第十七話 天国の家
真希は夢中になって、空を見上げていた。
彼は、何かを探しているようだった。
「見つかった?」
私は真希に尋ねるが、彼はただ首を振るだけだった。
「何を探しているの?」
「天国の家です」
私と真希は、念願のスカイツリーにやってきた。
実は私も初めて来るスポットだけど、プラネタリウムや水族館まである、複合施設とは知らなかった。いや、デートスポットなんて興味ないし。
年下の男の子と初のスカイツリーデートなんだけど、肝腎の真希はちょっと暗かった。ゴメン!私なんかが相手で。と、冗談を言っている場合ではない。
「天国の家には、誰が居るの?」
「公園のおじさんです。それにお父さんとお母さんがいます」
誰だろう、公園のおじさんて?でもそうか、ご両親がいらっしゃるところか。なら、納得いくまで探すしかないだろう。でも真希は、案外あっさりと諦めてしまった。
「もう、いいの?」
「いいんです」
「そう」
「はい!」
私たちはスカイツリーの内部を探検し、明るいうちに家に戻った。イルミネーションがキレイそうだけど、あんまり遅くまで小学生を外に連れ出すのもどうかと思ったし。
まあ、いちゃいちゃしているカップルだらけなのも、何だかむかつくし。
情操教育に悪そうだしね。
「今日は、ありがとうございました。どうしても、行ってみたかったんです」
「じゃあ、今度は純粋に遊びに行こう。スカイツリーにある、水族館にもさ」
「・・・・はい!」
真希が何を思い、何を託そうとしているのか私には分からない。
いつか、話してくれるといいな。
「帰りに、公園に寄ってもいいですか?」
「いいよ。行きたいところがあれば、いつでもいいよ」
私たちは帰りにコンビニに寄り、コッペパンを買った。真希は食べるでもなく、レジ袋をぶらぶらさせながら、ふたりで公園に向かった。
「公園で食べるの?」
「いいえ、お返しをするんです」
「うん?」
真希が向かったのは、公園にあるお花畑だった。花はまばらに咲いているだけだが、真希によると秋頃には一面のお花畑になるそうだ。
「真希?」
真希はお花畑の前にしゃがみ、コッペパンをレジ袋から出して、地面に置いた。
まるで、お供えをするように。
真希は、お花畑に向かって手を合わせていた。
「私も、手を合わせてもいいかな?」
「はい!」
ふたりはお花畑に向かって、手を合わせていた。コッペパンをお供えして。
「ここは、公園のおじさんのお墓なんです」
「公園のおじさんに、真希は何かお世話になったのかな?」
「はい、公園のおじさんのおうちに、一晩泊めてくれました。ごはんも貰いました」
そうだったのか。恐らくは、ホームレスのおじさんなんだろう。野宿しようとしていた真希を、おじさんが保護してくれたのだろう。なら、私も感謝しないと。でも、何で亡くなったんだろう。真希も知らないようだけど。
「公園のおじさんは、僕を励ましてくれたんです。いつか、いいことあるよって。おじさんの言った通りでした」
はにかむ真希の表情は、本当に幸せな子供の表情だと思う。たくさんの人の思いが、この子の笑顔を作ったのかもしれない。
この子の命を、守ったのかもしれない。
「じゃあ、行こっか」
「はい、でもちょっと待ってください」
真希はお供えしたコッペパンをはたいてから、レジ袋に戻した。
「え?持って帰るの?」
「お供え物は、持って帰るのが常識ですよ。カラスにやられたら、ご近所迷惑になりますから」
「ああ、はい。気を付けます」
しっかりしてるなあ。というか、この子はかなりしっかりしている。ある時から、家事を手伝ってくれるようになった。というより、朝晩の食事は真希が用意してくれるようになった。
私は真希に、そんなことはしなくていいから、好きなことをしなさいと言ったところ、意外な返事がきた。
「僕が好きで、やっていることです。問題無いと思いますけど?」
「いやいや、ヤングケアラーって知っているよね?今の真希って、一般的にヤングケアラーだよ」
「それは知っています。学校でも教わりました。でもそれは、家事をすることで、学業はもちろん、やりたいことやしなければいけないことが、出来ない子供のことです。僕は違います。成績も学年トップクラスです」
「でもでも、友達と遊べないじゃない?」
「学生の本分は、勉強です。遊ぶために、学校には行きません」
えええええええ!君、本当に小学生か?
