とある少年の、最初の人生のお話
―昔々……でもない話。
あるところに、周りの人から『不幸の星の元に生まれたとしか思えない』と揶揄される少年がおりました。
彼はとある一家の長男坊。昔から比較的身体の弱かった、容姿端麗で頭脳明晰と評判の技術屋の両親、その両親から美貌を全て受け継いだような、3つ歳の離れた妹との4人家族で、楽しく過ごしておりました。
彼が14歳の夏の頃、11歳の妹が亡くなりました。死因は失血死、胸部や腹部、手の先から足の先まで数十箇所もの刺し傷が原因だったそうです。
それだけではなく、その妹は強姦もされていたそうです。警察は『強姦ののち、殺害に及んだ模様』との見解を発表し、周辺住民への聞き込みを徹底的に行ないました。
それから程なくして、犯人が検挙されました。この市の界隈では知らない人はいない程の資産家の、『ごく潰し』として有名だった次男坊との事でした。
娘の死に怒り悲しんだ夫妻は、彼に極刑をと訴え続けました。人としてあるまじき行為であり、娘が味わった死を以て償えとは言わないが、自分の犯した罪を理解し、一生詫び続けるぐらいの思いは持ってほしい、と。
しかし、その願いは届く事はありませんでした。犯人の親である資産家が、コネや繋がりのある警察上層部や裁判官、弁護士などに多額の金を渡し、精神異常として精神鑑定を行い、極刑を避けろと頼み込んだのです。
……元々、その次男坊が『ごく潰し』と他称される理由が、民家への放火未遂であったり窃盗であったりと事件を起こす度、親の手によって示談等に持ち込まれ、そのくせ本人に一切の反省が見られなかった為なのだそうです。
長男が既に結婚して実家を離れているその資産家にとって、働く気が一切無くて『本当に手の掛かる次男坊』だったとしても、惜しみない金を注いででも溺愛したい対象だったのでしょう。
結果、執行猶予付きという、殺人に於いては異例の判決が下り、両親も上告まで争うつもりでいましたが棄却されてしまい、ネットや紙面を賑わすとんでもない事件となりました。
それから3年。
少年は17歳となり、世間もあの馬鹿げた事件への興味が消えた頃。
眠い目を擦りながら少年が朝食を取っていると、両親は少年にこう告げました。
『今日はちょっとお偉いさんを迎えて、家で食事や仕事の話をする事になっている。期限が近い案件だからちょっと夜通し話し合いをするかもしれない。すまないが、今日一日は向かいの佐藤さんとこにお世話になってもらえないか?こちらから話はつけてあるから、一泊分の着替えと財布だけ持っていくといい。……あぁ、あとこのリュックを、明日の朝にでも佐藤さんのご両親に渡しておいてもらえるか?お世話になるんだし心付けとまでは行かないが、一応な。』
両親は在宅で仕事をしていた為、度々このように自宅に会社の人間を呼ぶ事はありました。しかし、少年は何とも言えない違和感を覚えていました。
結局、その違和感が何なのか……少年は気づかないまま、昼過ぎに佐藤さんのお宅へとお邪魔する事になりました。
両親が体調を崩しがちの為、度々妹と一緒にお世話になっていたこちらの佐藤さん宅のご夫妻。60も後半になり、ゆるりと老後の生活を送っている夫妻は、いつものように笑顔で少年を迎えてくれました。
夕食まで特に何もする事が無かったので、少年は縁側で好きなバトル漫画を読みながらゴロゴロしていると…自宅に『今まで見た事の無いような高級車』が停車していました。そしてそこから出てきたのは、
―妹を強姦して殺した、あの憎たらしい資産家の次男坊とその親でした。
その時、少年は違和感の正体に気がついたのです。
両親が『今日は会社の人が来るから』と言う事はあっても、今日のように『お偉いさんが来る』と言った事は無かったのです。
在宅でありながら指折りの技術を持った両親の元へは、それこそ『会社のお偉いさん』にあたる人間は普通に来ていました。その時でも両親は、お偉いさんが来るとは言っていなかった…その事に気づいてしまったのです。
