世迷い羊に翼はない(4)
***
静けさが素肌を浸透する。
銀色の槍が宙に浮かんでいる。
ぽっかりとした夜天の空洞に背を向け、隔たる刹那の合間に光を齎す。
「ナツメさん……!」
一瞬の目眩しに足元をふらつかせる。
「……ッ、…………」
鋭い穂先、酷薄の先端がすぐ手前を通り過ぎていく。
だめーー、反応が追いつかない……
認識するよりも速い速度で距離を詰める光。
肩を射抜かれるその間際、光の行く手を遮る黒い放射状の影に助けられる。五本の腕を伸ばすその影は、自身のファインプレーを誇るかのように、褒めて欲しくて自己主張する。
「あなたが、助けてくれたの……?」
放射状の影……よくよく見るとお星様の形をしている。
これはヒトデ……ヒトデの影絵だ。
「カラネミ、捕らえて」
指輪を乗せた影絵が蠢く。
伸ばす手を操り、明かりのもとで無数に解離させる。
絡みつく腕を振り払う乙女。幾重にもかさなる搦め手に捉われ上下左右に翻弄される。
ーー拡がる蔦の螺旋模様。
二つ槍を地面に突き刺し、あらがう乙女は神秘性を宿した魔法陣を展開する。
『ーーーー』
白黒紫と咲き乱れる光ーー
地表に根を遷す螺旋模様が暗夜に囚われた世界を作り変える。
「ーーーーッ」
ーーヒトデさん。
無数の腕を拡げる影絵のヒトデが、冷たい、固化した光に縫いつけられている。
苦しそうに、頭の冠を傾け踠いている。
光の鉄槌。磔刑の楔を打ち下ろす件の乙女は、再び、自由を手にして宙へと舞い上がる。
差し向ける槍。槍を構えて少女を照らし出す。
銀色の髪……ソキアさん。
〝待ってーー〟
思わず口を衝いてこぼれ出す言葉。
(それはダメ、危ない、危険なの、ーー許さない)
光の奔流が頭上から齎される。二つ槍の指差す少女へと向けて。
薄膜の表層意識を限りない白が塗り潰す。
フラッシュバックする世界。
ーー灰色が飛び交う空の下、光に背ける一輪の花を取り巻く住人たち。祈りを捧げ、眦深く、セピア色の光を目にして、崩れ去る。降り積もる澱。
「来て」
「……来て、わたしの夜会服」
「ーー遍く夜のジュリエッタ」
記憶が囁く。微睡む、夢の暗夜に置き忘れた記憶の残滓を掬い出す。深い、それは、迷宮の入口を前に向き合うこと。ーー汝、振り返るべからず。一切の望みを棄てよ。憂いの轍、我のもとに来たりーー
夜色のドレスが舞い踊る。右に左に縁飾りを翻す。
名前を呼ばれて嬉しそうにお辞儀する。朱色の刺繍紋が手袋に映える。
「掻き散らしてーー」
乙女が放つ膨大な熱量を前にする。原初の威力が、あらゆる境界を無為に取り払っていくのを知覚する。
ーーたなびく夜の緩やかな薄幕が、光の奔流を解きほぐしていくのを目の当たりにする。
「ジュリエッタ。上!」
見上げれば、天頂を目指して上昇する乙女甲冑の姿。
羽根兜の翼を広げ、自身を象る力の源泉を求めて雲居を遥かに飛翔する。次第に大きくなる月の輪郭を眺めて、乙女は足下を映す見知らぬ世界の全容を明らかにする。ーー点在する星粒の群像模様。乙女は知る。自身が寄り添うべき苦悩はそこにある。
「ーー来て。羊さん。追いかけるの」
呼びかける。けれど、子羊の姿はそこにない。いつもは決まってそこにいた。でも、待ち望む姿は見つけられない……
「カラネミ……跳べる?」
問いかける少女のもと、影と重なるヒトデを見つける。光の留針をゆるゆると抜け出し、今は、五本の腕を少女に預け、不定形な身体をゆっくりと伸び縮みさせている。問いかける少女に〝準備万端〟ーー、おずおず主の横で冠を整えると、自らの手足で魔法陣を築き上げる。
「ーー行きましょう、ナツメさん」
少女がその手を差し出している。冷たい夜の静けさを知る腕……
〝ソキアさん〟の伸ばす手を掴み取ろうと、うずくまる闇に足を踏み入れた。
【登場人物紹介】
カラネミ:ヒトデの王族。儚いものが好み。ソキアのパートナー。プロポーズは自分から。
ジュリエッタ:魔法のドレス。空に浮かぶ。俯きがちで奥ゆかしい。ひらひらをひらひらさせるのが趣味。