第十二話 展望台
真希の家を特定したからといって、すぐにどうにかなるものでもないし、どうにかしていいものでもないと思う。
そうは思うけど、どうにも出来ないことにイラつくこともある。
あれから真希とは会えていないし、うちにも来てくれなかった。
裏切ったと、彼が思ったのかもしれない。
そうだとしたら、今は待つしかないのだろうか。
それでも私は、つい公園を覗いてしまう。バス停の周りを、つい探してしまう。
気になったとしても、真希の家に行くのだけは、今はやめておいた。
「やっぱ、これが限界かな?」
「どうかしましたか?」
「ああ、丸山さん。そういえば丸山さんのお子さんって、小学生でしたよね?」
「ええ、五年生です。生意気盛りですよ」
そういや、真希って何年生だろう?私って、ホント抜けてる。
「そうでしたか。最近の小学校って、土曜日も授業があるんですよね?」
「そうそう、塾や稽古事をやらせたいお母さま方には、不評みたいですけどね。どうせなら、給食も出してくれればいいのにって(笑)」
「本当にそうですね(笑)普段は遅いんですか?」
いや、実際その通りだと思う。給食が無ければ、真希は一日何も食べないで過ごすことになるかもしれない。いや、それって根本からおかしいけど。
「学校が終わったら塾に行って、帰りは私かカミさんがお迎えに行きます。本人は、親のお迎えをとても嫌がってますが。恥ずかしいんでしょうね、年頃だから」
「はあ~、そりゃあ大変だ」
「まあ、仕方がありませんよ。大変なのは、子供たちですから」
「毎日、6時間も授業をやって、その後は塾ですか。確かに、遊ぶ時間がないですね」
「水曜日だけは5時間だったり、給食食べたら帰れたりする日もあるので、私のうちではその日は塾はお休みさせています。友達と遊んだり、クラブ活動させたりしていますよ」
え?水曜日はそうなの?そういえば、私もそうだったような、そうでなかったような。
急に、いいことを思い付いた。
「ああ、そういえば私、来週の水曜日に有給休暇をお願いします。ちょっと、野暮用がありまして」
「ああ、いいですよ。申請は出しました?」
「これからです。すみません、忙しいのに」
「いえいえ、先方はこちらの提案を関係各所に根回ししている最中のようなので、時間が掛かりますす。だから、今は結構ヒマなんですよ。来週もこんな感じになりそうです。だから、今のうちに有休を消化してくれたら、こちらとしてはむしろありがたい話なんですよ」
「丸山さんは、お休みしないんですか?」
「そうも言ってられません。一応、目途がつくまではね」
「そうでしたか。それなら水曜日は、早く帰宅されたらどうですか?その方が、お子さんや奥さまも喜ぶのでは?」
「カミさんはともかく、子供は喜ぶかもしれませんね。対戦ゲームができるって(笑)でも、そうはいかないんですよ。一応、チームの責任者ですから。ホント、無駄が多い」
課長も見習えばいいのに。課長は部下に仕事を投げておきながら、自分はさっさと帰る。しかも、帰宅するのではなく、女子社員と食事とかしているから、益々頭にくる。
でも、いいことを聞いた。恐らくは真希は水曜日に市役所に行くだろう。実際、市役所で真希とばったり会った日も、水曜日だったし。
でも、誰だろう?真希が会おうとしていた、たきがわさんって?
「では、ちょっと書類を課長に出してきます」
「はい、よろしくです」
私は課長席に向かったが、なぜか不在だった。私は書類を見える場所に置き、遠藤さんの机に向かった。というか、この書類主義、そろそろやめてくれないかな。ハンコが要らなくなったのは、ありがたいけど。
「どうかな、遠藤さん?」
「あ!沢井さん。まあまあですよ」
「そう、それなら良かった。ところで、課長はどこ?今日、見ていないけど?」
「出張って、聞いています」
「え?予定表に書いていないけど?」
「はは。課長らしいですね」
遠藤さんにしては珍しく、乾いた笑いだった。疲れているのかな?
「いつ、戻ってくるの?というか、どこに行っているの?」
「さあ?どこに行ったんでしょうね?」
おいおい、うちの会社大丈夫か?
「メールでもしましょうか?」
「ああ、別にいいよ。私の方でしておくから。今日は書類を届けに来ただけだから。お昼でも行く?」
「すみません、これから出ないといけないので」
「ああ、そうなんだ。じゃ、また」
「はい、またお誘いください」
いい笑顔なんだけど、疲れているような気がする。
というか、課長なにしてる?私の遠藤さんがお疲れだぞ?サポートはどうした?
