03:婚約者
一年近くを自室で過ごしていた私の元に、突然父親が現れた。
「マレガレット、行くぞ」
「…………」
返事をしない私の耳が、力強くつねり上げられた。
「ぎゃっ」と悲鳴を上げて、慌てて父親を振り返る。彼はとても苛立たしげな様子で、
「用意をしろ」
その瞳には、愛など一欠片も感じられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
久々にドレスアップして向かう先、そこは王城。
この世界は一つの王国が支配しており、王城に住むのはその王たる一族たちだ。
こんな私がお城などに行って大丈夫かしら、と思った。
だって私は「ドブネズミ」と言い続けられて来たから。ドブネズミが王族の前に出るなんて汚らしいにも程がある。
そう言ったのに、父親には聞いてもらえなかった。皮肉と受け取られたのかして怒鳴られた。
でも私は決して皮肉で言ったわけじゃない。
汚らしいドブネズミの子と言い続けられていたので一種の洗脳にかかってしまっていたのだろう。しかも一年も部屋に篭り続け、その間は心を閉ざしていたのだから当然だ。
私は「もうどうにでもなってしまえばいい」と心の中で叫んだ。
その時、馬車が城へ着いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「君が俺の婚約者となる娘か」
私にそう問いかけて来たのは、赤い髪に緑の瞳の少年だった。
歳は私と同じくらいで十歳前後。ほっそりした体型で、リンゴのように赤い頬が特徴的だ。
私はおずおずと答えた。
「私、マレガレット・パーレルといいます。あの、こ、婚約者って何なの?」
「王太子の婚約者になる」とは聞いていたのだが、婚約者というのが一体何者であるか私にはわからなかった。
相手の少年は驚いたような顔をし、少し戸惑うように言った。
「将来の結婚の約束をした者同士ということだが、君はそんなことも知らないのか」
「……教えてもらってないわ」
この場に父親がいたら、ぶっ叩かれていたかも知れない。
しかし父親は国王との話があるからと、今は不在だった。だから私は少年とお話しすることができたのだ。
「そうだ、あなたの名前は?」
「俺か? 俺は、デリック」
私はデリックを見つめた。
なんて立派な子なんだろう。私よりたくさんものを知っていて、強い。
それなのに私は……。
「すみません。私のようなドブネズミが」
「ドブネズミ?」
「私のあだ名です」
そう言った瞬間、デリックはまたギョッとしてしまった。
どうして驚かせたんだろう? 私は不思議で不安で、彼を見る。
「それは……誰が呼んでるあだ名だ?」
「父です。父と継母が、私に」
「ひどいじゃないか!」突然、デリックは怒った。「ドブネズミなんて最悪だ!」
私、何かいけないことを言ったみたい。
そう思ってブルブル震える。後で父親に殴られる。だから、
「ごめんなさい。嘘です。全部嘘。ドブネズミは、私が考えた汚いあだ名なの」
「そんなわけがないだろう」
「本当です。本当……だから」
泣きながら私が縋ると、デリックがそっと私を抱いてくれた。
驚いて見上げると、すぐそこに彼の幼い顔がある。
「わかった。なら、君のことは俺が守る」
「……?」
「俺が君をきっと幸せにしてやる。今の地獄みたいな日々から引き上げて、きっと救い出してあげるから」
彼は、私が今までにどんな人間からも見せてもらえなかった力強い笑顔で、
「マレガレット、いつか俺のお嫁さんになってくれ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この時の彼の言葉は一生忘れないだろう。
これが私とデリック王子の出会いであり、私が自分の自由というものを得る第一歩となった。
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