第二話 暖かいピザ
悪い子と言われた。
お前は悪い子なんだと。
だから、罰を受けないといけない。
悪い子には、罰が下ると。
でも、あの人は。
朝早く、僕は静かに家を出る。朝ごはん前に出ないと、こころが寂しくなるからだ。
僕の居場所は、そこに無いからだ。でも、大丈夫。僕は大丈夫。
僕はいつものように、走って公園に向かった。公園に着くと、僕は自分の胸に手を当てる。走った後の心臓は、いつもよりもドキドキしているから、鼓動を感じやすい。心臓の鼓動が、僕を安心させてくれるから。
学校も始業時間前だから、公園でしばらく過ごすことにしている。お花畑に手を合わせたり、勉強したり、図書室から借りた本を読んだりする。今日は植物図鑑を読む。静かで、何も起きない時間が、僕は好きだ。
そこへ、カツカツと靴の音が聞こえた。何かを飲みながら、せかせかと歩いている。大人の女性だ。カッコいいと思うけど、大人は大変なのかな?僕も大変になるのかな?なるといいな。
公園の時計を見ると、そろそろ学校に行かないといけない時間になった。僕は願う、早く給食の時間がきますようにと。
お腹いっぱいになりますように。
授業は好きだけど、体育は嫌いだ。給食前に動きたくないからだ。一度、体育の授業中に倒れてしまい、お母さんに怒られたからだ。
「この子は朝、食べないんですよ」と、お母さんは先生に説明していた。悪いのは僕だから。本当のことを言っても、罰を受けるのは僕だから。
だから僕も、はい朝ごはんは食べたくないんですと答えた。先生は、ちゃんと食べないとダメだろうと、僕を叱った。僕は悪い子だから、いつも僕が叱られる。僕がいつも怒られる。僕だけが怒られる。
何を言っても怒られるなら、何も言わない方がいい。結果が同じなら、諦める方が楽だし。
下校しても、すぐに家には帰らない。家には僕の居場所がないから。僕には勉強する机も、いていい場所も無いからだ。だから、いつも宿題や勉強は公園ですることにしている。
公園には、水もトイレもあるから便利なんだ。
街に流れる色々な音を聞いていると、僕は安心する。ひとりじゃないんだと。
そんな時だった。いきなり、声を掛けられた。背の高い女の人だった。
「君、こんな時間に何してるの?」
でも、この人は誰だろう?無視しようと思った。だって、知らない人だし、どうせ結果が同じだから。全部、僕が悪いんだから。
「こんな時間にこんな場所に、子供が居ていいはずはないでしょう?お母さんが心配するでしょう?」
お母さんは、気にしないと思う。でも、声には出さない。何か言ったら、あとで怒られるから。余計なことを言ったら、罰を受けるから。悪いのは僕だから。僕が悪ければ、問題は無いんだ。僕が罰を受ければ、きっとすべてうまくいくはず。誰も、酷いことにはならないと思う。
そうすれば、誰も傷つかないし、誰もいなくならないと思う。僕だけが、泣けばいいんだ。
「不審者がよく出るから、早く帰りなさい」
でも、勉強ももう少しで終わるから。それまでは、無視を続けよう。でも、胸が痛い。胸に手を当てても、痛いのは治らない。どうしてだろう、優しい声の人だからかな?これも罰なのかな?
とにかく、ペースを上げなくちゃ。
「目に悪そう」
そう聞こえたので、僕は咄嗟に答えてしまった。
「目はいいです」
実際、目はいい方らしい。健康診断で褒められたから。それ以外は、よくないと言われた。やせ過ぎと言われた。ごはんをちゃんと食べないと、ダメだと言われた。だから僕は、お腹は空かないんですと答えることにしていた。本当は、お腹は空いてるけど。でも、お腹が空いてると言ったら、怒られるから。嘘吐きと言われるから。だから、僕は嘘を言わないといけない。嘘を本当のことにしないといけない。嘘を吐く僕は、どんどん悪い子になる。
きっと、これも罰なんだ。
「何だ、口が利けるじゃないか?」
さっきからなんだろう?怒っているのかな?どうかな?
