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天国の家  作者: せいじ
5/18

第五話   日常

 誰かが呼んでいる。


 誰かが私を呼んでいる。


 私の名前を呼んでいる。


 あなたは、誰?


「む~ん」

 最近、変な夢を見ているような気がするけど、なんだったんだろう?覚えていないなあ。

「早くいかないと!」

 そんなことを考えている場合ではない。真希が待っている。朝ごはんを待っている。

 私を待っているよね?待ってくれているよね?でも、待っていないと、ちょっと泣くかも。

「いってきま~す」

 誰も居ない部屋に向かって挨拶をすると、そこに真希が居るような気がした。

「う~ん、幻覚かなあ」

 やばいなあと思いつつ、玄関の外に出ると人影があって、私はびっくりした。

「おはようございます。加奈子さん」

「へ?真希?何で?」

「まだ時間があるので、お迎えに来ました。ああ、荷物持ちますよ」

 なんというか、すっかり懐かれたようだ。でも、わざわざ迎えに来てくれるなんて、ホント、いい子だと思うよ。おまけにさ、その笑顔がまぶしいよ。遠藤さんに負けないよ、君。

 私は思わず、嬉しくなって真希の頭を撫でてしまった。真希は大人しく、私にされるがままだった。

「ああ、ならうちでごはん食べる?お味噌汁ぐらいなら、温かいの用意出来るよ」

 なんだろう、もじもじしている。おトイレかしら?もしかして、頭を撫ですぎたかな?いかんいかん、やり過ぎると嫌われるぞ。気を付けよう。相手は子供だけど、ひとりの人間なんだから。

「・・・・はい」

 なんだろう、その間は?怯えては、いないよね?

「じゃあ、時間あんまりないけど、早く食べよう」

「はい!」

 おお、元気で良かった。感情の起伏が激しいのかな?お年頃だもんね。

「じゃあ、中に入って、入って」

 真希を家の中に招き入れ、インスタントの味噌汁を用意することにした。手抜きかですって?だって、だって、時間無いんだもん。本格的な奴は、時間に余裕がある時だと思うよ。それに、こういう便利なモノは、最大限活用しないとね。

「はい、真希。熱いから気を付けてね」

「はい!」

 お味噌汁を手渡すときのこの感じ。なんだろう、満たされる感じがする。母性本能かしら?

「いただきます!」

「はい、召し上がれ」

 おにぎりを頬張り、みそ汁をすする少年の姿を見ることが出来るなんて、やっぱり私は幸せなんだろう。ひとりだと、こうはいかないと思うよ。食卓で向かい合うのって、やっぱりいいと思う。

 でも、普段の真希にこんな時間はあるのだろうか?残り物って、それってもう、家族の食事は終わっているって、そういうことだよね。

 それってさ、ひとりでごはんを食べているってことだよね?

 真希がひとりで残り物を食べている姿を想像すると、ちょっとじゃない、かなり悲しくなる。

 そんなことを考えていたら、段々、胸が苦しくなってた。ダメダメ、今は朝ごはんに集中。

 気を取り直して真希の顔を改めて見ると、ほっぺにご飯粒が付いていることに気が付いた。あらあらと思った。少し、ほっこりしてしまった。

「あ!」

 真希のほっぺに付いたご飯粒を取り、自分の口に入れた。一度でいいから、やってみたかったんだよ。実際、やってみると意外に自然に出来てしまった。ちょっと、恥ずかしいかも。でも、真希も恥ずかしそうにしているし、もじもじしてる。その姿を見ていたら、なんだか私まで、恥ずかしくなってきたよ。

 ふたりして、何をやっている?いいじゃん、これぐらいさ。これぐらいのことなんだからさ。

「うん、どうしたの?」

 今度は真希は、私の顔をジ~と見ている。もしかして、私の顔にもご飯粒が付いているのかな?やだ、取って取って。すみません、きもいですよね。自分でやっておいてなんですが、ちょっと鳥肌が立った。一応、自分の顔に何か付いていないか確認しておこう。

「いえ、何だか幸せだなあと思っただけです」

「そう?それなら良かった。それで、昨日は大丈夫だった?」

「はい、いつも通りです。何もありません」

 何も無い、いつも通りって。真希の場合、それって普通じゃないよね?それとも、それが椎名家では普通なのかな?