「ええっと、なら家事をやらずにお勉強したら、どうかな?」
私は恐る恐る訊ねたけど、真希はきっぱりと言い放った。
「息抜きも必要です。僕にとっての家事は、必要な息抜きなんです」
何だろう、言い負かされているような。大丈夫か、私?
「分かったよ。でもさ、例えばサッカーとか野球とか、やらないの?真希は運動得意じゃん」
「何を言っていますか?そんな地に足が付いていないことをやっていたら、将来が不安です」
ええええええええええ?え?いい加減にしろって?でもでも、これって小学生の発想か?どうなってる、イマドキの小学生は?
「だいたい、本格的にやっている子から見たら、僕は運動音痴レベルなんですよ。競い合うだけ無駄です」
何だろう、この子は。もしかして、意識高い系なのかしら。
「じゃあ、趣味は?」
「加奈子さん、しつこいですよ。家事が僕の趣味です」
「う~ん、でもさあ」
「そういう加奈子さんこそ、何かしたいことはないんですか?」
ええっと、サウナに行ってお酒を呑む。バーベキューして、お酒を呑む。エステ帰りにお酒を呑む。海に行って、お酒を呑む。居酒屋に行って、・・・・・いやいやダメじゃん。こんなこと、真希に言えねえ。でも、最近お酒呑んでないなあ。どうしてだろう?
真希が大人になったら、一緒に呑もう♪
将来の目標が出来たけど、今は?
「ええっと、ゆっくりすることかな」
「なら、僕が家事をすることって、悪くないですよね?」
「ああ、はい、その通りです」
ドヤ顔をする真希を見つつ、何だか釈然としない私だった。
ある夜だった。
ふと深夜に目覚めると、私の部屋の床で真希が寝ていたのだ。
私は驚いた。でも真希は、すやすや眠っていたので、というか私も寝ぼけていたので、そのままにしてしまった。せめて、毛布ぐらい掛けてやれば良かったと思った。え?朝になって、何で気が付かなかったのかって?それは聞かないで。朝、真希に起こしてもらうまで、私は熟睡してます。すみません。保護者失格です。
「真希、おいで」
深夜に私の部屋にやってきた真希に、私は声を掛けた。真希は、明らかにうろたえていた。私が眠っていたと、思っていたようだ。すまん、いつも私を起こすのに、手こずっているよね。熟睡していると思って、油断したのかな?でもさ、君のことが心配なんだよ。だから、君が来るまで頑張って起きていたんだよ。
「いいから、寂しいんでしょう?床に寝るぐらいなら、こっちに来なさい」
真希は呆然としていた。パニックにでも、なったのかな?
「もう、いいから来なさい、私も眠いから」
真希の手を引っ張り、布団の中に入れた。真希は、抗わなかった。
布団の中で、真希は自分の胸に手を置いている。時々、彼はそんな仕草をするけど、今は以前と違い、無意識にやっているみたいだ。でも、そのお陰か、彼はすぐに落ち着いたようだ。
真希の頭を撫でてあげたら、すぐに眠りに落ちたようだ。真希が休んでいることを確認したら、私も眠りに落ちてしまった。私も、安心したせいかもしれない。
やっぱ、不安だったのかな。私も。
翌朝には、真希は相変わらず私を起こしてくれる。
あれって何だろう。起こしてくれると、かえって駄々をこねたくなるは。
起こすときにゆすってくれるあの手って、何だか気持ちいいよね。もっとゆすってて言ったら、呆れてもう起こしてくれなくなるのかな?
「ねえ、真希?」
「ごめんなさい」
「いや、だから謝れなんて言ってないよ」
「もう二度と、加奈子さんの部屋に入りません」
「それだと、私が遅刻するじゃん?」
「大人なんだから、朝ちゃんとひとりで起きてください」
うが~、痛恨の一撃を喰らってしまった。小学生に説教される図って、やばくないか?