でも、お話したいな。さっきから、胸がどきどきしているし。
「知らない人と口をきいてはいけませんって、習いませんでしたか?」
どうして、こんなことを言ってしまったのだろうか。お話したいのに、どうしてだろう。声が優しかったからかな?なんだか、もっとお話をしたいと思った。話しかけてほしいと、そう思った。触れて欲しいと思った。ひとりは寂しいから。でも、離れて欲しいと思った。よく分からないや。
「そう知らない人が居るから、帰りなさいと言っているんだよ」
知らない人と知ってる人。どっちが、怖い人なんだろう?知っている人の方が、怖い気がする。知ってる人は、僕にひどいことをする。僕を悪い子だと言う。知らない人は僕を殴ったりしないし、割と優しいと思う。たまに、ごはんをくれたりするし。だから、お姉さんも早くいなくなってほしい。いつまでも、知らない人でいてほしい。みんな、知らない人になればいい。みんな、いなくなればいい。僕もいなくなればいい。でも、いなくなって欲しくないと思う。
それでもお姉さんは、僕の勉強が終わるまで側で見ていてくれると言ってくれた。
なんで?どうして?僕は大丈夫なのに。大丈夫だけど、うれしい気持ちはなんだろう?
そんなことを考えていたら、お姉さんは僕の隣に腰かけてくれた。僕の側に来てくれた。何だか、それがうれしい。
足を組んで座るお姉さんは、何だか女優さんみたいでキレイでカッコいいと思う。きっと、お姉さんが女優さんみたいだから、僕はうれしい気持ちになったのかもしれない。カッコいいお姉さんの、側にいたいと思ったから。カッコいいお姉さんが、僕の側にいてくれるからかもしれない。
ひとりじゃないから。
「子供を放置して、帰れるわけないでしょう?大人なんだから」
こんなことは、初めて言われた。だから、疑問が出た。
「大人は、子供を放置してはダメなんですか?」
「そうよ、大人は子供の側に居るモノよ」
でも、怒るならいない方がいいな。殴られるのは嫌だし。だから、ひとりがいいな。ひとりなら、殴られたりしないし、立たされたりしない。正座もしなくていい。怖いこともなにもおきないと思う。
最初からいなければ、誰もいなくならないから、寂しい思いもしなくていい。お腹は空くけど。時々、悲しくなるけど。
ダメ、考えてはダメ。涙が出るから。勉強に集中しないと。これじゃあ、かしこくなれない。
お姉さんはテレビみたいな何かをカバンから取り出して、なにかをやっている。お仕事らしい。まるでゲームのようだ。ゲームを作る人かな?いいなあ、僕もやってみたい。僕は何も持っていないから。持ってはいけないから。だから、最後は誰もいなくなるんだ。
僕は時折、お姉さんを少しだけ見る。お姉さんはテレビを真剣に見ながら、ボタンを小刻みに叩いている。その姿は、とってもカッコいいと思う。仲良くなれたら、いいなあと思う。でも、仲良くなったら、いなくなるんだよね。だったら、最初から仲良くならない方が、やっぱりいいよね。その方が、寂しくないよね。でも、本当は仲良くして欲しい。
僕は、わがままだ。だから、今を大事にする。この時間を、大事にしたい。もっと、耳を澄まそう。聞き逃さないように。あの胸の音を。
お姉さんはカタカタと小気味よく、まるで音楽のように奏でている。僕はその音を聞きながら、せっせと勉強をする。一緒にリズムを取っているように。
するとお姉さんは、僕に名前を教えてくれた。
「さわいかなこ」
僕も名前を聞かれたので、名字だけを答えた。下の名前は、知られたくないから。
「椎名です」
「ふ~ん、椎名君か。下の名前は?椎名なに君?」
「言いたくありません」
「何で?」
「どうしてもです」
だって、笑うから。馬鹿にするから。名前を付けてくれたお父さんとお母さんを、馬鹿にするから。お父さんとお母さんが、きっと悲しむから。
「学校楽しい?」と聞かれたから、楽しいと答えた。
本当は、どっちなんだろう?でも、家にいるよりはいいと思う。学校にずっといると、子供は家にいないといけないと、そう言われた。それでも、家にいなくてもいいんなら、帰らなくてもいいはず。それなのに、帰らないといけない。
学校に、僕のいる場所はないんだ。
僕はどうすれば、いいんだろう?
