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天国の家  作者: せいじ
16/18

第十六話  少年のこころ 

「あぶない!」

 お母さんが、僕を突き飛ばした。

 その瞬間、車が僕のお母さんとぶつかった。

 お母さんが、飛んで行った。

 お母さんは、倒れた。

 お母さんは、手を伸ばしていた。

「お母さん?お母さん!」

 僕は、お母さんに近づこうとした。でも、誰かが僕を止めた。見てはダメだと言う。でも、お母さんが必死に、僕の方に手を伸ばしている。僕はその手を、取らないといけない。お母さんの側に行かないとダメなのに、どうしてもお母さんの側に行くことができなかった。

 だめだ、このままじゃ、お母さんの心臓が止まってしまう!

 お願いだから、僕をお母さんの側に行かせて。

 お母さんの胸に、手を当ててあげないと、お母さんが死んじゃうんだ!

 お願いだから、お母さんの側に行かせて!

 お母さん!お母さん!

 僕は知らない誰かに、抱きかかえられてしまった。

 お母さんから、どんどん遠ざかってしまった。

 お母さんの心臓から、どんどん遠くなってしまった。

 僕の手が、届かないぐらいに。

 お母さんは、手を握りしめた。

 僕も握りしめた手を必死に伸ばしたけど、お母さんに届かなかった。

 お母さんの握った手は、地面に落ちてしまった。

 それでもお母さんは、僕を見ている。

 遠ざかる僕を、優しく見つめている。

 お母さんが、何か言っている。

 お母さんが、僕に語り掛けている。

 大丈夫?と、そう聞いているようだった。


 お母さんは、微笑んでくれた。



 お母さんと、二度と会うことは無かった。


 

 お父さんは病気で、ずっと入院していた。

 僕はお母さんと一緒に、病院によくお見舞いに行った。

 お父さんは退院したら、いっぱい遊ぼうと僕に言ってくれた。お父さんと僕は、男と男の約束をした。必ず、元気になるって。

 握った手をお父さんの握った手とくっつける、グータッチをして約束をしたんだ。これは、元気になる印でもあるんだって。僕はいつも、最後に必ずグータッチをするんだ。お父さんの胸にも、手を当てるんだ。僕の元気を、お父さんに分けてあげたいから。

 そんな時のお父さんは、元気をいっぱいもらったって、喜んでくれた。

 でも、お父さんは元気になってくれなかった。


 お医者さまが、お父さんの胸に手を当てていた。何度も、何度も、お父さんの胸に手を当てていた。お父さんが、起きてくれなくなったから。お父さんの元気が、無くなってしまったから。だから僕も、お父さんの胸に手を当てるんだ。そうすれば、お父さんも元気になると思うから。

 でも、看護師のお姉さんが、お外に行こうねと言って、僕をお父さんの側に行かせてくれなかった。

 お父さんを起こしたいんです、元気にしたいんですと言っても、また今度にしましょうねと言って、僕を外に連れ出そうとする。お母さんは、お外に行っていなさいと言っていたけど、お母さんは泣いていた。

 

 お父さんは、二度と起きてくれなかった。


 お父さんの心臓は、もう動いてくれなかった。


 僕がお父さんの胸に、いくら手を当てても。

 

 男と男の約束は、守ってくれなかった。


 でもそれは、僕のせいだと思う。


 あの時、お父さんの胸に、僕の手を当ててあげることが出来なかったから。


 だからきっと、起きなくなったんだ。


 約束を守れなかったんだ。


 お父さんは、いなくなった。


 お父さんは、どこに行ったのかな。僕は、お母さんに訊ねた。

「う~んとね、お父さんは天国に居るんだよ」

「天国?それって、どんなところ?」

「神さまが、いるところだよ」

「神さまが、いるんだ。でもでも、ならごはんはどうなるの?お母さんがいないのに、誰がごはんを作るの?お父さん、お腹ペコペコになるよ」

「そうねえ、でも大丈夫。天国には女神さまもいてね、みんなのごはんを作ってくれるんだよ」

「ホント!」

「だからね、お父さんも寂しくないんだよ・・・」

 お母さんが泣いた。こういう時、僕はどうしていいか分からない。きっと、僕も泣いてしまうから。

 だから僕は、お母さんの胸に手を当てる。僕の元気を、お母さんにあげるために。お母さんの心臓が、止まらないように。心臓が止まったら、お母さんも、天国に行ってしまうから。お母さんの心臓が止まったら、僕を置いて天国に行ってしまうから。お父さんもきっと、心臓が止まったから天国に行ってしまったんだ。だから僕は、お母さんの胸に手を当てるんだ。そうすれば、お母さんもきっと元気になってくれるから。

 お母さん、元気だしてって。

 

 お父さんは、天国で元気なのかな?

 お母さんがいなくて、寂しくないのかな?

