第四話 約束
「おっはよ~!」
「あ!沢井さん!おはようございます!」
うん、今日もいい笑顔だ。力がみなぎるなあ。
「沢井さん、何かいいことありました?」
「うん?う~ん、特に無いかな」
「ふ~ん。もしかして、恋人が出来たとか?」
え?私、そんなに浮かれてる?いやいや、まあ、ホント、どうしたらいい?小学生と一緒にごはんを食べましたって、言えないでしょう。
「いない、いないって。そういう遠藤さんは、どうなの?」
「私ですか?・・・・居ないですよ、そんなの」
何だろう、その間はというか、影というか、そんなの、ですか?
「だって、面倒じゃないですか」
意外だ、あんなにお料理が出来るのに。もしかして、モテるオンナの余裕か?余裕なのか?
「そりゃあ、私だって素敵な恋人は欲しいですけど、いちいち連絡しないといけないし、友達と遊びに行こうものなら、どこへ行っただの、誰と会っただのって、いちいち面倒じゃないですか」
「ええっと、そんなことがあったの?」
「君は好きにしていいよとか言いながら、メールはすぐに返事しないと怒るし、お化粧とかお洋服とかまで、色々と言ってくるんですよ。お化粧が濃いとか、短いスカートは履くなとか。本当に面倒じゃないですか。どう思います、沢井さん?」
気持ち分からなくもないかな。遠藤さんカワイイし。え?どっちの気持ちが分かるのかって?さあ?
「まあまあ。でもまあ、そんな人だらけじゃないよ。いい人だって、きっと居るよ」
「私、クズは嫌いなんです!」
いや、カワイイからいいけど。遠藤さんのファンが聞いたら、どう思うだろう?いや、カワイイと思うかな?じゃあ、私がそんなことを言ったら、どうなんだろう・・・・・普通にアウトだろう。でも、遠藤さんの闇を垣間見たような気がする。人は見た目ではない、よね?
「見た目は良くても、中身がクズだと救いようがないですよね。そう思いませんか、沢井さん」
いや、私に同意を求められてもなあ。闇が深そうだし。でも、確かに人は見た目ではない。そう、見た目ではないはずだけど、遠藤さんを見てると、いややっぱり、人は見た目だと思う私が居る。
「ちょっといいかな?」
のそっと、課長が現われた。びっくりした。気持ち悪い。
「あとで、会議室に来てくれるかな?」
課長は遠藤さんの肩に手をやり、どこか馴れ馴れしくしていた。いや、これってセクハラでしょう?私の遠藤さんに何をする?
「は~い」とカワイク返事していたので、ぎりぎりセーフかもしれない。いいのか、それで?
「午後でいいですか?」
「ああ、それで構わない」
課長はチラッと私を見たが、何も言わなかった。正直、むっとした。でも、私も何も言わない。私は大人だから。本当は、課長と口を聞きたくないから、私を無視してくれてありがとうと思いましたよ。だって、気持ち悪いんですもの。
「では、また後で」
課長は颯爽と立ち去るが、本当に気持ち悪いと思った。
「なになに?何のお話?」
「ん~、お仕事と思いま~す♪」
本当かな?心配だ。課長は前科があるし。
「もし、セクハラめいたことをされたら、私に言いなさいね」
「は~い、その時はお願いします!頼りにしています!」
「うん、頼られた」
一生、頼ってと口に出しそうになったが、今は押しとどめることにした。セクハラになりそうだから。いや、同性ならアリかな?私なら、短いスカート履くななんて言わないよ。だって、遠藤さんに似合いそうだしね。
業務に特に問題もなく、遠藤さんも課長にセクハラをされた訳でもないようなので、定時に退社することにした。遠藤さんは私が守る!ついでに私も守って。はい、冗談です。本気にしないように。
「そうだ、帰りにスーパーに寄ろう」
なんとなく、思いついた。冷蔵庫を冷蔵庫らしくしよう。そう決意し、家の近くのスーパーへ行くことにした。なんとなく、真希のことを考えながら。
「混んでるなあ」
夜のせいか、スーツ姿の男女がちらほら見える。私もその一人だ。夫婦かカップルらしき輩も居る。なんだか、ちょっとうざいと思う。今夜は何にする~なんて、いちゃいちゃしやがって。何にするかなんて、考えてからここに来いよ。あ?いま、君にするとか言わなかったか?通報するぞ!だいたいさ、ここはスーパーだぞと思う私こそ、もしかしたらうざいかもしれない。落ち込むから、もうスルーしよう。
買い物かごを置いたカートをごろごろと押しながら、何を買おうか品定めをすることにした。
「う~ん、何にしようか?」
つまみコーナーは全力でスルーする。酒類コーナーも、スルーだ。後ろ髪引かれるなあ。
「とりあえず、冷凍食品はマストだろう。困った時の冷凍食品さまだからだ」
そうこうしているうちに、お米コーナーに入った。
「重いから5キロにしよう」
買い物かごに入らないので、お米はカートの下の部分に置いた。よっこいしょと、言わなかったかって?ああ、言いましたよ。それが何か?
