【短編】落第印の召還魔王~魔王と呼ばれた最凶勇者は未来の世界では更に最強~
致命傷を負った魔王は俯せになりながら、目の前で屹立する勇者を見上げていた。
魔族の王を睥睨するその瞳は、同情や哀れみと言ったおよそ人間らしい感情を何一つ写さず、ただ底知れぬ確かな光だけを宿している。
勇者と魔王。
相容れぬ善と悪でありながら、どちらが勇者でどちらが魔王なのか、傍目には区別が付かないだろう。
魔王と魔王。
二人の関係は、そう例える方が適切だ。
地面に伏した魔王は、声を震わせ【魔王】に問うた。
「……お前の目的は何だ。地位か、名誉か、金か、何故我々の……邪魔をする」
怒りと憎しみの籠もった射殺すような眼光で勇者を睨み付ける。
下級の魔族や人間であればそれだけで命を落としてしまう威圧感だが、勇者は涼しい顔で答えてみせた。
「貧困な想像力だな魔王。そんな間抜けだから世界を制服するなんてくだらない戯れ言を吐けるんだろうぜ」
小馬鹿にされた魔王は、指先で地面を抉った。
「我が悲願を愚弄するかッ!」
「ああ、馬鹿にするね。何度でも言ってやるよ」
「ならば言え勇者ッ! お前は目的は何だッ!」
「暇つぶし」
「……は?」
予想外の返答に呆然とする魔王に、勇者は不誠実な薄ら笑いを浮かべた。
腕を組み、シュトラウスは威風堂々と持論を語り始める。
「俺はつくづく思う、人生に意味なんかないって。ただ、何十年何百年って時間が気まぐれに与えられているだけで、使命とか天命とか、そんなもん全部後付け。人生ってのは、結局暇つぶしなんだ。楽しんだ者勝ちなんだ。だから、虐げられた魔族達を救済しないといけないとか、自分を押し殺した使命感だけで行動しているお前は馬鹿なんだよ。楽しいのか、それ?」
淀みなく発せられる言葉は、世界を制服し、魔族の楽園を創るという魔王の強い使命感を嘲笑うかのよう。
呆気に取られ碌な言葉すら発することが出来ない魔王を、勇者と呼ばれた男は呆れたような表情で見下ろした。
「俺の行動原理はたった一つだけ。楽しいか、楽しくないか、だ。お前達の邪魔をするのは、その方が楽しいからだ。どうだ、これで満足したか?」
瀕死の魔王は、肩を震わせた。
そんな理由で、長年築き上げてきた計画を台無しにされなくてはならなかったのか。
人間を全て滅ぼし魔族の楽園を造り上げるという悲願は、この男の気まぐれな感情によって、無残にも達成を阻まれたというのか。
「だからさ、世界征服なんか辞めないか? 楽しくないだろ、それ」
「シュトラウスゥゥウウウウウウッ!」
慟哭。自らに残った魔力の全てを放出し、魔王は吠える。
迸る魔法の源によって、王の体は青みを帯びた緑色に輝き、逢魔が時を鮮やかに彩った。
憎き勇者の首を刈り取るべく、限りある全てを乗せた右腕は伸ばされる。
だが――。
「偉大なる青き炎・猛々しく燃えて爆ぜ・我が剣の下僕となれ」
勇者の右手から吹き出した青い炎は、輪っか状に腕へと纏わり付いたかと思うと、まるで意思を持つ生き物であるかのように寄り集まっていく。
剣を思わせる形状に変質した炎を、シュトラウスは迫り来る魔王めがけ容赦なく振るった。
「……グゥゥヌゥゥウウウウウウウウッ!」
その瞬間、激しい閃光が黄昏の空間を駆け巡る。
青い炎が形創る、幻想の剣。
立ちはだかる難敵を全て切り裂いてきたその剣は、シュトラウスが別名【剣を持たぬ剣士】と呼ばれる所以である。
轟音と共に空間を切り裂いた剣は、周囲の草木と共に、魔王を跡形もなく消し去った。
残ったのは虚しい沈黙と、土煙だけだ。
「お前も、もっと自分の欲望に正直に生きろよ。そうすれば、人生を無駄にしなくて済む」
その言葉に、答える者はもういない。
「おーい。そこにいる一人、隠れてないで出てこいよ」
数十メートル離れた場所にある木の方に向かって、勇者はどこか間の抜けたような声を張った。しばらく経って、その裏側から女が現れる。