 神さまや女神さまがいるんだから、きっと寂しくないよね。

 お父さんが天国で寂しくないなら、お母さんは寂しいんじゃないのかな。

 お父さんがいなくなって、お母さんには誰もいないから。

「大丈夫。お母さんには、真希が居るから」

 お母さんは、僕の胸に手を当ててくれた。

 ほら、心臓が動いてるでしょうと、優しく語り掛けてくれた。

 僕はそんなお母さんの手が、とても大好きなんだ。


 お母さんが寂しそうにしている時、僕はお母さんとグータッチをしてあげるんだ。入院していた時のお父さんと、僕としていた元気になる印なんだよって。だから、お母さんにもしてあげるんだ。元気になってねって。

 お母さんは、いつも笑ってくれる。嬉しそうな顔をしてくれる。

 その時のお母さんの顔が、僕には一番大事なんだ。

 それでもお母さんは、悲しそうな顔をする。僕はそれが、一番嫌なんだ。そんな時、僕はとっても不安になってしまう。つい泣いてしまう。

「安心して、お母さんはいつまでも真希と一緒だから」

 不安だった時、お母さんは僕を抱きしめてくれた。お母さんは温かくてやわらかくて、とってもいい匂いがする。お母さんが側にいてくれたから、僕は本当に幸せだった。お母さんの胸の音を聞くと、不安が消えて安心する。お母さんの胸の鼓動が、まるでお歌のように聞こえるから。

 お母さんの、お歌のようだから。

 そうか、お母さんが女神さまだったんだ。だから、お父さんや僕にごはんを作ってくれるんだ。

 僕のおうちにいるお母さんが、女神さまなんだね。


 時々お母さんは、寂しそうにしている。

 僕は、それが嫌だった。

 ずっと、笑ってほしかった。

 どうすれば、あの時みたいに笑ってくれるだろうか?


 お父さんが、いた時のように。


 僕には、分からなかった。


 早く、大人になりたかった。


 ある日だった。知らないオジサンが家に来た。

「もう寂しくないよ。これからは、私が君のお父さんだからね」

 僕は嫌だった。僕のお父さんは、お父さんだけだから。オジサンは違う人だから。でも、お母さんが悲しそうな顔をするから、僕はその人をお父さんと呼ぶことにした。そうすれば、お母さんが喜ぶから。


 

 お母さんは、いなくなった。

 お母さんは、天国に行ってしまった。

 僕を置いて。

 きっと、僕のせいだ。

 僕のせいなんだ。

 あの時、僕がお母さんを見捨てたから。


「大丈夫だからね。私が君を守ってあげるから」

 僕がお父さんと呼んでいるオジサンは、僕にそう言ってくれた。でも、目が怖かったし、顔は笑っていた。

 お父さんがいなくなった時のお母さんは、笑ってくれたけど泣いていた。笑っていたけど、悲しそうな目をしていた。でも、新しいお父さんは、泣いていなかったから、きっと、寂しくないのかもしれない。悲しくないのかもしれない。お母さんがいなくなっても、平気みたいだ。

 どうしてだろう?


 しばらくしてからだ。うちに女の人がきた。新しいお母さんだという。新しいお母さんには子供が二人いて、僕に弟と妹が出来た。僕は、それがうれしかった。ひとりでなくなったから。

 弟は僕と口をきいてくれなかったけど、妹はおっきいお兄ちゃんと呼んでくれた。

 妹は、かわいかった。


 ある時、新しいお父さんに殴られた。いきなりだった。

 弟が僕の自転車を使おうとしたので、それは僕のだからダメと言ったからだ。だから、殴られた。

 独り占めは、悪い子の証拠だって。


 僕の自転車は、僕の自転車ではなくなった。


 気が付くと、僕の机や持ち物は、全部僕のモノではなくなった。

「お兄ちゃんなんだから、いいでしょう」

 そう、新しいお母さんに言われた。僕はこの家では、よそん家の子供だからだ。弟が、僕にそう言っていた。僕はお兄ちゃんでもなんでもない、ここの子でもないんだって。

 ある日だった、弟が僕の名前を馬鹿にした。女の子みたいだって、笑っていた。僕は怒って、弟を殴った。悪いことをしたら、殴らないといけないと思ったから。お父さんがよく、悪いことをした僕を殴ったから。だから、同じことをしたんだけど。

 それに、僕に名前を付けてくれたお父さんとお母さんが、笑われたみたいだから。

 それはとても、悲しいから。

 でも、僕はその日の夜に、新しいお父さんにたくさん殴られた。僕は悪くないのに。悪いのは弟なのに。悪い子は、殴っていいんじゃなかったの?殴んないと、いけないんじゃないの?なんで?

 どうしてと聞くと、お前は人殺しだからだと言われた。

 お父さんもお母さんも、お前が殺した。お前のせいで死んだ。お前は悪い子だと、そう言われた。

 おっきいお兄ちゃんと呼んでくれた妹も、もう口をきいてくれなくなった。僕と仲良くすると死ぬから。だから、僕から話しかけるのもやめた。だって、かわいい妹だから。妹が死んだら、とても嫌だから。不安になるから。だから僕は、自分の胸に手を当てる。そうすれば、安心出来るから。

 

 お母さんが大事にしていたブローチを、新しいお母さんが服に着けていた。

 僕はダメだと言った。それはお母さんが、大事にしていたブローチだから。お父さんから貰った、大事な大事なブローチだから。お母さんが、そう言っていたから。

 その日の夜、新しいお父さんに殴られた。蹴られた。お母さんに酷いことを言った、悪い子だと。

 僕は、気を失った。

 次の日、胸がズキズキするけど、僕は我慢して学校に行った。

 胸に手を当てて、心臓が動いているのを確認した。まだ、僕は大丈夫だ。歩くのが辛いけど、息苦しいけど、家にいたくなかったので学校に行った。でも、気が付いたら病院にいた。