「へえ~、何が楽しいのかな?」
「給食の時間です」
楽しそうにしているお姉さんとお話をするのが、ほんのちょっとだけど僕も楽しい。ほんのちょっとだけど、気持ちよくなる。給食と同じかも。給食なら、ごはんが食べれるから。それだけで幸せだと思う。好きなメニューなら、なおさらだと思う。
またちょっと、お姉さんの顔を見てしまった。
光に照らし出されたお姉さんの顔を見ると、どこか懐かしい感じがした。まっすぐで真剣な瞳が、本当にキレイだと思った。女神さまがいたら、こんな感じの人だろうか。それなのに、ふんわりと暖かい感じがする。いつまでも側にいたい、側にいてほしいと思った。でも、僕がそんなことを願ったら、最後は酷いことになる。だから、僕は願わないようにしないといけない。でも、今だけは。
ダメだよ。わがままは。
勉強が終わったら、家に帰らないといけない。勉強が終わると、ここにいる理由がなくなるから。だから、ちょっと寂しいけどお姉さんとバイバイした。お姉さんは、もう少しここに残るらしい。僕に手を振るその姿を見ていたら、ちょっと涙が出た。泣いているところを見られたくないから、僕は走って帰った。僕はひとりなんだ。ひとりでいいんだ。ひとりでいないといけないんだ。
みんな、僕を置いていくんだから。
だから、僕はお姉さんを置いて行った。
家に帰ると、お母さんと弟と妹がいた。皆、何かをしている。誰も僕に話しかけない。以前、妹が僕に話しかけてきたけど、その時僕はお父さんに殴られた。妹に、悪い子と話をしてはダメだと言っていたから。僕が妹と話したから、僕が悪いんだ。
その時、妹は泣いていたけど、いつかそれも無くなった。泣いた妹が可哀そうだと思った。だから、僕からは話しかけない。妹も話しかけてこない。
僕はいない者になった。
僕はみんなのいる部屋の隅で、いない者のように大人しくしている。気が付くと、僕は横になっていた。お母さんが、何か言っていたと思う。僕は胸に手を当てながら、いつの間にか眠ってしまった。
お母さん。
お母さん。
何で、僕を置いて行ったの?
なんで、いなくなったの。
翌朝、食卓に食パンが置いてあった。思わず、一枚食べてしまった。僕はすぐに後悔した。
「何をしてるの!」
手を叩かれた。
「ごめんなさい」
「泥棒!恥知らず!本当に悪い子だ。弟や妹のパンを盗むなんて、なんて悪い子!出ていきなさい!もう帰ってこなくていい!」
僕は涙をぬぐいながら家を出ようとしたら、弟と妹が、食パンが食べられないことを抗議していた。僕が触ったパンは、汚いからと言って捨てられてしまったから。僕がみんなの食パンを、妹の食パンをダメにした。ごめんなさい。ごめんなさい。
僕は、悪い子だから。でも、どうして食べてしまったのだろう。いつもなら、気にしないのに。僕はいない子なのに。
いない子のようになれなかった。
僕は、消えた方がいいのかもしれない。
どうすれば、僕は消えるのだろうか?
とぼとぼと公園まで歩く。始業時間前だから、ここで本を読む。今日、どうしようか。
考えると、涙が出てしまう。本が読めなくなる。大丈夫、僕は大丈夫。でも、どうしても泣いてしまう。顔を拭いて、学校に行かなくちゃ。給食まで我慢しないと。給食になれば、僕は大丈夫。きっと、大丈夫。僕は胸に手を当てる。まだ大丈夫。
学校も終わってしまい、教室に僕の居場所はなくなった。学校にも、僕の居場所は無いんだ。家に戻るけど、やっぱり中に入れてくれなかった。だから、いつもの公園に向かう。屋根がある大きな公園に。それでも雨にならなくて、本当に良かったと思う。今夜は公園で過ごせそうだ。
僕は大丈夫。きっと、大丈夫。明日になれば、大丈夫・・・・・お母さん。
「ねえねえ、君!」
昨日のお姉さんだ。また、来たんだ。どうして?僕は咄嗟に、胸に手を当てた。それで少しは安心するから。
僕は罰を受けないといけない。妹の食パンを食べた罰を受けないと、ダメなんだ。でも、お姉さんに知られたくない。お姉さんにだけは、秘密にしないと。食パンを盗んだことを、隠さないといけない。でも、どうして知られたくないんだろう?どうして僕は、隠そうとするんだろう?