赤い目の女は堂々とした面持ちで、勇者の前まで進み出る。
女は、覚悟したように勇者に問うた。
「……覚悟は出来ています。正義があるのは、どちらにしても同じこと。私は魔王様の側近。命乞いはしません。煮るなり焼くなり、好きにしてください」
「えーっと?」
「これからの魔族の扱いについても、多くは望みません。我々は負けた。どのような処遇であれ、文句を言う筋合いはないでしょう。けれど……せめて、命だけは……罪無き市民の……命だけは」
地面に額を擦りつけ、魔王の副官は懸命に命乞いをする。
高潔な尊き青の髪は土が付着し、けれど厭うことなく、自分以外の誰かの為に女はひたすらに請う。
「何言ってんだ。最初から命取る気なんてないし、奴隷のもしない。楽しくないだろ、それ」
溜息を吐きながら飄々と言ってのける勇者。
「え?」
「立ちはだかる強敵を倒すのは、楽しい。浪漫だ。だけど、無抵抗な奴らを虐めたおすのは、一つも楽しくない。気分が悪くなる」
「……しかし、これは戦争です。魔族と人間、互いの命をかけた総力戦です。大将である魔王は倒れた、あなた方人間の勝利です。あなたが許しても……他の人間達は我々を決して許しはしない」
半ば呆然と、青髪の魔族は勇者を見上げた。
奴隷にする気もない。かと言って命を取る気もない。
では、この男の望みは。人間の代表者である勇者は一体何の為に、今まで戦ってきた。
「よし、決めた。お前、俺の副官になれ」
しかし、女の疑問を一蹴するように、シュトラウスは歯を見せて笑う。
「……は?」
混乱隠せぬ魔王の副官。
魔王の副官を部下に迎える勇者など、聞いたことがない。
「一つ勘違いしているようだから言っておくがな、あなた方人間の勝利じゃない、勝ったのは俺だ。他の奴らは関係ない。俺は人間の味方じゃない。俺は、楽しいことの味方なんだ」
シュトラウスは理解不能な理屈を、けれど自信満々に貫く。
「勇者の副官が元魔王の副官って、面白いだろ?」
「……私が、拒否すれば?」
「そうだなー。その時はお前も含め、魔族全員皆殺しかな。俺、弱い者虐めは嫌いだけど、楽しいことの為には手段を選ばないんだ」
勇者は至極穏やかな表情で、魔王の副官を脅した。
副官として、長年魔王に使えてきたシェル・ラ・ドリウェースはこの日、勇者の副官となった。
西暦二千三百四年。
こうして、約五百年続いた魔族と人間の争いは終わった。
勇者シュトラウスは、圧倒的な胆力と屁理屈で人間側の貴族や市民の不平不満を押さえ込み、賠償は一部奪われた領土の返却のみという、ほぼ痛み分けに近い形で魔族側と講話を結んだ。多くに民から非難の声はあったものの、敗戦濃厚だった局面をたった一人で打開して見せた勇者に強く意見出来る者がいるはずもなく、戦後の処理は概ね順調に進んだ。
元魔王の副官を配下に加えるという勇者の大胆不敵な人事は、少なからぬ抵抗を生んだものの、彼女の優秀さを周囲が実感して行くにつれ、自然と風当たりは弱くなった。
人間に混じって、シェルは懸命に世界の為に働いた。
かくして世界は平和を取り戻し、だが周囲を顧みない勇者は――人々から次第に【魔王】と揶揄されるようになる。
*
勇者が魔王を倒して約二年。
深い森にある粗末な荒ら屋を、一人の女が訪ねていた。
美しい青の髪に魔力の滾る赤の瞳は、彼女が非凡な存在ではないことを如実に示している。
頼り無い扉を引き開けると、蝶番が耳障りな音を響かせた。
「お、久しぶりだな、副官。どうだ、調子は?」
「……国境付近で多少の諍いがあるものの、それ以外は問題ありません。戦争は、終結しました。魔王亡き今、再び我々が剣を交えることはないでしょう」
「そうか。よくやったよ。褒めてやろう」
シュトラウスは立ち上がると、副官の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
