第十話 再会
「沢井さん、午後になったら出ますから」
「はい、約束は4時でしたよね?」
「ええ、そうです。でも、打ち合わせに向かう前に、近くを見たいので午後一に出ます。一緒に来てください」
「分かりました」
仕事も順調なのかどうなのか、実はよく分からない。普通に見れば順調なのだが、政治が絡むと何が起きるか分からない。いきなり、ちゃぶ台返しもあり得るからだという。それでも、苦情すら言えない。
なんて、仕事だ。というか、これを若手にやらす気だったのか?普通に逃げるだろう?
「まあ、考えても仕方がない。とりあえず、遠藤さんとお昼行こうっと」
しかし、遠藤さんは居なかった。忙しくしているのかなあと思うけど、急に担当を変えたのだから、四苦八苦しているのかもしれない。
「課長、ちゃんとサポートしてくれてるんでしょうね」
課長席をにらんだけど、肝腎の奴も不在だった。
「仕方がない、ひとりで行くか」
食堂へ行くと、遠藤さんがひとりで食事をしていた。珍しく、お弁当ではない。ちなみに私は、相変わらずおにぎりだ。当面は必要ないと思うけど、どうも習慣になってしまったようだから。
真希が、いつうちに来てもいいように。
「やっほ~!」
「あ、沢井さん!」
「珍しいね、お弁当じゃないなんて」
「最近、忙しくて。作る時間がないんですよ」
「そうか、仕事は大変なのか」
「仕事はまあ、課長がサポートしてくれるのでそんなには大変ではありませんが、まあ色々と」
「何、色々とって?」
私はおにぎりをかぶりつきながら、質問をしてみた。遠藤さんはうどんだったけど、すすり方がカワイイ。前に垂れる髪を手で軽く押さえながら食べる姿は、ちょっとドキッとする。で、私はどうかというと、髪は後ろで結んでいるので、そんな心配はありません。ちょっと、やってみたいかも。
「まあ、色々ですよ」
「変なことには、なっていない?大丈夫?」
遠藤さんは、手をふりふりしながら答えてくれた。
「全然ですよ。むしろ、私が甘えてるぐらいです。でも、甘え過ぎるのもどうかと思っていますけど」
「まあ、いいんじゃないのかな?人をうまく使うのも、仕事のうちだよ」
「ありがとうございます。沢井さんの方は、どうでしょうか?」
「まあ、かなり面倒な案件みたい。午後になったら先方と打ち合わせに行くんだけど、その前に周辺の視察をすることかな」
「大変ですね」
「これも仕事さ」
前髪を軽くかき上げ、カッコつけてみた。
「沢井さん、かっこいい!」
おお!受けた受けた。優しいなあ、遠藤さんは。
「ありがとう。遠藤さんも頑張ってね。何かあったら、私に言うんだよ」
「は~い」
うん、パワーを貰ったような気がするな。これで、午後も張り切って仕事が出来る。
「沢井さんの地元なんですよね?」
「一応ですけど」
「はは、一応ですか」
私の地元の仕事だった。もしかしたら、そこを見越して、私に割り振ったのかもしれない。でも、貰った資料に載っていなかったんですけど。というか、何をするのか、実は良く分かっていない。
「まず、ショッピングモールに行きます」
「はい」
地元のショッピングモールは、実は初めてだった。地元は案外行かないもので、こんな場所があったのかと驚いたぐらいだ。真希を連れて行きたいと、純粋に思ったぐらいに、ショッピングモールは楽しそうな場所だと思った。
「どうですか、沢井さん」
「子供連れが多いですね。子供が遊べる仕掛けが、一杯してある」
「よく見ていますね」
「あと、小児科や、それとは別に小児歯科までありますね。美容院やネイルサロンまで。子供服専門店も大きい売り場面積ですし」
「そう、その通りです。家族連れなら、ここですべてが完結する、それがこういった施設なんですよ。ここですべてが揃う。ここから、外に出る必要は無い。では、次に行きますね」
「え?もうですか?」
「ええ、ここを沢井さんに見てもらいたかっただけですので。次は本番です」
私と丸山さんはバスと電車を乗り継ぎ、ある商店街に着いた。同じ市内でも、行くのは意外に面倒だった。
「どう、思いますか?」
「どうって、言われても」
こんな商店街があったことも、私は知らなかった。でも、家から歩いてこられるような場所ではないので、仕方がないかもしれない。