「まあ、こんなものかな?」
レジで精算を済ませ、レジ袋に品物をせっせと詰める。うん、これなら主婦も出来そうだと思いつつ、レジ袋を持ち上げた瞬間、私は後悔した。
「お、重い」
カートで運んでいたせいか、重さまで考えなかった。やばいかも。こういう時、ひとりは辛い。そもそも、買い物に慣れていな自分が悪い。一人暮らしでこれなら、二人分ならなお大変だろうし。あ、でもさっきのカップルは、楽し気にレジ袋を提げているなあ。しかもさ、楽しそうにレジ袋を奪いあってるし。押し付け合っているよりは、まだいいのかな?
「やっぱ、ひとりでいいや」
やだなあ、負け惜しみするなんて。
ひ~ひ~言いながら、いつもの公園に差し掛かる。もはや、習慣のように公園内のあずまやを見ると、子供が居た。真希だ。
困った。これは本当に困った。真希の付き添いをする余裕が無いと思っていたら、真希の方からたったったと走ってきてくれた。気持ちが伝わったのかな?
「こんばんは。荷物いっぱいですね?お買い物ですか?」
「うん、こんばんは。そうだよ。真希はどうしたの?」
「宿題をやってます。あ、手伝います」
優しいなあ。と、甘えてはいけない。宿題が優先、子供の時間が最優先だと思うよ。お手伝いは、その後だよ。ありがたいけどさ。
「いいよ、いいよ。真希は宿題やらないと」
「大丈夫です、手伝います」
いや、君の大丈夫は大丈夫なんかじゃ、ないんじゃないのかな?そう思ったけど、こうも目をキラキラされると、私は抗えなかった。いや、抗うような余裕はない。猫の手も借りたい。真希の手も借りたい。すまん、情けない大人で。
「じゃ、こっち頼もうかな」
真希に軽い方の袋を渡そうとすると、スルーして重い方に手を掛けた。
「え?いやいや、そっちは重いって。ほら、こっちにしなよ」
「大丈夫です。持てます、持ちます」
う~ん、どうしよう。
「分かった。でも、重かったら言うんだよ。無理しちゃ、ダメだよ」
真希は私の顔をじーと見る。いや、そのまっすぐな瞳は私には毒なんですけど。
「はい!」
「ありがとね。じゃ、行こうか」
こうしてふたりは、家路に付くことになりましたとは、ならない。あってはいけないと思う。だって、真希が帰るべき家は、私の家ではないから。
でも、どうしていつも、真希はあの公園で勉強をしているんだろうか?そもそも、家に帰れないなんて、おかしくないか?しつけの一環としても、寒空に子供を外に放り出すか?寒稽古のつもりか?
「ねえ、真希」
「はい、なんですか?」
「もしかして、今日も帰れないなんてことはないよね」
真希は首を傾げ、何を言ってるんだろうこの人はという表情をした。あ、あれ?
ええっと、私はどうしたらいい?
「大丈夫です。今日は帰れます。何も言われてませんから」
何も言われてないって、なんだか微妙な表現だ。普段、家ではどんな会話をしてるんだろうか?
