逃亡のはじまりですか?
図書館から退出したわたしたちは、買い物を済ませ、早々に街を後にした。
「すまないな、また野宿になった」
「いいえ。ありがとう」
クロムに乗っていると、耳元でカイがすまなさそうに言う。カイが悪いんじゃないし、気にしなくてもいいのに。大丈夫だよってどう言うんだろう? 言葉のレパートリーがないのがもどかしい。
[あの人、なんかヤな感じだったね。あのもっさい眼鏡司書!]
とりあえず話を振ってみる。下を向いて前髪を目にかけ、どうにか離せた左手で丸を作って一瞬だけ目元にやると、陰険ストーカー気質な眼鏡司書のことだとわかってもらったらしい。
「……あいつはただの司書じゃなさそうだ」
「あいつはただの司書じゃなさそうだ?」
「ああ。ことによってはパルティアを出たほうがいいかもしれない」
「パルティアを、出る?」
今のはわかった。パルティアを出る? あの司書のせい?
わたしは眉間にしわを寄せる。あのもっさり、そんなにヤバい奴なの⁇ たしかになにしでかすかわからないというか、なにを考えてなにを目的としているのかわかんない人だった。ただ、言外になにかを匂わせているのだけがわかるような。笑顔も口元だけ笑ってそうだし。
「……俺の家は、おまえにとって害でしかない。あそこにおまえの存在が知られたら厄介だ」
苦しげにカイが呟いた。なんだかギルドに行ったあとから、たまにカイの態度がおかしくなるのはなぜだろう。なにかバルルークさんか、あの双子のおっさんがなにか言ったのかな? 今のはもっさりの話から繋がってるとこからして、名前を隠してることと関係ある?
いろいろ気になることだらけだった。
その後、カイは口数も少なくなり、野宿もなんだか味気ないものになった。
※ ※ ※ ※ ※
暗い部屋の中で、燭台の灯りがゆらめく。静まり返った部屋の中では、ペンが走る音のみしていた。
「さあ、書けた」
彼は一気に書き上げた手紙を読み返す。短文で構わなかった。ただあの家に一石を投じれればよかった。
ディルスクェア家の次男が出奔していたことは、あの家を探る過程で知っていた。また、先日あの一族から産まれた最後の魔法使いが死んだため、ひそかにその行方が探されだしたことも。
「まさかこの僕のところに飛び込んでくるなんてね」
特異能力のためにその家を後にし、特異能力のためにまた戻ることを望まれているその男は、傭兵として身を立てていると聞いていた。だからまさか自分の勤める図書館に現れるとは思っていなかったのに。
これもまた、神の思し召すところなのか。彼は窓から覗く天空の双月を仰ぎ見る。裁きの神・蒼月と紅月の双子神は、今なにを思ってこの世界を照らしているのか。
口元に笑みを刷き、彼は手紙を封筒に入れる。深紅の封蝋を落とすと、印璽を捺した。
「“治癒師”エレアノーラ、か。ふふ、なにを調べているのかと思えば。ナザフィア共通語を教える必要がある変わった名の娘に、迷い人の調べ物。--“時空の迷い人”の存在は目立つね? カイアザール」
ふっとろうそくを吹き消し、喉を鳴らして嗤う。
「あの家から、あの男から娘を守れるか、僕に見せておくれ」
暗闇に佇む彼を、ただ静かに月の光だけが照らしていた。




