王都の片隅で
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しばらく走っていたら、知らない場所だった。
いつも王都の街は一人では出歩かないので、よくわからない。
それでも、知らない通りを歩くことに恐怖はなかった。貴族の子女の服で歩いているわけではないので、追いはぎにあうこともないだろうし、何より流れて止まらない涙を知り合いに見られることがないのはある意味安心だった。
「あ、あんた……」
人通りの少ない道で、その男は驚いたようにこちらをみていた。
「どうしたんだ? さっきの凶暴な女はどうした? 道に迷って泣いてるのか?」
言葉も声音も泣いてる私を気遣う優しげなもので、私は声をだせずに、首を横に振った。
男は先程撃退した男の一人で、赤い短い髪を綺麗に撫で付けて流行のコートを着こなしていた。一人でこうしてみると先程とは違った印象だった。
「家まで送ってやろうか? いや、怖いよな――。乗り合い馬車まで送ろうか」
私のハンカチがもう用をなしていないのに気付いたのか、ハンカチーフを差し出して、そう言ってくれた。先程、恥ずかしい思いをさせてしまったというのに。
そういえば、あの時だって、この人は止めてくれただけだった。私のことを知ってるようだったし。
「貴方は、どなたですか?」
私の疑問に、男は小さく笑った。
「やはり育ちのいいお嬢さんだな。俺は、ローランド・エディソンというしがない商人だ。柊の園でハールと同室だったといえば安心してくれるかな」
男がハール様と同室というのは、分かったが何故自分を知ってるのだろうかと、不思議に思う。
「ハール様と……」
何故、今ハール様の名前を聞くのだろうと、驚きに止まっていた涙が溢れてくる。悲しいとか辛いとかは恥ずかしいとかいう気持ちの前に条件反射のように沸いて出てくるのだ。
ローランドは更に泣き出した私に慌てたのか、ポケットからキャンディをとりだして包み紙を外して渡してくれた。
「辛いことがあるときは、甘いものがいい」
ハール様の名前を出して泣き出したから、事情を接してくれたのか、ローランドはそう言った。
「リリス!」
エリアルの声が聞こえて、私は思わずエリアルの声とは反対の方向に駆け出し、躓いて転びそうになった。それをローランドが抱きとめてくれて、「大丈夫か?」 と心配してくれた。
「リリス……」
自分をみて逃げだそうとした私に、エリアルは信じられないものでも見るように立ち止まった。
声が震えていた。でも、今はエリアルの心配をする余裕がなかった。
私は無意識に、ローランドの袖を知らず握っていた。
「なんだかわからんが、あんたは来ない方がいい。俺が送っていくから、安心しろ……とは言えないから、そこの護衛の一人もついて来い。それで、この子が落ち着いたら、もう一度話をしたらどうだろうか」
ローランドは、エリアルの殺気のこもった視線を受け止めて、そう提案してくれた。
「貴方はだれ? 信用できる人間なの?」
エリアルは挑むようにローランドに尋ねた。
エリアルが心配してくれているのが分かるのに、私は彼女に駆け寄ることができなかった。
「俺はローランド・エディソン。柊の園でハールと学んだ。この子とあんたの顔はあいつが持ってた姿絵でみたことがあったんだ。三人で馬と一緒に並んでいた絵だ。信頼できるかはわからんが、俺はドレスの生地を扱う商人だ。貴族と敵対する気はない――」
護衛の一人が知ってたようで、エリアルに頷いて見せた。エリアルは、私に拒否されたのがショックだったのか、少し潤んだ瞳だったが、毅然と姿勢を正し、ローランドに頭を下げた。護衛が止めようとするのを制止して、エリアルはローランドに言った。
「リリスをお願いいたします、エディソン様。私は、エリアル・シュノーク・アルテイルです。先程は過剰防衛だったと思います。申し訳ございませんでした」
ローランドは、エリアルの謝罪に狼狽したのかコクリと唾を嚥下した。
「いや、俺の連れが失礼した」
「あの方達もハールの友人ですの?」
エリアルの棘のある言葉にもローランドは臆したふうもない。
「いえ、あれは仕事の付き合いで」
思い出したように、エリアルは私に向かって「ごめんね」と言った。
「私、こんなことになるなんて思ってなかった……。リリスが呆れて、私のことを嫌いになっても仕方ないと思う。ごめんね、ハールが追ってこれないのは、私がハールを殴り飛ばしたからなの」
「ま、まさか……」
「殺してないわよ」
エリアルは、私の心配を笑って遮った。
そして真面目な顔で、私を見つめる。
「ごめんね。私、待ってる。リリスが私と会ってもいいって思ってくれるまで待ってるから。それと、ハールは誤解だと言ってたわ。私はリリスを泣かしたハールを許せないけど、ちゃんと話したほうがいいと思う」
私は、声は出せなかったが、エリアルに頷いてみせた。
護衛の一人が残り、エリアルは帰っていった。
「いい友達だね。君のことが本当に好きみたいだ」
「ええ、私の大事な人なの――」
エリアルは自分を責めていた。そんな必要はないのに。
エリアルに辛い思いをさせることは私には我慢できないほど辛いことだった。けれど、今はどうしても自分の矮小さが惨めで、太陽のように輝くエリアルの顔を見ていることが出来なかった。
「送りましょう」
ローランドは、こんな街娘の服装で瞼を腫らした私なのに、貴婦人のように手をとり自分の腕につかまらせて、「役得です」と微笑んだ。
優しい人ばかりだ――。
こんなに辛くても、世界はとても優しい色をしていることに、私は改めて気付いたのだった。