「そう、それなら良かった。なら、晩御飯用意してくれてるのかな?おうちの人が」
以前、真希は微妙な言い方をしたので、おうちの人と表現を変えたら、意外な返事がきた。
「はい、お母さんが用意していると思います」
うん?なんだ?用意していると思うって?それって、用意していないこともあるのか?というか、お母さん居るじゃん。ホッとするような、残念なような。自分の感情の動きに、ちょっとびっくりする。何だろう、この気持ちは。でも、この気持ちは手に余りそうな気がする。いやいや、今は自分のことではない。子供が最優先!真希優先!
「ごはん用意していない時もあるの?」
私は、肝腎なことを聞くことにした。曖昧にしてはいけない。
その問いに真希は、どこか弱々しくなってしまい、俯いてしまった。何だろう、聞いてはいけなかったのかな?でも、聞かないといけない。必ず、真希に答えて貰わないといけない。私はそう思う。スルーしていい話じゃないと思う。
「じゃあ、いつもごはんはどうしているの?」
「残ったら、もらいます」
残ったらって、残り物ってことか?つまり、家族の食べ残しか?残らなかったら、どうなる?いや、残る残らないの話しではない。用意してるか、してないかの話しだろう。
「真希の分は無いの?」
傷つくような聞き方になったけど、言葉でいくら誤魔化してもごはんは出てこない。言葉で、お腹がいっぱいになることはないと思うから。
人はパンのみって言うけどさ、まずはパンでしょう?ごはんでしょう?そういう理屈ってさ、お腹いっぱいになってからじゃないのかな?
それでも真希は俯くだけで、答えを教えてくれない。それでも、あえて聞かないといけない。これが、結果として真希を更に傷つけることだとしても。
だって、ごはんは大事だと思うから。ごはんは、命だと思うから。真希は育ち盛りなんでしょう?食べ盛りでしょう?今一番、大事な時期じゃん。身長だって、まだ私の肩ぐらいだし。何も食べずに、大きくなれる訳じゃない。だからこそ、子供のうちはきちんとごはんを食べないといけないと思う。食べさせないと、いけないと心から思う。そうじゃないの?
「教えて。真希はいつも、ごはんはどうしているの?お願い、教えて?」
真希はためらいながらも、ぽつぽつと話してくれた。
「お母さんと弟と妹と、たまに帰ってくるお父さんが食べ終わって、残ったごはんを頂きます」
「残ったって、それじゃあ、それじゃあ」
あ、そうだったのか?ピザを一緒に食べた時のあの、残り物ってそういうことか。家族が食べ残したモノ以外は、食べてはいけないのか?それが真希の家の、椎名家のルールか?
おかしいだろう。そんなのあっていいはずはないけど、他所の家のことに、他人である私がどこまで口を出していいのだろうか?それぞれの家庭には、それぞれ何か事情はあると思うけど。いやいや、これは違うだろう。仮に事情があったとしても、これは間違っているだろう。子供には、関係ないだろう。
子供には、どうしようもないだろう。
「大丈夫です。僕は本当に大丈夫です」
考えていたら、また、何度も大丈夫と私に伝えようとする。つまり、大丈夫ではないということだ。それは、諦めの言葉だ。真希が、納得しているかどうかではない。大丈夫にしろという、ただの押しつけだ。大人の都合だ。
だから、大丈夫な訳あるか!
諦めていいはずはない。こんなこと、あってはならない。あっていいはずはない。
でも、私は?私は真希の何なの?ダメだ、答えが見つからない。
でも、しなければならないことは、ひとつだけある。
「ねえ、真希」
「はい」
「私の前だけは、私の前だけでいいから、その大丈夫は言わないで」
「え?でも、本当に大丈夫なんです」
努めて明るく振舞う真希だが、これは本心ではないはず。本心であってはいけない。本心にしてはいけない。だって、命に関わることだから。子供には、どうしようも出来ないから。だからこそ、大人がなんとかしないといけない。私に出来ることを、探さないといけない。それが、大人の責任なんだと思う。
でも真希は、それでも真希は、私を気遣うように明るく振舞う。私にはそれが、かえって悲しいし、寂しいと思う。
私を頼ってよ。私ってそんなに、頼りないかな?真希から見て、ダメな大人なのかな?
