第三話 おにぎり
「沢井さん、お昼ご一緒しませんか?」
「うん、行こうか」
遠藤さんと連れ立って、社員食堂に向かった。遠藤さんは、いつもお弁当だ。私は、昨夜買ったコンビニ弁当だ。捨てる訳にもいかないしね。
「う~ん、混んでますね」
食堂内に設置してある、電子レンジでお弁当を温めていたら、場所取りにちょっと出遅れたようだ。とは言え、お昼時の混雑ぶりだけど、食堂は広いから席はすぐに見つかった。私たちはそこに陣取り、お弁当を広げた。
「珍しいですね、お弁当なんて」
遠藤さんに言われて初めて、そういえばいつもここではうどんかカレーだったことに気が付いた。売店では弁当やパンも扱っているが、私は買ったことがなかった。
「昨日の夜ごはん用に買ったコンビニ弁当なんだけど、つい食べずにいたんだ。もったいないしね」
「あるある!お店で買ったけど、食べようとしたら何か違うなあ、これが食べたかったものじゃなかったなあと思うことって、よくありますよね」
いや、あんまりないけど、相槌を打つ。私って、大人。
「遠藤さん、いつもお弁当だよね。手作り?」
「はい、朝作って持ってきます」
「へええ、偉いなあ」
実際、偉いと思う。だって、三つの小さいお弁当箱に、それぞれごはん、おかず、サラダとフルーツが色鮮やかに入っているから。私なら、一つにする。それをレンジでチンして、後悔することになる。いや、温かいモノは温かく、冷たいモノは冷たくが基本だと思う。つまり、慣れないことはやらない方がいいということなのだろう。それが教訓だと思うから。だから、私は弁当を作らない!料理はしない。いいでしょう?どうせ、ひとりなんだから。
「美味しそうだね」
「あ、ひとつ食べます?」
「いいの?」
「はい」と、卵焼きを一切れ貰った。うまい!これなら、いつでもお嫁に行ける。うちに来る?
「じゃあ、お返しに」と、コンビニ弁当に入っている、唐揚げを一つ箸でつまんで渡そうとすると、遠藤さんはいきなりパクツとかぶりついてきた。いや、カワイイというより、意表を突かれてドキドキした。まるで、新婚さんごっこをしているようだ。いや、マジでうちにお嫁に来ない?
「スパイシーで美味しいです。今度、作ってみますね」
口を手で隠しながら、もふもふしながらしゃべる遠藤さん。何をやっても絵になるなあ。私がやったら、ただ行儀が悪いと言われるだけだろう。それって、差別じゃない?
すると、遠藤さんは箸を止め、ある一点を凝視していた。遠藤さんの視線の先にあるのは、大きなテレビ画面だった。
「ひどい事件ですよね」
なんだろうと思い私もテレビを見ると、ニュースが流れていた。食堂内はがやがやしているので、音は聞こえないが字幕が流れていた。
児童虐待事件のニュースの続報のようだ。そういえば、昨日の朝のニュースにも、そんな内容が流れていたような気がする。でも、そんなに大きい事件だったのかな?ニュースの内容は、警察と児童相談所との連携に不備があったとか、児童相談所の対応に問題は無かったのかといった内容のようだ。
「知ってます?これって、保険金目当ての事件なんですって」
「へえ?よく知っているね」
「ネットで詳しく出ていますよ。虐待があった子供を児童相談所が保護していたのに、家族の元に戻したら、こんな事件になったらしいですよ」