「そう、それなら良かった」

 なんとなく、この空気を壊したくないような気がしたので、適当に流してしまった。真希も私も、朝は時間が無いし。

「ほら、また付いてる」

「だ、だいじょう・・・平気です」

 恥ずかしいのかな?男の子だもんね。でも、いつまでも見ていたいなあ。

「・・・さん、・・なこさん・・・加奈子さん」

「へ?」

「食べ終わりましたけど」

 いかん、意識が飛んでいたようだ。

「ゴ、ゴメン、ゴメン。さあ、学校行こう。すぐ行こう」

「はい!」

「行ってきま~す」

「行ってきます!」

 世間から見たら、私と真希はどう映るのだろうか?姉弟?親子?親類?ふと、私はまずいことをしているのではないかと考えていたら、真希が私の顔を覗き込んできた。

「うん、何?」

 ちょっと、ドキッとした。この子って、本当にキレイな目をしているなあと思うけど、その分とても刺激が強いと思う。純粋さは、時として毒であるって、誰か言ってなかったっけ?

「大丈夫ですか?」

 ええっと、大丈夫じゃないかな。目が泳ぎそうになるのを、必死に止めた。止まったよね?

 私を見上げてくる真希の顔を見るだけで、それだけで私は癒されるんですけど。でも、真希はどうかな?変な顔とか、思ってないよね?とりあえず、心の動揺は隠そう。私は大人だから。

「大丈夫だよ」

「加奈子さん」

 何だろう、改まって。

「僕の前では、嘘は言わないでください。辛いなら辛い、嫌なら嫌と言ってください」

 え?何?私、小学生に心配かけているの?大人としてダメでしょう。心配無用だよ。課長から、セクハラされてないし。いや、今は関係無いか。

「うんうん、大丈夫だよ」

「大丈夫禁止です。加奈子さんが、僕と約束したんですよ」

 そんな約束したっけ?ああ、したなあ。そうか、約束は一方通行ではないのか。私にもかかるものなのか。

「うん、分かったよ。でも、本当にだい・・・・・ええっと、うん、安心して」

 大丈夫って、結構便利なワードだった。いかん、禁句にしてしまった。自分で自分を追い詰めてどうする。それでなくても、私はこの子に言い負かされてるのに。

「大人はね、色々と考えないといけないからね。ゴメンね、心配させちゃって」

「子供も色んなことを考えます」

「ふ~ん、例えば?」

「ええっと、早く背が伸びないかなとか、早く大人になれないかなとかです」

 かわいいなあ、と真面目に答えないと。でもそれは、時間が解決してくれると思うよ。とは言え、子供にとっての1年は大人の10年に等しいって、誰かが言ってたっけ?でも、未来を見るのは子供の権利だから。大人は、未来よりも足もとを見ないと転んでしまうから。転んだら、子供と違って立ち直れないから。誰も、手を差し伸べてくれないから。時々、蹴りを入れてくる奴もいるし。

 だから、今は子供のままでいいんだよ。

 そう言いたかったけど、私はありきたりな返事しか出来なかった。私は、立派な人間じゃないから。本当なら、もっといい言葉を真希にあげたかったんだけど。 

「そう、早く願いが叶うといいね」

「僕、そうしたら加奈子さんに恩返しがしたいです」

 え?そんなことを考えていたの?そうか、何だろう、嬉しいなあ。私の為に、大人になるってことでしょう。

 いやいや、それはダメでしょう。自分の為に大人にならないと。

「今はいいよ。将来、大人になったら何かしてもらうから」

 真希は俯き、黙り込んでしまった。あれ?何かまずいことでも言ったかな?難しいな、子供の心って。

「ほら、真希はまだ小学生なんだから、自分のことを最優先して。私もその方が、嬉しいんだよ」

 これはホント。真希が笑ってる顔が見たい。真希が嬉しそうにしていると、私もなんだか嬉しくなる。ポカポカしてくる。それは、とても素敵な贈り物だと思う。と思っていたら、真希は泣きそうな顔をしている。

 あれ、気のせいかな?う~ん、錯覚だったかも。やばいなあ。そろそろ、眼鏡が必要かな。

「さあ、学校急ごう!」

「はい!」

 元気いっぱいに、真希は駆け出す。出遅れた私には、真希に付いて行くのはちょっと無理かも。足元はヒールだし。そもそも、ふだん運動してないし。

「先に行ってていいよ。でも、車に気を付けるんだよ。転ばないようにね」

 これが精一杯だ。真希に付いていくには、運動しないとダメかも。まだ、30前なのに。というか、真希は足が速い。あの速さなら、悪い奴からも逃げきれるだろう。

 何でここで、悪い奴なんて連想したんだろう?