 僕は学校で気を失って倒れたって、看護師のお姉さんに教えられた。

「もう、大丈夫だから」

 たきがわさんというオジサンが、僕にそう言ってくれた。

 でも、何が大丈夫なのか、よく分からなかった。

 僕は病院を退院しても、家には帰れなかった。どこか知らない、病院みたいな建物に入った。ここなら安全だからって、知らないおねえさんにそう言われた。

 でも、ここは嫌な場所だった。外には出られないし、知らないお兄ちゃんにからかわれたり殴られるし、学校にも行けない。だから僕は、外に出たいとお願いした。

 たきがわさんが、僕と会ってくれて、僕の話を聞いてくれた。

 でも、たきがわさんは、外に出ない方がいいと言った。

 お母さんのブローチが、取られると思ったから、たきがわさんにお願いした。

 これからは、いい子にしますからって。

 だから、早く家に帰してって、たきがわさんにお願いした。


 たきがわさんは笑っていたけど、お母さんみたいに泣いたような顔をしていた。


 僕は、胸が苦しくなった。


 僕は家には帰れずに、オジさんと名乗る人のおうちに行くことになった。

 オジさんのおうちにいたら、すぐにおうちに戻れるからって。


 オジさんの家は散らかっていて、たまにしかごはんを貰えなかった。

 オジさんの家には知らない人がいつもいて、邪魔だと言って僕を蹴った。

 オジさんの家にいつもいる、オバさんはたばこをよく吸っていたし、僕に煙を吹きかけて笑っていた。僕は、苦しかった。

 たばこが、とても熱くて痛かった。

 そんな時、オジさんたちはいつも笑っていた。

 僕は、家に帰りたかった。お母さんのブローチを、取り返さないといけないと思ったから。取られたら、お母さんが悲しむと思ったから。


 僕は、家に帰れた。

 オジさんは、もう我儘言うなよと僕に言った。

 僕が、何をしたのだろうか?僕が悪い子だからなのかな?我儘って、なんだろう?僕にはわからなかった。


 どうすれば、僕はいい子になれるんだろう。


 家に戻ると、もうそこは僕の家では無かった。

 お母さんのブローチも、お父さんの万年筆も、全部捨てたと言う。

 僕は抗議した。でも、何も聞いてくれなかった。

 その日から、僕のごはんはどんどん減ってしまった。

 真希はお兄ちゃんでしょう、弟や妹が先でしょうと言われたから。

 僕は、お腹が空いた。お腹が空くと、とても悲しかった。でも、胸に手を当てていたら、少しだけ安心した。

 

 学校から帰ったら、家に入れてくれなかった。鍵がかかっていた。僕は何度も何度も、入れてとお願いした。悪い子は、どこへでもいきなさいと言われた。

 きっと僕は、何かしたのだろう。

 僕は仕方なく、街を歩いた。

「君、こんな時間に何をしている?」

 おまわりさんだった。僕は家に入れませんと正直に話したら、おまわりさんは家まで付き添ってくれた。新しいお母さんは、この子は家出癖があるんですよとおまわりさんに説明していた。おまわりさんは、それでも子供が外に居ていい時間じゃありませんよと、新しいお母さんに言ってくれた。

 だから、謝ったのは僕だった。僕が、悪い子だからだ。

 その日、新しいお父さんにお仕置をされた。縛られて、動けなかった。殴られなかったけど、蹴られなかったけど、トイレにも行けずに僕は泣いてしまった。胸に手を当てることが、出来なかった。

 不安だった。とても怖かった。

 弟は、そんな僕を見て笑っていた。

 僕は、部屋を汚してしまった。


 僕は、汚い子供なんだ。


 学校から戻ると、また家に入れてくれなかった。

 だから今度こそ、うまくやらないいけない。

 僕は、そう決意した。

 以前から、公園で宿題や勉強をしていたから、そこで一晩過ごすことにした。

 ここなら、トイレも水もあるから。

 明かりもあるから。

「坊や、こっちに来な」

 公園に住んでいる、おじさんに声を掛けられた。

 時々、僕に話しかけてくれる、優しい公園のおじさんだった。たまにお菓子をくれる、本当にいいおじさんなんだ。

 公園のおじさんにどうしたんだと聞かれたから、僕は家には帰れないんですと話すと、公園のおじさんは僕にごはんをくれた。寝るところを、用意してくれた。

 少し寒かったけど、狭かったけど、僕は幸せだった。

「坊や、辛くてもいつか、いいことはあるからな」

 公園のおじさんは、そう言ってくれて、僕の頭をなでてくれた。

 公園のおじさんは、笑ってくれた。僕も笑った。

 あのオジさんとは違う、新しいお父さんとも違う、素敵な笑い方をしてくれる。

 僕は公園のおじさんの、そんな笑った顔がとても好きなんだ。

 まるで、お母さんの笑った顔みたいだから。

 もしかしたら、この人は神さまなんだろうか。僕はそう思った。だけど、休み明けに公園に行ったら、公園のおじさんはいなかった。給食のパンをこっそり持ち帰って、公園のおじさんに渡そうと思ったのに。泊めてくれた、お礼にしようと思ったのに。

 一緒にいてくれた、お礼をしようと思ったのに。


 ある日、学校帰りに公園に立ち寄ったら、公園のおじさんのおうちが壊さそうになっていた。

 僕は、公園のおじさんのおうちを壊そうとしているオジサンたちに、やめてとお願いをした。公園のおじさんが、ここに帰ってこれなくなるから、おうちを壊さないでって、たくさんお願いをした。

 僕は頑張って、いっぱいいっぱいお願いをした。

 ここは、公園のおじさんのおうちなんだよ。

 お願いだから、公園のおじさんのおうちを壊さないで。

 おじさんは、いい人なんだ。

 とっても、優しい人なんだよ。

 ダメだよ、そんな酷いことしないで。

 本当なんだ、おじさんはいい人なんだよ。

 信じてよ!