「うん?保護って、子供を?」
「はい」
「何で、家族の元に戻したんだろう?虐待があったんでしょう?ありえなくないかなあ?」
「大丈夫と判断したんですって。私なら、戻さないけど。酷いと思いませんか?子供に生命保険を掛けて、殺すなんて。そんな親に戻すなんて、ありえなくないですか?」
「う~ん、お役所だからねえ。似たようなことって、よくあるんじゃないのかな?子供を殺すなんて、普通は思わないでしょうし」
たまにだけどお役所相手の仕事をすることがあるが、頭にくることが多い。しかも、こっちが常識から外れているような言われ方をする。それで予算オーバーすると、上司からも叱られる。世の中、理不尽だ。
「でも、子供の命がかかっているんですよ、そんな簡単に戻すなんて」
手で机を叩く仕草と、ぷんぷん怒っている顔もカワイイと思う。いや、不謹慎でした。すみません。
「私には分からないけど、子供は家族の元に居るべきという、決まり事でもあるんじゃないのかな?」
「それは、そうですけど」
「ほら、早くご飯食べないと、お昼休みが終わっちゃうよ」
話しに終わりが見えなそうなので、一方的に切り上げることにした。実際、昼食を終えたらすぐに外回りに出ないといけないからだ。
「は~い」とカワイク返事をする遠藤さん。
ちょっと、ムスッとしているところも、カワイイと思う。私なら、はもうやめよう。考えると落ち込むから。
「さて、行くか」
私はジャケットを肩に掛け、カバンもひっつかみ、外回りに出ることにした。先日の企画に関して、もう少し説明が欲しいと言ってきたし、後輩のバックアップもしないといけない。今日は定時は無理かなあ。買い物したいのにと思ったけど、今夜もコンビニ弁当かな。
ピザ、美味しかったなあ。
ふと、真希のことが頭をよぎった。
ピザを食べている、真希の姿が思い浮かんだ。
真希、大丈夫かな。
帰りに公園に寄ろうと思った。
「疲れたあ」
「お疲れ様です♪」
「遠藤さんも残業?」
「はい、でももう終わりです」
「そう、じゃあ帰ろうか」
「はい♪」
この笑顔に接したら、疲れが吹っ飛ぶ・・・・・訳はないか。しかも、何故か課長がこっちを見ているし。やめてください、止めをさすのを。明日休みたくなるから。ああ、でも明日も大事な案件があったなあ。やれやれ、サラリーマンは辛い。
遠藤さんと別れた後、帰り道に在るコンビニに寄ることにした。雑誌コーナーに行きたい誘惑を振り切り、真っすぐお弁当コーナーへ行く。雑誌なんか見ていたら、時間を取られるからだ。分かってますよ、立ち読みはダメなんでしょう。と、ひとり漫才をしつつ、念のために、パンとおにぎりを手当たり次第にカゴに放り込んだ。一応、買っておこうと思ったから。なんだか、嫌な予感がしたからだ。
コンビニで買い物を済ませると、小走りに公園に向かった。何だろう、急に焦ってきた。よく分からないけど、急がないといけない気持ちになってる。
「なんでっ、私はっ、こんなにっ、焦ってるんだっ?」
ぜえぜえ息を吐きながらも、小走りにだけど走り続ける。ハイヒールで走るのは、正直おススメ出来ない。足痛いなあ。真希、居るかな?
独り言が増えたなあと思いつつ、公園に辿り着いてからあたりを見回した。その間、私はなんとか息を整える。みっともない姿を、見せたくないような気がしたからだ。誰に?