「沢井さんは、買い物はいつもどこでしていますか?」
「まあ、だいたいがコンビニです」
「そうですよね、沢井さんのような若い方なら、だいたいがそうですね。若い方はコンビニ、子供連れはさっきのショッピングモールか大規模スーパー。では、こういった商店街には、誰が来るでしょうか?」
「地元の人ですか?」
「一応、若い方も子供連れの方も地元の人には違いがありませんよ」
「う~ん、高齢者になりますか?」
「まあ、だいたいがその通りです。どうしてだと思いますか?」
「コンビニはなじみがないし、ショッピングモールだと場所が離れているし、何だか場違い感があるからでは無いでしょうか?」
「だいたいですが、まあその通りです。しかし、高齢者は消費意欲が低い。だから、消費意欲の高い層を、特に若い層をどうにかしてこの商店街に引っ張り込む。これが、我々の企画の本質になります」
ああ、だから若手が欲しかったのか。それならそうと、言ってくれないと。
「でもそれって、我々のような者の仕事ではないような気がしますけど」
「だから、政治案件なんですよ。ここで実績を作っておけば、次の大きなイベントに参加出来ると、そういう訳です」
つまり、当て馬か?いいのか、それで。いや、いいのかもしれない。
「まあ、だからといって適当にやっていい話ではありませんので、一応はそのつもりで」
「はい」
「打ち合わせに行く前に、何か軽く食べましょう。以前ここを伺った時は、甘味処があったんですけど、ああ、今はもう無くなっていますね」
しかも、その甘味処だった店の建物に降りているシャッターには、無残にも落書きがされていた。
「喫茶店も無くなっている。いい商店街だったんですけど」
「丸山さんは、ここをご存じなんですか?」
「一応、私の地元だった場所です。正確に言うと、以前住んでいました。学生時代ですけど」
「そうですか」
私はまったく知らなかった。今回の仕事を割り振られなかったら、恐らくは一度も来なかったはずだ。地元とは言え、知らないことがたくさんある。地元以外で仕事をすると、こうなるという見本かもしれない。会社と家の往復だから。
う~ん、寂しい人生かも。結婚したら、ショッピングモールに行くようになるのかな?私にあのショッピングモールにいらしゃった、お母さま方のように井戸端会議が出来るだろうか?なんだか、出来そうに無い気がする。特に親にまとわりつく子供が、お母さん帰ろうよと言ってるにも関わらず、びくともしないで井戸端会議に集中しているお母さま方の様子を見ると、ちょっとすごいと思う。その微動だにしない様は、私にはちょっと怖かった。
「仕方がありませんね。市役所の喫茶室で何か頂きましょう。あそこなら、何かあるでしょう」
私と丸山さんは、バスに乗って打ち合わせをする為に市役所に向かった。地元なのに、知らない風景だった。
私は何も知らないんだなと、外の何気ないはずの風景を見ながら、何か恥ずかしいような気持ちになった。
市役所は建て替えられたばかりだった。前と何が違うのか、私には分からなかった。
そもそも、前に市役所に来たときは仮庁舎だったので、丸山さんの言う、前と比べてキレイになりましたねという問いに対しては、私には答えようがなかった。でも、その優美さというか、機能美というか、あの商店街と対比すると、何だか違和感を感じてしまう。役所というより、なんとかヒルズという感じがする。近寄りがたいと、そんな威圧感すら感じる。
私と丸山さんは、市役所の会議室で担当職員と商店街の人と打ち合わせをしたが、いわくつきの政治家さんは表われなかった。打ち合わせは、驚くほど順調だった。ちゃぶ台返しも無かった。もちろん、セクハラもない。いや、あったら問題だろうけど。でも、これが曲者らしい。
「さて、今日はこれで終わりです。時間も時間なので、直帰でいいですよ。わざわざ、都心まで戻る必要はないでしょうし」
「丸山さんは、どうされますか?」
「私の場合は会社が家までの通り道ですので、一応社に顔を出したらすぐに帰宅しますよ。誰かが残っていたら、責任者としてはマズイので」
おや、課長とは違うなあ。丸山さんが課長になればいいのに。そういえば、課長と丸山さんって、どっちが年上なんだろう?
