それが嘘のようには見えなかった。

 俺は葬儀場を出るときも、遠藤に見せてもらった写真の彼女が脳裏に焼き付いていて離れなかった。


 二日後、俺は寺の本堂の前を通り、誠の墓へ向かう。墓の前にはすでに陽平がいた。

「早いな」

「うん。早く着いちゃった。線香を持ってきたよ」

 ライターを取り出し、いらない広告の紙に火をつけて線香に灯す。

「二人だと線香の量が多いな」

「……本当に訊くの?」

 俺は陽平の問いに頷いた。そして線香を香炉に置き、手を合わせる。

 俺は、自分の手で復讐を遂げることは出来なかったけど、どうして誠がいじめられるようになったのか、三浦は何故死んだのか、これからはっきりさせる――

 俺に続いて陽平も手を合わせていると、俺達のもとに近付く靴音が聞こえた。

「三人揃って兄さんの墓参りなんて、お盆とお彼岸のときくらいじゃない?」

 そう言いながら真由子はやってきた。

「そうだな。真由子はおととい来たんだろ?」

「うん」

 陽平は合わせていた手を下ろして、真由子に向き直った。

「昨日、尚樹から聞いたけど、体調悪かったんだって? 大丈夫?」

「あぁ……うん。もう平気。それより、今日はどうしたの? 急に兄さんの墓参りしようなんて」

 俺はスマートフォンを取り出す。

「墓参りというか、真由子に訊きたいことがあったんだ」

 俺がそう切り出すと、笑っていた真由子の顔が強張った。

「……ここで?」

「そう。……この写真、三浦の隣に写っているのって真由子だよな?」

 俺は遠藤に送ってもらった写真を真由子に見せた。真由子は表情を変えない。

「その写真、どうしたの」

「三浦の知り合いから見せてもらった」

「……交友関係が広くなったね」

 真由子はため息を吐いた。

「そっか。知っちゃったんだね」

 俺の隣で陽平が真由子に訊いた。

「じゃあ、やっぱり真由子が三浦先輩の彼女……?」

 真由子は頷いた。

「真由子が高校のときから三浦と付き合っているって聞いた」

「うん。実はそうなの」

「三浦が死ぬ前に開いていた誕生日会に真由子はいたんだろ。あいつが体調悪くなったときも看病していたそうだな」

「そこまで知っているんだ」

「なぁ、三浦が何で死んだのか、知っているんじゃないのか?」

「毒キノコが原因って聞いたわ。警察が動いてること、二人も知っているんでしょ?」

「俺が訊いたのは、そういうことじゃない。三浦は殺された。何故そうなったのか、知りたいのは動機だ」

「私に訊かれても、知らないわ。思い当たることは何もない」

 俺は、真由子の目を見据えて言った。

「真由子が三浦を殺したんだろ?」

「……どうして私が?」

「誠のためじゃないのか?」

 真由子は俺の言葉に目を見張った。

「初めは純粋に三浦のことが好きだったのかもしれない。でも、誠が死んだ後はどうだ? いつか殺そうと機会を伺っていたんじゃないか?」

 じっと俺を見てしばらく黙った後、真由子は口を開いた。

「なるほどね。私がやったと言うなら、どうやって?」

「パーティーの後にでも、遅効性の毒キノコを三浦に食べさせたんだろ。彼女なら、機会をいくらでも作れるんじゃないか?」

 真由子は悲しそうな目をしていた。

「証拠は? 機会があるというだけで疑うの?」

「三浦のSNSに山でキャンプしたことが書き込まれていた。彼女も一緒にいたって」

 俺は真由子が何か言うかと思ったが、何も言わず、表情も読み取れなかった。仕方なく、俺は話を続けた。

「毒キノコなんて調べることは出来るが、簡単に入手できるものじゃない。直接、山で採らない限り。そこで採ったものを誕生日会の後に三浦に食べさせる。それが出来たのはどちらにも出席した彼女である真由子だけじゃないか?」