嫌がる素振りを見せながらも、女は頬を赤らめ、されるがままになっている。
「……魔族と人間の今後に関しても、向こう側との話し合いは円滑に進んでいます。人間と魔族……二つの国交が正常化される日も、近いかもしれません」
「偉いぞー。流石は俺の副官だ」
部下の持ってきた景気の良い話に、勇者は益々嬉しそうな表情を浮かべる。
頬擦りまでしそうな勢いだ。
だが、副官は奥歯を噛みしめ、泣きそうな顔で勇者を真っ直ぐに見つめた。
外にまで響き渡る大声で、魔族の女は嘆きの言葉を叫ぶ。
「……なのに、どうして……どうしてあなたがこんな粗末な生活を強いられているのですかッ!」
粗末なベットに木製の机があるだけの荒ら屋は、女の悲鳴を受け、微かに揺れた。
勇者は何事もなかったような面持ちで、歯を見せて笑う。
「仕方ないだろ。俺は嫌われ者なんだから」
「……今ならわかります。あなたがどうして、私を副官にしたのか。あなたは私を魔族と人間の架け橋にする為に、あのような荒唐無稽の提案を私に持ちかけた。もしあなたがあの時私を斬首していれば、時計の針は歩みを遅くしていたでしょう」
「深読みし過ぎだ。面白そうだっただけだし、単に面倒だからお前に仕事を押しつけているだけだよ」
「あなたは紛れもない英雄です。……誰よりも、世界のことを考えている。世間ではあなたを魔族のスパイだと揶揄し【魔王】と呼ぶ声すらあります。ですが、それは違う。あなたは人間に汲みする勇者でもなければ、魔王でもない。……あなたは、英雄なんです」
「おいおい、自分の主を殺した男を英雄呼ばわりとは、どういう風の吹き回しだ? 地獄の魔王が泣くぜ。俺の配下が寝取られたーって」
シュトラウスが魔王の泣き真似をすると、シェルはさっと勇者から体を離す。朱が指した頬で、前髪を気にした。
「……別に、私と魔王様はそういう関係じゃありません」
「あれ、そうだったの? てっきり俺はもう何発もやっているものだと――」
そう口にした瞬間、副官は怒ったような恥ずかしいような、複雑な表情で勇者に飛びかかった。背後のベットに押し倒されたシュトラウスは、顔を真っ赤にする副官の渦巻くような瞳を覗き込む。
「……私を見くびらないでください。……そ、そんな安い女じゃありません」
「悪かった、悪かった」
「確かに私は魔王様をお慕いしていましたがそれは彼の魔族の楽園を創るという理念に惹かれたのであって、個人として彼と……そ……その……某かがあったことなどありませんッ!」
鼻先が触れあってしまいそうな至近距離で勇者に詰め寄る副官は、完全に我を忘れているようで、どうやらここがベットの上であるという事実にも気付いていないようだった。取り敢えずシュトラウスは彼女が落ち着くまで喋らせることにした。
「最初は最悪な人だと思ってました。魔王様を倒した後、いきなり私に副官になれなんて。しかも拒否権もなく強制。……正直に言います。あなたの配下になって間もない頃は、隙を見て殺そうと思ってました。魔王様に仇であるあなたを、憎んでいました」
勇者を覘くシェルの赤い瞳には、いつの間にか薄い涙の膜が張っていた。
「いっそ今ここで俺を殺しておくか?」
茶化すように勇者が問う。
副官はゆっくり、何かを噛みしめるように首を左右に振った。
「シュトラウス様……あんたが肌身離さず持ち歩いていた、女神の指輪……どこにおやりになったのですか?」
瞬間、勇者の表情から薄ら笑みが消えた。
「……」
「ずっと、不思議に思っていました。あなたがどうやって、私の存在を皆に受け入れさせたのか」
「それは、お前の働きぶりが皆に認められただけだ」
「いいえ違います。あなたは、宰相と取引をしたのです。……亡き王女の形見で、あなたがとても大切にしていた、女神の指輪と引き替えに」
「……シェルは想像力が豊かだな。魔王とは大違いだ」