「では、私も社に戻ります」
「大丈夫ですよ。まだ、そんなに深刻になっていませんから」
「深刻になりそうですか?」
「さて、それは先方次第でしょう。急に担当が変わったり、別の部署が首を突っ込んできたり」
「ええ?なんですかそれ?」
「まあ、最近はあまりないんですけど。色々あって、大赤字になって事業から撤退して、最後は裁判沙汰になる。それで最初は当社が叩かれ、でも内情が明らかになると次は取引先が世間から叩かれる。そんな、よくある話ですよ」
「いや、よくあったら会社が潰れるでしょう?」
「確かに(笑)」
いや、本当に笑えないんですけど。
私は丸山さんと別れ、市役所内の洗面所で用を済ませてから、バスターミナルに向かった。
夕日に照らされる高層の市役所新庁舎に、広大な広場の中心にある時計台。なんだか、生活感が無いと言うか、機能美すぎてかえって面白みがないというか、ちょっと近寄りがたい感じがする。市民に開かれた行政をって、そんなフレーズが空々しく聞こえるぐらい。
「きっと、有名な建築デザイナーが設計したんだろう。でもまあ、役所なんて、所詮はこんなものかな?商業施設でもないし」
普段、役所なんてあまり行かないし。最近ではコンビニで住民票も取れるから、益々縁遠い場所だと思う。
「あ、でも最上階のレストランには行ってみたいかも。あの高さなら、見晴らし良さそうだし。市の担当者曰く、富士山も見えるらしい。今度、真希を連れて行ってみようかな。真希、喜ぶかな?」
ふと、あたりを見回すと、そこにある不思議な光景が目に入った。時計台の下に設置してあるベンチに、ぐったりして座っていた小学生の姿だ。
「え?真希?何で?」
私は急いでベンチまで歩み寄り、ぐったりしているだろう真希に声を掛けた。
私に声を掛けられ、見上げてきた真希の表情は、本当に疲れ切った感じのようだった。目も、うつろな感じだった。胸が、ギュッとなった。
「真希?どうしてこんなところにいるの?」
「え?あ?加奈子さん?何で?」
真希の顔色が、本当に悪い。少し、汗ばんでもいる。
「いや、それは私のせりふだよ。学校はどうしたの?何で、こんな場所に居るの?」
「加奈子さんこそ、お仕事はどうしたんですか?」
「私は仕事中だよ。さっきまで、あそこに居たんよ」
私は市役所を指さすが、それを見た真希は驚いた表情をしていた。
何で、驚いている?
私は真希の隣に座り、彼の肩に手を掛けるけど、何故か真希は身じろぎをした。胸に手を置いた。
どうして?
「誰と会っていたんですか?加奈子さんは大丈夫ですか?」
何だろう、真剣な表情だけど、どこか動揺しているような。市役所に何か、まずいことでもあるのかな?
「大丈夫も何も、ただの仕事だよ。真希こそ、こんな場所で何をしているの?」
「ええっと、社会科見学です」
「ふ~ん、それで先生とか同級生はどこに居るの?バスで来たの?」
周りを見ても、子供は真希以外に居ない。というか、閑散としている。
「いえ、僕ひとりです。歩いてきました」
「ひとり?しかも歩き?何で?」
「ここを希望したのが、僕ひとりだけだからです」
市役所見学の希望者が、たったひとりなんてあるのだろうか?でも、無いとは言えないか。公務員のブラック勤務ぶりは、ちょっと有名らしいし。
いやいや、それでもおかしいって。
「でも、小学生がこんな場所にひとりで来るなんて、いくらなんでもおかしいと思うよ」
「ひとりで出来ることはひとりでしないと、いつまでも子供のままです」
なんだろう、やけに頑なだなあ。詭弁というより、どうやってここを乗り切ろうか、そんな感じがする。どうして?私に何か、知られたくない事情でもあるのかな?
だからと言って、はいそうですかとは言えない。真希は、誰かと会おうとしているに違いない。もしかしたら、真希の家に来ていたという、男の人と女の人の名刺を見つけたのかな?その人に、面会しようとしているのかな?
私に内緒で。
そうだとすると、私も無関係とは言えない。私が仕向けたから、その責任はあると思う。
でも、それは言えないけど、どう説得したらいいだろうか?