だけど、あずまやに人は居なかった。念のため、あたりをうろうろと見回り、誰も居ないことを確認してから、昨夜真希が座っていた椅子にドカッと座ってしまった。いつものように足は組まず、机に突っ伏してしまった。
「何だ、大丈夫だったじゃないか」
安心したような、どこかがっかりしたような感情に戸惑った。
「子供がいる時間じゃない。これでいいのだ」
私は帰宅することにした。誰も居ない、我が家に。風が冷たいなあ。
「ただいま」と、無人の部屋に向かって挨拶をする。
ふと、部屋が広いなあと思った。いや、気のせいだろう。見ると机には、ピザのチラシがそのまま置いてあった。
チラシを見ると、昨夜うちに居た少年の姿が、そこに重なる。真希のピザを頬張る姿が、目に浮かんできた。とても、美味しそうに食べている、あの姿だ。
「また、ピザが食べたいなあ」
ピザが食べたい訳ではないだろう。誰かと一緒に食べたい、誰かと一緒に美味しさを共有したい。美味しそうに食べている姿を、この目で見たい。そんな気持ちがあるのだろう。だから人は、パートナーを求めるのかもしれない。私は少年に、そんな気持ちを抱いたのかもしれない。でも、それは抱くべきではないと思う。
彼と私は、何の関係も無いのだから。
そう思うと、少年との時間の共有は、私にはもう無いだろう。無くていいんだ。子供は家庭に居るべきだし、家族の元に居るべきだ。そう、自分に言い聞かせた。でも、そこで頭をよぎる、お昼に見た虐待事件のニュース。いや、考え過ぎだ。あんな事件は滅多に起き無いからこそ、派手に報道されるんだ。
「なんだか、食欲無いや」
お風呂に入ると、また真希の顔が思い浮かんだ。タオルで頭をゴシゴシ拭いてあげた。ドライヤーで髪を乾かしてあげた。真希の紅潮した頬が、そこにあった。手足は痩せていたのに、不思議と柔らかそうなほっぺだったなあと、つい自分のほっぺを突っつく。なんか、違う。
「いかん、いかん」
湯船に顔を突っ込み、ぶくぶくと泡を出した。
そうか、私は寂しいのか。
何故か、納得した。納得することにした。
ひとりでも大丈夫だよね
ひとりはいや
ひとりでも生きていけるよね
ひとりはいや
お母さんなんて必要ないよね
は!と目覚める。
「夢か」
部屋を見回す。誰も居ない。居たら怖いけど。でも、誰か居たら、安心するかも。
「はて、どんな夢だったかな?」
思い出せないのなら、別にいい。どうせ、いい夢ではないのだから。
気を取り直してテレビを点ける。世間は相変わらず、事件、事件、また事件だ。事件だらけだ。まあ、世界中探せば、どこかで何か起きているだろう。
「そういえば、生命保険がどうしたとか言っていたような」
夢は思い出せないのに、昨日のことは思い出せる。何だか、不思議だ。
朝のニュースでは、児童虐待事件はもう扱っていなかった。新しい事件に、この児童虐待事件が上書きされてしまったようだが、事件は決して終わった訳ではないはず。
少なくとも、当事者には終わっていないと思う。でも、報道が無ければ、部外者にとって事件は終わったも同然なんだろう。そしてまた、別の事件を話題にするのだろう。
私はテレビを消す。テレビさえ消せば、世界は平和なのだろう。でも、それでいいのだろうか?なら、私に何が出来るのだろうか?真希に、何をしてやれるのだろうか?
何で、真希のことを考えてしまうのだろうか?もう、会うこともないのに。
会社に行こう。私には関係無いし、家族では無いから何も出来ない。いい悪いではない。人の不幸を話しのネタにしたり、野次馬になるよりはマシだと思う。だから、今すべきこと、しなければいけないことをしよう。
冷蔵庫に放り込んでいた、おにぎりやパンの入った袋を手に持ち、家を出ることにした。
お腹が空いたなあ。今になって思い出した。そういえば、昨日は夜ごはんを食べてないや。もちろん、お酒も呑んでいない。本当です。嘘ではありません。
「行ってきま~す」と、いつもの挨拶をする。
挨拶は大事だと、思うようにしよう。うん?
バス停に向かっていつもの道を歩いて行くと、いつの間にか公園に着いてしまった。習慣になったせいか、ついあずまやを見てしまう。
真希だ!
真希が居た!
何だろう、喜んでいる私が居る。
そうか、私は期待していたんだ。
真希と会えることを。
私は真希の居るところまで小走りで向かい、努めて明るく挨拶をした。顔ひきつってないよね?
「おはよう~真希♪」
「あ!おはようございます、加奈子さん」
元気で結構!私も元気だ!
「昨日は帰れた?」
「はい、帰れました」
「そう、良かった。ねえ、朝ごはん食べた?」
そう聞くと、真希は一瞬、身体を硬くしたような感じがした。気のせいかな?
「だいじょう・・・・・いえ、食べてません」
だいじょうがなんだってと思ったが、あえて聞き返さなかった。なんだか、触れるなという感じがしたからだ。誰にでも、そういう時はあると思う。私だって。いや、たまには触れて?