「何をしてるの?こんな時間に?お母さんは?お父さんは?」
答えたくない。答えたら、もっとひどいことになるから。答えたら、泣いてしまうから。答えても、どうせ嘘つきと言われるから。
答えてしまったら、僕が悪い子とバレるから。
「ほら、帰りなさい」
帰りたくても帰れない。どう言えば、分かってくれるだろう。
「帰れないの?」
そう質問されたので、うっかり答えてしまった。どうして答えたのだろうか?優しい声だからかな?もしかしたら、この人は女神さまなのかな?女神さまだったら、いいな。でも、甘えてはいけないと思う。甘えたら、もっと酷いことになるから。
「明日には帰れます」
「明日って?じゃあ、今夜はどうするの?」
ここにいるとは言えなかった。ここを追い出されたら、行くところが無いから。
「家に帰ろう?ね?」
お姉さんは僕の側まで近づき、しゃがみこんだ。僕の顔を見ながら、優しく話し掛けてくれた。お姉さんの目は、まるで女神さまのようにキレイな目だと思った。思わず、お姉さんの目をじっと見つめてしまった。こんな優しい目は、初めてだと思うから。ううん、前にもあったと思う。もう、思い出せないけど、何だか吸い込まれそうな気がした。だから僕は、すぐに目をそらした。
「出て行けって言われました」
お姉さんが戸惑ていることが、よく分かる。僕はお姉さんを、なんとか安心させようと思った。優しい人を困らせたくないから。女神さまに泣いてほしくないから。でも、何でだろう?どうして、泣くと思ったんだろうか?よく分からない。分からないけど、胸がもやもやする。
「大丈夫です。いつものことです。明日には帰れますし慣れてます。僕は大丈夫です。何もありません。大丈夫です」
よく分からないけど、お姉さんに元気になって欲しいと思った。でも、お姉さんは中々立ち去ってくれない。どうしよう?どうすればいいのかな?僕は大丈夫なのに。お姉さんが、ひどいことになるのに。どうしたら、分かってくれるのかな?
お姉さんの胸に手を当ててあげたいと思ったけど、僕は動かなかった。動けなかった。
「慣れてるって、初めてではないの?」
「はい、3回目です。だから大丈夫です」
本当は、1回しかうまくいかなかった。でも、今度はうまくやる。やらないといけないから。だからこそ僕は、元気よく答えた。僕は大丈夫ですと。
「でも、ごはんは?お風呂はどうするの?」
「大丈夫です。ここには水もあるし、トイレもあります」
ごはんは諦めてますと言えない。だから、こう答えるしかない。ここを追い出されたら、本当にもう行くところが無いから。どうすれば、お姉さんは諦めてくれるだろうか?どうすれば、お姉さんは元気になってくれるだろうか?どうして、お姉さんは元気でないのかな?すごく、心配そうにしている。顔が寂しそうに見える。何だか、それは嫌だと思う。胸がずきずきする。
「僕は大丈夫です。お姉さんも帰ってください。お母さんやお父さんが心配してます」
それでもお姉さんは、ここを立ち去ってくれない。どうして?お母さんやお父さんに怒られないのかな?大人になると、怒られなくなるのかな?だったら、一日でも早く、僕は大人になりたい。でも、きっとなれない。僕は悪い子だから。
「どうしても帰れないの?」
本当に優しい声だった。初めて見るような、とても優しい表情をしていた。僕はその目がその表情が、好きだと思った。まるで、お母さんのようだったから。だから、泣かないで欲しいと思った。でも、どうして泣いていると思ったのかな?お姉さんは泣いていないのに。涙を流していないのに。どうしてだろう?どうして、お姉さんが泣くのが嫌なんだろう?だから僕は、懸命に説明した。もう、どうしようもないんだと。だから、諦めて。諦めれば、少しだけ楽になるんだよ。
「鍵が掛かっていますし、迷惑を掛けれません」
