表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/41

2.ファラーシャ

 革袋を掴んだふくろうがやってきたとき、エグナルは丘陵(きゅうりょう)にある雑木林から小さな村の様子を(うかが)っていた。

 

〈子らの街道〉沿いにつくられたその村は、千年を経てなお白く輝く街道と比べて、いかにもちっぽけでみすぼらしく見えた。七百年前にはじまった〈地獄の三王〉を筆頭とする〈異界の神(ブラックウォッチ)〉の越境──その眷属たる異界種族(アザーズ)の侵攻により、人類はかつて誇った英知の大半を失ってしまったのだ。


 そして原形をとどめる〈子らの街道〉にしたところで、かつてのように“人や物を一瞬で遠方に運ぶ”ことはできない。破壊された〈最初の子ら〉の遺跡は現代人には手がつけられず、今や世界のあちこちでその(しかばね)を晒している。

 

“ふふん”


 エグナルは兜の下でにやりと笑った。防御も大したことがないあの村なら、簡単に蹂躙することができるだろう──などと考えているわけではない。かれのねらい(●●●)は街道沿いの小さな三角屋根の宿屋だった。

 

 先程助けた格好になったあの貴族は、おそらく(文無しのエグナルにとって)充分な報酬をよこすだろう。今日は久方ぶりに──本当に久しぶりに──まともな食事とベッドにありつけそうだ。

 

 もちろん、異形たるかれが人間(●●)らしさ(●●●)を味わうには、ちょっとした幻惑の魔法が必要となるのだが。あの村は人口も少なく、幻惑を見破れるような魔道士はまずいるまい。

 

 苔桃(カウベリー)の茂みに潜んだ〈悪魔の子〉は、ふと宿で年若い娘が働いていることに気がついた。弟らしき子供を叱りつける姿に欲望がうずいたものの、人間の(●●●)ふり(●●)をして女を抱くようなまねはかれのプライドが許さないし、万一正体が露見したら娘は破滅だ。村から追い出されるか、自ら首をくくるかのどちらかだろう。

 

 エグナルは自分の考えに苦い思いを味わった。腐れた両親は、どうせならばんばん(●●●●)子供を作ればよかったのだ。兄弟姉妹がいれば、おれはただ一()で茂みに隠れ、みじめな思いを味わわずにすんだだろうに……。

 

 世界のどこへ行っても、おれが悪魔でも人間でもないことは変わらない──かれが鬱々(うつうつ)としだしたころ、ようやく〈守護霊ガーディアン・スピリット〉が約束を果たしに現れた。


「遅かったではないか」


 すーっと、ほとんど音もなく降下するふくろうにエグナルは文句をつけた。カルケン族の襲撃からはすでに数時間が経過している。日はゆっくりと傾きだし、まさか宿の(あか)りを前におあずけ(●●●●)を食らわされるのかと危ぶんでいたのだ。


守護霊ガーディアン・スピリット〉は悪びれもせず、大きめの革袋をエグナルへと放った。かれは低く唸ったものの、そのズシリとした重みと硬貨のじゃらりという音に機嫌を直した。幻惑が破られない場所でなら、しばらくは文明的な生活が送れるだろう。


 十分に英気を養った後は、カルケン族の後を追うのもよいかもしれない。善良な人々から略奪するのは“誓約”に反するが、けだものの地(ハイメリア)から追い出されるような悪党どもが相手ならかまうまい。

 

「なにをやっている?」


 そこまで考えたあたりで、エグナルはふくろうがまだ去っていないことに気がついた。とぼけた顔で青々とした楓の木の枝にとまって、じっとかれのことを見つめている。今度こそ焼き鳥にしてやろうかと思った、そのとき──常人よりも遥かに優れた五感が生き物の接近を感じ取った。

 

 エグナルは腰の偃月刀(シミター)を抜きかけ、相手を直感的に悟ってげんなり(●●●●)した。つと(かたわ)らでじっとしている愛馬を見たものの、〈悪魔の子〉が小娘を恐れて逃げ出すなど許されない。


「こんにちは」


 木の陰から現れたのは、予想通り例の僧侶(クレリック)の娘だった。彼女は聖職者が魔人(デモン)にするとも思えぬ穏やかな挨拶のあと、遠慮も恐れもなくかれに歩み寄った。


おまけ(●●●)をつけろなどと言った覚えはないぞ」


 エグナルは脅しつけるように言い、燃える悪魔の目で彼女を観察した。ふくろうがやってくるのに時間がかかったのは、この女がゆったりと身ぎれいにしていたためではなかろうか。


 そして、その効果は目を見張るものだった。血化粧を落とした娘は美しく、澄み切った生命力を発散していた。丁寧に編み込まれたシニヨンヘアは陽の色に輝き、両の瞳は聡明さを宿した深い(みどり)。日に焼けた顔のラインは西部系(ウェスタン)らしい力強さと柔らかさが同居し、彫りが深く印象的だ。ひたすらに野暮ったい、灰色の筒めいた僧服からドレスに着替えれば、貴族の姫君に早変わりするに違いない。

 

 エグナルは品のある美貌をまじまじと見つつ、娘の正気を疑った。あたりに護衛の戦士の気配はない。こんな人気のない場所で〈悪魔の子〉と二人きりになれば、どんな目に遭わされても自業自得というものだろう。


「ホワイトサンズの市長、トレスフェナの娘、ファラーシャと申します」


 エグナルの困惑に構わず娘が名乗った。ホワイトサンズ? 百以上の都市が加盟する“メガラニカ都市同盟”の中でも指折りの大都市だ。そして同盟における市長は帝国の“領主”とほぼ同義である。

 

「おれに説教でもしに来たか」かれは計算されつくした角度で、悪魔面(フェイスマスク)のスリットからぞろり(●●●)と生えた牙を見せつけた。「よほどあの坊主の後を追いたいようだな」


 並の令嬢であれば金切り声を上げて失神しかねないポーズ(●●●)だったが、ファラーシャは──心のどこかで恐れていたとおりに──まったく正反対の反応をした。まるで臆することなく、幼さを残した顔で〈悪魔の子〉ににっこりと笑いかけたのだ。


「サー・エグナル、ファラーシャはあなたに“お願い”があって参りました」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