 お願いだから、僕の話を聞いて!

 ねえ、分かってよ!

 もう、やめてよ!

 壊さないで!


 お願いだから、もう僕から奪わないで・・・。


 オジサンたちは、ここに住んでいたおじさんは、もう死んだんだと教えてくれた。

 だからもう、公園のおじさんはいないんだ。

 公園のおじさんのおうちは、いらなくなったんだ。


 僕のせいで、公園のおじさんは死んだ。

 僕に優しくしてくれる人は、みんな死んじゃうから。

 だから、僕のせいだ。

 僕がいなければ、公園のおじさんもお父さんも、お母さんも死ななくて良かったんだ。

 公園のおじさんのおうちも、壊されなかったんだと思う。

 僕は泣いてしまった。ひとりで、泣いてしまった。

 取り返しのつかないことを、僕はしてしまったと気が付いたから。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 でももう、誰もいない。誰にも謝れない。

 僕は、ひとりになった。

 でもきっと、公園のおじさんは天国にいったんだと思う。天国で、女神さまが作ったごはんを、お腹いっぱい食べてると思うと、寂しいけど良かったと思う。

 お礼は出来なかったけど。もう、恩返しは出来ないけど。きっと天国で、お腹いっぱいになっていると思った。

 でも、どうしてか分からないけど、涙が止まらなかった。


 おかあさん。


 公園のおじさんのおうちの後には、お花畑が作られた。

 ここがきっと、公園のおじさんのお墓なんだ。きっと、そうだ。おじさん、良かったね。

 僕はこころから、そう思った。だって、こんなにキレイなお墓なんだもの。キレイなお花が、いっぱいなんだもの。まるで、天国のように。

「それに天国に行けば、女神さまもいるし、僕のお父さんやお母さんもいるから、大丈夫だよね。寂しくないよね。ごはんもいっぱい、女神さまが作ってくれるよね。お腹いっぱいになるよね」

 僕はお花畑に、公園のおじさんのお墓に手を合わせた。

 少し、泣いてしまった。

 胸に手を当てても、涙が止まらなかった。


 家に帰ると、たきがわさんが来ていた。

 新しいお母さんと、何か話をしていた。

「真希さん、何か問題は無いかな?」

 僕は胸に手を当てながら、大丈夫ですと答えた。

 だって、新しいお母さんが、僕を見ているから。とても冷たい目で、とても怖い顔をして、僕を見ているから。新しいお母さんの冷たい目に、僕は怯えてしまった。それにおかしなことを言ったら、また酷いことになるから。

 だから、たきがわさんは、もう来ないでください。もう、僕をほっといてください。

 そう言えたら、良かったのに。


 新しいお父さんに、いっぱい怒られた。余計なことを、言ったからだと。

 僕は何も言っていませんと訴えたけど、生意気言うなと殴られた。

 僕は、どうすれば良かったのかな?


 もう、分からない。


 神さま、教えてください。


 僕はどうすれば、かしこくなれますか?


 どうすれば、殴られずにすみますか?


 どうすれば、お腹いっぱい、ごはんが食べれますか?


 天国にいる公園のおじさん。


 本当にいつか、いいことってあるのかな?

 

 とにかく、気を付けること。注意すること。公園のおじさんは、もういない。お父さんもお母さんもいない。女神さまもいない。誰も頼れないし、頼ってはいけない。だって、死んじゃうんだから。

 僕は、ひとりぼっちだった。考えると、涙が出るから考えないようにしていた。でも、胸がギューとなる。胸に手を当てても、不安な気持ちは消えてくれない。

 そんな時だった。僕に声を掛けてくれる女の人が現われた。

 僕の側にいてくれる、とってもキレイでカッコいい女の人だ。

 お姉さんは僕に優しくて、とても温かかった。いい匂いもした。懐かしい匂いだ。まるで、女神さまのようだった。僕は、このお姉さんが好きになった。

 だからこそ、僕は慎重にならないといけない。公園のおじさんのように、おうちが壊されるかもしれないし、お父さんのように天国にいってしまうかもしれないから。

 お母さんのように、血まみれになって死んでしまうかもしれないから。

 そんなのは、もう嫌なんだ。だから、僕はひとりでいいんだ。ひとりでいなきゃ、ダメなんだ。

 それでも、お姉さんは僕から離れてくれない。まるで、お母さんのように。

 だからこそ、お母さんのようになってほしくない。お母さんのように、死んでほしくない。お母さんのように、痛い思いをしてほしくないから。

 だから、僕から離れないといけない。

 それでもお姉さんは、僕から離れようとはしなかった。

 名前を、教えてくれた。

 加奈子さんて、名前を。

 加奈子さんは、僕に名前で呼ぶように言ってくれた。

 僕も、名前を呼んでほしかった。

 

 でもそれは、けっして、望んではいけないことなんだ。


 加奈子さんはとても優しくて、とってもキレイでカッコいい人なんだ。

 僕はこの人の側にいたいと、こころから思った。でも、それだけはやってはいけない。僕にそんな資格はないから。だから、家に入れてもらえなくても、どこにも行くところがなくても、加奈子さんを頼ってはいけない。加奈子さんから、離れないといけないと思った。

 でも、あの日は。

 どうして僕は、加奈子さんのおうちに行ってしまったのだろうか?

