【挿話】一刻を争う事態と破魔の剣
「離して!」
廊下から、ナギの叫び声が聞こえた。それを耳にした瞬間、俺は扉をぶち破る勢いで開けた。
「ナギ!」
「「ナギちゃん!」」
そこにいたのはナギと、黒いローブを身にまとった男だった。ナギと同じ長い黒髪に--眼鏡の奥に光る、俺と同じ金の瞳。
--まずい、ナギの魔力がバレた。
金の目は目に見えない魔力を見る魔眼だ。迷い人がもたらした恩恵の一つで、その色をまとって産まれる人間は稀有だと聞くが、まさか遭うとは思わなかった。
そして、ナザフィアではローブを身につけるのは魔法使いだ。イセルルートでも同じなら--こいつは魔法使いの可能性が高い。
金の目を持つ魔法使い。なんて始末に負えない存在か。ナギと会わせてはいけない筆頭ではないか。
『連れか。めんどくさい……ペナルティは食らうが、移動するぞ。《開け、移動の陣》』
「やっ……カイっ!」
「ナギ!!」
ナギの手首をつかみ、魔法使いは移動陣を展開する。さあっと顔から血が引くのがわかった。連れ去られる。ナギの、あの力がバレた状態で、魔法使いに連れ去られる--。
魔法陣から放たれた光は、男とナギを包んで消えた。もう二度と見たくないと思った光景に、俺は打ちのめされる。
だが、このままではいられない。イザフォエールのときより事態は深刻だ。
「サジっ、ラズっ! ローゼンの役人に問いただしてくれ! 黒髪に金の目の魔法使いの居場所を!」
弾かれたようにサジが走りだした。廊下にいた衛兵の胸ぐらをつかむ。
本当は俺自身の手で聞き出したいのに、言葉の壁が邪魔をする。言葉が通じないもどかしさ。あいつはいつもこんな気分だったんだろうか。
『この国の魔法使いで、黒髪金目の男はどこ!? さっさと居場所を吐け!』
『な……っ』
『こちらは一刻を争っている! 目の前で大切な人が攫われたんだ!』
サジが衛兵を締め上げていると、入り口側から複数の足音が慌ただし気にやってきた。
『今ここで魔法が使われたようだが、なにがあった!』
先頭を切っている騎士らしき男が、サジにつるしあげられている衛兵に厳しい声を浴びせた。
『使われた魔法は移動陣。使った男は長い黒髪に金の目の、眼鏡をかけた男だ。やつはオレの妹を攫った』
『黒髪に金の目……イェルク・フィスタールか。失礼だが客人、妹さんが攫われたというのは……?』
『オレたちの父は魔法使いだ。妹はその血を継いで相当量魔力が高い。その男とは初対面だし、多分婚姻相手として連れて行かれた可能性が高い』
ギリギリと歯噛みをするサジの隣で、ラズが冷静に説明をしている。
ラズの説明を受けた男は顔色を変えた。
『フィスタールなら、多分居場所は上の研究室か、自宅かと思われる。お前ら、フィスタールの研究室を確認してこい!』
上官の指示に、部下の兵士たちが閲覧室近くの扉を開けて上層階へ登っていく。
しばらくすると、バタバタと足音が聞こえ、先ほど登っていった兵士たちが姿を現した。
『部屋にはおりません!』
『となると自宅か。ティルト、事務局に行ってフィスタールの住所漁ってこい。即急にだ! ガイナーレは魔法局に報告。減力の刻印を受けてあいつは力を使えないから応援はいらんと思うが、万一局長がいれば連れてきてくれ。あと客人、悪いが場所がわかるまでこらえてくれないか?』
殺しそうな目つきをしていた俺とサジに、男は困ったような視線を投げかけてきた。
「……あの男の名前はイェルク・フィスタール。魔法使いみたいね。研究室にいないみたいで、今住所を調べに行かせてるようよ」
「イェルク・フィスタール……」
状況がわからずに口を挟めないでいると、ようやくサジが通訳してくれた。教えてもらった男の名を脳裏に刻む。あの男だけは許さない。
ナギ、無事でいてくれ……!
『隊長! フィスタールの住所調べてきました! 庶民街の端に居を構えているようです!』
『よしきた! 娘さんを保護したら連行しろ! 保安第五隊出動!』
男の号令に兵士たちが走り出した。やつの家がわかったのか!?
「カイ、着いて行くぞ! やつのアジトは庶民街にあるそうだ。案内してくれるらしい!」
「わかった!」
やはり居場所がわかったらしい。
俺たちは兵士たちの後を追った。
ナギ、頼むからそこにいてくれ。間に合ってくれ……!
※ ※ ※ ※ ※
俺たちは城門をくぐり、貴族街を抜け、庶民街へと向かう。フィスタールの家は貴族街に近い庶民街にあるという。
ナザフィアにおいて、王都をはじめ比較的大きな街では、大体が貴族街と庶民街という二つのセクトに分けられている。どうやらその構成は、イセルルートでも同じらしかった。
ナザフィアでもイセルルートでも、魔法使いは貴重だ。庶民でも、三代に渡って魔法使いを輩出すれば貴族になれる。ディルスクェア家もそれで成り上がったクチであり、迷い人の血を入れたあの家はほどよく強い魔法使いを出し続け、パルティアの王都に屋敷を持つまでになっていた。
そういった魔法貴族は七代続けて魔法使いが産まれなければ、また庶民に堕とされるという決まりがある。だから魔法使いたちはこぞって魔法使い同士で婚姻を結ぼうと躍起になるのだ。少しでも可能性を高めるために。
金の目を持つ魔法使い。庶民街に家があるというなら、奴は多分庶民堕ちした元魔法貴族だろう。となると、目当ては貴族へ戻ることか。
だが、それがなんだというんだ。ナギを巻き込む理由になどならない。
そうこうしているうちに、俺たちは庶民街へ足を踏み入れる。フィスタールの家は庶民街の中でも貧民区域ではなく、貴族街にほど近い場所にあった。
『魔法錠か。厄介な!』
重厚な扉を開けようとした騎士が、苛立たしげに扉を蹴る。鍵がかかっているのか。
「どけ」
足留めを受けたようで、腹が立った。開かないなら開けるまで。こんなところで足踏みしている猶予はないんだ。
俺は収納鞄から愛用の剣を取り出すと、忌々しい扉に相対した。
ふざけるな。こんなもので俺たちを遠ざけようっていうのか。そんなもの通用させない。魔法がなんだ。たしかに魔法は便利で強い。だが、それをこじあける術だってないわけじゃないんだ。
返せ、ナギは俺の女だ。俺がナギの手を離すのは、あいつが元の世界に戻ることを選択したときだけだ。
彼女がこの世界にいるならば、他の奴になどやらん!
「《解除、シヴァ》」
利き腕と逆の手に、軽く刃を滑らせる。流れ出した血が剣に付着したのを確認したのち、伝えられた呪文を唱えると、刀身が赫く光った。
シヴァ--それはこの剣の銘だ。元は“彼女”の国で信じられていた神の名だという。
シヴァは、“彼女”の娘が、その全力をもって産み出したとされる破魔の剣だ。ディルスクェアの血を引くものだけがその隠された力を引き出せる家宝。普段は手入れをしなくとも使い勝手のいい状態でいる剣だが、一度その力を解放すると、しばらくの間その場の魔法を破壊する。
シヴァの赫い光越しに扉をねめつけると、俺は荒れ狂う衝動のまま剣を振りかざした。