「過保護かしら?」
独り言が多くなったなあと思う、今日この頃でした。
「よ!真希!久しぶり!」
真希は、びっくりしていた。
私の姿格好が、いつものスーツ姿ではないから。
上はスタジャンを羽織り、下は足にぴったりのデニムパンツ、それに普段は被らないベースボールキャップを目深に被っていたからだろう。髪型もいつもと違ってポニーテールで、メイクもナチュラルだし。
これは別に、変装のつもりではありませんよ。真希を驚かすつもりはないし。
ただ、私の目の前を早足に通り過ぎようとしている真希を、結果として驚かしたようになっただけだから。
「こんにちは!あれ、どうしたの?」
いやあ、驚いている真希を見たら、何だか楽しい気分になったかも。
初めて見た表情だから、嬉しくなったよ。
「え?何で?」
まあ、そりゃあびっくりするだろうね。有休をもらった今日の朝早く、真希の家を張り込んでいたなんてさ。家を出た真希の後をからこっそりとつけて、通っている小学校を特定したなんて知ったら、普通に通報モノだろうから。後は下校時間を見計らって、校門近くで張り込んでいたという訳さ。仕事クビになっても、探偵がやれそうだ(笑)その前に、不審者として通報されそうだけど。探偵さんって、そんな時はどうしているんだろう?ドラマで見る限り、どう見ても不審者だろうし。
「加奈子さん、その格好は?」
「うん?似合わない?」
私は真希の目の前で、くるって回って見せた。真希は、驚いた表情をしている。でも何だろうか、本当に楽しいかも♪癖になりそう。
「いいえ、あの~、カ、カ、カ」
「か、か、か?何?」
「カッコいいです!」
真希は恥ずかしそうにもじもじしていたけど、それを見ていた私も、恥ずかしくなってもじもじしてしまった。
私って、カッコいいのかな?どう見ても、近所に買い物に行くような恰好だけど?
でも、何だろうか。胸の内側から、むずむずする何かが溢れ出そうになる。これって、止められないかも。やばい、やばいかも。やばいよ!
恥ずかしそうにもじもじしている真希を見ていたら、私はとうとう我慢出来なくなり、思わず真希に抱き着いてしまった。
「ありがとう!うれしい!うれしいよ!ねえねえ、もっと言って!ねえ、お願い!もっと、ねえ!」
「か、加奈子さん!は、恥ずかしいですよ。は、は、離してください!!」
「ねえ、ねえ、もう一回言ってよ。お願いだから!加奈子さんカッコいいって、もう一度言って!言ってくれたら、離してあ・げ・る♪」
「か、か、か、加奈子さん、み、みんな見てますよ!」
「へ?あ?やばいかも」
下校途中の小学生たちが、私たちを見ていた。いや、私だけを見ていた。小学生に抱き着いて、やたらはしゃぐアラサー女子を。これって、普通に通報モノだろう。
私は真希の手を取り、人気の無い場所まで急いで移動した。いや、人気の無い場所でどうこうしようって訳じゃないですよ。話がしたいだけです、はい。
「いったい、どうしたんですか?」
真希は当然のように、疑問を口にした。というか、ちょっと詰問しているような。
私は胸を張りながら、同じく当然のように答えた。事前に用意していた回答だしね。
「散歩していたら、偶然真希の姿が見えたんだよ。ホント、久しぶりだね!元気してた?怪我はどう?」
「はい、怪我はもういいです。でも、お仕事はどうしたんですか?」
「うん、今日はお休みなんだ」
「どこか悪いんですか?」
「どこも?真希こそ、悪い所とか無い?」
「僕は大丈夫ですけど、お仕事大丈夫なんですか?」
「もちろん、大丈夫だよ。ねえ、真希。これから一緒に遊びに行かない?」
「いえ、僕もこれから用事があるんで」
「用事って、社会科見学?」
「ええ、そうです」
やった!言質取ったり!
