奔る光とともに、そしてすべてははじまりへ。
瞼を閉じても感じるような強い光が消えたのがわかったわたしは、そっと目を開けた。
「え……」
目に飛び込んできたのは見慣れた風景。
白いシューズラックに、小さな海の絵。アヤちゃんからもらったリードディフューザー。そしてスモーキーな色合いのパステルブルーに塗られた鉄製の扉。
そこは、わたしの住んでいた部屋だった。
「カイ!?」
静まり返った空間が怖くなって振り返ると、そこには誰もいなかった。ただ、住み慣れたわたしの部屋が広がるだけで、大好きな人の名前は応える人もなく散っていく。
--嘘だ。
わたしは再び扉を見つめた。あの日、この扉を開けたんだ。そうしたらむこうの世界だった。
震える手でノブを掴む。がちゃりと金属音がし、重い扉はゆっくりと開いた。
--嘘だ!
目の前に広がる、これまた見慣れた風景に、わたしは愕然とした。
あの日、この景色がなくなってショックだったのに、今はこの景色が見えたことがショックだった。
バタン!と強い音をたてて扉を閉める。うん、今のはなにかの間違い。大丈夫、もう一度。
口から飛び出しそうな心臓を宥め、もう一度震える手をノブにかける。
かちゃ。ぱたん。
どくんどくんどくん。
かちゃり。
--何度やっても結果は一緒だった。
それを理解した瞬間、身体中の力が抜けた。
冷たい、薄灰色のコンクリートにわたしは手をつく。ちょっと砂が散ってざらりとした感触。硬くて冷たい地面。
それは失くしたはずの懐かしい日常であり、今のわたしにとってはとっておきの悪夢だった。
ここに帰りたくて、帰る道を探した。
大好きな人との未来を選んで、ここに帰るのをやめた。
媒介がなにかを知って、ここに帰ることを完全に諦めた。
それなのに。
呼吸が苦しい。うまく吸えなくて、酸素不足の金魚みたいに口をパクパクとさせてしまう。
なんで、なんで今なの?
なんで、わたしはひとりなの?
なんで、カイを選んだあとにこうなるの?
帰れたことの喜びはなかった。
ただ、唯一の人を失くした絶望が、ゆるゆると足元からわたしを包んだだけだった。
そう、わたしは失くしたんだ。
この世界と天秤にかけた末に選んだ人を。
「カ……イ……っ」
ぱたぱたと、地面についた手の甲に、熱い雫が落ちた。
夢であって欲しかった。目が覚めたらバルルークさんのお家で、おはようってサジさんたちが笑って、黒猫亭に行くためにカイが迎えに来て、手を繋いで出かけるんだ。
「カイ……」
でも、夢の終わりは一向にこなくて、わたしはこれが現実だと知る。
こみ上げる嗚咽を我慢することもせず、わたしは感情のままに号泣した。
※ ※ ※ ※ ※
どのくらいそのまま泣き続けただろうか。
痺れたような頭で、とにかくこのまま玄関の外で泣き続けているわけにはいけないと考える。
ふらふらする身体を起こして、玄関の中に入って扉を閉める。そのままずるずると座り込むと、ふわりと少し甘い、涼やかな香りがした。アヤちゃんがくれた香りを嗅いだわたしは、無性に彼女に会いたくなった。
アヤちゃん。アヤちゃんに会いに行こう。そしてあの世界のことを聞いてもらうんだ。
わたしがこちらに帰ってきてしまったのは、きっと帰還の魔法陣が動いてしまったのだろう。あのときの光はきっとそれだろう。
わたしはこちらの世界から持ち込んだものを、すべてカイの収納鞄に入れてもらっていた。書き起こした魔法陣はバルルークさんのお家にある部屋に、むこうで揃えた私物と一緒に置いてあったから、きっと反応したのはスマホの写真……なんだろうな。ちょっとあやふやだけれど。
カイ。ロイユーグさん。二人とも大丈夫だったかな。
わたしは最後に見た光景を思い出して、胸がつぶれるような気持ちになった。犯罪コレクターの魔法で二人とも傷だらけだった。
無事……だったろうか。ううん、無事であってほしい。会えないけれど、生きてさえいてくれれば。
ねえ、カイ。
いきなりわたしが消えて、あなたはどう思った? きっと今のわたしのように喪失感に打ちのめされたよね。
ごめんね、傷つけて。二人で幸せになるはずだったのに、こんなことになってごめん。帰らないって安心させたあとに、こんなことになってしまってごめん。
あなたと共に生きたかった。
あなたのそばにいたかった。
ずっとずっと。
あなたに会わなければよかったなんて思わない。
あなたと出会って、共に旅をして、恋をして、側で生きると誓ったあの時間は、わたしの宝物だ。
この記憶は誰にも渡さない。この想いは誰にも消させない。
今はまだ、喪失感に泣くことしかできないけれど。
カイ。
見つかるかわからないけれど、わたしはこちらの世界で、あなたの元に帰る方法を探してみるよ。
どう探していいかもわからない。
見つからないかもしれない。
それでも。
涙が枯れるまで泣いたら、わたしはもう一度立ち上がる。
いつか、あなたの元に帰れる日が来ることを信じて。