「真希は、誰と会うつもりだったの?」
「ええっと、滝川さんです」
「え?誰?」
「ここにいる滝川さんと会うつもりでしたが、時間が間に合いませんでした。だから、またにします」
たきがわさん?どこの誰?もしかしたら、それがあの真希のおうちに来たっていう、男の人か女の人の名前なのかな?
さっきまで会っていた職員さんに、聞いてみようかな。
「じゃあ、私が聞いてあげるよ。たきがわさんだね?」
「いいです、大丈夫です。ひとりでやれます。僕だけで大丈夫です。僕がやらないといけないんです」
何だろう、やけに必死だ。だけど、私にそれ以上真希を追及する権利は無いと思う。でも、真希の安全を考える義務や義理なら、私にだってあると思うよ。だけど、今は市役所に居るだろう、たきがわさんの存在を知ることが出来た。それを成果としよう。だって、真希がこんなにぐったりしているんだもの。これ以上は、ちょっと可哀そうだと思うから。
「そう、分かったよ」
よく見ると、真希のズボンの膝のあたりが汚れていた。少し、破けていた。もしかしたら、怪我をしているのかもしれない。
「ねえ、ちょっと見せて?」
「ダメです。大丈夫です」
「ジッとしてて」
私は真希の目の前にしゃがみ、ズボンをめくって見ると、ひざをすりむいていた。私はカバンから除菌シートを取り出して、傷口を拭って消毒することにした。備えあれば言うことなしだね。あれ?違ったっけ?まあ、いいや。
「ちょっと、我慢しててね。すぐ終わるから」
消毒を終え、ばんそうこうを貼る。でも、よく見ると手のひらもすりむいている。いったい、何をしたらそうなる?
「手を出して」
私の視線に気が付いた真希は、手を背中の後ろに隠した。私は、それでも手を出すように促した。だって、放っておけないでしょう。見ちゃったんだから。
「大丈夫です」
「大丈夫禁止だよ」
目が潤んでいる。まずい、泣くのかな?痛かったのかな?市役所の前で泣かれたら、ちょっとまずいかも。でも真希は、黙って手を出してくれた。私は出来るだけそっと、真希の手を取った。
「痛くない?」
「だ、・・・平気です」
「そう、でもばい菌が入ったら大変だからね、一応消毒しておくよ」
なんというか、こうなると真希はされるがままだなあ。素直でかわいいけど。でも、その分頑ななところがある。そこが、手ごわい。
「さあ、終わった。じゃ、帰ろっか?」
明らかに、真希はうろたえていた。さっきまで、大人しくしていたのに。
「僕ひとりで帰れます。加奈子さんは先に帰ってください」
いやいや、何を言っている?こんな場所にこんな時間に、しかも怪我までしている小学生を置いていけるかって~の。まさか、私と帰るのが嫌とかじゃないよね?それはそれで、傷つくんですけど。
「ほら、行くよ」
私は真希の怪我をしていない方の手を掴み、バスターミナルに向かった。真希は、抗わなかった。こういう時の真希は、何故か逆らわない。よく考えると、不自然だと思う。それでも目当てのバス停に近づくと、少しだけど抵抗してくるし、繋いだ手を振り払おうとする。
私には、その理由が分からない。
「僕、歩いて帰ります」
「え?何で?」
「健康の為に歩くんです」
いや、耳に痛いんですけど。というか、ここから真希の家まで遠いだろうに。
「うん、運動は大事だよね。真希は足も速いし。でもね、今日はバスで帰ろう?怪我もしているし」
「怪我なんか平気です。僕は平気ですから、加奈子さんこそ先に帰ってください」
「いやいや、そもそも方向が同じじゃないか?なら、一緒に帰っても同じでしょう?もしかして、私と一緒に帰るのが嫌なのかな?」
「そんなことはありません!加奈子さんと一緒にいたいです!」
やだ、耳まで真っ赤にして、かわいいんだから。嬉しい!私と一緒に居たいなんて。私もだよ!