「なら、付き添ってあげるよ。どうせ、ヒマだし」
「大丈夫です。僕ひとりで」
「だ・か・ら、今日の私はヒマなんだって。ひとりで行くんでしょう?なら、私が一緒でも別にいいでしょう?」
「ええ、まあ」
何よ、その目は。いや、そもそも私が悪いのか。家を特定したり、学校で待ち伏せしたりって、普通に犯罪者だろう。
でもね、真希のことを考えると、私は心配なんだよ。
待ってるのって、正直辛いんだよ。でも、それは言えない。
そう言えたら、いいのになあ。
「それで?どこ行くの?市役所?」
「ええっと、どこがいいでしょうか?」
「決めてないんだ。じゃ、この前の市役所に行こうよ。市役所の最上階には展望レストランがあってね、景色いいんだよ。真希を連れていきたいって、ずっと思ってたんだ」
景色がいいかどうかは、市役所の職員さん情報であって私は知らないけど。でもまあ、あの高さなら、富士山も見えるだろう。
でも何だろう、真希は明らかに動揺している。よっぽど、私にたきがわさんを会わせたくないのかな?それとも、別の理由があるのかな?仕方がない、駄々をこねよう。
「ねえ、ねえ、行こうよ。行こうよ!」
真希の手を取り、ブンブン振り回す。真希は戸惑っていた。実は、私も戸惑っていた。いい年して、さっきから何をやっているんだってね。
でもさ、会えて嬉しいと思う気持ちは、大事だと思うよ。
いえね、真希は嬉しそうにしてないけど。何で?もしかして、私ってうざいですか?
「また別の日では、ダメですか?」
真希は困りながらも、譲歩案を出してきた。もちろん、これも想定内だ。
「またって、いつ?ねえ、いつ?」
「ええっと、またです」
「でも私は、今日しか休めないんだよね。だから、今日しか出来ないことを、真希と一緒にしたいんだよ。いいでしょう?この前はお仕事で市役所に行ったから、展望レストランに行けてないんだよ。ついでに、社会科見学をすればいいじゃん。まさに、一石二鳥だね」
「分かりました」
う~ん、真希を騙しているようで、ちょっと罪悪感があるかも。でも、確かめないといけないから。これで安全が確認出来たら、もう真希に関わるのをやめてもいい。真希の家庭に何も問題が無ければ、他人である私がとやかく言う資格はないと思う。
でも、友達なら、いいかな?いいよね?いいでしょう?
「お!どこ行くの?」
真希は、バス停を通り過ぎていこうとしていた。
「バス来るよ?」
「僕は歩いて行きます。加奈子さんは、バスで来てください」
いやいや、それはおかしでしょう?
「ほら、バスが来たから乗るよ。だいたい、歩いて行ったら時間に間に合わないでしょう?」
「でも、僕はお金がありません」
「それぐらい、私が出してあげるよ。だって、加奈子さんは大人だもん♪」
まだ何かもごもごと口ごもっている真希の手を引き、強引にバスに乗り込んだ。
ふたりの逃避行と、洒落こもうじゃないか。いや、はしゃぎすぎですか?だって、真希と会うのも一週間ぶりなんだもん。真希とデートするのって、やっぱ嬉しいし♪
でも本当は、真希がこうして元気なのが、何よりも嬉しいんだ。
私と真希は連れ立って、バスと電車を乗り継ぎ、あっという間に市役所に到着した。その間、真希は無言だったけど、私一人が喋りまくっていた。
頷いてはくれたよ、多分だけど。はい、うるさくてすみませんでした。だって、真希の様子が変なんだもん。
「ほら、高いでしょう」
私は、市役所の庁舎を指し示した。真希は、感嘆の声をあげた。前に来たときは、真希はずっと俯いていたからか、庁舎をちゃんと見ていなかったみたいだ。
「すごいですね!高いです!あんなにある!」
はしゃぐ真希。実に楽しそうだ。そうそう、子供はそうでなくちゃ。でも、見上げてると首が痛いなあ。今、何か言わなかった?
私たちは、エントランスから展望台直行のエレベーターに乗り込み、あっという間に最上階に着いた。真希は耳を抑えていたので、つばを飲み込むといいよと教えてあげた。その仕草も、真剣につばを飲み込む姿も、とてもかわいいと思う。
つい真希に手を出したくなる私と、とりあえず自分をぶん殴っておこうかと思う自分が葛藤している。平常心、平常心。
エレベーターを降りて、お目当てのレストランに向かおうとしたら、真希はいきなり走り出した。
「加奈子さん!加奈子さん!あれって、富士山ですか?」
「そ~だよ~」
今度は反対側に回って、方向を示していた。興味津々で、すごいはしゃぎっぶりだ。いや、これが普通なんだろう。本来の、真希なんだろう。子供なんだから、走らないでと注意されるぐらいで、ちょうどいいと思うよ。
「じゃあ、じゃあ、あれはスカイツリーですか?」
好奇心いっぱいの目を向けながら、私に聞いてきたけど、私にはスカイツリーがはっきりと見えなかった。何かあるとは、思いたい。すみません、見栄です。まったく、見えません。
それにしても、真希は目がいいなあ。そうだ、望遠鏡がある。でも、ここは市役所だよね?いいのかな、これって?
