かなえさんのお茶会
刈谷かなえ「ようこそ、私の隠れ家へ。のんびりと紅茶でも飲んでいくといいわ」
※拙著『ルナークの瞳:かなえのこころ』のさらなる後日談です。
※この作品は本編を精読された方のためだけに執筆した内容です。
※本編のネタバレをたくさん含みます。
※第二期のネタバレを多少含みます。
私は何故か生きていた。
左手の中指の根元で一際輝く翡翠色の指輪を見下ろした。
指輪は私の命そのもの。私の身体は、消えることのない祈りの力によって保たれている。私はほづみの傍にいなければならないのだから。
深夜二時、私はくっきりと浮かび上がる星の明かりを眺めていた。
私の自宅の裏には、小さな白い丸テーブルがある。真紅のチューリップが広がる庭園の中で、私は白いアーチ状の椅子に、行儀よく腰掛けている。
どうして、こんなことをしてしまったのかしら。
私は、用意しておいた紅茶を軽く口に含み、フルーツティーの香りを堪能する。
甘い桃の香りがする。
趣のある悪魔など存在するのだろうか。私の知る悪魔は、欲望に身をやつして、本能のままに蠢く悪しき魔物よ。誰かを愛したり、紅茶にこころを動かされたりするものではないはず。不思議なものね。
私は幻惑の魔物から解き放たれ、ほづみと再開した。朱莉はルリイロタテハを幻惑の魔物と言っていたわ。それからしばらくの間、私達は平穏に暮らしていた。
けれど、魔物を放っておくわけにはいかない。私が振り撒いてしまった呪いは、世界の人々のこころを蝕み、こころの弱った人を魔物になりやすくしてしまうものよ。放っておけるわけないわよ。
それだけじゃないわ。朱莉から聞いた話だけれど、ルナークは完全に消えたわけではない上に、力を取り戻しつつあるらしいから、その対策を練らないといけない。これ以上、あいつの犠牲者を増やすわけにはいかない。絶対に。
私は、指輪を失った美月を戦力に加えるために、私の指輪のコピーを美月に馴染むように作り上げた。ちょっと魂を半分削っただけだと言ったのに、美月はものすごく怒っていた。
もちろん、魔物にぼろぼろにされている美月を放っておけなかった気持ちはある。でも、私は、この期に及んで、あなたを利用しようとしているのよ。どうしてみんな、私に優しくするのよ……。
たとえ、ほづみや美月が私の願いで人間に戻っても、魔物には襲われ続ける。魔物に関わったら最後、一生、魔物と関わりやすくなる。魔物はこの世ならざるもの、世界の理を超えたものに触れれば触れるほど、魔物の世界が身近になる。そういうものよ。
私がなすべき罪滅ぼしは、魔物の殲滅や世界の救済のほかに、もうひとつある。
私は身勝手な願い事で、ほづみを操り人形にしている。ほづみが私を愛してくれているのは、私がほづみのこころを変えてしまったから。
私は。私とほづみの小指に繋がれた紅い糸を切り落とさなければならない。鈍色の鋏で、薔薇の花を刈り取るように、ほづみの愛を断ち切らなければならない。糸を断ち切ることで、私にどんなに残酷な結末を迎えることになろうとも、ほづみのこころは、ほづみのものよ。私のものではない。
願いは、より強い祈りによってのみ覆すことができる。いまの私にはその力がある。でも、これ以上、罪を重ねるわけにはいかない。願いの代償を世界に振り撒くことはできない。
だから、私はほづみの傍から離れようとした。
でも、うまくいかなかった。
ほづみと美月の家で再開したときのことよ。美月は、自分の命の代償として、私が世界へ呪いを振り撒いたことに納得がいかない様子だったけれど、それでも、美月の家から去ろうとする私を引き止めた。美月から聴いた話では、私がいないときのほづみは元気がなかったという。
ほづみと再会する直前、私は朱莉と一緒に異空間からこっそりとほづみを覗いていたけれど、確かにほづみは落ち込んでいた。私とお揃いの指輪は、ほづみのこころの負担を吸い尽くして、黒く濁りきっていた。
ほづみの指輪はあくまで模造品だから、指輪が壊れたところで、ほづみが魔物になることはない。いまは、私が魔力を補充したから、ほづみの左手の薬指で、もとの輝きを取り戻しているわよ。
あの指輪に込められた魔力は、ほづみの命と美貌を半永遠に保たせる。それは私も同じこと。ほづみが望む限り、私とほづみは肉体的には何も変わらずに、ずっと一緒にいられる。でも、ほづみの望みは、私の欲望の産物よ。ほづみの意志ではないわ。
指輪を取り戻した美月と、十分戦力になる朱莉の二人がいれば、ほづみを守ることができるはず。でも、ほづみのこころは私にしか支えてあげられない。
私がほづみの愛を奪ってしまったから。
そう、全部私のせい。
何もかも私が悪い。
だからお願いよ、ほづみ。私に優しくしないで。
私は、無抵抗なあなたを何度も殺したのよ。
私がほづみに愛される資格はないわ。
……でも、きっと、ほづみは私を心配している。
私はほづみの傍にいると約束した。
だから、もう少しだけ、私に甘い夢を見させてほしい。
いつかその時が来るまで。
けれど、運命の紅い糸を断ち切ったとしても、私の罪は決して消えない。
だから、愛を失った私は、こころを殺してでも罪滅ぼしを続けるまでよ。
この裏庭に植えられた真紅のチューリップは、いままで私が殺めてしまったほづみに向けたものよ。花言葉は、永遠の愛情。……皮肉なものね。
私はほづみの傍に下り立ち、やわらかな寝顔に手の甲で触れた。
ふわふわとした金色の髪からは、桃のシャンプーの香りがする。
でも、少しうなされているようね。
私は、ほづみの腕に入れた枕をどけて、そっとほづみの傍に身を寄せた。
私がほづみの掌を握ると、ほづみはしっかりと握り返してきた。
ほづみは、すっかりと落ち着いて、いつもの心地よい寝息を立て始めた。
安心して。私はほづみの傍にいるわよ。
おやすみ、ほづみ。