お姉さんは立ち上がった。やっと、帰ってくれると思った。少し、寂しく感じたけど、これ以上、お姉さんに迷惑はかけられない。お姉さんを泣かせたくない。お姉さんを悲しませたくない。僕は大丈夫だから。これでもう、お姉さんは大丈夫だから。側にいてくれてありがとう。こんな僕を、気にしてくれて。
少し、涙が出そうになる。僕は、必死に耐えた。
本当は、行って欲しくないけど。側にいて欲しいけど。もう、ダメなんだ。
わがままを言っては、ダメなんだ。
でもお姉さんは、意外な行動に出た。僕はびっくりした。
「行こう!」
強い口調で僕に言った。腕を掴まれ、強く引っ張られた。ここを追い出される。怒っている。何で?でも、意外なことを言われた。
「とにかく、うちに来なさい。明日には帰れるんでしょう?」
抗う僕に、諭すようにでも優しく語り掛けてくれる。ここを追い出すんじゃないの?違うと気が付いたら、僕は力が抜けた。でも、ダメなのに。迷惑を掛けたくないのに。掛けちゃいけないのに。巻き込んじゃ、ダメなのに。
それでも僕は、お姉さんに引っ張られながらだけど、付いて行った。付いていきたいと思ったから。付いて行かなくてはいけないと思ったから。だから、お姉さんの言うことを聞くことにした。
僕は、ずるい子だから。
僕は、悪い子だから。
お姉さんのうちの玄関についたら、お姉さんが僕に変なことを言った。
「ただいま、ほら、椎名君も」
そんなことを言ったら、怒られる。僕はいない子だから。だから家には静かに入る。でも、お姉さんは僕に言う、大事なことだからと。
大事なことだから、言ってはいけないんだ。僕はいない子だから。いてはいけない子だから。でも、僕の名前を憶えてくれてたんだ。嬉しくなったから、言うことを聞かないと。お姉さんのお願いを聞きたいと思ったから。お姉さんの笑った顔を、見たいと思ったから。僕もそう、言ってみたかったから。昔のように。
「た・・ただいま」
「はい、お帰りなさい」
にっこりとほほ笑むお姉さんに、ちょっとドキドキした。やっぱり、お姉さんは女優さんみたいにキレイな人だと思う。でも、僕は悪い子なのに。何で、そんなに優しい顔をするの?何で、お姉さんの目はキレイなの?いい人だから?本当に女神さまだから?
僕の目は、きっと汚い。だって、僕は悪い子だから。生きていてはいけない子だから。僕のせいで、みんな不幸になるから。
だから僕は、お姉さんを不幸にしたくないんだ。
「ピザ頼もっか?」
ピザのチラシを見ていたら、お姉さんはそう言ってくれた。ピザが食べられる!
「何がいいかな?」
指をさしながら質問されたけど、僕には分からない。いつも、残ったピザを食べていたから。冷たくなったピザを、もらっていたから。だから、お姉さんにお任せしたら、お風呂が沸いたと言われたので、僕は身体を洗うことにした。
せっせと汚れを落とす。僕は汚い子だから、うんとキレイにしないとダメだと思うから。それでも、落とせない汚れがあることが、僕には恥ずかしい。
お風呂から出たら、お姉さんに怒られた。お湯に入りなさいと、僕に言う。でも、お湯に入ると、お湯が汚れてしまう。お湯を汚してはいけないから、洗うだけの何が悪いんだろうか?いつも、そうしている。でも、お姉さんは僕にお湯に浸かって、よく温まれと言う。仕方がないから、僕はお姉さんの言う通りにした。
お湯を汚したくないから、もう一度身体をよく洗った。いくら頑張って洗っても、僕の身体には落ちない汚れがあるから。少しでも、キレイにしないと。
それから僕は、戸惑いながらお湯に浸かってみた。
お湯は温かくて気持ちよくて少しうとうととしてきたら、呼び鈴の音で目が覚めた。ピザが来たみたいだ。急いでお風呂からあがって身体を拭いて、お姉さんの服を借りた。ちょっと大きい感じがするけど、お姉さんのいい匂いがする。お姉さんは僕よりも背が高いから、ちょっと着にくいけど。僕もいつか、お姉さんみたいに大きくなりたい。
僕にいつかなんて、あるのかな?