シェルの眦からは、涙がこぼれ落ちていた。
副官は、シーツをぎゅっと掴む。
「……指輪、いつか取り戻します。あの指輪は、あなたの元にあるべきです。薄汚い宰相が持つべきではありません。……それに、これだけじゃありません。あなたは気付いていないと思っているのかもしれませんが、私は知っています。……知ってしまいました。だから、殺せるはずありません……あなたを、憎めるはずは……」
興奮冷めぬ副官に、シュトラウスはやれやれと嘆息した。
このままではしばらく副官の一人劇場に付き合わされそうだったので、彼女が弱そうな話題を振ってみた。
「……なあシェル、お前今ここがベットの上だってことわかってるか?」
「ッ!」
「今のままだと、どう考えてもこのまま一戦交えるような雰囲気なんだが……」
馬乗りになり、まるで襲っているような体制になっていることに漸く気付いたのか、シェルは顔を真っ赤にし、勇者から飛び降りた。
勢い余ってシーツに足を引っかけたシェルは、固い床へとダイブする。
そのまま机をなぎ倒した彼女の顔は、耳まで赤くなっていた。
「……て、定期報告は以上です」
「はい、お勤めご苦労さん」
ベットに腰かけながら、地面に顔を埋める副官をシュトラウスは楽しげに見つめた。
その後、恥ずかしさからか、彼女は逃げるようにその場を後にした。
「また来ます。いつか必ず、指輪を返しに来ますからね!」
そう言い残して。
それからしばらく、シュトラウスはベットに寝そべりながら天井を見上げていた。
魔王を倒して二年。世界は急速に平和を取り戻していた。
焼け野原だった王都は修復され、天幕が人間の総司令部だったあの頃は、もはや遠い過去の残像だ。 今では立派な宮殿が聳え、そこでは貴族達があくせくと復興の為に汗水を流している。
粗末ではあるものの、勇者であるシュトラウスがこうして寝そべっていられるのも、復興が順調に進んでいることが大きい。
勇者が指揮を取る必要がなくなったからこそ、彼はこうして暇を持て余すことが出来るのだ。最も彼から言わせれば、指揮を執っていたのは義務感からではなく楽しいから、なのだろうが。
その証拠に、飽た後は副官であるシェルに仕事を全て一任している。
そしてその押しつけた仕事も、どうやらもうすぐ終わるらしい。
副官は、想像以上に有能だった。
「そろそろ、楽しいこと探そうかな」
シェルは粗末な暮らしを強いられている、と言ったが実のところ現在荒ら屋で暮らしているのは勇者の個人的な興味からだった。
勇者が荒ら屋に住み始めたことを、副官は貴族連中が手を回してシュトラウスを追い払ったと勘違いしているが、実の所、魔王を倒し復興作業にも飽きた勇者が次に望んだことが、スローライフっぽいことがしたいということだった、というのが真相だ。
確かに貴族連中は勇者を嫌っているし、民衆からは魔王であると揶揄されるほどシュトラウスの評判は悪い。
だが彼はたった一人で人類の窮地を救った男だ。
おまけに、道理よりも我を通すタイプである。
貴族や民衆の声に負け、王宮を追われるような珠ではない。
しかし、スローライフにもだんだんと飽きが来始めたようで、小屋を出て直ぐにある耕した畑も、先週辺りからだんだんと雑草が伸び始めていた。
「……あの頃は楽しかったな」
呟きながら、勇者は寝返りを打つ。
閉じた瞼の内側に蘇るのは二年前、勇者として魔王の軍勢と初めて対峙した日々の記憶だ。
この身一つで、強大な敵に立ち向かう。
男として、これ以上の浪漫があるだろうか。
ここ二ヶ月のスローライフも悪くはなかったが、勇者には少し刺激が足りない。
(やはり俺には、戦いが合っている)
そう、胸に想った時――唐突に、懐かしい感覚が彼の身に取り憑いた。
体の内側に熱い何かが込み上げ、まるで大いなる何者かに吸い寄せられるような感覚。
「……ッ!」
(……まただ!)