 真由子は目を閉じて、深く息を吐いた。

「真由子なら知っているんじゃないか? どうして誠はいじめられて、死ななきゃならなかったんだ?」

 俺がそう尋ねると、真由子は目を開けた。彼女の顔は誠が亡くなったときに病院で見た、青白い顔になっていた。

「やっぱり、こうなっちゃうか」

 真由子はうつむいて話し出した。

「兄さんが死んだのは、私のせいなの」

 俺は一瞬、聞き違いをしたかと思った。

「私のお母さんはね、結婚する前からずっと男の子が欲しかったんだって。だから兄さんにはいつも甘かった。実際、兄さんは成績良いし、スポーツもそれなりにこなしていたけど、それをいつも私と比べていたの。……知っていた?」

 俺と陽平はかぶりを振った。

「そうだよね。兄さんはそんなこと気にしてなかったから、話すことでもなかったんだよね。……でも、私は嫌だった」

 真由子の声が次第に低くなる。

「お母さんは私よりも兄さんを優先していた。それに合わせて、お父さんもそうするようになった。私の家ではそれが自然で、当たり前のことだったの。お兄ちゃんを見習わなきゃダメよって、何かある度に兄さんのことを話題にして……」

 真由子は泣くのをこらえているような表情で顔を上げ、俺と陽平を見て話を続けた。

「私は高校生のとき、淳先輩と出会って付き合うことになった。それから先輩に兄さんのことを相談するようになったのが始まりなの。先輩は共感してくれて、何もできない私に代わって気が晴れるように、ちょっとしたイタズラをするって言っていた。だから私は、そんな大したことじゃないと思っていたの。でも、先輩がやり始めたことに便乗して、同じ部活の他の先輩達が徐々に過激になっていった。いつの間にか、先輩の中でもそれが当たり前になっていて、私は家に帰って来たときの兄さんのケガの様子を見てそれがわかった。思った以上にやりすぎているのを先輩に伝えたけど、部活の訓練の一環だからって……。結局、兄さんは死んでしまった」

「止めるチャンスは他になかったの?」

 陽平が訊くと、真由子は視線を逸らした。

「止めた方がいいと思ったことは何度もある。でも、ケガをした兄さんを心配する親を見るたび、その気がなくなっていた。病院で冷たくなった兄さんを見たときに、はっきりと実感したの。とんでもないことをしたって。死なせてほしいわけじゃなかったのに……後悔した」

 俺は真由子の話を聞きながら、やりきれない思いで唇を噛みしめた。

「それから私は、この事件に警察が介入し始めて本当のことが知られてしまうのが怖かった。兄さんが死んでからは、淳先輩と会えなかったし、電話も控えていた。でも、事件に関わった部活の顧問や上級生が捕まっていたのに、淳先輩だけ何の処分も受けずに生活できていたことに驚いた。落ち着いた頃に先輩から連絡があって、私のことは伏せ、父親の力を借りて自分は直接関与していないということになったと言っていたわ」

「真由子はそれで良かったのか……?」

 真由子は目を伏せた。

「正直に言うと、私はホッとした。けれど罪悪感が無くなったわけじゃなかった。特に淳先輩といると、何をしていても兄さんや親、悲しんでいた陽平君……尚樹君のことが頭から離れなかった」

 当時、高校生だった真由子の病院での青白い顔が俺の脳裏にフラッシュバックする。病院で見た、真由子の青白い顔の意味は、その場にいた他の誰とも違っていたのか。

「それじゃあ、どうしてその後も先輩と一緒にいたんだ?」

 陽平が真由子に訊いた。

「私は淳先輩と縁を切りたいと思い始めていたけど、彼の父親は代議士とは別に建設会社の社長でもあるの。私のお父さんはその下請け会社を経営しているから、私達は親同士でも繋がりがある」