「真希、ほら、覗いてごらん」
私は望遠鏡の投入口にお金を入れ、真希に見るように促した。真希は夢中で、望遠鏡を覗いていた。何かに集中している、何かに夢中になっている子供の姿って、なんかいいなあ。ずっと、見ていたい。頭を撫でたくなる。頬をつんつんしたくなる。いやいや、平常心、平常心だ!そんなにやりたきゃ、自分の頬でやれ!
「どうだった?」
「はい!スカイツリーがよく見えました」
そうか、そうか。そりゃあ、良かった。真希はよっぽど、スカイツリーが気に入ってるようだね。今度、真希をスカイツリーに連れて行ってあげようかな。
「じゃあ、お茶でもしよっか?」
お目当ての展望レストランで、ふたりはお茶をすることにした。
「ほほう、結構色々あるね」
真希は、ショーウィンドウに釘付けだった。
「どれどれ?」
彼が何を見ているのか、気になった私は、真希の横顔にぴったりと顔をくっつけ、一緒にショーウィンドウの中を覗いた。どうも彼は、パフェを見ていたようだ。すると真希は、何故か固まてしまった(笑)いや、食べたりしませんって。ホント、かわいいんだから。いや、本当に食べないですよ。
「パフェが、食べたいのかな?」
「いえ、別に」
「ふ~ん」
私たちは、店内に入ることにした。いつまでも、見ていてもらちが明かないしね。
店内はちょっと大人向けの作りで、真希は居心地悪そうだった。
「あの、僕お金を持っていません」
「あはは、だから大丈夫だって。私が行こうって誘ったんだよ。私が出すよ。遠慮はしなくていいよ」
「でも、こういう場所て、男がお金を出すモノじゃないんですか?」
お!いいね。君、将来いい男になるよ。今は持ち合わせがないとか、給料日に返すとか言う奴より、遥かにいいと思う。誰の話だ。
「じゃあ、真希が大人になったら、その時は出してね。私、楽しみにしてるから」
私はパフェでいいかと訊ねたら、自分はコーラでいいと返事をしてきた。一番安いメニューだ。
何でこの子は、こうも遠慮するかね?大人は遠慮しろ。だいたい、一番高いメニューを頼みやがって。え?誰の話だって?プライバシーだ!
真希は子供だからこそ、遠慮されるとかえって気になるし、彼にはなるべく食べたいモノを食べて欲しいと思う。お腹いっぱいになってほしい。
だから私は、我儘を言うことにする。これって、いい我儘だと思うしね。
「ええ?一緒にパフェ食べようよ。甘いものキライ?」
上目遣いで真希を見たら、変な目で見返された。すまん、死ぬからその目だけはやめて。
「今日の加奈子さん、何だか変です」
「だってさあ、真希と一緒に居るのも一週間ぶりだし、おまけにこんな高い所に来てるんだよ。そりゃあ、テンションあがるでしょう?真希だって、さっきまではしゃいでいたよ?」
真希は軽くため息を吐き、それでいいですと答えてくれた。うんうん、付き合いがいいねえ。
でも真希は、すぐに私から視線を外し、窓の外の景色を見ていた。
山の稜線が見える、不思議な光景だった。
「なんだか、すぐ近くに見えますね」
「でも、かなり遠いんだよ。近くに見えてもね」
まるで、この世界みたいだ。真希はすぐ近くにいるのに、遠くにいるような気がする。手が届くのに、手を伸ばせない。掴むことも、出来ないんだ。それはきっと、誰かが真希を掴んでいるからだろう。真希を掴んで、離さないようにしているんだろう。
そんなことを考えていたら、パフェがやってきた。運んできたのはウェイトレスであり、猫型ロボットでは無かった・・・・人間だよね?ボタンは無いよね?
私はつい、じろじろと見てしまった。
いえね、ウェイトレスさんは結構、可愛い女の子だったし。おまけに、制服も可愛かったし。もっとも真希は、私と違ってパフェにご執心のようだ。
「いただきます」
ふたりで一緒に手を合わせ、パフェを食べることにした。パフェなんて、何年ぶりだろう?
