無理強いする男はモテませんよ!
身体の自由を奪われたわたしの視界には、白い天井だけが映っている。ふわふわ、ゆらゆら身体が揺れるのが心許ない。
『さあ着いた』
一瞬動きが止まり、それと同時にがちゃりと扉が開く音がした。扉を通って部屋の中へ入れられる。
ぼすん、と柔らかいクッションの上に身体が投げ出された。指先に感じる、さらりとしたリネンの感触。
スプリングの効いたそれは--ベッド、だ。
それを認識したのと、上にのしかかられたのは同時だった。眼鏡の奥の金の瞳が、蔑むように細められる。
『ずいぶんと子どもだな。よくて十……四くらいか? さて、子どもを抱く趣味はないのだが、背に腹は変えられない。フィスタール家再興のため、私の子を産め』
誘拐犯がなにか言ってる。内容はわからないけど、とてつもなくヤバいのはわかる。さっきも危険だったけど、今まさにクライシス! このシチュエーションと体勢から導き出される結果は一つしかない。
待て、誘拐犯! 冷静になれ! 無理強いする男はモテないぞ!
罵倒したいのに、声が出ない。抵抗したいのに、身体は指一本、瞬き一つ意にならない。
くそう、魔法で動きを封じるとかゲスいことすんな! ハゲろ! つるっぱげになってしまえ! 犯罪者! 捕まってしまえ!
せめてもの抵抗として心の中で目の前の男を呪うが、そのひとかけらも声帯を震わせることができない。
動けないわたしの唇に、男の薄い唇が重なった。ぬるりとあたたかいものが侵入してくる。
気持ち悪い--気持ち悪い!! 動けたなら、こんなの噛み切ってやるのに!
気持ちは睨みつけているのだが、わたしの表情筋は動いてはくれない。
『--どうもその気になれんな。せめてあと五つほど大人ならよかったんだが』
ひとしきり口の中を掻き回した犯罪者は、一旦わたしから離れると真顔で何事かを呟いた。
『ああ、そういや誰かからもらった媚香があったな。あれでもないよりはマシか。さて、どこにしまったんだったか--』
ひとりごちると、犯罪者はわたしの上から下り、一人部屋を出て行った。え、助かった……の?
胸をなでおろしかけたが、まだ安心できないと気を引き締め直す。言葉が理解できていないので、行動が読めない。動けないままということで、貞操の危機にさらされ続けていることは変わりなさそうだけれど。
動け、動け動け動け--!
必死に力を込めようとするが、他人の身体のように身じろぎ一つできやしない。そんな状態なのに、感覚はあるのが恨めしい。脳からの司令部分だけが切断されたような気持ち悪さ。
視線を動かすことすら許されず、わたしは天井を見上げ続けるしかなかった。
戻ってきませんように。あのまま帰ってきませんように。
そんな願いもむなしく、しばらくすると犯罪者は戻ってきた。
『どれだけ効果があるかはしれんが、ないよりかはいいだろう。もらったときはこんなくだらないものと思っていたが、捨てずにいて僥倖だった』
犯罪者の言葉とともに、絡みつくような甘い匂いが漂った。なにこの匂い⁇
『媚薬を香にしたものだ。と言っても、言葉がわからないようだったな、残念だ』
再び犯罪者がわたしを組み敷く。
悔しい。悔しい!
わたしにも魔法が使えたなら、こんな卑怯な奴吹き飛ばしてやるのに! こんな風に一方的に奪われるままにならないのに!
『少し、効いてきたか? 入り口は閉ざしてあるが、局長あたりを連れてこられると厄介だな。さあ、妻よ。早くコトを済ませてしまおう』
びりっと布が裂ける音がした。肌に冷たい外気が触れる。--服を、破られたんだ。
『子どもかと思ったが、そうでもなかったか? まあそれならちょうどいいな』
首筋に顔を埋められ、戦慄が走った。さらりと肌に流れるこの男の髪が気持ち悪い。
逃げたい。ああ、それなのになんだかふわふわする。お酒を飲んでないのに酔いはじめたような、変な気分。
『声が聞けんのが残念だが、叫ばれるよりはよかろう』
イヤだイヤだイヤだ!!
叫びたいのに声が出ない。くらくらする。ゆるやかに世界がまわっていく。頭の芯が痺れるようだ。
音は遠ざかっていくのに、肌に触れられている感覚だけが鋭敏になっていく。
イヤだ。
キスするのも、触れられるのも、全部カイじゃなくちゃイヤだ。
初めて肌に触れるのが他の人なんてイヤだ。
動きも、声も、涙さえ封じられて、わたしにはなすすべもなかった。
お願い--お願い、助けて、カイ!
絶望から抜け出すように、カイの名にすがる。
そのとき遠くから、なにか重いものが倒れるような大きな音がした。同時に複数の足音が、話し声とともに続く。
『保安隊か! くっ、もう少しもつと思っていたが! 《鎖せ、世界》』
わたしの肌をさぐっていた犯罪者が顔を上げる。どんどんと近づいてくる足音に苛立つように、またなにかの魔法を使ったようだった。
その直後、ガンガンと乱暴に扉が叩かれた。続いてガチャガチャとノブを回す音がする。
『イェルク・フィスタール! 攫ったお嬢さんを返すんだ!』
『ち。第五隊か、面倒な。玄関を突破してきたということは、魔法局のやつらもいるのか?』
外から放たれた声に、犯罪者がイヤそうな顔をした。
そのときだった。
「ナギ!」
--一番聞きたかった声が響いた。
「ナギちゃん!」
「無事か!?」
続けて双子の声もする。
「どいてろ!」
怒りを隠そうともしないカイの怒鳴り声が響くと、部屋の入り口の方で爆音が響いた。
『な……っ!』
わたしにのしかかっていた犯罪者の身体が少し浮いたと思ったら、鈍い音がしてそのまま吹っ飛んで行った。大嫌いな金の目がなくなり、代わりに一番好きな金色がわたしの目の前に現れた。
「ナギ!」
大好きな声がわたしの名前を呼ぶと、わたしはシーツで包まれるようにして、カイに抱きしめられた。
カイ--カイだ!
抱きつきたかった。名前を呼んで、抱きしめられたまま泣きたかった。大丈夫だよって頭をなでてほしかった。
だって怖かったの。ものすごく、怖かったんだ。
なのに涙がでない。声が出ない。腕が動かない。
--なんてひどいんだろう。
ただ、シーツ越しに感じるカイの腕が熱くて、頭の芯がぼうっとする。身体の奥が熱い。ふわふわする。目の奥がチカチカして--世界が遠くなる。
視界が暗転した。