不意の出来事に、彼は勢いよく立ち上がり、黒の瞳で部屋を三百六十度回し見る。
シェルが突き飛ばしたせいで地面に落下したままの時計は針は頂点を指したまま動いていない。
落ちた拍子に壊れたわけではない。彼以外の世界が、時を刻むのを止めているのだ。
変化は、それだけではない。
部屋の中央に出現した、扉。
数多の蔦が絡まるそれは、まるで彼を迎えに来たかのように、絨毛の上に悠然と屹立していた。
「面白くなってきた」
彼は有無を言わぬ扉を睨めつけ、そして広角を鋭く持ち上げた。
こうして、シュトラウスは世界から、忽然と姿を消した。
*
かつて勇者が魔王を討伐した地として伝えられている平原に、杖を天に掲げる少女が佇んでいた。歳は十代半ば。日の光に照らされて煌やかに輝く金の髪に、空のように青い瞳は不安そうに揺れていて、どことなく大人しそうな雰囲気である。
少し離れた位置から数人の男達が少女を取り囲んでおり、皆一様に視線を注いでいる。
少女は魔術師が着る衣服とも雰囲気が異なる神聖な白いローブを身につけており、これから行われることが何らかの儀式であることを表していた。
少女の額には、緊張からか汗が滲んでいる。
杖を掲げたまま小さく深呼吸し、自らが抱える大きな不安に、心の中で言い聞かせた。
大丈夫。今まで何度も何度も練習してきた。
だから、きっと上手くいく。
異世界から、この世界を救ってくれる人を召還出来る。
……お母さんに着せられた汚名も、きっと晴らすことが出来る。
「――」
観衆が見守る中、少女は呪文を唱える。
その瞬間、杖の切っ先が光り輝き、同心円状を青白く眩い光が包み込んだ。
少女を注視していた衆目も、思強烈な閃光に思わず瞼を閉じる。
「――」
詠唱は尚も続き、碧眼の少女が呪文を紡ぐごとに光は更に強くなり、杖の先端から発生する強風が髪を吹き上げ、足下の草木を薙ぐように揺らす。
「――」
そして全てを唱え終えた時、再び空間を激しい光が駆け巡り――。
「……お?」
少女の目の前に、黒髪の何者かが出現していた。
やった、やったよ、お父さん、お母さん――。
瞬間、少女は歓喜に震え、両手を挙げて、子供のように喜んだ。
*
観衆の視線が、シュトラウスへと一度に集まる。
かつて勇者と呼ばれた男は薄らと笑みを浮かべながら周囲を見回した後、目の前でばんざいをしながら喜びを表現する少女に問うた。
「大層お喜びのところを悪いが、俺を呼んだのはお前か」
その言葉に我に返ったのか、少女は恥ずかしそうにこほんと咳をして、姿勢を正し彼に向き直った。
「……お恥ずかしいところをお見せしてすみません。はい、この召喚士メリア・ルーゼ・レド・スウェーツが、遙か時空を超えてあなたをお呼びしました」
召喚士。それは空間を超えて何者かを呼び寄せる術を生業にする者を指す言葉だ。
通常、彼等が召還するのは同じ世界の同時代に存在する魔物や精霊と言った幻想生物であるが、高位の召喚士は世界の壁を超越し、異世界から何者かを呼び寄せることも出来るという。
異世界への召還がゲートと呼ばれる扉を介して行われることを知っていたシュトラウスは、目の前で不安げに瞳を揺らす召喚士の肩を喜々として叩いた。
「さあ、ではこの世界の名を教えてくれ。俺はこの世界で何をすれば良いんだ? 何の為に俺を呼んだ」
魔王と呼ばれた勇者は、爛々と輝く眼差しでそう訊ねる。
異世界への召還は大抵厄介事とセットだ。魔王を倒して世界を救い、丁度退屈していた所にこれである。彼が子供のように瞳を輝かせるのも無理はない。
しかし、金髪の少女は彼の質問には答えず、杖を仄かに膨らみのある胸付近でぎゅっと握りしめた。
「……突然召還されて、戸惑わないのですか?」
「ああ、召還について事前に知識があったしな。扉が出現した時の雰囲気で、その先が異世界だってことも織り込み済みだ」