真希は意外にも、夢中になってパフェを食べていた。甘いものが、嫌いじゃなかったんだね。良かったと思う。
真希は口の周りにクリームを付け、最近よく見せる大人びた感じがしない。私は取り出したハンカチで真希の口の周りを拭いてあげようとしたら、自分で拭けますと断ってきた。おお!男の子だね。袖ではなく、ナプキンで拭くところが行儀がいいと思うよ。
「ねえ、真希?」
「なんでしょうか?」
真希は、パフェを食べるのに夢中なようだ。だから、不意を衝くように質問をした。
「朝ごはん、食べた?」
「いいえ、たべ・・・・・ました」
真希は動きを止めた。しばらくそのままでいたけど、すぐにパフェを食べることを再開した。
視線を、パフェから一切動かすことなく。
「いいえって、食べてないのね?」
「朝は、食欲がありません」
「真希、私との約束を覚えている?」
「忘れました。昔のことなんて、いちいち覚えていません」
う~ん、手ごわい。どこで覚えた、そんな言葉?反抗期か?
「私ね、最近ひとりでごはん食べるのって、ちょっと寂しいんだよね。一人分を作ってもさ、美味しくないし。真希が一緒に食べてくれるなら、加奈子さんはとっても嬉しいと思うんだけどなあ」
パフェを食べ終わった真希は、口の周りをナプキンで丁寧に拭きながら、私を上目遣いで凝視してきた。何だ、この生き物はと、そんな表情をしていた。
私はニコニコしながら見返したけど、内心ではドッキドキだ。
そんな真希は、盛大にため息を吐いた。最近、ため息多くないか?悩みなら、私聞くよ。ううん、大いに聞きたい。
「分かりました。じゃあ、明日から伺います。でも、行けたらですよ」
「うん!それでいいよ。もちろん、朝だけじゃなくて、夕ごはんもね」
「でも」
「ああ、そうそう。私の家の鍵をポストに入れておくよ、後で暗証番号を教えるから。それで学校からまっすぐ、私の家に来なよ。宿題とか勉強とか、私の家でやりなよ。真希のおうちでは、勉強とか出来ないんでしょう?外は寒いしさ」
反論を封じる為、私は畳みこむように提案をした。
だって、主導権はやっぱり、真希にあるから。真希がうちに来てくれなければ、私はどうにも出来ないから。
真希が私の手を取ってくれなければ、いくら私が手を伸ばしても、決して届くことはないから。
無理に掴むことって、やっていいことでは無いと思う。
真希の意思が、一番大事なんだ。
情けないけど、これが現実なんだと思う。
真希にとって、私ってそういう存在だから。
ただの、ご近所さんに過ぎないから。
でも、どうしたんだろう、真希は俯いていた。
私は、返事を待った。待つしかないから。
食事が出ないということは、いずれ家から閉め出されると言うことだろう。となると、今度こそ、まずいことになる。真冬に野宿は、ありえないだろうから。しかも、食事抜きなんて、もう死ねと言うようなものだ。
死ね?
真希に、死ねってこと?
まさか、真希を殺す気か?
いやいや、さすがにそれは考え過ぎだろう。多分、行き過ぎたしつけだと思う。教育的指導って奴を、やりすぎた結果なんだろう。そうでなかったら。
そうでなかったら、私はどうする?
俯いていた真希が、顔を上げて返事をしてくれた。
「分かりました。お世話になります」
長い時間が経ったような気もするけど、そんなには時間は経っていないだろう。
でも、良かった。これが正解じゃないって、私が一番分かっているけど、今できることって、これだけだから。
「ありがとう!真希」
「お礼をするのは、僕の方です」
ううん、違うんだよって、いつか分かってくれるかな?
分かってくれると、いいな。
「さて、パフェも食べたことだし、行こうか」
「はい」
私たちはエレベーターで、一階のエントランスホールまで降りることにした。
私たちはそのまま、市役所の総合受付に向かうことにした。たきがわさんに会うためだ。でも、何かを察した真希が、私を止めようとする。私の手を引っ張って、外に連れ出そうとしてきた。
「加奈子さん、帰りましょう。もう、いいです」
「うん?でも、社会科見学するんだよね?たきがわさんと、会うんじゃなかったの?」
「もういいんです。だから、早く帰りましょう」
う~ん、なんだろう。必死になって、私を外に連れ出そうとする。さっきまでと違って、真希の表情に余裕がない。怯えているような、何か普通な感じがしない。
「分かった、分かったから。そんなに手を引っ張らないで」
仕方がないなあ。でも、よく考えたら私一人でたきがわさんと面会すればいいのであって、そこに真希は必要ではないはず。むしろ、真希が居ない方が話しやすいかもしれない。
でも、たきがわさんが複数人いたら、どうしようか?
