陰険眼鏡VS犯罪眼鏡!
なんだろう、わたしこんな目に遭うような悪いことしたっけ?
わたしを間に挟んで火花を散らす眼鏡たちに、思わず現実逃避してしまう。
片や強姦未遂魔、片や公文書偽造犯。共通するのは眼鏡とわたしに……というか、わたしの力に執着していることだ。眼鏡かけてる人って頭よさそうで結構好みだったんだけどな、なんでこうなった。いや、眼鏡に罪はないんだけど。
「君、誰? まぁどうでもいいけどさ、返してもらおうかな、それは僕の妻だ」
あなたの妻になったつもりはございませんが。勝手に誓約書を書いておいて何様だ。
『貴様何者だ。これは私のものだ』
あなたについてはなに言ってるのかさっぱりわかりません。ナザフィア共通語をお話ください。もしくは通訳プリーズ!
ていうか、惚けてる場合じゃなかった! 逃げなきゃ!
犯罪眼鏡が陰険眼鏡に気を取られてるのをいいことに、わたしは少し緩んだ手首の拘束を力任せにはねのけ、突き飛ばして逃げ出した。
『《とまれ、躰》』
しかし敵は甘くなかった。手加減せずに魔法で拘束される。身体は動かなくなり、声も出ない。これ、前にかけられたあの酷い魔法だ。
そのまま地面に倒れこんだわたしを、犯罪眼鏡は面倒くさそうに引き上げた。腕を引く、力の加減のないその手が痛い。
「君……魔法使いか」
魔法を操る犯罪眼鏡に、陰険眼鏡が鼻白んだ。警戒したような声に、犯罪眼鏡が鼻を鳴らす。
『うるさい羽虫だな。手始めに貴様を切り刻もうか。もう私には失うものなどない。すべて手に入れるだけだ』
す、と骨張った腕を伸ばすと、犯罪眼鏡は目をすがめた。金の目が陰険眼鏡を捉える。
『《斬り裂け、旋風》』
「うわぁっ!」
唱えた途端、鋭い風の刃が陰険眼鏡を襲った。血飛沫が飛んで、先ほどのお屋敷の人のように肌や服が切り裂かれる。
倒れるかと思った陰険眼鏡は、けれども地面に片膝をついただけで持ちこたえていた。
「そいつがいないと……っ、僕はっ、あの男に認めさせられないんだ……っ! 認めさせてやるんだ、今度こそっ、要らないなんて言わせない!」
それはもはや執念だった。
陰険眼鏡--ハージナルとか言ったっけ--は、自分は私生児だって言っていた。カイのお父さんはこの人と、この人の母親であるあのおばあさんを捨てたんだ。この人は得られなかった親の愛情と、本来なりえただろう自分が欲しくて、足掻いている。
でも、いくら可哀想な身の上だとしても、それを理由にして他者を害していいはずがない。犯罪眼鏡にしてもお家再興の目的があったらしいけど、どちらにせよ、それらの話とわたしは関係ないんだ。巻き込まれて利用されるなんてごめんこうむる。
ああ、それにしてもこの魔法! どうにかならないのかな。わたしに魔力があるなら、せめてこの魔法を解く力が欲しい。こんな奴にいいように使われないだけの力が。
でも、ここには助けてくれるカイはいない。さっきのお屋敷の人たちだって、カイの実家の人だ、きっと味方にはならないだろう。騒ぎになればギルドの職員さんや傭兵さんたちが来てくれるかもしれないけど、今のところ近くに人気はなかった。
悔しい。好き勝手に奪われるままなんて、そんなの嫌だ。
『まだ歯向かうのか。面倒だ、一息に殺してやろう』
にいっと、犯罪眼鏡が薄い唇を歪ませた。そのときだった。
「ナギ!」
大好きな声が、わたしを呼んだ。
嘘、来てくれたの?
どうしてここがわかったの?
そう聞きたいのに、その姿が見たいのに、視線も声も、わたしの思い通りにはなってくれない。
「くそっ、なんでおまえがいるんだ! 《解除、シヴァ》!」
苛立たしげなカイの声とともに、鞘走る音が聞こえる。ダメ、こいつ魔法使いなの。わたしの力を使えるこいつに向かったら、カイが殺されちゃう!
「ダメ……っ!」
わたしの視界にカイが映るのと、悲鳴が喉から漏れるのは一緒だった。
声が出た途端、身体の拘束も解ける。
『なっ……!?』
犯罪眼鏡も驚いたんだろう。わたしの腕を掴んでいた手が緩み、するりと身体が自由になった。
「カイ!!」
その隙をついて、わたしはここ一番の全力ダッシュで犯罪眼鏡から遠ざかった。
わたしが犯罪眼鏡から離れたのを見たカイは、もう一人の男の人と一緒にわたしの側へ駆け寄ってきてくれる。
「ナギ……!」
「大丈夫ですか!?」
カイの腕に抱きとめられると、隣にいた男の人が気遣わしげに訊いてきた。
「ロイユーグ、さん?」
「はい」
カイの隣にいるのは、ロイユーグさんだった。なんでここに?って思ったけど、お家に帰ってきてたんだろうか。
「ナギ、なんであいつがいるんだ?」
「わからない。もっさりに攫われて、逃げ出した先にいたの」
きっと逃げ出したんだよね。さすがに無罪放免になったとは思えないし、なによりあれから三ヶ月しか経ってない。
「カイ、犯罪眼鏡魔法使うよ。危ないから逃げて!」
わたしに触れていない今、あいつはわたしの力は使えない。でも、なんの制限もなく魔法を使ってるとこからして、またさっきみたいに自由を奪って拘束される可能性は高い。
「シヴァを解放した。少しの間なら魔法は防げる」
「シヴァ? ていうか、カイ、怪我してる!」
「これはシヴァを解放するのに必要な血だ」
カイはそう言うと軽く剣を構えて見せた。普段は普通の剣だったのが、今は赫く光を放っている。これが解放ってこと? それにしてもシヴァって、なんだかインドの神様みたいな名前だな。
あっ、それよりロイユーグさんと言えばお屋敷の人! 動かないけど、まだ助かるかもしれないんだから、教えなくちゃ!
「ロイユーグさん! お屋敷の人、怪我してるの! 台所にいた人!」
「あれは……ジグ、か? なんでここに?」
「ロイ、あいつらはナギを狙ってきた奴らだ。うずくまってるのがさっき話したハージナル・アゼレート。で、あっちの魔法使いがイェルク・フィスタール。ヤークトで捕まってるはずなんだが……ったく、なんでここに」
カイはわたしを背後にかくまうと、剣の切っ先を犯罪眼鏡に向けた。