私を見上げるその真剣な顔を見ると、私は思わず真希をぎゅっとしたくなるけど、すぐに冷静になる。今は遊んでいる場合ではないし、真希は怪我もしている。さすがに、世間体もあるからだ。市役所のすぐ側だし、目の前には交番もあるしね。だから、どうにかして真希を説得しないと。
「う~ん、バスが嫌なの?」
「バスは嫌です」
おおっと、そうきたか。手ごわいな。じゃあ、分かった。
「なら、タクシーで帰ろう」
「え?」
「タクシーなら、ひとりもふたりも同じだしね」
「僕は、歩いて帰ります」
「ええ?加奈子さんも疲れたよ。タクシーで帰ろうよ」
私は駄々をこねるふりをする。いや、疲れているのは本当だから。
「加奈子さんひとりで、タクシーで帰ってください。僕は平気です、平気なんです」
「怪我をしているのに?」
「こんな怪我なんて、何でもありません」
おお!男の子だ。でも、それとこれとは違うと思うよ。ここは真希の家からも、随分と遠いはず。しかも、もう薄暗くなっている。昼間と夜では、勝手が違うと思うしね。
「ねえ、真希。私は真希と一緒に帰りたいんだよ。それって、ダメなのかな?真希は私と帰るのが、そんなに嫌なの?」
「ダメ、じゃ、ない・・・です。でもダメです」
よし、もう少し!もっと一押し。
「私、ひとりで帰りたくないよ。ねえ、一緒に帰ろうよ」
「加奈子さんは大人なんですから、ひとりで帰ってください」
「ええ?だってさ、なら真希は子供じゃん。ひとりで帰っちゃダメだよね?」
「これ以上、迷惑を掛けたくありません」
「真希。前も約束したよね?私は真希のことを迷惑だなんて、一度も思ったことは無いって」
また、だんまりか。手ごわいなあ、本当に。いかんいかん、もしかしたら政治家と渡り合わないといけないから、この程度で引き下がる訳には行かない。相手は小学生だし。
「ならさ、ひとりで帰りたい理由を教えて。何で、歩いて帰ろうとしているの?」
「・・・か・・・」
「うん?何?」
「お金を持っていません」
あ?そういうことか。私は察しが悪いな。お金が無いって、男の子には恥ずかしいことなのかな。でも、ならお小遣いはどうしている?貰っていないのか?貰っていないのかもしれない。ごはんを貰えないぐらいだから、お小遣いなんて貰っていると思う方がおかしいだろう。お金があれば、食べ物も買えるし。
親からお金を貰っていない、だから歩いてここまで来て、そして歩いて帰るのか。何で、そこまでする。
「お金を持っていないから、バスや電車に乗れないから、学校からここまで歩いてきたの?」
真希は頷いてくれた。でも一体、何の為に、ここまで大変な思いをして来たのか。しかも、怪我までして。
真希はたきがわさんと会って、何を話したかったの?それって、私には、話せないことなのかな?私に秘密にしないと、いけない事情って、なに?
考えると、何だか悲しくなってきた。でも、それでも。
そうだとしても。
「ねえ、真希。真希にとって、加奈子さんは薄情な人?悪い人?」
「そんなことはありません!加奈子さんはいい人です!悪い人ではありません!」
おお、何だか気恥ずかしいな。でも、嬉しいかも。良かった。私は、本当に胸をなでおろしたよ。
だったらさ、私は悪い人になるよ。真希の為なら。
「じゃあ、そのいい人が、こんな場所に小学生を置き去りにすると思う?私は思わないなあ。私はそんな人を、薄情で最低な人だと思うよ」
「ずるいです」
「うん、私って、ずるい大人なんだ。ゴメンね」
真希は私の顔を見る。何と表現していいか、よく分からない表情をしていた。呆れているという、そんな感じかもしれない。
「じゃ、今は甘えます。お金を貸してください」
「一緒に帰ればいいだけだよ。タクシーで帰ろう?その方が、安く済むし」
真希は、私を見上げる。これまたなんとも言えない表情をしている。大人って、ずるい。間違いなくそう思っているだろう。何と言うか、ちょっと心苦しいかも。
それでも私は、にっこりと微笑んだ。
だって私は、ずるい大人だから。笑って誤魔化すぐらい、なんてことない。だってさ、それが真希の為になるなるんだから。
「はい、でも公園までにしてください。家の人に心配かけたくありません」
「うん、いいよ」
こうして私と真希は、タクシーで帰ることにした。
