第2章〜天使と災い〜
「天使を拾った!!」
「ぇ……ソラ、頭大丈夫?」
朝一で登校した俺は昨日の出来事をスーパーな言語力で一言にまとめてみたんだが、残念だ。凡人である我が親友、レイン・ミアル君には伝わらなかった。薄青の瞳が疑問色に染まっている。
「だからな。天使を拾ったんだ。昨日、あの森で」
「僕の占い、また信じてくれなかったの?」
ポイントそこ?ってか涙目になるなよ。男の子でしょうが。青い瞳が水面のように揺れる。
俺の瞳は黒いから、コイツの綺麗な色がちょっと羨ましかったり……
「いや、お前の占いは信じてたよ。だけど昨日はちょい色々ありすぎて……結局、占いの通りよくない事は起きましたさ」
一瞬浮かんだどうでもいいことをかっ消し、親父にぶん殴られてたんこぶになった頭を見せた。
「よかった。当たってた……あっごめん」
「気にするな。それより天使を拾ったんだって」
「だからさ、天使って何?そんなのいる訳無いよ」
「本当にいたんだよ!今俺の部屋にいる。証明してやるからついてこい!!」
「え、今から行くの?」
「ったりめぇだろ」
「ダメだよ。学校終わってからにしよ?またおじさんに殴られるよ」
ぅぐ、痛い所を突いてきた。昔っから真面目なんだよなコイツ。学校なんて体育以外参加する必要無いのによ。
「それに、今家に戻ったらソラ怪我するよ?……ソラは思い立ったらすぐ行動できるのが良い所だけど、ちゃんと時と場合とかも考えなくちゃ」
ヤベェ始まっちまった。こいつ頭いいからって怒ると説教くさいんだよな。爺くさ――自粛自粛。
まあ実際のところ、今レインを連れて家に戻ったらあの鋼の練筋肉士と遭遇するのは目に見えてるわな。ほんと、ちょっとは考えてから行動できるようにしよ。
結局、親友の説教を聞いている間に先生が入ってきちゃって抜け出すタイミングを完全に脱してしまった。仕方なく夕方まで――あっ、今日は午前で終わりか――睡眠学習でもしてますか。
「よしじゃあ行くぞレイン」
放課後の鐘と同時に目を覚ました高性能体内時計を内蔵している俺は、クソマジメに教科書を開いていたレインを無理矢理引っ張って教室を後にした。
「あれ?そっち町じゃないよ」
レインは俺が校門を出てすぐに右折した事に疑問を懐いたらしい。
「黙ってついてこいって」
だからニヤリと笑って言ってやった。
ちょっと歩くと背丈様々な……しかしそのどれもが生気無く地面に向かって頭を垂らした木々と、一年中敷きっぱなしになった枯れ葉の絨毯とで近寄りがたい、鬱蒼とした林が眼前に広がっていた。
案の定俺よりもキレイ好きなレインは嫌そうに表情を引きつらせていた。まあ誰だって好き好んで近寄るような場所じゃないしな。俺は親友を放置しておもむろに林の中に入るとアレを探した。
「あったあった」
「ソラ、それって……」
俺の見つけた『アレ』を見たレインがマヌケな声を上げた。
「じゃーん。我が愛車、AX-400。通称『時雨』」
AX-400。俺の命より大切な愛車のバイク。火と風のセフィスを原動力に排気量399Dを誇る中型車だ。
風を切って飛ぶ燕をイメージして造られた鋭くも麗しいフォルム。高回転域までストレスなく伸びる滑らかな回転特性のバルブエンジン。どこをとっても最高の相棒ッス。
「バイク通学はダメだよ」
「いいんだよ。ってか今日は仕方なかったんだ。朝から天使様が大変でよ」
思わず哀愁漂わせちゃった俺。これ絶対絵になってるぜ。
「とにかく、さっさと乗れ。親父より先に家に戻らなければ俺殺される!!」
「う、うん」