 悪い奴って?

 誰のこと?

 真希が逃げないといけない状況って、いったいなんだろうか?

 

 そんなことを考えながら、私も会社に向かうことにした。一応、足早に。


 今日も可もなく不可もなく、課長にセクハラされることもなく、遠藤さんに癒される1日でした。

 というか、その遠藤さんから呑みにいきませんかと誘われたけど、断ってしまった。お腹を空かせている子供が、私の帰りを待ってるんだよ。決して男ではないが、男の子です、はい。

 遠藤さんに言えないけど。

 ダメじゃん、私。遠藤さん、ゴメン!

「そういえば、明日どうするんだろう」

 今日は金曜日だとすると、明日は土曜日だ。となると、真希はどうするんだろう。

「あれ?土曜日って、学校お休みかな?」

 考え事をしていたら、降りるバス停に着いてしまった。何だろう、ワープした気分だ。

 酔ってうっかり寝過ごしてしまい、気が付いたら終着駅についた時の、あの不思議な感覚だ。今までどうやって、ここまで来たのだろうか?どうやって、帰ればいいんだろうかなんて、茫然としているあの感覚に近いかも。

 ていうかさ、終電てさ、もう少し手前までの駅でもいいんじゃないかな?山奥の駅で降ろされた時は、心底ビビったよ。私はひとりだからさ、迎えに来てよなんて言う相手もいないしさ。

 はい、酔っぱらう自分が悪いですね。鉄道会社は悪くありません。

 そんな独り言を、ぶつぶつつぶやきながらバスから降りたら、いきなり声を掛けられた。

「お帰りなさい、加奈子さん」

「うわ!」

 び、び、び、びっくりした。真希だった。一瞬、誰かと思ったよ。だいたい、街中で私に声を掛ける奴ってさ、何かを売りつけようとする奴ぐらいだからね。

 落ち着いてこうして見ると、真希はただのかわいい小学生だ。バス停の影にいたので、ちょっと気が付かなかった。いやあ、マジでどきどきしているよ。でも何だろう、ワクワクしているかも。

「た、ただいま。もしかして、私のこと、ずっと待ってたの?」

「ちょっとです。平気です」

 はにかむ真希の笑顔を見たら、私は思わず、真希の頭をなでてしまった。抱きしめたくなる気持ちを抑えて。いや、いつかやりそうだけど。ええっと、やってもいいですか?ダメ?

「あ」

 真希は何か言おうとしていたが、結局は私にされるがままだった。まあ、いつまでも頭をなでている訳にはいかないけど。

 真希の頭から手を放すとき、彼はちょっと残念そうな顔をした。したよね?ホッとしてないよね?やっと終わったか、なんて思ってないよね?

 はい、すみません。今後は、しつこくしません。約束出来ないけど。だってだって、気持ちが昂る時ってさ、いつも急なんだもん。気が付いたらさ、思わずなでてたんだよ。

 はい、反省します。自制します。

 そんな私を、真希はただ見つめていた。

 ええっと、そんなに私を見ないでくれるかな?変な生き物では、ないと思うよ。多分だけど。

「行こうか」

 気を取り直して、私は真希と一緒に歩き出すことにした。いつまでも、バス停の前にいる訳にも行かないしね。なんだか、気まずいし。

「はい!」

 行こうと言ったけど、さて、どうしたものか?

「ねえ、真希。何か食べたいモノある?」

「何でもいいです。食べていいモノなら」

 この場合、何でもいいに突っ込みを入れるべきか、食べていいモノに突っ込みを入れるべきか。悩ましいなあ。というか、それって小学生の言葉かい?どんな教育をしているんだ?親の顔が見たい。見たいけど、今は見ることが出来ない。今の私は、真希にとって何者でもないから。