そんな私の気持ちを振り払うように、真希は畳みこむように大丈夫を連呼してきた。私を安心させるために。きっと、そうだ。私が真希に、心配を掛けてしまっている。ダメだろう、それは。
「加奈子さん、僕は大丈夫です。だって、慣れてますから。だから、本当に大丈夫なんです。心配しないでください。本当なんです」
違う!これは真希の大丈夫ではない、私を大丈夫とする気だ。
なら、私のすべきことは。
「真希」
私は自分の気持ちが、この状況に耐えられなくなり、歩みを止めてしまった。振り返る真希の顔を、目を見つめた。同じように立ち止まり、私の顔を見つめ返していた真希が、初めてたじろいだ。私から目を逸らした。それでも私は、無言で真希を見続ける。真希は、耐えられなくなった。
「は、早く行きましょう。お、重いです」
「そうだね、ならその袋は私が持つよ。だから、お願い。大丈夫って、言わないで。お願いだから」
真希は、あたりをきょろきょろしていた。分かっている、混乱しているのだろう。私は真希からレジ袋を取り上げ、そのまま返事を待った。何時間でも待つつもりだ。いつまでも、待つつもりだ。先送りにしていい話ではない。先送りにしたって、解決する話ではないと思うし、お腹がいっぱいになることは無いと思う。それでも真希は、先送りにしたいのだろう。私を安心させる為に。
それがかえって、私を傷つける事だって、きっと分かっていないから。
だって、彼は小学生なんだから。子供なんだから。
それでも彼は、今までもそうしてきたのだろう。今までも、そしてこれからもそうするつもりなのだろう。それで、うまくいったつもりなのだろう。これからも、これでうまくいくと思っているのだろう。
そんなはずはない。過去の成功体験なんて、未来の保障になるはずはない。でも彼は、私の願いを聞いてくれないだろう。なら、もう実力行使しかない。言い負かされる訳にはいかない。これは、言葉では解決はしないからだ。待っていても、誰も何もしてくれない。ごはんだって、出てこないからだ。
だからこそ、卑怯であってもいい。憎まれてもいい。力技でもいい。順番さえ正しければ、それでいいと思う。大人の傲慢も、正しければいいはず。
結果が、すべてだと思うから。
そしてそれこそが、大人の責任だと私は強く思う。
にらみ合う状態に耐えられなくなった真希は、ついに顔を伏せてしまった。お互いに、ずっと無言だった。レジ袋が指に食い込んで痛いけど、いつまでも耐えられそうな気がする。真希の苦しさと比べたら、なんてことないと思う。だから、私は目をそらさないし、そらしてはいけない。決意した訳でもないけど、そうしないといけないと思ったから。そうしたいと、心から思ったから。こんな力技は、本当なら許されないだろう。何故なら、相手は小学生だから。
そう、私は悪い大人だ。卑怯な大人だ。説得するよりも、説明して納得してもらうよりも、力で押し切ろうとするような、最低な大人だ。
でも、責任を取れる大人なんだ。子供ではない。子供に責任を負わせるような奴に、大人を名乗る資格は無い。
責任を取るから、大人は卑怯なことが出来るんだ。
「はい」
小さな、とても小さな声だった。
「約束しようよ」
「え?」
俯いていた真希は顔を上げ、私を見つめる。夜なのに、彼は本当にキレイな目をしていると思った。真希の目は、澄んだ感じがする。私は、そう感じた。透明感のあるこの目を、大人の都合で濁らせてはいけない。いつも、キラキラしていて欲しい。そう願うことは、間違いではないはず。間違いだと言うのなら、正解を教えて欲しい。
「私の前では、強がりは言わないで。大丈夫って言わないで。お腹が空いたのなら、空いたと言って。辛いなら、辛いと言って。痛いなら、痛いと言って。お願い、私と約束して。私の前では、私の前だけは、我慢しないで。お願いだから」
「はい」
少し、声が震えていたような気がするけど、今はそれでいいと思う。何だか、真希を追い詰めているような気がしたからだ。でも、何で私はこんなにも真希と関わろうとするのだろうか?こんなにも、真希のことを思うのだろうか?まだ、出会ったばかりなのに。これは、同情や憐れみだろうか?別の感情が存在し、それに私が突き動かされているのだろうか?その感情と、向き合わなくていいのだろうか?