お姉さんは、僕の髪を拭いてくれた。ドライヤーで髪を乾かしてくれた。昔、遠い昔に同じことをしてもらったような気がする。懐かしい感じがする。夢みたいだと思う。夢なら、いいと思う。
悪い夢は、もう見たくないと思う。
ピザには、色んな種類の具が載っている。どれも美味しそうだ。早く食べてみたいなあ。
「どうしたの?食べていいんだよ?」
「どれを食べていいんですか?」
僕は指示されるのを待っていた。もし先に手を出したら、怒られるからだ。それに、弟や妹が悲しむからだ。だから、僕は待つしかないんだ。
「どれでも好きなモノを食べていいんだよ」
好きなモノって、みんな好きです。でも、怒られたくないので、残ったら食べると返事をしたら、いいから食べなさいと強く言われた。お姉さんは、ちょっと怒っていた。僕は恐る恐る、ピザに手を伸ばして口の中に入れた。ピザは熱々で、本当に美味しかった。
「おいしい、おいしいです!」
チーズが伸びるのが、どこかおかしい。温かいピザも、こんなに美味しい。何もかも、うれしい。
「ごちそうさまです」
食べ終わった時の挨拶は、手を合わせながらこうやるんだよとお姉さんは教えてくれた。僕は真似をした。お姉さんの真似をしたいと思ったから。だって、なんだかキレイなんだもの。
「こっちにおいで」
歯磨きした後、いつものように部屋の隅で寝ようとしたら、お布団の中にいるお姉さんに手招きされた。だから僕は、大丈夫ですと答えた。
「いいから、来なさい。お布団は一つしかないんだから。風邪ひくよ」
お姉さんはしつこく、僕にお布団に入るように言ってくれた。どうしてだろう?だから、僕は説明した。家でしているように、床で寝るんですと。
「お布団を汚したくないから、僕は大丈夫です」
僕は床で寝る理由を、分かるように説明をした。僕は汚い子だから、触るとお布団が汚れちゃうんだ。汚すと、怒られるんだから。
するとお姉さんは、強い口調で促してきた。僕は、ちょっとすくんでしまった。お姉さんが、本気で怒っていたから。それでもその目は、本当にキレイだと思う。ちょっと、怖いけど。
「いいからおいで」
腕を強く掴まれ、お布団の中に入れられた。僕はドキドキした。
お布団の中はふかふかで、あったかくて、いい匂いがした。僕と一緒のお布団の中に入ってくれたお姉さんは、温かくて柔らかかった。懐かしい感じがする。そう感じていたら、お姉さんにからかわれた。
「もしかして、おねしょするとか(笑)」
笑いながら聞かれた。
「しません!」
恥ずかしくて、僕は思いっきり否定した。お布団の中に、顔を隠した。
お布団の中は、本当に気持ち良かった。安心出来たから。こんな気持ち、忘れていたような気がする。
ここはもしかしたら、天国なんだろうか。天国には女神さまがいるって、お母さんが教えてくれた。女神さまは、ごはんを用意してくれるって。
そうか、やっぱりお姉さんは女神さまなんだ。
お姉さんはいたずらっ子のような顔をしながら、僕の頭や頬をなでてくれた。お姉さんの手は、とっても優しかった。
「なら、お布団が汚れることは無いね。いいから、お休み。少し狭いけど、ごめんね」
お布団から顔を少しのぞかせ、僕は軽くうなずいた。何だか、恥ずかしいから。お姉さんの顔をよく見たいのに、顔を見れない。なんでだろう?
腕と腕が触れあう、そんな温もりがこんなに幸せだったなんて、僕は忘れていた。少し、涙が出そうになる。でも、泣いてはいけない。泣いたら、お姉さんは悲しむかもしれないから。お姉さんが悲しむのは、嫌だと思う。お姉さんには、笑っていて欲しい。僕は、こころからそう思ったから。
薄暗い部屋でも、お姉さんは僕を見ていてくれる。お姉さんの心臓の音が、かすかに聞こえる。そのかすかな音に、僕は安心する。ああ、ここは本当に天国かもしれない。いつまでもこうしていたいと、そう願っていたら、いつの間にか眠ってしまった。
夢を見た。
遠くから子供の泣く声がする。
もう、泣かなくていいんだよと、僕はその子に声を掛けていた。
泣いていた子供は、僕だった。
「お姉さん、お姉さん」
目覚ましが鳴っても起きてくれない。お姉さんはまだ起きないので、仕方がなく揺り動かすことにした。いつもなら、黙って家を出るんだけど。お姉さんは目覚ましが鳴っても、中々起きてくれない。だから僕は、お姉さんを起こすまでおうちを出ることが出来なかった。
お姉さんは、うっすらとだけど、やっと目を明けてくれた。お姉さんは、きょろきょろしていた。
「おはようございます」
目覚めたお姉さんに、僕は朝の挨拶をした。お姉さんは勢いよく起きて、どたばたやりながら支度を終えた。あっという間に変装もするなんて、大人はすごいと思う。まるで、別人みたいだ。女優さんみたいで、とってもキレイだと思う。カッコいいと思うし、とってもいい匂いもする。
お姉さんは朝ごはんを食べに行こうと言ってくれたけど、僕は断った。僕は朝ごはんを食べてはいけないからだ。でも、昨日は何でパンを食べてしまったのかな?いつもの自分じゃなかったからかな?