 だからいつか、絶対に親の顔を見てやる。それまでは、真希を温めてあげよう。焦っちゃ、ダメだから。この子の為にも。

 真希とふたりで歩きながら、私はふと思った。今日は寒いなあと思っていたけど、よく見ると真希は薄着だった。小学生らしい恰好だけど、私には寒そうに見える。そんな恰好で、よく平気だなあ。子供は、大人よりも体温が高いからかな?そういやあ、真希と一緒のお布団にくるまれた時は、本当に温かかったなあ。あの温もりって、癖になりそう。また、お願いしようかな?いえ、嘘ですからね。本気にしないでください。彼は、湯たんぽ代わりではありませんので。

 私はとりあえず、自分の身に着けているマフラーを外して、真希の首にぐるぐるに巻いてあげた。真希は動かずに、私のことを静かに見つめていた。顔が、赤かった。

 寒かったよね。気が付かなくて、ゴメンね。

 寒さのせいか、彼は、ちょっと涙ぐんでいた。

「どうしたの?」

「いえ、なんでもありません」

 そうか、そんなに寒かったのか。気が付かない私って、ホントダメだな。だったら。

「寒いから、おでんにしよっか?」

「はい!」

 おお!喜んでいる。とは言え、コンビニでおでんを買うぐらいなので、そんなに喜ばれてもなあ。今度、ちゃんとしたの用意しよう。いえ、コンビニおでんも美味しいですよ。いいおつまみにもなるし、おダシは美味しいし。

「コンビニに寄るよ」

「はい!」


 コンビニに入ると、真希が真っ先に向かったのが、お菓子コーナーだった。子供らしくて、かわいいと思う。私ならどこへ向かうかなんて、野暮は聞きっこなしだよ。

「何でもいいよ、選んで」

 お菓子を物色している真希に、声を掛けた。ただ、見ているだけなんて、つまらないしね。

「え?いえ、何でもありません」

 う~ん、この子は。お菓子が欲しいんでしょう?買うか買わないかは、その次の話だと思うよ。でも買って、買ってと言われたら、ちょっと動揺するかも。

 でもさ、それが子供の特権だと思うよ。大人でそれをやったら、やばい奴だと思われるからね。第一、大人なら自分で買えるしね。だから、今は我儘言いな。私に我儘を言って欲しい。だって、私にはそれぐらいしか出来ないから。

「選んでくれないと、私も困るなあ。ねえ、選んで。好きなのなんでもいいから」

 真希の顔が、パーと明るくなる。いや、まぶしいんですけど。

「あのあの、これいいですか?」

 真希が選んだのは、ラングドシャというお菓子だった。へえ~、おしゃれだ。こんなお菓子が、コンビニにあるんだ。

「いいよ、好きなの?」

「はい、お母さんが・・・・・好きだったお菓子です」

 ん?何その間は?だったて、何?今は違うのかな?

 う~ん、そこに何かありそう気がするけど。今は、おでんだ。

「そう、お母さんが好きなのか。いいよ、それもカゴに入れな。あと、おでんを選ぼう」

 レジの奥にあるおでん鍋を、真希はジ~と見ている。湯気が立っていて、実に美味しそうだ。

 あのおでん鍋を、何度買おうと思った事か。その度に、使うことも無くクローゼットの奥にしまうことになるだろうと、自らを戒めました。私は大人だからね。いや、大人だからやってしまうのか。

 おでん鍋を見ていたら、ビールが呑みたくなるなあ。熱燗もいいかも。いや、今は禁酒だ。子供の前で、お酒はいかんだろう。そういえば、なんでダメなんだろう?

「どれにする?なんでもいいよ。いくつでも」

「じゃあ、これとこれとこれがいいです」

 真希はレジの人におでん種をお願いし、あとは私が適当に見つくろって、会計してコンビニを後にした。何も無い一日って、最高だなあと思う。いや、そもそも真希が私の横に居る段階で、本当ならおかしいだろう。でも、感覚がマヒしてきていることに、ちょっと戸惑う。真希が横に居ることが、どうも私の生活の一部になっているし。

 これを私にとっての当たり前にしてはいけないと思うけど、そもそも真希の環境が当たり前ではない。


 どっちも、当たり前ではないんだよな。

 

「ねえ、真希。明日は学校お休み?」

「いえ、午前中ですけど学校はあります」

 おでんをはみはみしながら、真希はきちんと答えてくれた。

 手で口を押さえながら何て、お行儀いいね。待てよ、口の中に食べ物を入れたまま喋るのって、どうだったっけ?