 どうして僕は、加奈子さんが好きなんだろうか?

 どうして僕は、生きているのだろうか?


 どうして僕の側にいてくれる人は、みんな死んじゃうんだろうか?


 分からない。


 どうしても、分からない。


 だから、どうしても天国に行ってみたかった。僕は悪い子だから、天国には行けない。天国で公園のおじさんやお父さん、お母さんがどうしているのか、幸せなのか確かめたかった。

 女神さまに良くしてもらっているのか、どうしても知りたかった。

 ごはんを食べさせてもらっているのか、知りたかった。

 だから僕は、加奈子さんに行きたい場所を聞かれた時、ついスカイツリーと言ってしまった。スカイツリーが、天国に一番近い場所だから。そこならきっと、天国を見ることが出来ると思ったから。

 そこなら、公園のおじさんやお父さん、そしてお母さんに会えるかもしれないから。

 もし会えたら、僕は元気だから、僕は大丈夫って、伝えないといけないから。

 心配を掛けたくないから。泣いてほしくないから。


 本当は、天国に行ってみたかった。


 嘘を吐いて、ごめんなさい。


 天国にいる公園のおじさんに謝りたい。おじさんのおうちを守れなかったことを。


 天国にいるお父さんに謝りたい。僕のせいで、死んじゃったことを。


 天国にいるお母さんに、会いたい。会って、謝りたい。


 お母さんの手を取ってあげなくて、ごめんなさい。


 お母さんに会いたい。


 でも、そんなことを望んじゃいけないんだ。


 みんな、僕のせいで死んだから。


 僕さえいなければ、みんな死ななくてよかったんだから。


 だから僕は、女神さまにみんなのことをお願いしようと思う。


 みんなのごはんを、いっぱい作ってくださいって。



 スカイツリーに、行けなかった。

 行ってはいけないって、新しいお母さんに言われたから。

 もうすぐ、お父さんが帰ってくるから。

 楽しみにしていなさいと、お母さんは僕にそう言っていた。

 お母さんは、うれしそうにしていた。

 お母さんと弟は、笑っていた。

 きっと、もう外には出してくれなくなる、そんな予感がしたから。

 きっと、僕はもうどこにも行けなくなるから。

 だから、最後に加奈子さんとお別れしようと思った。でも、出来なかった。加奈子さんの顔を見れなかった。ずっと加奈子さんの胸を、心臓を見ていた。心臓さえ動いていれば、死なないと思ったから。

 だから僕は、加奈子さんの心臓の音を聞きたかった。

 心臓がちゃんと動いているか、確かめたかった。

 それさえ聞ければ、僕は満足だった。


 加奈子さんは、僕を抱きしめてくれた。


 僕の頭をなでてくれた。


 加奈子さんは、優しかった。


 加奈子さんは、温かかった。


 加奈子さんは、いい匂いがした。


 お母さんの匂いがした。


 加奈子さんは、お母さんのようだった。


 僕は、泣いてしまった。


 ごめんなさい、ごめんなさい。


 加奈子さんも、泣いていた。


 泣いてしまった。


 泣かせてしまった。


 僕のせいだ。


 泣かないで、泣いたらダメ。

 

 だから、僕は居なくなります。


 そうすれば、加奈子さんはきっと幸せになります。


 天国にいる公園のおじさんとお父さんと、そしてお母さんが加奈子さんに良くしてくれると思います。

 僕は元気です。

 僕は、お腹いっぱいです。

 だから、僕は大丈夫です。

 そう伝えてくださいと、加奈子さんにお願いしたかった。


 でも、出来なかった。


 僕は最後まで、かしこくなれなかった。


 だから、バイバイしないといけないんだ。


 さよなら。


 さよなら、加奈子さん。


 今まで、ありがとうございました。


 僕のそばに居てくれて、本当にうれしかった。


 僕は加奈子さんのおうちに向かって、バイバイをした。


 僕がここに居たら、加奈子さんのおうちが壊されるから。


 だから、今度こそ守らないといけない。


 だから、バイバイ。






 本当はね、ずっと一緒に居たかったんだ。







 家に戻ると、お父さんが帰って来ていた。

 僕が帰ってくるのを、ずっと待っていた。

 すごく、ニコニコしていた。今まで、こんなに機嫌がいいお父さんを見たことが無かった。目も笑っていた。とても怖い動物のような目で、僕を見ていた。

 動物園で見た、ハイエナのような目をしていた。

 僕は、胸に手を当てなかった。

 僕は今日ここで、死ぬんだと思った。

 心臓が、止まるんだと思った。

 いつか来ると思っていた、その日なんだと思った。



 でも、何でだろう?