「はい、気を付けますじゃあない。寂しいんでしょう?ひとりじゃ眠れないんでしょう?なら、真希がひとりで眠れるようになるまで、私が一緒に寝てあげるよ」
「でも、それじゃ、いつまで経っても大人にはなれません」
「あのね、一応18歳未満は誰が何と言おうと子供なの。それに真希は、私に何も求めないし、お小遣いだって求めない。だから、もっと子供らしくしていいんだよ。もっと、我儘になりなよ」
「加奈子さんの、負担になりたくないんです」
あれ?マジな話のようだ。忙しい朝にする話じゃないな。私も真希も、時間がないし。
「う~ん、その話は帰ってからにしよう。いい?真希を負担に思ったことは、一度もないよ。むしろ、私が真希に負担を掛けているんだよ。朝ごはんだって、夜ごはんだって真希の手作りだし。もう、十分貰っているよ」
「でも」
「はい、でもも禁止」
「またですか?」
「はい、大人は卑怯なんです。ほら、学校行った行った」
「はい、行ってきます」
そんなやりとりが、ここのところよく起きる。
心療内科の先生によると、真希が気を許している証拠だという。
ここを自分の居場所と、真希が認識している可能性もあるという。緊張が解けて、いい兆候でもあると。ただ、愛着障害の可能性も否定出来ないとも、先生はおっしゃっていた。口癖のように自分を悪い子と決めつけるのも、一種の過剰適応の可能性があることも、否定は出来ないと先生はおっしゃっていた。異変があったら、すぐに病院に連れてくるようにとも。
「滝川さんの紹介だから、きっといい先生なんだと思うけど、何でいつも可能性、可能性って言うかな?いちいち否定できないって、そう言われてもなあ。はっきりしてよ。それじゃ、分かんないじゃん」
今のところ、真希に何も症状が出ていないから、カウンセリングはとりあえず中止している。ただ、真希の背の伸び方が遅い気がするけど、これは個人差の範囲らしい。
「まあ、真希の境遇を考えたら、なんの影響もないはずはないのかな」
真希と似たような年齢のお子さんがいらっしゃる丸山課長によると、思春期に入ると面倒ですよと警告してくれた。特に反抗期になると、もう反抗することが目的になるので、本当に手が付けられないそうだ。
「クレーマーの方が、まだ話が分かりますよ(笑)」
「何て、恐ろしい」
「でもまあ、自立の第一歩なので、本当に苦しいのは子供の方なんですけどね」
「なるほど。ところで、本日の午後なんですけど」
「あ、それ沢井さんにお任せします。私は別件で」
丸山課長は、逃げ出してしまった。例の私の地元の仕事を、再度やってくれないかという話らしいのだが、見積もりで揉めてしまった。地元のケーブルテレビ局に、私のインタビュー番組が放送されたので、地元ではちょっとした有名人になったらしい。それで急に、手のひらを返してきたそうだ。
というか、本名は伏せてって言ったのに、何でよ?だったらさ、言い値で仕事を発注しろよと言いたいけど、それはそれ、これはこれらしい。政治家と対談するかしないかで、どうも話が代わるらしい。私は政治家ではありませんと、対談を断ったけど。一時は、私に出馬の打診の話もあったらしい。
もう、やめてよ。私は真希と、静かに暮らしたいだけなんだから。いっそ、実家に引きこもるか?
そういやあ、お父さん元気かな?
「丸山さん、何とかしてよ~」
愚痴を言っても仕方がないけど、一応上司に相談することにした。でも、丸山課長は私にお任せしますの、一点張りだった。断ってもいいですよと言われると、かえって頑張らないといけなくなる。
仕方が無いので、何とか突破口を見つけないと。
「いっそ、こどもファーストを公約にしている市長に、直談判でもするかな?」
それは最終手段だし、丸山課長は嫌がるだろう。だって、市長が出てくるのに、こっちは課長補佐では格好がつかないし。下手をしたら、選挙に出馬しない訳にいかなくなるし。
私たちは、静かに暮らしたいだけなんですってば!
いっそ、これを公約にでもするか?