ま、その時はその時だ。片っ端から、みなさんと懇意にすればいい。仕事にも役立つだろうし。
そう思いつつ、私は真希に手を引っ張られながら、市役所の外に出て広場を抜けた。時計台を横目にバス停に向かうと、到着していたバスから、中年の男性と私と年があまり変わらない女性が降りてきた。
真希が、立ち止まった。
「おや?真希さんですよね?椎名真希さんですよね?」
中年の男性はにこにこしながら、こっちに近づいてきた。女性はというと、無表情だった。というか、表情をあえて消しているような感じがする。真希は、何だか緊張しているようだ。私の手を強く握るし、手に汗もかいている。
何だろう、警戒しないといけない相手か?
真希は、自分の胸に手を置いていた。なんだか、私も緊張してきた。
私は、汗ばんできた真希の手を、強く握り返した。すると、正面を向いていた真希は、私を見上げてきた。真希は、不安な表情をしていた。こんな表情の真希は、初めてだと思う。
真希を、安心させないと。
私は真希の顔を見ながら、にっこりと微笑み、小さく頷いた。真希も頷いてくれた。
何があっても、この手を離さないと、私は強く決意した。
「真希さん、私を覚えていませんか?滝川ですよ。この前、お宅にお邪魔した」
そうか、この人があのたきがわさんか。男の人の方だったか。でもちょっと、予想と違うんですけど。とても反社会勢力の人間でも、やばい組織の人間にも見えない。なんというか、人のいいマンションの管理人さんて感じかな?真希が怖がる要素が、まったく見当たらないけど。むしろ、たきがわさんのやや後ろに控えている女性の方が、怯える要素満点だと思う。私も、あんまり関わりたくない感じがする。
「あの、失礼ですけど。どちらさまでしょうか」
「私どもですか?ああ、これは失礼、私どもはこういう者です」
たきがわさんと女の人は、それぞれ名刺を出してきた。私は真希と繋いでいる手を離したくないので、空いている方の手で名刺を受け取ってしまった。片手で名刺を受け取る行為は、社会人としてはダメかもしれないけど、真希の手を離すわけにはいかないと思ったから。それだけ、真希はこの二人に怯えていたから。
でもまあ、女性の方の名刺を片手で受け取った時は、彼女はちょっと微妙な表情をしていたけど、男性の方はずっとニコニコしていた。
名刺には、児童相談所児童福祉司滝川浩二と記されている。女性の方の名刺には、家庭なんでも相談室相談員柿田麻弥と書いてある。
何だ?家庭なんでも相談室って?というか、その相談員にしては愛想悪くないか?そんな無表情だと、ちょっと相談しづらいぞ。いや、もしかしたら私の失礼な態度に、腹を立てているのかもしれない。悪いとは思うけど、私はあんたらよりも真希を優先するよ。だって、あんたらが来てから、真希はやたら怯えているし。だから悪いけど、大人の事情よりも、子供の安心を優先させるよ。
「すみません、今日はこの子の付き添いでこちらに伺いましたので、名刺を持ち合わせていません。ええっと、私はさ」
真希が私の手を少しだけど強く引き、更に強く握ってきた。手がちょっと痛かったけど、私に何かを伝えようとしていることだけは分かった。
私は、咄嗟に偽名を名乗った。
「遠藤加奈子と申します。真希君の近所に住んでおりまして、今日は真希君の市役所見学の付き添いに来ました」
遠藤さんゴメン!
「ほうほう、そうでしたか。それはいいですね。良かったね、真希さん」
喋るのは滝川さんだけで、柿田さんは一言も喋らない。ただ、私を見ている。見ていると言うより、監視しているような感じがする。気のせいかな?もしかしたら、さっきの私の失礼な態度を根に持っているかもしれないけど、それって狭量じゃないかな。大人の態度でいこうよ。だって、相談員さんなんでしょう?真希、怖がってるよ?
とは言え、その一見優しそうな滝川さんから話しかけられても、真希は何も喋らなかった。滝川さんからの問いかけに対しても、少し頷くだけでまともな返事をしなかった。この状況はちょっと不自然な気もするけど、意外にも滝川さんは気にしていないようだった。柿田さんの方は、どうも気にしているようだった。
私は平静を装いながら、無難な内容の会話で、真希に向けられた注意を私に逸らすことにした。
社会人スキルを発揮しなくちゃね。
「すごい建物ですね?さっきまで、真希君と一緒に展望台に居たんですよ」
「そうそう、わが市の自慢の眺望でしてね。スカイツリーも見えるそうですよ。良かったね、真希さん」
だから、いちいち真希に話しかけんなよ。この子は、怯えているだろう。あんたが話しかけるたびに、私の手を強く握るんだから。いい加減、私の手も痛いんだって。
「そうですか、私にはスカイツリーは見えませんでしたけど、真希君にはよく見えたみたいです。いやあ、年ですかね?」
「いやいや、まだお若いですよ。でも、偉いですね。御近所さんとは言え、他人のお子さんの付き添いをしてくれるなんて。最近では、地域の連帯も薄れ、我々児相も苦労しているんですよ」
「滝川さん」
柿田さんが私から視線を外し、滝川さんに視線を移した。何だろう?でも、一瞬だけど表情が優しくなった気がする。気のせいかな?