「そうですか。……よかったです。突然お呼びして、申し訳なくも思っていたんです。……人の人生を、狂わせてしまう行為ですから」
少女は固かった表情をほんのり柔らかくすると、少しだけ微笑んだ。
木陰にひっそりと咲く一輪の花のような笑顔。
こいつ可愛いな、とシュトラウスは思った。
「……な、なんですか。じっと私を見つめて」
「お前、笑うと結構可愛いな」
「な、な、な、な、な、な」
瞬間、メリアの顔は真っ赤に染まった。
「どうした?」
赤い顔を隠すように俯く召喚士。最も、耳まで真っ赤になっているので丸わかりだ。
どうやら、あまり男に免疫はない方らしい。
「おい、結局この世界はどこなんだ。早く教えてくれ」
彼にそう急かされ、はっとしたメリアは背筋を正す。
まだ赤みの抜けない顔で、こほんと小さく咳払いをする。
「……すみません。またお恥ずかしいところをお見せしてしまいました。ようこそ、ラルガクルスへ」
「……は?」
彼女の言葉にシュトラウスは唖然とし、沈黙した。
ラルガクルス。それは、彼が先程までいた世界と同じ名前だった。
もう一度、辺りをぐるりと見回す。
その光景にどこか既視感を覚え、シュトラウスは心の中で独りごちた。
そうだ。ここは二年前に自分が魔王を倒した草原だ。どうして気付かなかった。
「……あの、どうされましたか?」
陽の光を浴びて薄金色に輝く髪をした少女は、急に様子がおかしくなった男に疑問を覚えたのか、不安そうに手のひらを摺り合わせる。
「いや、どうやら勘違いだったらしくてな。やっぱり楽しいことは、自分から探さないといけないらしい」
召喚士は彼の言葉の意味を察していないらしく、きょとんと猫のように目を丸くする。
「俺はラルガクルスから来た。こう言えば伝わるか?」
「……え」
「異世界の土地が踏めると思っていたんだが、残念だ」
ラルガクルスから来た。その言葉はつまり、メリアのゲートは世界の壁を超えることが出来ず、ただ現地のシュトラウスをこの場所に呼び寄せるだけに終わったということを意味する。
少女が呆然としていると、今まで二人を見守っていた観衆達が彼女の元までやってくる。
その中の一人、紐付きの眼鏡をした細身の男は嬉しそうな表情で彼女の肩を叩く。
「どうやら、召還は失敗したようだね。……蛙の子は蛙。嘘吐きの子供は嘘吐きということか」
「そ、そんな。何かの間違いですッ! 召還は間違いなく成功したはずです!」
メリアが食い下がると、細身の男は表情を険しくする。
「黙れッ! 恐れ多くも宰相閣下の前であるぞッ! 口を慎めッ!」
「……ッ」
「まあ良い。この娘はまだ子供だ。礼儀作法は多めに見ようではないか」
煌びやかな装飾が散りばめられた、一際華美な衣服に身を纏った男が歩み出る。衆目達は左右に分かれ、彼に道を空けた。
「……だが、ミス・メリア。わかってはいるね? 私は君にチャンスを与えた、それを果たせなかったということは……」
「も、もう一度だけ、もう一度だけチャンスを……」
「往生際が悪いぞ小娘ッ! 魔族の間諜であると疑惑のかかった貴様の両親、その罪を帳消しにするチャンスを宰相閣下はお与えくださったのだッ! 貴様はそれに応えられなかった。大人しく引き下がれ、裏切り者の娘ッ!」
「父と母は……無実です!」
男の言葉を遮り、少女は力一杯叫ぶ。判決が覆ることがないと知っていながら、それでも両親の名誉の為、潔白を主張する。
細身の男は、脇に佇む軍服を着た体格の良い男二人に目配せをした。
「……連れて行け。鞭打ちも忘れるな。その娘はもう貴族ではない。貴族に刃向かった罪を、しっかり体に刻み付けておけ」
男達はメリアを宰相から引き離す為、その肩に手をかけようとした。だが、それは寸前でシュトラウスによって阻まれる。今の今まで傍観を決め込んでいた黒髪の青年は、彼女を庇うよう、前に立つ。宰相は口元を歪ませた。