そんな日常の合間、私は今回の事件の裁判を傍聴をすることにした。
そこで証人として出廷する、滝川さんや柿田さん、近衛さんとも再会するけど、会話は一切出来なかった。目で会釈をするだけだったけど、柿田さんはちょっと温和になったような気がする。
驚いたのは、滝川さんが厚労省の官僚だったこと。でも、なんとくそんな感じがしていたけど。
意外だけど私が証人として、裁判に呼ばれることは無かった。検事さんによると、間違いなく有罪に出来ると自信満々だったからだ。でも、他にも理由がありそうだけど。もしかしたら、滝川さんが手を回してくれたのかな?
真希を、法廷に呼ばせないために。
実際、裁判を傍聴すると、被告たちは互いに罪を擦り付け合い、自分たちは言われただけ、やらされただけと自己弁護する始末だし、主犯格の椎名夫妻に至っては、こんなことになるなんて想像しなかったとまあ、自分たちがいかに真希のことを思っていたのかをアピールし、自己弁護する始末だった。その証言も、検事の突っ込みで二転三転してしまい、裁判員たちも眉をひそめたりする場面があった。特に証拠として提出された、真希に暴行を加えていた際に記録してあった映像は、裁判員に悲鳴をあげさせた。裁判長も、眉をひそめる始末だった。
虐待の映像を取っておくなんて、どんな神経をしてるんだ?自分で自分の犯罪を立証する証拠を記録しておくなんて、もうまともではないなと思う。児相はそんな場所に、真希を置いたのか。今更ながら、慄然とした。
驚いたのが真希に掛けられていた生命保険だけど、複数の保険会社にまたがって加入していたとか。保険金を得る為に、事故死に見せかけようとしたのではないのかと。そうだとすると、保険金目当てと言えるけど、解約された後の虐待の目的が分からない。保険金額が上限を超えた為、解約されたからだ。だから真希を殺害しても、保険金は得られないはず。なら、真希に対して行った数々の暴行の目的は、カネではなかったことになる。
こうなると、私みたいな素人では動機が分からなかった。
それでも裁判は淡々と進み、検事が質問し、弁護士が異議を唱える。そして裁判長が却下するという、ドラマで見たアレが目の前で進行しているのだ。それも何度も。
「なんというか、見るに堪えない」
結局、私は裁判を最後まで傍聴することはやめてしまった。後で有罪判決が下ったと教えてくれたが、彼らは控訴して争うらしい。
「彼ららしいといえば、彼ららしいかも」
そんな日々を送っていたら、真希が意外なことを言ってきた。
「加奈子さん、暖房の設定温度を二度下げましょう」
「へ?」
真希は家計簿をつけていて、高い電気料金をどうにかしたいと思ったようだ。
額をペンでつんつんしながら、家計簿とにらめっこしている。君は主婦かい?というか、いつの間に家計簿なんて用意したの?小学生が家計簿をつけるって、どうなのと聞くと、学校で教わったそうだ。
「いやいや、私は冷え性だから、寒いのは嫌だよ」
「着こめば、いいだけじゃないですか?」
「じゃあ、じゃあ、真希が夜一緒に寝てくれるなら、考えてもいいけど」
あれから真希は、部屋でひとりで寝ている。私の部屋に、来ることは無かった。
どうしても気になったので、深夜に真希の部屋を覗いたら、彼はうなされていたのだ。汗もびっしょりかいていたので、私は驚いて彼を起こしたけど、悪い夢を見ただけと答えた。
でも、夢の内容を教えてくれなかった。
汗で濡れた服を着替える時に見えた、真希の身体に残る虐待の傷痕が生々しく見えた。まるで、そこだけ生きているように。もしかしたら、フラッシュバックが起きたのかもしれない。
あまり酷いようなら、病院に行くよと言っても、大げさですと返されるだけだった。加奈子さんの寝言と比べたら、全然大したことないですよと言われた時は、ええ、私は何を口走っていたのと聞いても、笑って何も答えてくれなかった。
だから、真希を近くに置いて観察しないといけないと思った。
「真希が一緒なら、温かくて私も安心して眠れるよ。どうかな?」
真希は、盛大にため息を吐いた。というか、本当に最近よく見る仕草だ。もしかして、わざと?