 全然、怖くなかった。




「真希、この前の水曜日は、どこに行っていた?」

 びっくりするぐらい、優しそうな声だった。それなのに、とても怖かった。だから僕は、嘘を吐いた。僕は逃げないと、そう決心したから。

 僕に出来ることは、嘘を吐くことだけだから。それしか、出来ないから。

 加奈子さんを、僕が守るんだ。

「公園に居ました」

 いきなり殴られた。僕は、吹っ飛んで壁にあたった。お母さんが車にはねられた時も、きっとこんな感じだったのだろうか。

「お父さんは悲しいな。お前の嘘で、オレは傷ついたよ。どうしてくれようか?え?」

 身体を踏まれながら、僕は不思議と冷静だった。

 どこか、遠い別の世界の出来事のような気がしていた。

「お母さんから聞いたぞ。お母さんはな、お前を探しに公園まで見に行ってくれたんだよ。お前はいなかったって。お前を探しに行ってくれた、お母さんが可哀そうだ。お前は、優しいお母さんを傷つけたんだぞ。分かっているのか?え?この大嘘付きめ!オレを騙せると思ったのか!」

 今度は蹴られた。僕はとにかく、身体を丸めた。胸に手を当てる。息苦しいけど、まだ生きている。心臓は動いている。まだ、大丈夫。

 お父さんは僕の髪の毛を掴んで、頭を持ち上げた。僕の頭に触らないで。そう言いたかったけど、声が出なかった。僕の頭に触れていいのは、もう加奈子さんだけだから。加奈子さんしかいないから。触らないで!

「おい!お前、誰と会っていた?本当は、滝川の馬鹿と会ってたんじゃないのか?ええ?答えろ!」

 良かった。加奈子さんのことでは無かった。でも、すぐに答えたら嘘だとばれる。そんなことになったら、今度は加奈子さんが殴られる、蹴られる。加奈子さんの心臓が止まってしまう。それだけは絶対に嫌だ。だから僕は、今は死ねない。

 精一杯の嘘を吐く。

 生きて、生きて、最後の嘘を吐いてやるんだ!

「誰とも会っていません。本当です。公園の茂みに隠れていたんです。前みたいに、おまわりさんに見つからないように・・・」

 答え切る前に、床に頭を叩きつけられた。めまいがした。気を失いかけた。ダメだ、今はダメだ。耐えろ。しっかりしろ。

 頑張れ、僕!頑張れ、心臓。

「茂みだと?オレにまだ、嘘を吐くのか?ええ?お前のことを、市役所で見たって教えてくれた人が居るんだよ。オレを馬鹿にしやがって。お前、気持ち悪いんだよ!」

 市役所に行ったところを、誰かに見られた?そう考える間もなく、頭を持ち上げられ、また床に叩きつかれた。今度は耐えられる。痛みを感じないからだ。でも、次は持つだろうか?

 ダメだ、諦めてはダメだ。加奈子さんの存在を隠さないと。どうにかして、誤魔化さないと。もう、誰も死なせない。加奈子さんを死なせたりするもんか!

 僕はひとりで、市役所に行ったんだ。僕は、ひとりっきりなんだ!

「何をしに、市役所に行った?ええ?オレは全部知ってるんだよ。答えろ!このゴミが!殺すぞ!」

 また、頭を床に叩きつけられた。気が遠くなる。頭がくらくらする。

 ダメだ、しっかりしろ。まだ、死んではいけない。死ねない。死にたくない。お願い、もう少しなんだ。考えろ、考えろ!お父さんは、何を知っている?

「オレが居ないことをいいことに、好き勝手やりやがって。どれだけお母さんに迷惑を掛けたか、分かっているのか!」

「ごめんなさい。もうしません」 

「聞いたことに答えろ!あの馬鹿に、何をしゃべった?滝川の馬鹿に、何を吹き込まれた?いいか、お前を育ててやったのはこのオレだ。行くところがないお前を引き取ってやったのは、このオレだ。この恩知らずが!人殺しが!」

 髪の毛を掴まれ、頭を持ち上げられた。

「市役所に行きましたけど、誰にも会っていません」

 頭を持ち上げられたまま、殴られた。口の中も切ったみたいだ。血の味がする。涙が出てしまった。でも、まだ大丈夫。

 今ので、目が覚めたから。

「嘘を吐け。オンナと一緒だったと、見た奴が居るんだよ」

「え?」

 僕は驚いた。何で?どうして?加奈子さんと一緒のところを、誰かに見られてしまった?

 そうだった、僕は加奈子さんと市役所では、ずっと一緒だった。どうする?どうしたらいい?考えろ!

 僕が驚いていることが、お父さんに気付かれてしまった。

 お父さんは笑った。笑ったお父さんは、別人のようになった。

 本物の動物のようだった。肉を食べていた、あの怖い動物のように。

 急に僕は、取り返しのつかないことをしてしまったと、後悔しはじめた。

 どうすればいいのか、もう分からない。考えても考えても、いい方法が思い浮かばない。

 僕は、とても怖くなった。でもお父さんは、意外なことを話しはじめた。

「分かってるんだよ。お前と一緒に居たオンナは、柿田って奴だろう?滝川の馬鹿とつるんでる、あのブスだろう?どうだ、まだ嘘を吐くのか?オレを騙せると思ったのか?あ?オレはなあ、何でも知ってるんだぞ。隠しても無駄だぞ」