「なんだね、君は。ここまで呼び出されたのは気の毒だが、我々も忙しい身でね。余計な正義感を発揮して勇者気取りをしても後悔するだけだよ。よもや、私のことを知らないわけではあるまい」
宰相――と呼ばれた男は傲慢に笑む。
シュトラウスは、先程からずっと疑問に思っていたことを口にした。
「いや、お前誰だよ」
「「「「……は?」」」」
彼のあまりにも不遜で無邪気な一言に、宰相一同は沈黙した。
「さっきから宰相だとか何とか言っているが、うちの国の宰相はお前みたいに肥え太った豚みたいな顔はしてねえし髪もちゃんと生えてるぞ。いけ好かねえ奴だってことは同じだがな。お前こそ取り巻き囲んで宰相を騙ってじゃねーよ豚。精神操作の魔法使って自分を宰相だって思い込ませてるのか。残念ながら、俺には通用しない」
あまりに堂々としたシュトラウスの態度。一同は、言葉を失う。
「おまけによってたかって可愛い女の子を虐めやがって。いいか、可愛い女の子を虐めていいのは俺だけだ。NTRとか大嫌いなんだよ俺は。特にお前みたいな汚い薄ら禿げだったら尚更な」
言い終わると、シュトラウスは不敵に笑いながら、宰相を鋭い眼差しで射止めた。
背後の少女を振り返ると、杖を握りしめシュトラウスの方を信じられない物を見るような瞳で見上げていた。
宰相は口元の筋肉を痙攣させる引きつった笑みを浮かべながら、押し黙る部下達に落ち着いた口調で語りかける。
「……転移後間もない状況で精神に何らかの影響が生じ、このような世迷い言を図らずも口ずさんだ可能性を考慮に入れても、目に余る侮辱……そうだな、アルデミス」
「はい……ゲートを通った影響で精神に何らかの異常が生じた可能性を鑑みても、皇国法第二十三条・侮辱罪が成立すると思われます」
「何言ってるんだ。俺が魔王を倒した場所で宰相ごっこやっているお前達の方がよっぽど異常だろ」
宰相達の間に冷笑が走った。可哀想な物を見るような目で、シュトラウスを笑う者までいる。
「おまけに魔王を倒した、と。……どうやらこの男、本当に頭が逝かれているらしい。……○○の呪文をかけて、三枚に下ろしてやれ」
先程メリアを連れ去ろうとした体格の良い二人は、腰に下げた剣を抜いた。
呪文を唱えると、剣の表面に青緑に光る薄いオーラのような物が纏わり付く。シュトラウスは、嘆息した。子供でも扱える初級レベルの魔法であそこまで自信満々とは、どうやら本当に頭が逝かれているらしい。
「……に、逃げた方がいいです。相手は宰相の護衛を務める騎士団の精鋭達……まともにやり合って、敵いはしません」
メリアは、縋るような表情で杖を握りしめている。額からは取り返しが付かない事態に対する焦りと不安で汗が流れだし、一人の人生を狂わせてしまった後悔にカタカタと歯を鳴らす。
シュトラウスは、もう一度嘆息した。どうやら、こいつも、らしい。
「お前も洗脳されているのか。よし、後で呪文を解いてやる。それに、強敵ならば望むところだ」
「じょ、冗談を言っている場合ではッ!」
少女の叫びが天に昇った瞬間、戦いの火蓋が切られる。護衛の男は大地を駆け、魔力を纏った剣でシュトラウスを三枚に下ろすべく斬りかかった。
右と左。二人の男は退路を断つべく左右の方向からシュトラウスを攻める。背後には少女がおり、これで彼の逃げ場はない。
敵の思惑通り、シュトラウスは逃走を謀らなかった。
それどころか、ただ仁王立ちを維持するだけで、何もかも諦めたように、じっと宰相の方向を不敵な笑みで見つめている。彼等はその態度に違和感を覚えながらも、降伏宣言と受け取った。
「「悪く思うなよッ!」」
脳天に剣が振り下ろされるのと、少女が耳を劈くような悲鳴を上げたのは同じタイミング。だが――二本の剣先は彼に届くことなく、まるでそのように造られた彫像のように、空中でぴたりと静止している。
「……あ……れ……?」