「親のために一緒に?」

「そう。彼がやったことを揉み消せる父親の力が恐ろしかった。兄さんが死んだ後、お父さんもお母さんも悲しんで、しばらく引きずっていたけど、それでも前を向こうと少しずつ元気になっていた。そんなときに、彼の方から父親を通してお父さんの仕事に悪い影響が出たら嫌だったの。……でも、実際に私達家族の生活は破綻しかけた。私がもう淳先輩に気持ちがなくて、他の人に向いていることに彼が気付いた。それから彼は束縛が激しくなった。私が兄さんに対して感じていたことや事件の原因が私にあることを両親にばらすと脅してきたし、DVもするようになった」

 それを聞いて、俺は以前、真由子の額にあった怪我を思い出した。

「それで三浦を殺したのか?」

 真由子は言葉をとぎらせたまま何も言えずにいたが、やがて金縛りが解けたように答えた。

「私、耐えられなくなったの。兄さんみたいに、アザや傷を隠すのも限界があると感じていたし、私はもし自分のしたことが露見してしまったら、彼のしたことを……本当のことを伝えるしかないと思っていた。でも、私の考えは彼に見抜かれていたみたいで、彼の父親が仕事で起こった事故やミスを私のお父さんのせいにしたの」

「それじゃあ、今は……」

「しだいに仕事が減って、今じゃうちに仕事の依頼をしてくるところもないし、営業に行っても門前払い。……それでお父さんは自殺しようとした」

「えっ……?」

 俺と陽平は驚いて同時に声を上げた。

「幸い、未遂で済んだ。私が気付いて早く病院に運ばれたからよかったけど、お母さんはノイローゼになってふさぎ込んでいる。お父さんはそんなお母さんの状態を知って、自分が行なったことを後悔していた」

 俺は真由子にかけてやる言葉が浮かばなかった。

「そんなとき、淳先輩が連絡してきて言ったの。自分が父親に口添えすれば少しは、事態は良くなるかもしれない。将来、自分は父親の会社を継ぐから家族の為にもそのことを忘れない方がいいって」

「先輩がそんなことを……!?」

 陽平は呟いた。

「これがこれからも続いていくのかと思って、私はどうにかしないとって考えたの。そんなときに……」

 真由子は俺に視線を向けた。

「尚樹君が淳先輩に近付いているのに気付いた。実際に、尚樹君が淳先輩行きつけの居酒屋から出て来るところを何度も見たの。焦ったよ。彼がいなくなれば、これ以上、家族が壊れていくこともなくなるし、尚樹君に知られてしまうこともないって思った。だから殺したの」

 真由子は頬を伝う涙を拭った。

「……それとね、キノコは食べさせたんじゃなくて、飲ませたの」

「どういうこと?」

「彼にスムージーをあげたのよ。その中にキノコを混ぜておいたの。他の人にも作ってあげたけど、キノコが混ざっていたのは彼の分だけ。遅効性ならって思ったけど、尚樹君の前で彼が死んじゃったのを知ってから、心のどこかで覚悟していたわ」

「……ごめん」

 俺が謝ると、真由子は目を丸くした。

「何で尚樹君が謝るの?」

「気付けなかったから。結局、誠のときと同じだ」

 俺の言葉を聞いて、陽平が言った。

「尚樹だけじゃない。僕も……。何が出来たかわからないけど、こうなる前に気付くべきだった」

「でも、警察が来る前にこうして言ってくれてよかった。悪あがきしなくてすんだよ」

 真由子は憑き物が落ちたかのように、力なく笑っていた。


 それから俺達は真由子の自首のため、警察署まで付き添った。真由子が警察署の中へ入っていく。見送ると、自然と我慢していたものがこみ上げてくる。

「尚樹……」

 俺の様子に気付いたのか、陽平が肩に手を置いた。しかし、俺の名を呟いた陽平の声は震えていた。

 家に帰って一人になると、目の奥が熱くなってきた。今夜は眠れそうになかった。


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