気持ちを立て直し、昨夜コンビニで買っておいた、パンとおにぎりをテーブルに並べた。それを見た真希は、うわ~という声をあげた。目が輝いていた。私の目も輝いたと思う。おにぎりではない、嬉しそうにしている真希を見たらだけど。
「どれでも好きなの食べていいよ、私もここで朝ごはんにするから」
真希はまた、戸惑った顔をした。
「ほら」と促すと、彼は鮭のおにぎりを、恐る恐る手に取った。
「これ、どうやって食べるんですか?」
真希は、おにぎりをくるくる回している。見ていて楽しいかも。
「こうやるんだよ」と、お手本を見せることにした。
「まずね、1と書かれたテープを引く」
真希は私の所作の真似をして、1のテープを引いた。続いて2の端を海苔を引っ掛けないように引っ張るように見せ、最後は3の端っこを引く。それで、海苔を整えて出来上がり。
「うわあ、すごいです!」
真希も私の真似をする。でもどうしてだろう、私より真希の方がキレイに出来ている。まあ、腹に入れば同じか。いえ、見た目は大事ですよ。キレイに出来た方が、美味しそうだし。でも、何で?
「さあ、食べよう」
「はい!」
「いただきます」
「いただきます!」
うん、偉い、偉い。
「海苔がパリパリして、美味しいです」
食べながらしゃべる真希を見て、思わずクスっと笑ったけど、気付かれなかったようだ。真希は笑われるのが嫌いなようだから、気を付けないといけない。でも、もくもくとおにぎりを頬張る真希を見ていると、胸がいっぱいになる感じがして、どうしても頬が緩んでしまう。これぐらいなら、いいよね?
「ほら、もっと食べて」
食べ盛りの男の子が、おにぎり1個で足りるはずは無いから、もっと食べるように促した。お茶も飲むように、ペットボトルの栓を開けてあげる。
「どれにしよう」
どれを食べていいですかという問いが来なくなったことが、なんだか嬉しい。子供が遠慮すると、悲しくなる。子供が我慢をしていると、むしろ怒りがこみあげてくる。
だって、それって子供のせいじゃないでしょう?大人の側の問題じゃないのかな?
それでも、私に出来ることはあまり無いと思う。だから、出来る範囲のことをしようと思う。それぐらいなら、問題はないはず。
だって、真希が嬉しそうなんだもん。
「これにします!」
今度はひとりでおにぎりの包装を外し、海苔を整えておにぎりを頬張る。私も2個目を食べることにした。
「う~ん、こんな朝もいいなあ」と思うのも束の間、公園内に設置してある時計を見ると、そんな優雅な時間を過ごしている場合ではないことに気が付いた。
何やってるんだ、私は!遅刻するじゃないか!
「私は会社に行くね。ああ、お茶も飲むんだよ。おにぎり、もう1個食べる?食べるなら置いておくね。ゴミは、え~と、あそこのゴミ箱に捨てるんだよ。食べきれずに残したら取っておかないで、必ず捨てるんだよ。じゃあ、またね。車には気を付けるんだよ」
私は慌ただしく、公園を後にした。真希は手をふりふり、3個目のおにぎりに取り掛かろうとしていた。やっぱ、男の子だねえと思った。ちゃんと、食べるんじゃん。おにぎりもう1個、置いておけば良かったかなと思った。
私は、駆け足でバス停に向かった。スキップではない。したくなるけど、朝から何を浮かれていると思われるから、控えることにしました。でも、胸のうちは何だかむずむずしてきた。この気持ちを、どう処理したらいいんだろうか?
処理する必要はないか。ありのままでって、そんな歌もあったなあ。今度、カラオケでも行こうかな。遠藤さん誘って。真希は、まだ早いかな。
今日のお昼は、残りのおにぎりとパンかなと思った。もっと、野菜を食べないと。そうだ、遠藤さんに分けてもらおう♪甘いあんパンもあるし、遠藤さんなら喜ぶだろう。真希にも、何か野菜を食べさせよう。育ち盛りだもんね。
なんだか、本当にスキップしたくなった。
ああ、今日はいいことがありそうだ。
真希にも、いいことがありますように。
世界が平和でありますように。