「ああ、失敬。地域住民を批判してはいけませんね。我々は、地域の皆さんの協力あっての存在ですから」
「そうでしたか。私も出来る限りですけど、協力を惜しまないつもりです」
「そう言えば、真希さんのおうち、椎名さんのおうちについてですが、どのぐらい承知をしていますか?」
「先生!」
柿田さんは驚いた表情で、今度は強く止めようとしたが、滝川さんはそれを手で制した。
柿田さんは、戸惑っていた。
ふたりは、どっちが立場が上なんだろう?年齢だけで判断出来ないのが、あの世界だ。役職もあてになるようでならないし。でも、何だろう先生って?
「いいえ、よく知りません。ただこうして、真希君の求めに応じて付き添っているだけですので。私と真希君は、仲のいい友達なんですよ。ちょっと、年が離れてますけど。でも、私のしていることに、もしかしたら何か問題がありますか?」
「いえいえ、特に問題ありませんよ。だって、真希さんを無理やりにとか、行きたくないところを誘導して行かせようとしている訳ではないんでしょう?なら、問題はありませんよ」
「保護者の許可は、要らないんですか?私、真希君のお母さまにご許可を貰っていないんですよ」
私はあえて、踏み込んだ質問をすることにした。真希の味方なのか、見極めたかったから。
滝川さんは目を細めたけど、すぐに温和な表情に戻った。柿田さんは、やれやれという表情をした。その表情の方が、相談しやすいと思うよ、柿田さん。
「まあ、一般論としてはダメな可能性があります」
滝川さんはそこで一呼吸を置いて、更に説明をしてくれた。
「一般的にですが、保護者の許可なくして、こんな遠い場所に児童を連れ出すなんてことは、保護者が許さない可能性もあります」
滝川さんは目を細めながら説明したけど、すぐにまた温和な表情に戻った。チラッとだけど、真希の方を見て。
「とは言え、児童が望んでいるのにそれを叶えてあげないのも、保護者としてはどうなんでしょうね。それを踏まえると、社会貢献の一環として、ひとりで居る児童に、社会経験をする機会を地域住民が保護者に代わって与えるのを、行政が止めるのはやりすぎでしょうし、保護者だからといって無闇にやめろとも言えないでしょう。ましてや、訪問先が市役所だとしたら、むしろ推奨すべき可能性があると思いませんか?」
何だろう、微妙な言い回しのような気がする。可能性、可能性って、政治家の答弁みたいだ。結局、ダメなの?オッケーなの?でも、行政は関知せず、そっちで勝手にやってくれとも取れる。
問題さえ、起こさなければということだろう。
「どうですか、遠藤さん」
え?どこ?誰?ああ、今は私か。私はニコニコしながら、ええ、その通りですと答えた。
なにが、その通りなんだか。
真希、大丈夫かな。真希の方を見たいけど、今は我慢しないと。せっかく、滝川さんが私に注意を向けてくれているんだから。と言うか、今度は柿田さんが私ではなく、真希の方を見ているけど。
おい、それ以上、真希を見るなよ。そんな目で真希を見下ろしたら、この子は益々怯えるだろう。ホント、手が痛いんだからさ。相談員なら、少しは察しろよ。
「いずれ、真希さんのことで詳しくお話しを伺いたいと思いますので、お時間を頂戴するかもしれません。よろしいでしょうか?」
「はい、私で良ければいつでもと言いたいですけど、仕事が休みの日ならですが。平日はちょっと」
「おや、今日は平日ですけど?」
「有休を取りましたので、今回はたまたまです」
「そうですか。でも児相は24時間365日受け付けていますので、いつでも時間を合わせられます。まあ、出来たら平日の9時から5時までが望ましいんですけど。児相も人手不足ですので」
「それは大変ですね。お察しします」
「いえいえ、児童の安全の確保こそが、我々の使命ですから」
「滝川さん、そろそろ」
「おや、もうこんな時間ですか。じゃあね真希さん、また今度ね。お母さまにもよろしく伝えてくださいね」
滝川さんはここで、一呼吸おいてから、私にゆっくりと語り掛けてきた。
「遠藤さんも、真希さんをよろしくお願いしますね」
ちょっと、話し方のニュアンスが違うような気がするけど。気のせいかな?