「土曜日なのに、学校あるんだ?」

「はい、あります」

 なら、大事なことを聞かないと。ちょっと、どきどきしてきた。

「給食はあるの?」

「ありません、お昼前に学校は終わりますので」

「へ、へえ~、そう」

 やっぱり、土曜日は給食無しか?じゃあ、ごはんはどうするんだ?

「お昼ごはんは、どうしてるの?」

 真希は、固まってしまった。ああ、やっぱりそうか。

 でもまさか、本当にお昼ごはんも無いのか?それとも、また残り物なのか?

 一体、椎名家はどうなっている?一度、確認しに行かなくては。でも、私は何者だろう?ご近所さん?真希の友達?真希の、真希の何?

 どうやっても、ふたりの関係に名前を付けられない。

 名前を付けることが出来ないから、私はどこかに後ろめたさを感じているのだろうか?

 覚悟を決めることが、出来ないのだろうか?でも、何の覚悟だろうか?おかしいことはおかしいで、いいんじゃないのか?それとも、言い訳が欲しいだけなのか?いや、それも違う気がする。

 ふたりの関係が何なのか、それが分からないから名前を付けられないのだろう。

 言葉って、本当に大事だ。

「あのあの、でも何か貰えたりします。だから、だから、心配しないでください。僕は、僕は・・・平気です」

 平気禁止!と心の中でつぶやいた。でも、それじゃないんだ。じゃあ、何?真希は何を望んでいるの?私にどうして欲しいの?それが分からないから、私と真希の関係があやふやなんだろう。あやふやだからこそ、真希は大丈夫と言い、次に平気と言って私を誤魔化す。いや、自分を誤魔化しているのだろう。

 大丈夫の代わりが、今度は平気か。何度も念を押すなんて、いったい何だろう、この子のこの感覚は。頭がいいというか、我慢強いとか、そういうんじゃないよね?私に気遣ってくれているんだよね。でもさ、それはかえって、私は傷つくよ。

 それでも、これが真希の生き方なんだろう。そうだとしても、私は真希のその生き方を受け入れるべきではないし、受け入れたくない。受け入れては、いけないと思う。

 だからこそ、私はそれを変えていかないといけない。ほんの少しであっても。だって、おかしいんだもん。これを個性って、呼べるの?私は、そうは思わない。

「学校終わったら、まっすぐうちに来なさい。何か用意するから」

 真希の顔が、パア~と明るくなった。いや、だからまぶしいんですけど。でも、素直で嬉しいと思うよ。遠慮された方が、私は嫌だと思うから。子供が我慢していると思うと、私は悲しくなるから。

 それもさ、辛い顔ではなく、平気そうな顔でやられたらね。

「いい、お腹が空いたら、私に言いなさい。何か食べさせてあげるから。私の前では、我慢しないで」

「でも」

「でも、じゃない」

 また、俯いた。お説教するつもりはないけど、子供が我慢する必要は無いはず。大人こそ、我慢すべきだと思う。

「さあ、食べたら早くおうちにお帰り。ああ、お菓子持って帰りなさいね」

「はい」

 なんだか、胸がチクチクする。一体、私に何が出来るのだろうか?そもそも、真希の保護者は何をしている。私は、何をしている。私は、何がしたいのだろうか?

 真希に喜んで欲しい。真希に笑っていて欲しい。真希に幸せになって欲しい。これだけは間違いないけど、なら私はどうしたらいいんだろうか。真希に、何をしてやれるだろうか?

「あのあの、いつもありがとうございます」

 考え事をしていたら、彼は私に話しかけてきていた。どうも、意識が飛んでいたようだ。でも私は、真希に何も出来ない。お礼を言われるようなことは、何もしていないし出来ていない。問題は、何も解決していないからだ。それは、真希のせいではない。大人の側の問題だと思うし、大人が解決しないといけないと思う。

 真希に背負わせては、いけないと心から思う。

 こんなことを、子供に考えさせてはいけないと思うから。

「ごめんね、こんなことしか出来なくて」

 私は、ぽつりとつぶやいてしまう。なんだろう、この言い知れない無力感と何とも言えない罪悪感は。急に、お酒が呑みたくなった。いや、今はそれどころではない。それどころではないけど、それしかないのも事実なんだ。だから、大人はお酒に逃げるのかな?そうだとしても、それしかないとしても、それはダメだと思う。だってさ、子供には逃げ場は無いのに、大人が真っ先に逃げてどうする?