激情に駆られそうになった少年ですが、ふと今日が『妹の命日』である事を思い出しました。
―そうか、両親が話をつけて線香の一本でも上げろとでも呼んだのか―
その可能性が少なからずある事に気づき、理性をフル稼働させて自分を落ち着かせました。
そしてその一時間後。
少年の家は爆音と共に業炎に包まれました。
……警察による現場検証の結果、裏口にあった都市ガスのボンベ付近に強い火の気があったらしく、それが引火して炎上したものとされる、放火の疑いがあるとの通知が少年にありました。
現場には遺体が4つあり、2つは少年の両親で2つがその資産家と次男坊であるとの事も伝えられました。
過去にその次男坊が関わった事件も掘り返され、被害者家族の内で一人無事であった少年は、心無い警察官に『お前が放火したんだろ』と疑われました。それは事件の関連性だけでなく、2年前に両親が加入した、大量で多額の死亡保険金が少年に支払われるようになっていた事もネックになっていたようです。
もちろん、佐藤さんご夫妻が少年のアリバイを証明した為に疑いは晴れましたが、依然として捜査が続く中、犯人らしき手がかりが一切出てきませんでした。
しかし少年は気づいていました。犯人は『自分の両親』であると。両親であれば、遠隔で火種を作り、かつ証拠すらも残さないような仕掛けを作る事ぐらい簡単であろう、と。
……両親は妹の仇を取ったんだ、と。
それから一年の間、警察当局による必至の捜査もむなしくこの事件は迷宮入りとなり、滞っていた死亡保険金や、両親から佐藤さん夫妻へ渡すように言われていたリュックも、捜査の打ち切りと共に少年の元へと渡されました。
―人は少年に、『妹さんを亡くされてさぞ悔しいでしょうね』と言う。
―彼は思う。『一番悔しいのは自分ではない。強姦され挙句殺されてしまい、恨みを晴らしたくても晴らせなかった妹だ』と。
―人は少年に『ご両親も不幸な事になりましたね』と言う。
―彼は思う。『両親は成すべき事を成した、不幸である訳が無い。寧ろ、一緒に仇を取ってやれなかった自分こそ不幸なんだ』と。
そんな少年は、その事件の後から、様々な道場などを巡りながら日本を旅していたそうです。何が少年をそうさせたのか、それは当の本人しか知る由はありませんが、曰く『身体を動かしてないと在りし日の事を思い出して辛くなるからじゃないか』との憶測もありました。
ちなみに、両親から佐藤さんご夫妻へ渡すようにと言われていたリュックの中には、両親からご夫妻へと宛てられた手紙と、高級な和菓子と思われる箱が入っていたそうです。さすがに中身は腐っていたようなので処分されたそうですが。
その手紙の中身は、このように綴られていました。
『今日は息子の事をよろしくお願いします。この中にお茶請けにバッチリのお菓子を入れています。もしお口に合いましたら、リュックの中に鍵を入れてますので、息子に頼んで取りに行かせますね。
P.S そのお菓子、「三重」のらしいです。まぁ、佐藤さんならお分かりになるかもしれませんがね。』
手紙を読み終わった少年と佐藤さんご夫妻は、その和菓子が入っていた箱の底を『丁寧に剥がし』ました。
警察ですら見逃す程精巧に仕込まれた厚紙を2枚捲った先には、
『キッチンの冷蔵庫付近の下、地面に隠した耐火金庫の中に、佐藤さんへの迷惑料と息子の生活費、食費等を入れておきました。ご迷惑をお掛けします。息子をよろしくお願いします。』
と、両親からのメッセージが残されていました。
佐藤さんご夫妻も、この時点であの放火事件が『放火ではなかった』事に気づいたそうですが、少年の言葉に、この真実は墓場まで持って行こうと心に誓ったそうです。
―終わったんです。全て。これで終わったんです。―
そして、それから2年の月日が流れ、その少年は成人を迎え、
少女を助け、この世を去りました。