「ど、どうなっている! 何故剣を止める! 早くとどめをさせッ!」
「しか……し」
剣を振り下ろさぬ二人に、焦れた宰相が怒りと焦りの唾を飛ばす。だが、二人の体は動かない。顔を歪ませながら、筋肉を浮かび上がらた腕に精一杯力を込めるが、剣は意志に反してシュトラウスに届くことはない。
まるで、両腕だけが別の自我を持っているかのように。
「なに、ちょっとした精神操作だ。お前が自分は宰相であるとこいつらを洗脳しているように、俺も意識に少し干渉させてもらった。お前達は俺を斬ることが出来ない、と。意趣返しをされた気分はどうだ、宰相気取り」
黒髪の青年は、一歩一歩宰相の方へと躙り寄る。
魔法の本質とは、魔力を通した世界への干渉である。世界そのものに人が組み込まれている以上その意志もまた、魔法によって操作することが出来る。
最も精神の構造は複雑故、明確に魔術師として実力差がないと、相手の意志に干渉することは出来ないが。
宰相は迫り来るシュトラウスに本能的な恐怖を感じ、一歩二歩と後退る。
「お、お前何者だ! 騎士団は国の精鋭揃い……我が護衛の意志をねじ曲げるなどと」
「いい加減夢から醒めたらどうだ、偽りの宰相。ここにいる俺以外の精神を操作していたんだ、お前も少しはやるのだろう。さあ、その力を使って少しは抵抗してみせろ」
「あ、アルデミスッ!」
「……はい。こうなっては、奴は明確な賊です。逃がしはしません」
宰相の傍らにいた男は鯉口を切り、立ち塞がるようにシュトラウスの前へと躍り出る。
名は、アルデミス・ラフィ・デラール。彼は騎士団所属ではなく、宰相が個人として雇っている私兵。だが、その実力は折り紙付きで、ラルガクルスの騎士団長にも匹敵すると言われている。
だが彼の剣技は――悲しいくらい、シュトラウスには通用しなかった。
男の放った全力の太刀筋を軽く躱すと、先程と同じ要領でその場から一歩も動けぬように精神を操作した。
「さあ、残りはお前だ」
「ふ、ふざけるなッ! 私は宰相だぞ、この国の頂点だ!」
「頂点は国王だろ。さあ、お前の力を見せてみろ」
「……うごッ」
シュトラウスはでたらめに放たれる宰相からの魔法を避けつつ、右の拳を男の腹にめり込ませた。あれ、こいつ弱いな。彼がそう確信した瞬間、既に宰相は伸びきっており、仰向けになりながら焦点の揃わぬ瞳で青空を見上げていた。
「さて、宰相を騙る悪者もいなくなったからさっさと家まで帰るか。お前も訳ありなら一緒に連れて行ってやろうか? 可愛いしな」
欠伸をしながら頭をポリポリと掻くと、先程まで声も出ぬほど衝撃を受けていた少女が目をぱちくりさせた。頬を染め、彼の伸ばした手のひらを恥ずかしそうに握ろうとする。
「あ、ありがとうございます、よろしくお願いします……じゃなくてッ!」
だが、手と手が触れあうその間際、メリアは我に返る。目の前の彼が何をしてしまったのか、これからのことを考えて、叫ぶ。
「ど、どうするんですか、宰相をこんなにぼこぼこにして! 指名手配されちゃいますよ!」
「……おかしいな。ちゃんと相手を気絶させたはずなんだが……まだ洗脳が解けていないのか」
「そもそもあなたは何者なんですか……騎士達をあんなに……」
「大丈夫大丈夫、安心しろ。何も問題ない。それに、何かあっても問題ない。その方が面白いしな」
そう言って、シュトラウスは再び彼女に右手を差し出す。
僅かばかり逡巡した後、メリアはその手を握り返した。父と母の濡れ衣は晴らせなかった。では、今自分が出来ることは。
「そういえばまだ名乗っていなかったな。俺は、シュトラウスだ」
「……え?」
聞き覚えのある名前に、彼女の鼓動が高まる。
シュトラウス。
二千年前、魔王を倒した勇者。
彼女が呼び出した二千年前の勇者が転移の魔法を発動させると、彼等の体を青緑の光が包み込み、そして――消えた。