よく分からないけど、何もしないという訳にもいかないと思う。
関わってしまったから。
知ってしまったから。
私の気持ちが、心が許さないからだ。それに少なくとも、間違ってはいないと思う。私の行為が正しくなくても、真希にとっては間違ってはいないと胸を張れる自信はある。
「ありがとう!私と真希との、ふたりの約束だよ!」
真希は俯いていたけど、どこか微笑んでいるようだった。嬉しそうな感じがある。あのピザを食べていた時のように、どこか安堵しているようにすら見える。何だか、私にはそれが嬉しい。
街路灯の灯りが、まるで真希の希望を照らし出しているように、彼を光で包んでくれている。彼が、輝いて見える。私も前を向こう。
「よし!じゃあ、早く私の家に行こう。晩ごはんを作ってあげるよ。食べてって。でも、おうちの人には内緒でね」
真希にウィンクをして見せた。真希は、嬉しそうだった。
今はこれしかない。でも、これでいいのだろうか?何か他にいい方法は無いのだろうか。真希にとって、何がいいのか。
少なくとも、子供にはちゃんとごはんを食べさせないといけない。それだけは、間違いない。
間違いであって、たまるか!
私は確信するように、歩みを速めた。真希も付いてきてくれた。
「ただいま!」
「た、ただいま」
「はい、お帰りなさい」
結局、荷物は全部自分で持った。今更、真希に持ってとは言え無いからだ。指が食い込んで、痛いんですけど。ええ、ええ、ええ、分かってますよ、分かってますとも、悪いのは私です。全部私ですよ。
そういうのは、家に帰ってからやれって?馬鹿言うな。そんな器用な事が出来るなら、最初からもっとうまくやるよ。
「手を洗って、待ってて。すぐにごはんを作るから。う~んと、ごはんが出来るまで宿題でもやってて」
指をさすりながら、夕飯何にするか考えた。お米を炊いている時間は無いし、何かないかと探したら、冷凍のチキンライスがあった。無意識に、チキンライスを買い物かごに放り込んでいたようだ。私って、やるじゃん。何を買っていたか覚えていない時点で、主婦失格ですか?まあまあ、結果オーライでしょう。
私はチキンライスを電子レンジで温めつつ、卵を割りほぐしてフライパンで焼くことにした。
真希が、こっちを見ている。いや、緊張するので見ないでと、言ったそばから失敗した。これは、私の分にしよう。続いて二個目をつくる。今度はうまくいった。これは、真希の分と。
「ほらほら、出来たよお♪」
「うわあ~、オムライスですか?」
「そうよ、今、ケチャップを掛けるね」
さすがにハートマークは恥ずかしいので、二重丸にしてみようとしたが、ただの丸になってしまった。オムライスって、案外難しいなあ。今度、練習しよう。あ、遠藤さんにコツを教えてもらおうかな。
「ほら、温かいうちにお上がり」
「はい!」
そうそう、子供はそうでなくっちゃ。だいたいさ、なによ残り物って。逆でしょうに。子供が残した食べ物を、大人が食べる。それでいいはず。
子供が残すってことはさ、食べきれないってことなんだから。それって、子供のお腹がいっぱいになった証拠でしょう。大人が先にお腹がいっぱいになって、どうする気だ。
「いただきます」
真希はスプーンを持ちながら、両手を合わせる。私も同じようにする。行儀よくね。
「おいしい、おいしいです」
もぐもぐ食べるその姿は、やはりかわいいと思う。口の中にまだ食べ物が残っているのに、次々にオムライスをスプーンで口に運び、夢中で食べてる。どうしよう、胸がいっぱいになりそう。これをつまみにしたら、お酒が進みそう。いや、嘘です。ホント、嘘ですよ。
「ごちそうさまでした!」
手を合わせたその様は、実に子供らしいと思う。真希はお腹をさすりながら、天井を見上げていた。いかにも、満足したように。何だろう、この姿を見ていたら、とても幸せだと感じる。いや、真希を幸せにしないと。私が先に幸せになって、どうする気だ。
「はい、お粗末様でした。じゃあ、宿題をやったら、おうちに帰ろうね。途中まで送るよ」
「はい・・・」
ええっと、トーンダウンしてるんですけど。まさか、また泊める訳にもいかないし。
「また、オムライスを作ってあげるよ」
「はい!お母さんの味みたいで、うれしかったです」
お母さんの味かあ?冷凍食品でスマンと思う。というか、サラダぐらいは作らないと。お野菜も大事だし。今度、レタスぐらい買っておくかな。というか、そのお母さんは何で、真希の為のごはんを用意してくれなくなったんだろうか?どうして真希の為に、オムライスを作らなくなったんだろうか?いったい、何があったんだ?いや、何があろうが関係無いだろう。ただ、親としての義務を果たせばいいだけ。私はそう思う。
洗い物をしている間、真希はせっせと宿題をしている。
家で勉強が出来ない理由は、一体なんだろうか?というか、そもそも真希のごはんを用意していないのも変だし、真夜中に家に入れないのもおかしい。何とか、真希の家に行けないモノだろうか?真希のご家族と、お話しが出来ないものだろうか?真希のお母さまと、お話しが出来ないものだろうか?でも、なら私は何だろう?真希のごはん係?何それ?