「いいえ、加奈子さんは、加奈子さんは、加奈子さんは・・・・」

 何だろう、最後の方はボソボソとつぶやいたので、私には聞き取れなかった。加奈子さんは、なに?何て言ったの?私に何を伝えたいの?

 おしえて?あなたのきもちを。

 ほんとうのこころを。

「うん?真希、何?」

「いいえ、何でもありません。お菓子ありがとうございました。じゃあ、お休みなさい」

「はい、お休みなさい。でも、そこまで送るよ。あ!マフラーも持っていきなさい。外は寒いから」

「マフラーは、走るのに邪魔になるので要りません。僕はこのまま走って帰りますので、平気です。加奈子さんは、追いつけないと思いますので」

 いや、がっくりきた。走る小学生、追うアラサー女子。絵柄的にやばい光景だろう。どう考えても、逃げる子供を追い回す不審者にしか見えないだろう。ネットに書き込まれそうだ。自治体から、不審者情報メールが来たら、軽く死ぬかも。

「うん、でも何かあったら、必ずうちに来るんだよ。不審者に気を付けるんだよ」

 私以外の不審者とは、あえて言わなかった。冗談です。 

「はい!」

 真希の姿が見えなくなるまで、玄関前から見送った。

 冷たい風が吹く中、走り出した真希は、一度も振り返らなかった。まるで彼が、風になったような気がする。風と一緒に遠ざかる真希の後ろ姿を、いつまでも見ていたいと思った。でも、すぐに見えなくなった。私はそれでも、真希の走り去った後の道を、ただ見つめていた。何も無い道を、街路灯が照らす道に、まるで何かあるように見つめ続けた。

 残像が、見えた気がする。

 真希の首に巻いてあげるはずだった、マフラーが私の手に残っていた。

 真希に渡すはずだった、そのマフラーをしばらく見つめていた。


「寒っ!熱燗にしよっかな。おでんの残りと一緒に」

 まだ11月だというのに、この寒さ。真希はこんな季節なのに、公園なんかで野宿出来ると思っていたのだろうか?真希の保護者は、小学生をこの寒空に放り出して、何とも思わないのだろうか?

 何とも思わなかった、のか?思えなかったのか?どうでもいいと思ったのか?本当に?どうして?

 考えがぐるぐる巡る。ダメだ、お酒を呑もう。

 貰い物の日本酒を燗にして、ちびちび呑んだ。

 なんだろう、お酒が苦く感じる。美味しくない。いいお酒のはずなのに。それでも酔いは、しっかりと回ってくる。やっぱり、お酒は毒だ。

「ダメだ。悪酔いしそうだ。お風呂に入ろう」

 温かいお湯に浸かり、蒸らしたタオルを目にかぶせた。どうしても、リラックス出来ない。真希を引き留めれば良かったと、そう思う自分がいる。でも、それは本当に真希の為なのか?自分が寂しいだけじゃないのか?それは、エゴではないのか?何も出来ない癖にと、自分を責めてしまいそうだ。

 私は独り言のように、そこに誰かが居るように、誰も居ないかのようにつぶやいた。

「真希、大丈夫かな?真希をお風呂に入れてあげれば良かったのかな?また、真希の髪の毛を乾かしてあげれば、良かったのかな?真希・・・」

 急にドアフォンが鳴った。何だ?

 私は慌ててお風呂からあがり、バスタオルで身体を拭きながらドアフォンの前まで急いだ。

「いったい、こんな時間に誰だよ。ったく」

 ドアフォンに映った画像を見て、私は心から驚いた。

 そこには、真希の姿が映っていたからだ。

「え?何で?どうして?えええええ!?待って、待って!ちょっと、待ってよ!今行くから!!!」

 私は急いで玄関に向かい、すぐにドアを開けた。冷たい空気が、部屋の中に勢いよく流れ込んできた。

 そんな冷たい空気の中、真希が静かにたたずんでいた。私は、幻を見ているようだった。まるで、真希が妖精か何かのように見えた。現実ではない、そんな存在に見えた。私はつい、見とれてしまった。でも、すぐに現実に引き戻される。何故か、真希が顔をそむけたからだ。

 え?何?何で?傷つくんですけど。お化粧していないから?ああ、別人に見えたのかな?こんな私でゴメン!スキンケアに励まないと。いや、やっぱりエステかな?でもさ、人は見た目ではないと思うよ。人は、中身だよ。

 ええっと、その中身が致命的な場合、私はどうしたらいいんだろうか?

