世迷い羊に翼はない(6)
第3話 変わらないもの
「昨日の停電怖かったね……」
橙色の……
話し声が飛び交う……微睡みの輪の外。
はっと、目が覚めると放課後のチャイム。
カランコロン響くような音を投げかけている。
「香乃さん、お疲れ。また明日」
隣の席の男の子が席を立つ。また明日ねと、広げた手のひらで講堂を後にする。日常の、輪に加わる男の子の姿。
「ナツメちゃん……」
とたとたと近づいてくる足音。
「……ユキ」
真っ直ぐな髪の後ろで、白いリボンが見え隠れしている。
「どうしたの?」
「どうしたのって……」
「……うん」
「一緒に帰ろ」
にこっと笑顔の表情を作る。小首をかしげて。
「今日はいいの?」
「弓道部」
「うん」
「今日はいいの」
囁くような鈴の音が鳴く。
「……そう」
「じゃあ帰ろっか」
「うん」
頷く笑顔。ぱあっと周囲が花開いたかのよう。
「あっ……」
ふと……、
「それって、ひつじさん?」
顔を近づけユキが覗いてくる。
ノートのページに羊の落書き。いつの間に書かれたのか。くるくるの綿毛に棒状の手脚が生えている。……羊?
「変わらないね」
「えっ?」
「ひつじが、好きなところ」
「うーん。そう?」
「そう」
「ふふ」
ころころと声を震わせ笑うユキ。
「決め手は、触り心地……かな?」
「そうだね」
「だって、モコモコなんだよ……」
赤塗りの、中央廊下を二人で歩く。
扉口はすぐそこ。講堂を出る。
「……あ」
「ユキっ」
扉口を出てすぐ、石段に差し掛かる手前の縁で、縺れるユキの身体を両手で抱き止める。
……聖歌隊のコーラスが聞こえてくる。
繊細な音色。唇をすぼめては開く男の子達。
行列が歩く。
先頭に一際目立つ女生徒の姿。
「……薔薇様」
〝薔薇様〟と呼ばれた女生徒が立ち止まる。
「……あら」
「こんにちは、ユキさん。私のいい人……」
「朱上先輩……」
見上げるユキ。ユキよりも一回り背の高い彼女。
「日が終わるのも早いものね」
「どうかしら」
「今から私と一緒に……」
赤味がかった後ろ髪を搔き上げる。
……綺麗な女性の仕草が映る。
「これから用事があるので」
「そう、それは……残念」
「用事って、この子?」
美麗な眉を八の字に傾けながら。
「いえ……」
「そうなの……でもね」
「フェンシングは、いつでもあなたを待っているわ」
両手を広げてくるりと回転する。
まるで、世界の中心を形作るかのように。
「それに……」
「宜しければ、あなた……お名前を伺いたいわ」
「私、ですか?」
こくりと頷く、意思の強い瞳が見つめてくる。
「コウノ、ナツメといいます」
お辞儀を添えて、途切れがちに挨拶。名前を告げる。
……フェンシング?
「まあ、あなたが……」
口に手を当て「あらあら」と呟く。ユキを見つめて、表情でやりとり。
……信頼するもの同士の逢瀬。これがそう、アイコンタクト?
「コホン……」
「ごめんなさい」
「そう、ナツメさんというのね」
「とてもいい名前……」
「可愛らしいわ」
「どう……あなたも」
「一緒にいい汗かかない?」
光の粒が彼女を取り巻く。パッと明るく散りばめられて。
「……えっと、……」
「先輩。ナツメさんは忙しいんです」
「行こ。ナツメちゃん」
「……ユキさん」
呟く彼女の隣を通り過ぎる。石段を降りて。
とたんとたんと足音が続く。ユキの後ろを追うように歩く。首筋に流れる艶やかな汗を見つける。
……日差しが少し、すこし強いかな。
「ううん……おしいわ」
「……私のガーデン」
……先輩の声が聞こえてくる。凛として、だけど朗らかで麗しい。ただ、……言葉の意味は繊細で分からない。意味深い……腕章替わりに腕に巻く包帯と、会長という肩書きがとてもよく似合う。
ユキから……そう、聞くところによれば、南の学舎の会長らしい。それに、思い出すあの本人の言葉。何処かで聞いたようなフレーズが浮かぶ。フェンシングを嗜む赤の麗人。……耳にしたことがある、のかもしれない。
「……ユキって変わった友達多いよね」
後ろ髪に交わす言葉。
鞄の中の折り畳み傘を開いて。翳す。
斜光を遮り広がる陰。
「……」
きょとんと目を見開くユキ。
不思議な色をしている。
「ふふ」
「そうだね」
頷くユキ。
「傘、うん……ありがと」
朱に色付ける影の形。
太陽も……そう、俯く時間帯。
【登場人物紹介】
ナツメ:香乃棗。主人公。女生徒。14歳。
ユキ:片平雪。ナツメのクラスメイト。弓道部。陽射しに弱い。でも運動が好き。
朱上先輩:朱上茜。変わった人。南(赤)の学舎の会長。フェンシングがやりたい。……やりたい。