 良かった。本当に良かった。加奈子さんと一緒にいるところを見られたけど、滝川さんと一緒に居た、かきたさんという女の人と間違われた。本当に良かった。これならもう、死んでも大丈夫だ。かきたさんなら、大丈夫だと思うから。だって、滝川さんが守ってくれると思うから。

 でも、もう少し粘らないと。もう少しだから。あと、少しだから。頑張って、僕の心臓。お願いだから、まだ止まらないで。もう少しだから。加奈子さんは、市役所に居なかった。僕と一緒に居た女の人は、かきたさんと信じさせないと。

 僕は悪い子だから。悪い子の僕なら、きっと出来るはずだから。

「ごめんなさい、ごめんなさい。すみません、かきたさんと滝川さんとあっていました。お話をしました。ごめんなさい」

「最初から、そう言えばいいんだ。それで、お前はあいつらに何をしゃべった?柿田のブスは、お前に何を吹き込んだ?滝川の馬鹿は、お前に何を聞いてきた?お前は、なんて答えた?言え!言えと言ってるんだ!!!」

 ()()()()は、歪んだ顔で笑っていた。笑いながら、僕を殴ってきた。とても、うれしそうだった。

「いいか、滝川も柿田も、お前のことなんか、これっぽちも考えていないんだよ。お前は、あいつらに騙されてるんだよ」

 また、殴ってきた。とても、うれしそうにしている。

「お前のことを大事に思っているのは、俺やお母さんなんだぞ。あいつらはなあ、お前を利用しているだけなんだ。分かったか!」

 本当に()()()()は、喜んでいた。

 公園のおじさんの笑った顔と、全然違うなあと思ったら、僕は少し笑ってしまった。

 僕に笑われたと思ったのか、()()()()の顔が急に赤くなった。

 怒り始めた。

「オレを笑うな!」

 強く、殴られた。

 僕は、気を失った。


 目が覚めたけど、身体を動かすことが出来なかった。

 寒い、とても寒い。身体は熱っぽいのに、とても寒かった。痛みは無いけど、何も感覚がない。音も聞こえない。胸に手を当てたいけど、手が動かない。身体が動かない。僕はもう、死んでしまったのだろうか?これが、死なんだろうか?


 妹が僕の顔を、覗き込んできた。でも、何も言わずに立ち去った。

 ゴメンね、こんなお兄ちゃんで。

 おっきいお兄ちゃんって呼んでくれて、本当にありがとう。

 死なないでくれて、本当にありがとう。


 足を持ち上げられ、引きずられている。


 ずるずると僕を、どこかに連れて行こうとしている。


 きっと、僕を捨てに行くんだろう。


 捨てられたパンのように、僕を捨てに行くんだろう。


 汚いゴミだから、ゴミ捨て場かな?


 でも、どうせ捨てるなら、あのお花畑がいいな。


 キレイなお花畑だから。


 公園のおじさんのお墓だから。


 でも、最後に加奈子さんを守れて、本当に良かった。


 僕、頑張ったのかな?


 加奈子さんにもう一度、会いたかったなあ。


 加奈子さんに、頭を撫でてほしかったなあ。


 加奈子さんに、もう一度だけ、抱きしめてほしかったなあ。


 加奈子さん、心配していないかな?


 スカイツリーに一緒に行けなくて、ごめんなさい。


 みんな、ごめんなさい。


 僕はもう、ダメみたいです。


 あたりが暗くなったみたい。


 真っ暗になったみたい。


 もう、何も見えなくなった。


 血まみれの女の人も見えない。


 加奈子さんの顔も、思い浮かばない。


 でも、全然怖くない。


 やっと、終わるから。


 もう、終わるから。


 きっと、これが死なんだと思う。


 死んだら、どこに行くんだろう?


 天国に行けないなら、僕は地獄に行くのかな?


 それは嫌だなあと思う。


 でも、仕方がないよね。


 だって、僕は悪い子だから。


 みんな、僕のせいで死んじゃったから。


 だから、みんな僕を置いていくんだね。


 僕は、ひとりっきりなんだね。


 僕は、守れなかったから。


 僕は、守りたかったんだ。


 僕は、加奈子さんを守れたのかな?


 加奈子さんのために、頑張りたかったんだ。


 でも、もういいや。


 少し、眠くなってきた。


 段々、沈んでいくような気がする。


 もう、い・い・・や・・・


 もう、い・・・い・・・よ・・・ね?


 ?


 だ・・れ?


 な・ん・・だろ・う?


 何か・・聞こ・・える。


 誰かが・・呼んでいる。


 僕の名前を、呼んでいる。


 お母さん?


 お母さんが、何か叫んでいる。


 大丈夫って、聞いてきてる。


 応えないと。


 僕は大丈夫って、言わないと。


 お腹いっぱいですって。


 心臓は動いてますって。


 声が出ない。


 お母さん。


 お母さん!


 違う。


 お母さんじゃなかった。


 加奈子さんだった。


 加奈子さん!?


 何で?


 加奈子さんがいる!