 そうドギマギしていたら、顔をそむけていた真希が、意外な真実を私に突き付けてきた。

「加奈子さん。何か着てください」

「へ?うわああ、裸だった。ゴメン。お風呂に入っていたんだよ。というより、早く中に入って、入って。外は寒いでしょうから」

 私はバスタオルで身体を隠そうとするが、何故か手に持っていなかった。タオルはどこへ行った?

 私は玄関に置いてあったマフラーで胸を隠しながら、とりあえず真希を家の中に招き入れた。愛想笑いで誤魔化そうとしている私だけど、真希にはどう映ったのだろうか?・・・ただのバカ?

 私は手に持っているはずの、行方不明のバスタオルを探した。

「ドアフォンの前に落ちている。何で?」

 落ちていたバスタオルを拾い、身体を覆いながら頭をひねる。いつ、タオルを落としたんだろうか?廊下も濡れていたし。何をやってるんだ、私は。

 真希は呆れているのか茫然としているのか、廊下に突っ立っていた。とにかく椅子に座って待つように言ってから、私は脱衣所に戻った。

 急いで身体を拭き、部屋着に着替える。スキンケアは後回しだ。お化粧は、もう今さらだ。

 でもまあ、ホント、酔っぱらいは困る。自分で自分に説教したくなる。服ぐらい着ろよ、この酔っぱらいが。いい大人が、何をやっている?おっさんか、お前は。私がいつも、部屋の中を裸でうろうろしていると、真希がそう思うじゃないか。恥ずかしい。死にたい。間違いなく、真希に呆れられたに違いない。幻滅したに違いない。これが大人の女の正体だって。でもさ、一刻も早く真希を家の中に入れてあげないといけないって、そう思ったんだよ。外は寒いしさ。はい、言い訳です。みっともなくてすみませんでした。玄関を開ける前に、服ぐらいは着ましょうね。礼儀は大事です。礼儀はまず、身だしなみから。社会人としての、常識です。

 そう思うと、益々恥ずかしくなる。

 ぐわあああああ!顔から火が噴き出そうだ。壁に頭突きをしたくなる衝動を、必死にこらえた。そんなことをしたら、ご近所迷惑だし、真希もびっくりするだろうから。

 努めて冷静に、あくまでも大人の余裕を見せないと。そうは言っても心の中は、全力でここから逃げ出したい気分だよ。ああでも、すぐに真希に追いつかれるかな?逃げるアラサー女子と、それを追いかける小学生。

 市民の皆さん、どっちの味方をしますか?え?聞くまでも無いって?分かってますよ。

 落ち着こう、今は真希だ。真希優先!

「どうしたの?寒かったでしょう」

 改めて真希の顔をよく見たら、そんなアホな考えはすぐに吹っ飛んでしまった。

 焦燥とした表情に冷え切った身体。明らかに真希の状態は、普通の状態ではなかった。私は焦った。

 私は真希の身体に、頬に手を当てる。冷たい。本当に冷たい。冷たくなった頬が、冷えきった身体が痛々しい。胸が痛くなる。本当に胸が痛い。抱きしめてあげたい、温めてあげたい。そんな衝動を私は抑えた。今はそれどころではない。

「・・・・・・」

 ええっと、何で無言なの?そんなに私の裸がショックだった?トラウマになったら、どうしよう?何なら、責任取るよ?婿に来る?すみません、冗談です。そんなことを言ってる場合か。このバカ!

 というか、この空気に私は耐えられないんですけど。お願いだから、何か言ってよ。

「家に入れませんでした」

「え?何で?」

 私は真希と話しをしながら、真希の冷え切った手を、さすって温めていた。指先が、本当に氷のようだったから。すごく、胸が痛くなる。泣きたいぐらい、切なくなる。でも、泣いてはダメだ。辛いのは私ではなく、真希の方だから。

「鍵がかかっていて、ドアを叩いても入れてくれません」

「まさか、帰れないの?」

「分かりません。でも、公園は寒いので、どうしたらいいのか分かりません。加奈子さんから貰ったお菓子で、なんとかなると思ったけど」

 また、公園で野宿する気だったのか?だいたい、その為に買ってあげたお菓子ではない。

 でも、何で、どうして?頭が真っ白になりそうだけど、それは今の私には許されない。今ここには、私しか居ないんだから。真希には、私だけなんだから。唯一の大人なんだから。

 しっかりしろ、私!