「終わりました、帰ります」
「ちょ、ちょっと待って。送るから」
少し慌てて、思わずお皿を落としそうになった。自分で自分の仕事を増やすな。はい、すみません。
「だいじょ・・・・・」
「うん、何?」
「いえ、ありがとうございます」
「うん、じゃあ行こうか」
私と真希は、夜の街をふたり並んで歩いていく。街路灯が真希を照らし出す。まるで、真希を導いているように。いつまでも、いつまでも真希を照らし続けて欲しい。真希の歩く道が、明るくて光あふれるもので満ちて欲しいと思う。暗いのは、やっぱ嫌だと思う。
「あ、もうここで」
唐突に、真希はここでいいと言う。家はどこと聞くと、もっと向こうだと答える。私は家まで送ると言ったが、真希は別れの挨拶をして、いきなり走りだした。おいおい、早くないか?
「おやすみなさい」
「おやすみ!」
仕方なく私は手を振り、まるで風のようになった真希を見送ってから、家に帰ることにした。椎名家訪問は、またの機会にしよう。今夜は、もう遅いし。
私は帰りにコンビニに寄り、おにぎりを買おうとしたら、財布を忘れていたことに気が付いた。幸い、スマホ決済が使えたので、買い物は無事完了した。財布を忘れても、スマホだけはしっかりと持っている。しっかりしているのか、抜けているのか自問自答しつつ、次こそはオムライスをうまく作ろうと決意した。真希にはマシに出来た方を食べさせたが、私が食べた方は、チキンライスに玉子焼きの出来損ないを載せただけの代物だったから。それを見ても、真希は何も言わなかった。
優しいなあ。女の手料理を美味しいと喜んで食べてくれる男の子は、将来もてるよ。
「う~、寒い」
そんな馬鹿なことを考えていないで、とっとと帰ろう。お風呂に入って、早く休もうと思った。明日、少し早起きしようと思ったからだ。真希がお腹を空かせて、待っているかもしれないからだ。そう思うと、何故か足早になってしまう。明日の話なのに。
「でも、何が真希にとって一番なんだろう」
どうすれば最善か、分からないまま私は、真希との日々を過ごすことになる。真希の家の中が見えない以上、どうしようもないからだ。
「約束したし、きっと、明日は話してくれるかな?」
まず、真希の家の場所を知る。どんなご家族が居るのか、可能なら調べる。その上で、ご家族と話しをする。分かっているけど、これってハードル高くないか?私の手に余るんじゃないのかな?
でも、私ってなにさま?そう問われたら、どう答えたらいいの?
それでも、私は安全な場所から、真希を見ているだけだ。安全な場所に居るのに、何もしないなんて、やっぱ許せない気がする。
手が届く位置に、真希が居るのに。
それは何だか、嫌だと思う。
この頃の私は、真希が抱える問題を、まだよく理解していなかった。
椎名家の闇を、まったく知らなかった。
そのことを、私は後悔することになる。