レインが乗った事を確かめるとエンジンをかける。この低音が堪んないッス。
クラッチを放してアクセルを強く捻ると軽くウィリーを決めて走り出した。
「あ、危ないよソラ!!」
「いつもやってるから平気だって!!」
風を切って走るから自然と大声で話す俺たち。
バイクが苦手なレインをからかうためにもいつもより少しだけ荒っぽい運転をしてやった。
――――
時間は戻って今朝。
昨日はアルトを俺の部屋に寝かせたから俺は廊下で丸まって寝た。
本当は1階のソファーで寝たかったけど、そんなとこいたら親父に怪しまれるから我慢した。エライぞ俺。
とか自分を励まし慰め、自分の部屋のドアをノックする。
自分の部屋なんだけど、中にいるのが女の子だからな。なんか色々と複雑な気持ち。
「アルト、入るからな?」
「……」
相変わらずの返事無し。起きてるのか寝てるのかも判らないけど、今日は学校行かないと吊るされるからな。彼女には悪いが入らせてもらった。
「アルト?」
ベッドの上には薄緑色の髪が横顔にかかり、美しくもどこか妖艶な天使の寝顔。毛布から無造作にはみ出した長い脚は、形のいいふくらはぎから太もも、その先の――ってあれ?
肝心のアルトさんが寝て、ない?!
ってかいないじゃん!!
「マジで?」
下らない期待(妄想)は綺麗さっぱり消え、冷や汗と脂汗が滝の様に流れる。
どこ行ったんだよあの娘?!
筋骨隆々な父上と鈍い光沢が剣呑としたレンチと鉄製ロープとが同時に頭に浮かんでは俺のノミの心臓を潰しに来る。
冷や汗と脂汗と自然と潤んできた瞳なまま全力で部屋を探すと、あら以外……彼女はベッドの後ろで毛布にくるまって小さくなっていた。
よかった。ホッと一安心、寿命がだいぶ縮んだ。
「アルトどうしたの?」
俺は彼女に警戒心を懐かせない様に、努めて優しく言った。
「……」
でも、また無言だった。昨日からほとんど無言、さすがに俺も頭にきた。んで、手を伸ばしかけた所で気付いてしまった。
彼女が、震えていた事に……
「どうしたアルト?!具合、悪いのか?!」
怒りはあっという間に消えて無くなり、換わりに俺の中を満たしたのは不安と、心配。
視線を彼女と同じ高さにしようと片膝をついてそっと肩に手をおいた。
「どうしたアルト?」
「怖い……」
「怖い?何が?」
「分からない。分からないから、怖い」
何言ってんだこの娘は。
「あなたは、誰?」
昨日名乗ったんだけどな。聞いてなかったのか?いや、それはないか。じゃあ興味の範囲外で忘れたって事か。結構悲しいッスよ。
「俺はソラ・フェアイト」
「あなたは、ソラ?」
「そうだよ」
「私は、ここは……」
毛布の隙間から覗く彼女の眼。長いまつ毛が朝日をうけて、瞳には影が差していた。
何故だろう、この時の俺の目にはその影はただ表面的なそれではなく、もっと深く暗い彼女の奥底を映し出していたような、そんな風に映った。気がした。
「……」
アルトはそれきり黙りこんでしまった。
どうしよ。アルトが何考えてるのかさっぱり分かん無え。
あっ、そろそろ学校行かなきゃ……ってか飯食ったりとかしてたら間に合わない時間だし。
「アルト。俺学校行かなきゃだから、ここで大人しくしててくれるか?」
結局この娘が何者なのか、どうしてあそこにいたのかとか、聞きたい事が1つも聞けなかった。ただ、このまま何処へなりとも御勝手に、って訳には行かない。それだけは俺でも分かったから。
「バナナ、ここに置いていくからお腹すいたら食べろよ」
それだけ言って、俺は逃げる様に学校へ行ったのだった。
――――