 急に意識が、はっきりした。

 加奈子さんが僕の側に居て、僕の手を掴んでいる。

 ダメだ、こんなところにいちゃ。胸に手を当てたいけど、動くことが出来ない。

 僕は必死に、加奈子さんに伝えようとした。

「加奈子さん、ダメです。ここに居てはいけません。()()()()に酷いことをされます。だから、早く逃げてください。僕は大丈夫ですから。先に行ってください!僕も後から行きますから!」

 そう伝えたつもりだけど、加奈子さんは僕の手を取るだけで、そこを動いてくれなかった。いつまでも、動いてくれなかった。

 僕は、手を動かせなかった。手は、何も感じない。加奈子さんの温もりを、感じる事が出来ない。

 ダメだ!動かさないと。動け、動け!動け!僕の手は、身体はどうしても動かない。何で?どうして動かない?早く、動かないと。せめて、手だけでも動かさないと。加奈子さんに伝えないと。加奈子さんを、ここから連れ出さないと。

 加奈子さん!加奈子さん!加奈子さん、聞いて!逃げて!

 あの時、滝川さんに加奈子さんをお願いしておけば、こんなことにはならなかった。僕が加奈子さんを守れるなんて、本当に愚かな考えだった。何で僕は、あの時動けなかったのか?何で、加奈子さんを、滝川さんにお願いしなかったのか?

 後悔しても遅い。今、なんとかしないと。僕のせいだから。何とか、加奈子さんに伝えないと。

 加奈子さん、ここに居てはいけない。()()()()に見つかったら、酷い目にあう。加奈子さんが殴られる、加奈子さんが蹴られる。加奈子さんが床にたたきつけられる。

 そんなのは嫌だ。

 それだけは嫌だ。

 絶対に嫌だ。

 嫌なんだよ!

 だから、逃げて。

 お願いだから。

 僕は、どうなってもいいです。

 罰もいっぱい受けます。

 いっぱい、いっぱい殴ってもいいです。

 蹴ってもいいです。

 いくらでも、酷いことをしていいです。

 地獄にも行きます。

 どんなところだって、僕は行きますから。

 もう、我儘を言いません。

 だから、だからお願いします。

 神さま。

 お願いですから、加奈子さんをここから連れ出してください。

 加奈子さんを助けてください。

 加奈子さんを・・・・・かなこさ・・・・・か・・・な・・・・・・・ん・・・・・・




 大丈夫?

 僕は、大丈夫だよ。

 そう、良かった。

 お母さんこそ、大丈夫?

 お母さん、そろそろ行かないと。

 どこに行くの?

 お父さんのところだよ。

 そうなんだ。じゃあ、天国に行くんだね。

 一緒に居てあげることが出来なくて、ごめんなさい。

 仕方が無いよ。僕もお母さんの手を取ってあげれなくて、ごめんなさい。

 約束守れなくて、ごめんね。

 ううん、もういいんだよ。

 ひとりにして、ごめんなさい。

 僕はね、加奈子さんていう女神さまと会ったんだよ。

 一緒に居てあげたかった。

 だからね、もう寂しくないんだよ。

 ずっと、見守ってあげたかった。

 僕をね、ずっと見てくれるんだよ。

 もう、抱きしめてあげる事が出来ない。

 だからね、僕はもう大丈夫なんだよ。

 うん。真希はもう、本当に大丈夫なんだね。

 僕はね、お腹いっぱいなんだから。

 うん、いっぱいごはんを作ってもらってね。

 だからね、もう泣かなくていいんだよ。

 もう、泣かないよ。

 だからね、ばいばい。

 うん、もう行くね。

 お父さんと公園のおじさんに、僕は元気ですって、伝えてね。

 うん。

 さよなら。

 ばいばい。元気でね。



 さよなら、お母さん。

 ありがとう。

 今まで見守ってくれて。


 お母さん・・・




 長い長い、とても長い夢を見ていたような気がする。

 誰かと、たくさんお話ししたような気がする。

 あれは、誰だったんだろう?


 気が付いたら、僕は乗り物に乗っていた。サイレンの音がした。救急車の中だった。

 加奈子さんは、僕の側で泣いていた。

 加奈子さんは、無事だった。

 無事で、本当に良かった。

 泣いている加奈子さんを、なぐさめてあげないと。

 加奈子さんの頭を、なでてあげないと。

 僕は手を動かそうとしたけど、動いてくれなかった。

 

 指を一本ずつゆっくりと動かしてみると、少しだけ動いた。

 

 僕はなんとか、グーを作った。


 僕は腕を加奈子さんに向けて、精一杯伸ばした。


 加奈子さんは、驚いていた。


 加奈子さんは、笑ったように見えた。


 加奈子さんの笑った顔が、素敵で一番かわいいと思う。


 加奈子さんの笑った顔が、僕は大好きなんだ。


 僕のグーと合わせるように、加奈子さんもグーを出してくれた。


 僕のグーと加奈子さんのグーが、仲良くくっついてくれた。


 加奈子さんの手は、とっても温かかった。


 公園のおじさんの、言う通りだった。


 いつか、いいことあるって、本当のことだったんだね。


 だって、加奈子さんとまた会えたから。

 

 僕はもう、それで十分幸せなんだ。


 だって、加奈子さんの笑顔を見れたから。



 それから僕は、また眠ってしまった。


 起きた時は、病院のベッドだった。


 僕は、胸に手を当てる。

 

 まだ、心臓は動いている。


 僕は生きている。


 死んでいない。


 死ななかったんだ。


 誰かいる。


 誰かが、僕を見つめている。


 加奈子さんが、見つめていた。


 とっても、キレイな瞳だと思う。


 女神さまのような、瞳だと思う。


 やっぱり加奈子さんは、僕の女神さまだった。


 




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