「分かりました。では、暖房の設定温度は三度下げます。それなら、一緒に寝ます」
私はガクッときた。そのうち、暖房を切りましょうとか言われるかもしれない。頑張って、電気代を稼がないと。よし、残業を増やそう。幸い、丸山さんだったら、いくらでも仕事を回してくれそうだ。いや、このままだと過労で倒れるかも。
いざとなったら、暖房を諦めて、真希に温めてもらおう。
そう思いついたら、真希が私を見つめていた。もちろん、好意的な視線ではないことは、私だってよく理解していますよ。
でもね、お願いだから、変なイキモノを見るような目で私を見ないで。私も変なことは、慎みますから。
でも、少しぐらいなら、いいでしょう?ダメ?
またある時、真希がこんな提案をしてきた。
「投資信託もしましょう。預金だけだと利息もたいしたことがないので、どうでしょうか?」
え?真希は営業さんですか?
「ええっと、そんなに家計が苦しいの?」
おかしいな、里親の助成金もあるから、そんなに苦しいはずはないけど?お酒も呑んでないし。電気代がそんなにすごいの?
「将来の為です」
「将来って、何?」
「例えば、僕が高校を卒業したらすぐに就職しますと言ったら、加奈子さんはどうしますか?」
「ダメに決まってるじゃん。真希は頭がいいんだから、大学に行きなよ」
「そうでしょう。加奈子さんなら、きっとそう言ってくれると思っていました。だから、大学進学を見据えて、今から資金を貯めておかないといけません」
真希は、その資金計画表を私に見せてきた。正直、よく分からない。大丈夫か私?
「真希はいつ、こんな勉強をしたの?」
「学校です。金融リテラシーを学ぶ授業があるんですよ。主権者教育もありますよ」
え?何それ?きんゆうりてらしー?しゅけんしゃきょういく?知らんがな。
「へ、へ~、そうなんだ。ま、まあ、頑張ってね」
「何を言っているんですか、加奈子さんも頑張るんですよ」
「え?私も?」
「新しい服や靴の購入を、もう少し控えてください。着るならともかく、クローゼットに飾るだけなら無駄です。靴箱も、いっぱいですよ。いい加減にしないと、フリーマーケットに出しますよ?」
「ああ、はい。すみません」
何だろう、もしかして真希はお母さん?しっかりしてるなあ。いっそ、私のお嫁さんになるかい?
「でも、最後は僕が頑張ります。いい大学に入って、いい会社に就職して、加奈子さんを楽にしてあげますから」
感動した。て、いやいや、そんなことの為に、あんたを養っている訳じゃないよ。
「ホント、私のことはいいから、自分を優先して」
「はい、もちろんです」
自信たっぷりな表情を見せてきたけど、どうせ、加奈子さんの為に頑張るのが、僕の優先事項ですって、そう答えるだけだろう。
ダメだ。真希には、どうしても勝てない。
でも、いつか私以外に、大事な人を見つけるだろう。それが、自然だから。
そんなことを考えていたら、携帯が鳴った。珍しく、父からだ。
「もしもし、何、お父さん?」
「お父さんじゃない!」と、いきなり怒鳴られた。
「うわ!」
「お前、いつ引越しした?荷物送ったら、あて先不明で戻ってきたぞ?」
「ああ、ゴメン。忘れてた」
「まったく。それで、今度いつ帰ってくる?ゴールデンウィークには、帰ってくるんだろうな?」
「ええっと、仕事が忙しいんで」
「休みも無いのか?いい加減、たまには帰ってこい。だいたい、働き方改革はどうなっている?」
親子で同じことを言ってたら、世話が無いなあ。
「それよりも、そろそろいい人は居ないのか?いい加減、いい人を見つけて、うちに連れてこい」
「ええっと、ね。紹介したい人は、まあ居るには居るんだけど」
「何だと?それを早く言え。それで、いつ結婚する?まさか、結婚しないなんて、言わないだろうな?」
「そういうんじゃ、ないんだよ。いい、落ち着いて聞いてね。私、里親になったんだよ」
「何だ、里親って?」
「まあ、かいつまんでいえば、子供を引き取ったんだよ」
「はあ?お前、何を言っている?結婚もしていないのに、子持ちになったのか?」
「いやまあ、ちょっと違うかな。だから、今度その子を連れて行くから、怒ったりしないでね」
「バッカもの!何から何まで、親に相談せずに好き勝手やりおって。簡単に子供を引き取るなんて。だいたい、お前に子育てが出来ると思っているのか!」