「ふんふん♪」
「機嫌がいいですね?」
「うん、だって真希と一緒だから」
真希は、何だか恥ずかしそうにしている。私って、本当に悪い大人だと思う。はい、すみません、小学生相手になにをやっているんでしょうね。
「次は、いつ行くの?」
「どこへですか?」
「市役所のたきがわさんに会いにだよ」
「社会科見学は終わりです」
「え?でもまたにしますって、さっき言ってたよね?」
「ああ、ええっと、学校で相談します」
普通なら、先生と相談するではないのかな?つまり、これも私を煙に巻こうとしているということだろう。問題は、その理由だろう。どうしても、私をたきがわさんに会わせたくないのだろうから。
「ふ~ん、もし行くなら、私が送り迎えをしてあげるよ。だって、お金を持っていなんでしょう?」
「平気です。歩いて行きますから。僕は。加奈子さんより足は速いですから」
「でも、今日は間に合わなかったんだよね?学校からここまで、結構距離あるし」
「道を間違えただけです。次はまっすぐ行けます。だから、大丈夫ですじゃない、平気です」
「ふ~ん、そうなんだ。分かったよ。でも、私を頼っていいんだからね?遊びじゃないんでしょう?社会科見学なら、問題ないと思うけど」
真希は返事をせずに、ここでいいと言ってきた。もう、公園の近くだ。電車とバスを乗り継ぐより、随分と早く着いてしまった。案外、近いかも。これなら、歩いて行こうと思っても、不思議ではないかもしれない。でも、それは大人の話だろう。子供が、ましてやたったひとりで行くような距離ではないと思う。途中に大きい道路もあるし。
「うん、ここでいいの?家の近くまで送るよ?」
「ここで大丈夫です」
「うん、分かったよ。運転手さん、この子をここで降ろしますので」
タクシーは公園の前で停車し、真希を降ろした。
「じゃ、バイバイ。何かあったら私の家に来るんだよ?」
「はい、さよなら」
さすがに足が痛いせいか、真希は走って帰らなかった。私は横道に車を誘導し、そこで降ろしてもらった。
私は、真希の後をつけることにした。いつものように走って帰られたら、さすがに追いつけないから、ちょうどよかった。怪我の功名かな?え?使い方が違うって?小学生だって、そんなこと知っているって?ええ、ええ、ええ、分かってますとも!
「いた」
私は真希との距離を慎重に取りながら、それでも真希を見失わないように静かについていった。でも、普段の真希にしては歩くのが遅いような。しんどそうなのは分かるけど。小学校から市役所まで随分歩いたろうし、怪我もしていたし。だからなのかな?というか、真希がいきなり後ろを振り向いた。
「やば!」
私は電信柱の影に隠れた。隠れられたよね?見つからなかったよね?そろりと見ると、そこにはもう真希の姿は見えなくなっていた。
「あれ?見失ったかな?探偵失格だな」
周囲を見回したが、真希を見つけられなかった。私は諦めて帰ろうとしたら、ある表札が目に入った。それは、椎名と書かれていた。
「ここか」
私はこの成果を胸に、今日は家に帰ることにした。とりあえずだが、これでいざとなったら真希の家に乗り込めるし、たきがわさんという、恐らくはキーパーソンも知ることが出来たから。
でも、真希の家に乗り込んでどうする気だ?
たきがわさんと会って、何を話せばいい?
というか、たきがわさんって何者だろう?真希の味方に、なってくれるような人なのかな?いや、真希があんなになってまで頼ろうとした人だから、少なくとも敵ではないだろう。だいたい、たきがわさんが市役所の人なら公務員だろうから、悪い人ではないはず。
でも、たきがわさんが男の人なのか女の人なのか、それすらも分かっていない状況なんだから、油断は出来ない。
では、どうするか?
その時までに、考えておこう。
そしてその時に備えて、一応、これまでの記録を付けておこう。初めて真希を見かけた日から、今日、市役所に居たことまで。
私は、急いで帰宅することにした。私と真希の出会いの記録を、正確に記すために。
いや、恥ずかしい記録は書きませんよ。裸で真希を出迎えたなんて書いたら、一瞬で信用を失うから。
でも、これで前に進める。
少なくとも、それだけは確信出来た。
私にもやれることが、やっと見えたから。