「真希、そんなときはうちに来なさいって、私は言ったよね?」

「でも、加奈子さんにこれ以上は迷惑を掛けたくありません。自分で出来ることは、自分でやらないと、大人にはなれません」

 何それ?自己責任論?それって、ただの責任放棄じゃん。大人になるって、そういうことじゃないと思う。弱い立場の人を守れなくて、何で責任なんて言える。言える訳はない!

 真希に責任があって、たまるか!

「ごめんなさい。本当は、来るつもりはなかったんです」

 どうする?今から真希の家に乗り込んで行って、どういうつもりか家の人に問い糺すか?いや、そもそもあんた誰って言われるか。もしかしたら、警察を呼ばれるかもしれない。でも、順番を間違えてはいけない。今の最優先は、真希の安全と安心だから。今、目の前に居るのは真希であり、真希の家の人ではない。今の真希に、今すぐ必要なことをしないと。それが、大人の判断だし、責任だと思う。理想論はもちろん、現実論もそれからだと思う。

 揉めるのは、それからだ。

「じゃあ、とにかく今夜はうちに泊まりなさい。お風呂も沸いてるから、冷えた身体を温めなさい」

「すみっこでいいんです。そんな迷惑を掛けれません」

 またか。いい加減にしろ。正直、怒鳴り付けたい気持ちだが、でもこれは真希のせいではない。怒鳴るべき対象を、間違えてはいけない。真希は被害者だ。

 私は少しかがみ、真希の頬を両手でしっかりと挟んだ。少し涙ぐんでいる真希の顔に、私の息が触れるぐらいまで近づき、まっすぐ真希の顔を見つめた。

 もう、誤魔化さなくていい。私も誤魔化さない。

 真希は、悪くないから。

「いい、真希。私はそんなことを望んじゃいないよ。真希にはあったかくしていて欲しい。真希にはお腹いっぱいになって欲しい。これって、私の我儘だと思う?」

「いいえ、いいえ、加奈子さんは優しい。加奈子さんはいい人です」

「そう、いい人なんだよ、私は。だから、真希を泊めるし、ごはんもあげる。お布団にも入れてあげる。でもね、それは誰にでもじゃない、真希にだけだよ」

 何で私は、わざわざそんな言葉を付け加えたのだろうか?でも、今はそんなことを考えている場合ではない。そんな時間も余裕も、この世界のどこにもない。あるなら、本当にあるというのなら、真希に与えて欲しい。無ければ、私が与えてあげないといけない。それが、私の義務だと思うから。

 とりあえず、真希の冷えた身体を温めないといけない。それが、今の最優先のはずだから。幸い、お風呂は私が入った後だから、お湯も浴室も温まっている。

 真希の心も温めることが出来たら、どんなにいいことか。ホント、私はダメな大人だ。

「ほら、お風呂に入りな。よく温まるんだよ」

 真希は黙って、浴室に向かった。本当に悲しそうだ。それもそうだろう、家に入れない、帰れなかった。それはとても、悲しいことに違いない。泣くのも、当然だろう。

 でも、泣かせた方が悪い。泣くような状況を作った、真希の親御さんがいけないと私は思う。

 仮に、どんな理由や事情があったとしても。

「私に出来ることは、本当に何も無いのか?」

 とにかく、今はこの部屋を暖かくしてやろう。真希の服を洗濯して、ピカピカのほかほかにしてやろう。

 真希の身体と、出来れば心を温めてあげよう。

 今は、それしかない。それしか出来ない。

 それしか出来ないなら、それをすべきだと思う。

 私に出来ることを、精一杯してやろう。

 真希の日常を、私が作ってやろう。


 だがそれは、そんなに簡単な話では無かった。


 簡単な話なのに。


 ただ、真希が幸せになることが、どうしてこんなに難しいことなんだろうか?


 私は自問自答する。


 でも、答えを真希に求めてはいけない。


 子供に考えさせてはいけない。


 これは、大人の問題だから。


 大人が解決しないといけないから。


 それが、大人の証明だと思う。



 

 


 





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