いや、まったくその通りです。私がその子供の世話になっていますなんて、とても言えないけど。
「とにかく、その子を連れて挨拶にいくから、怒ったりしないでね」
「分かった、とりあえず帰ってこい。じっくりと、話そう」
「いや、御免被りたいのですけど」
「何か言ったか?」
「いえ、何でも。じゃあ、また連絡するから」
「おい!まだ話は終わっていない」
一方的に通話を終了した。いや、これ終わんないでしょう。その前に私が終わりそうだし。やれやれ。
「真希、今度のゴールデンウイークだけど、時間ある?」
「はい、休日はいつも図書館に行って勉強しようと思っていたので、時間は大丈夫です」
おい、何だそれは?もっと、遊べよ。ゲームぐらいやりなさいよ。
「私の実家に行くから、そのつもりで」
「加奈子さんの、お父さんとお母さんに会いに行くんですか?」
「う~ん、まあ、そんな感じかな?」
私の曖昧な言い方に、真希は首を傾げた。
私の実の母親は、若い男と駆け落ちをしてしまっているので、今いるお母さんは継母になる。子供も二人いる。だから私は、高校を出たら大学進学を機に、ひとり暮らしを始めた。就職したら、実家にはもう帰ることはないと思っていたけど、真希を紹介したいと思った。
私に何かあったら、実家を頼るようにと、真希に教えておきたかったから。
ふと、あることに気が付いた。真希の実のご両親のお墓は、どこにあるんだろうか?でも、何だか聞けない。聞いてはいけない気がするけど、いつか聞かないといけない。
だって、公園のおじさんのお墓だけあるなんて、ちょっと変だしね。
「ただいま~!」
「バッカもん!何で、連絡を寄こさん!」
「怒らないって、約束したじゃん」
「そんな約束をした覚えはない。まあいい、早く上がりなさい。ああ、君が真希君だね?」
「はい、お邪魔します」
うん?真希君呼ばわりは、オッケーなのかな?というか、お父さんの声のトーンが、私と全然違うんですけど。扱いに、差がありすぎじゃない?
「遠いところ、疲れただろう。しばらく、休んでいなさい」
あの~、私には?ああ、分かってますよ。そんなに睨まないでよ。
「平気です。お手伝いします」
「ああ、君は実にいい子だ」
「そう、真希はとってもいい子なんだよ」
「お前も見習え!」
「加奈子さんは、いい人です。とっても優しくて、僕を守ってくれました」
「そうか。でもな、そんなのは当たり前なんだよ。悪い人が子供を預かってはいけないし、子供を守れない人も保護者の資格はないんだよ」
真希は、俯いてしまった。
まあ、そうなんだけどね。それが当たり前なんだけど、今までの真希の価値観というより、椎名家の価値観とは違うんだよなあ。だからこそ、真希には普通の価値観を、持ってもらわないといけない。そう思ったからこそ、実家に帰省することにしたんだ。
でも、これは今は話せないな。
「ああ、加奈子さん、お帰りなさい。真希さんも、いらっしゃい。初めまして、咲子と言います。ふたりとも元気そうで。ゆっくり出来るんでしょう?」
継母の咲子さんだ。いつも笑顔な人なんだけど、私はちょっと苦手なんだ。何と言うか、優しすぎるっていうところが。
「咲子さんも、お元気そうで」
「こら!お母さんだろう」
「いいんですよ、お父さん。加奈子さんにとってのお母さんは、加夜さんただ一人なんですから」
「あんな奴、もう知らなくていい」
「あらあら」
「あの、加奈子さんのお母さんって?」
「ああ、この人は咲子さんて言って、お父さんのお嫁さん。私の実の母は、もういないんだ」
「え?」
真希がすごく深刻そうな顔をしたので、私は慌てて訂正した。
「家出をしただけなんだよ」
「家出ですか?どうしてですか?」
「う~ん、どうしてだろうね。私もよく分からない」
男と駆け落ちした何て、ちょっと言えない。でも、いつか話してあげよう。きっと、驚くだろうけどね。
だからね、嫌なら逃げ出してもいいんだよって、真希にそう教えたい。
「おい、メシはまだか?この子も、お腹を空かせているだろう?」
「はいはい、もう少しですよ」
これだ。父のこの横暴さ。きっと母は、こんないかにも昭和的な父に愛想を尽かしたに違いない。実際、今でも私が働いていることに、反対をしている。女は嫁に行くもの、それが一番の幸せだと。
ならさ、お母さんはどうなるのさ?幸せだったら、駆け落ちなんかしないよね?