二人は会釈してから、庁舎に向かって歩き去った。
声が届かないような距離になったら、真希が盛大に息を吐いた。緊張が解かれたのか、握った手を緩めてきた。ちょっと、手がズキズキする。こんな真希は、初めてだ。
柿田さんは時折後ろを振り返りながら、滝川さんと何やら話しをしていた。
何を話しているのかな?
滝川さんが柿田さんに、手を振っていた。
まるで、それには及びませんよと、そう見えるような仕草で。
結局、柿田さんとは一言も会話が出来なかった。
「真希、大丈夫」
私は真希の前にしゃがみ、くずれた髪を直してあげた。顔にも汗をかいていた。私はハンカチを取り出して、顔の汗も拭ってあげた。手も拭いてあげた。手のひらの傷は、キレイに治ってるなあと思いながら、手を拭きつつ観察をした。足の怪我もどうなったか見たいけど、ここでわざわざズボンをめくるのって、不自然だから諦めることにした。
そういう時の真希は、いつものようにされるがままだが、本当に疲れ切っているようだ。どこかで、休ませた方がいいかな?
「僕は大丈夫です。加奈子さんこそ、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ねえ、あの人が真希が会いたがっていた滝川さん?」
「はい」
「柿田さんは、知ってる?」
「この前、滝川さんと一緒にうちに来ていた人です。それ以上は、僕も知りません」
「そうなんだ。ありがとう」
う~ん、でもまだ何かありそうだけど、もう時間も遅いから、真希を家に帰そうと思う。なんだか、ぐったりしているし、途中で何か食べさせよう。
でも、収穫はあった。
あの二人は味方かどうか分からないけど、少なくとも敵ではないと思う。良くも悪くも公務員だし。
二人の名前と顔も覚えたけど、私の顔も覚えられてしまったかもしれない。一応、偽名を使ったし、今回は変装みたいな恰好だから、誤魔化しは効くかもしれないけど。
本当にそれで良かったのか、悪かったのかは今はまだ分からない。でも、今はそれでいいと思う。いざという時、面識があるのと無いのとでは、対応に雲泥の差が出るからだ。
これで椎名家を訪れた、謎だった男の人と女の人の正体が分かった。分かったけど、彼らが真希の家に訪問した目的までは分からない。児童相談所だけならともかく、家庭なんでも相談室ということは、少なくとも真希の親御さんは行政に何か相談しているということだろうから。
ただ、滝川さんは私と話したがっていると、そう見ていいだろう。いくら社交辞令だとしても、内容が少し具体的過ぎるからだ。児相の出来る限界を、私に示しているようにも感じた。
それに滝川さんの最後の言葉、「真希さんをよろしくお願いしますね」は、本音のように思えたからだ。そこには、建前は無いと思う。
そうだとすると、真希を閉じ込めた理由は、何?
「児童の安全の確保こそが使命って、それはつまり」
つまり児童の保護だけが、彼らの仕事なのか?それ以外は、優先順位に入らないということか?だから、閉じ込めたのか?
それなら、理解出来るけど。そうだとしたら、真希の家は安全ではないということになるし、現に冬に真希を外に放り出すような家だ。
でも、慎重に行動しないと。相手は私を疑っている。少なくとも、柿田さんは私を信用していない。柿田さんはその判断で間違いないだろうけど、滝川さんもきっとそうだろう。
初対面でいきなり他人を信じるようなら、むしろ信用出来ないと思う。ニコニコしながらも、どこか図るような目をしていたから、そこは大人として大丈夫だと思う。
その一方で、滝川さんは私に真希を預けてもいいとも思っている。そうでなければ、ここで私と真希を足止めして、真希のお母さんと連絡を取ろうとするはずだ。少なくとも、念のために確認ぐらいは取るだろう。児童の安全の確保が使命ならばだ。いや、庁舎に戻ってから確認するかな?だとすると、私の行為は軽率だったかもしれない。
う~ん、このまま真希を家に帰していいモノやら。
まずい、思考の迷宮に入り込みそうだ。
もっと、シンプルにいこう。
滝川さんは、信じていい人だ。
だって、真希は滝川さんに会う為に、ひとりでここまで来ようとしたんだから。
歩いて、しかも怪我までして。
なら、真希は滝川さんに何を話そうとしていたのか?
何を、滝川さんに伝えようとしたのか?
「ねえ、真希。私に話すことって、何か無い?」
「ありません」
彼は私の目をまっすぐ見つめながら、間髪入れずに答えた。
私は確信した。
そう、やっぱり何かあるのね。