「いいから、朝ごはん食べに行こう」
お姉さんは、いつも強引だ。でも、うれしい。なんだろう、ポカポカする。ワクワクする。
お姉さんと僕はファミレスに入り、席に着くと小さなテレビみたいな何かを操作していた。何だろう、これは?
「画面を触ると、表示するよ。ああ、朝はモーニングしかやっていないのか?どれにする?」
やりかたを教えてくれた。何だか、ゲームみたい。楽しい♪
僕は目玉焼きとトーストのセットを頼んだ。お姉さんはスクランブルエッグだ。そっちも美味しそう。
「ドリンク取りに行こう」
唐突に言われたけど、何をどう取りに行くのかな?お姉さんと一緒に、ドリンクが沢山あるという場所に向かった。
「何ですか、これは?」
僕は驚いた。端から端まで、こんなに色んな飲み物があるなんて!しかも、自分で入れるんだ。
「うん?ドリンクバーだよ。初めてかな?どれ飲んでもいいんだよ」
こんなにあると、どれがいいか分からなくなる。あ!コーラがあった!
「じゃあ、じゃあ、これがいいです」
僕はコーラを選んだ。コーラに憧れていたからだ。お姉さんはコーヒーのようだ。カフェオレって、言うんだね。カッコいいと思う。まるで、お姉さんのように。
ドリンクを取って席に戻ると、何かが近づいてきた。
ロボット?すごい!本に書いてあったロボットかな?
僕たちのテーブルの前に、ロボットは行儀よく停止した。すごい!しゃべるのかな?
「ほら、自分の料理を取りな」
お姉さんに促されたけど、まずはお姉さんの料理を取ることにした。僕はいつも、最後だから。
ロボットは、僕が料理を取っても立ち去ってくれない。ロボットをよく見ると、画面に矢印が出ていたので、矢印の先の完了ボタンを押したら、くるりと反転して立ち去って行った。僕は、ロボットから目を離すことが出来なかった。
「食べていいんですか?」
「いいんだよ、それは君のだよ」
僕の。僕の料理、僕だけの料理。僕の飲み物。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
僕はごはんを食べて、コーラを飲んだ。こんなに幸せでいいのかな?悪い子なのに。
だから、お姉さんにお礼をしたいと言ったら、名前を教えてと言われた。下の名前だ。
「真希、椎名真希です」
僕は名前を教えるのは本当は嫌だけど、諦めて名乗ることにした。何で、名前を知りたがるのかな?女の子みたいな名前で、馬鹿にされるから。でもお姉さんは、笑わないと約束してくれた。だから、僕もお姉さんの名前を呼んでみた。名前を呼んでみたかった。どうしてか、わからないけど。
「加奈子さん」と。
お姉さんはちょっと、驚いたようだった。瞳を大きく開いたような気がした。少し、笑ったような気がした。笑うと、かわいい感じがする。だから、いつも笑っていて欲しいと思った。泣いてほしくないと思った。僕は大丈夫だから。心配しないでと言いたいけど、何故だか言えなかった。
だから、僕は早く大人になりたい。
「うん、いいね、それ。じゃあ、私も真希君って、呼んでいい?」
「真希でいいです。真希君って、女の子みたいです」
僕は、名前を知られるのが嫌いだ。名前を呼ばれるのが嫌いだけど、本当は名前を呼んでほしかった。呼んでくれる人がほしかった。
だから、加奈子さんなら、そう呼んでもいいと思う。
加奈子さんに、名前を呼んで欲しいと思ったから。
どうしてだろう?
きっと、ピザが美味しかったから。
加奈子さんのおうちが、ピザのようだから。
加奈子さんが、ピザのように暖かったから。
加奈子さんの笑顔が、とっても暖かいから。
また、ピザを食べたいなあ。