「今日は、すき焼きにするわ。いいお肉をたくさん用意したから、いっぱい食べてね」
「育ち盛りの男の子だから、1キロぐらい軽く食えるだろう」
いやいや、何を無茶な。まあ、食べ盛りが三人いれば、確かに軽いかも。
「あれ?そういえば美咲と奈生は、どうしたの?見当たらないけど?」
「ああ、美咲は私の実家に預けてますよ。奈生は、お友達のお家にお泊りするとか。だから、今日は親子水入らずで、過ごせますよ」
「ええ?そんな気を遣わなくても」
というか、父と水入らずなんて、これって何かの罰ゲームですか?聞いてないんですけど。知ってたら、来ないよ。
「ほら、コップが空いただろう?」
「ああ、はいはい」
横暴な父は、コップを咲子さんの方にグイッと突きだした。
咲子さんがビールを注ごうとしたら、真希がそれをやろうとしてくれた。
「僕がやります。お手伝いします」
「いいから、君はゆっくりしていなさい。こういうのは、女の仕事だ」
「でも、学校では家のことは手伝うようにと、そう教わっています。だから、お手伝いします」
咲子さんはにこにこしながら、お父さんのコップにビールを注いだ。父は、それを一息で飲み干した。何と言うのか、いい気なものだ。
「お父さん、真希に変な価値観を植え付けないで。学校では、色んな教育をしているんだから」
というかさ、お父さんそれで良く、小学校の校長が出来るね?あんたが手本を見せないで、誰が見せる?
「ふん。それでみんなが、幸せになったのか?」
父はいきなり、新聞を広げ始めた。対話の終了を意味する、いつものやり方だ。
私はこういう父が、嫌いだった。押しつけが、嫌だった。でも、これが父の生き方なんだと思うと、あえて何かを言うつもりはない。だから、ただ離れるだけだった。
「はいはい、食卓を空けてください」
食卓に、ガスコンロが置かれた。カセットコンロと違って、お店のように大きい奴だ。真希が、すきやき鍋を運んできた。大きいすきやき鍋だ。いや、本気で1キロ食わせる気か?
「僕がやります、やらせてください」
鍋奉行は咲子さんが担当しようとしたが、真希が是非やりたいと言ったので、咲子さんは鍋奉行を真希に譲った。そういえば、うちでは鍋をやったことがないなあ。今度、やってみよう。
「はい、加奈子さん」
「あ、ありがとう」
「加奈子なんか、後でいいんだ。真希君が、先に食べなさい、大人は、残り物で十分だ。私が、代わろう」
「え?でも?」
いつも残り物しか与えられなかった真希にとって、これは意外だっただろう。
「真希、私はこんなに食べれないから、先に食べて」
「はい。では、頂きます」
「はい、頂きます」
お父さんと咲子さんは、私たちを黙って見ていた。咲子さんは相変わらずにこにこしているけど、父は何だか難しそうな顔をしている。いや、メシがマズくなるから、その顔やめて。
「呑むか?」
お父さんが私に、ビール瓶を差し出してきた。
あれ?女が酒を呑むなんて、はしたないとか言っていなかったっけ?
「ああ、今は断酒してます」
「いいじゃないですか、ここは加奈子さんのおうちなんでしょう?今日ぐらい、いいと思いますよ」
「ええっと、じゃあ」
「なんだ、お前は酒を断っていたのか?」
コップにビールを注いでもらい、思わず一息で飲み干してしまった。うまいっ!!!
