前門に追っ手、後門にも追っ手!
木登りなんて小学校のときに何度かしたくらいだったけど、どうにか柱を伝って庭に降りれた。よくやった、わたし!
わたしは目の前の庭を眺めると、服についた埃をはたいた。さて、次の課題はこのひっろ〜い庭を抜けて、さらに表に出ることだ。
わたしが逃げたことは遅かれ早かれすぐ発覚するだろう。あまり時間に余裕はない。逃げるなら早くしなくちゃ!
夏の夜の庭に、濃い花の香りが漂う。普通ならうっとりするところだけど、今は堪能してる暇なんてない。見つからずに逃げるのが先決だ。わたしはタイルで綺麗に整地された道を、小走りに駆け抜ける。
きっと門は警備が厳しいはず。人が出入りしないところか、あるいは勝手口? そんなのあるのかな、わかんないけど。
たどりついたのは生垣だった。濃い群青の花が咲き乱れていて、とても綺麗だった。しかし、出口はない。
生垣伝いに走ると、遠目に門が見えた。が、焚かれた篝火に人影が照らされたのがわかり、わたしは慌てて距離を取る。門番らしき人物には気付かれてはいなさそうだった。
そのときだった。ざわざわと屋敷の方から騒がしい声が聞こえてきたのだ。
[ヤバい、逃げ出したのがバレたのかも!?]
もう猶予なんかない。どうする? 考えろ、わたし。門はダメだ。生垣を越えるには高すぎる。越えるには……ん? 越える?
[これ、根元なら掻き分けられそう?]
丁寧に刈り込まれてはいたが、根元に少し隙間があった。通り抜ければ生垣を傷めてしまうが、背に腹は代えられないというか、そんなの知ったことじゃないというか。
わたしはドキドキしながらしゃがみこんだ。少しでも木と木の間が空いているところを探す。神様、お願い。どうかありますように!
背後でざわざわする音に聞き耳を立てながら、わたしは必死に生垣を調べた。
[あったぁ!]
すると、一箇所どうにか通れそうな場所を見つけたのだ。やだ、ホッとして力抜けそう。
わたしは半泣きで根元を掻き分けた。ごめんね、お願い通して……!
わたしは半分力任せに通り抜けた。予想通り、生垣はボサボサになっている。ごめんね庭師さん。
[で、出れたぁ〜〜!]
涙目でわたしは立ち上がった。まだ完全に逃げられてない。ここから立ち去らなきゃ!
ふらふらとする脚に頑張って力を籠める。
行き先なんてない。どうしていいのかわからないけど、どうにかしてカイと合流しなくちゃ。
捕まるのが怖くて、わたしは人目につかない方へと足を進めた。
「おっ……と、と、君、どうしたの?」
「っ!!」
しばらく無人の道を走っていると、曲がり角からにゅっと出てきた男の人とぶつかる。し、心臓が飛び出るかと思った! 人間本当に怖いと、悲鳴なんて出ないのね。
「まだ遅くはないとはいえ、こんな時間に女の子が一人で歩くのは感心しないよ? 家はどこ? 送って行くよ」
「あ、あの」
一見親切そうな人だけど、パニクっているわたしには、助けを求めていい相手かなんて判断できなかった。
「わたし--」
「ああ、知らない相手は怖いよね。僕は王都で騎士をしているもので、ロイユーグ・ディルスクェアって言うんだ」
にっこり優しい笑顔を浮かべて男の人は名乗った。
「ロイユーグ……」
--ディルスクェア!?
聞き覚えのある姓に、わたしはうしろに飛びすさった。ディルスクェアって、ディルスクェアってカイの実家だよ! わたしの素性がバレてる相手じゃない! ヤバい、ヤバいヤバいヤバい!!
もう、こっちの世界に来てからこんなのばっか! ジェットコースターみたいに一難去って一息ついたらまた一難、みたいなのやめてほしい!
「え、あの、うーん、僕怖い? あ、騎士ってわからないとか? 今日は私用で出かけてて団服着てきてないしね。でも嘘じゃないよ? あ、そうそう、身分証見ればわかるかな⁇」
人好きのする爽やかな笑顔で、目の前の人はまくしたてた。
よく見ればカイと似ている。銀髪に、褐色の肌。カイは金色の目だけど、この人は茶色っぽい琥珀色で。でもやっぱり面差しが似通っているので、兄弟か従兄弟かそこらへんだろうか。
「いたぞ!」
「!!」
ヤバい、見つかった!
振り返ると、背後から追っ手がやってきた。ドルフィーの街でライナさんを連れて行こうとしていた、あのおっさんたちだった。例のリーダー格の人もいる。
「なんだ、君たちは。この子になんの用だ」
「それはこっちのセリフだ、ニイさんよ。俺たちはそこの小鳥ちゃんを探してたんだ。渡してもらおうか!?」
万事休す!
それはまさに前門の虎、後門の狼だった。逃げ道もない。ああ、せっかく逃げたのに! 変態の餌食と、悲惨な人生、どっちがマシだろう。……どっちもごめんだよ! わたしは帰りたいだけなのに!
お願い、助けて、カイ!!
わたしは心底そう願った。