「ぷはあああ~」
「おい、何だその飲み方は?」
うっさいなあ。あんた、いったいどっちなんだ?あ、咲子さんありがとう。
「まあまあ、いいじゃありませんか、お父さん」
咲子さんは私のコップにビールを注いだあと、そのまま今度はお父さんのコップにビールを注いだ。なんというか、絶妙なタイミングだと思う。
「お父さん?」
「ん?真希、何?」
「いえ、何でもありません」
真希はひたすら、お肉を食べている。お父さんも、どんどん鍋にお肉を入れる。付ける卵も3個目だ。鍋奉行は、途中から咲子さんに代わった。父は疲れたようだ。
だいたいさ、お肉1キロプラスお野菜は、ちょっと多くない?お相撲さんじゃ、ないんだからさ。
それにしても、真希はよく食べるな。うちでは、遠慮していたのかな?
「何、その食欲。うちではそんなに食べないじゃん。遠慮してたの?」
「当たり前です。家計を預かる身としては、無駄遣いは出来ません。ここで、食べ溜めをします」
私は、ガクッときた。お酒解禁も、ここならタダだからか?私って、そんなに甲斐性無しなんでしょうか?ええっと、とにかく頑張ります。服は買いません、残業もいっぱいしますので、勘弁してね。
お腹いっぱい、食べてくださいね。
「おい、この子にちゃんとしたものを、食べさせているんだろうな?」
すみません、私はよく知りません。だって、お台所は真希が、専有しているので。
「育ち盛りの子に、不自由させていないだろうな?レトルトとか冷凍食品なんか、食べさせていないだろうな?まさかと思うが、ジャンクフードなんか与えていないだろうな?」
「はい、大丈夫です。僕がしっかり、管理していますので」
ちょっと、私が返事をする前に、本当のことを言わないでよ。ほら、またお父さんが私を睨んでるじゃないか。というか、さっきからずっと睨んでいるんですけど。
もう一杯、呑もう。お父さんも咲子さんも注いでくれないから、手酌でやろう。
「お前まさか、この子に家事とかやらせていないだろうな?」
「ええっと、ちょっとだけ」
「ちょっと?本当かね、真希君?」
「はい、ほんのちょっとだけです」
君!本当にいい子だよ。
「いいか、真希君。加奈子がちゃんと家事をしてくれなかったら、うちに来なさい。咲子が世話をしてくれる。それにうちには二人の子供もいるし、加奈子よりも君に年が近い。勉強だって、教えることも出来る。ダメな大人の側にいたら、君までダメになる」
「大丈夫です、加奈子さんは立派です」
あの~、お父さん。何で私ばかり、睨むんですか?私がそう言えって、真希に言っていないですよ。というか、その立派って何?小学生にお世話になっている人って、立派じゃないでしょうに。
嬉しいけど、過大評価だよ。でも、頑張ります。
一応、私は世帯主なんで。頑張って、活躍しないと。
「お父さん、今は女性が、活躍する社会だよ。総理大臣も、そう言ってるし」
「子供を犠牲にして、活躍も何もあるか!」
「まあ、いいじゃないですか。今時は、子供の方がしっかりしていますよ」
咲子さんグッジョブ!
「そうそう」
「お前が言うな!」
真希が笑っていた。思いっきり、笑っていた。今まで、こんなに思いっきり笑う真希を、私は見たことが無かった。びっくりするぐらい、無邪気な笑顔だ。
小学生の笑顔だった。
実家に連れてきて、本当に良かった。私はお酒が呑めて、まあまあ良かったかも。これでお説教が無ければ、言うことないんだけどね。
でも、やっぱり感謝しないとね。
「お父さん」
「何だ?」
「ありがとう」
「きゅ、急になんだ、ふん!」
恥ずかしいのか、ビールをぐびぐび呑んでいた。私がお父さんの空いたグラスにビールを注ごうとしたら、咲子さんが先に注いでいた。
咲子さんは私に、軽くウィンクをした。
私はこの人が苦手だけど、でも嫌いではなかった。
だって、私はこの人に憧れていたから。
だから、もっと話そうと思った。