第八話 「騎士の国の愉快な仲間達(下)」
聖騎士城に戻ったショーンは、ディアン王とチャーリー騎士長を見つけると、テウタテス王子がアズルガート王国にどうしても行くつもりである事、自分とターニャの他にテッドと出来たらナサニエルを一緒に連れて行きたい旨を話した。
王は話を聞くと、ショーンにテッドを呼びに行かせ、騎士長を引き連れて王城の執務室へ移動した。
王と王后の執務室で、王后ミズノトと護衛騎士ナサニエルが、入室する面々を見て興味深げな顔をして迎える。
「聖五騎士の内の4人と騎士長が残るのだから、問題はないだろう」
ディアンの言葉に反対する者はいなかった。
シャナンだけでなく世継ぎの王子であるテウタテスが同行するとなると、警護に人員を取られるのは仕方がない事だ。
22歳の若さで聖五騎士として一隊を束ねる腕のあるテッドを連れて行くことだけでなく、駄目元で伺いを立ててみたナサニエルを連れて行くことさえも王があっさり賛成した事に、ショーンは少々拍子抜けしつつも大喜びである。
何事もなかったとしてもテウタテスの暴走を止める要員は多い方が良いだろうと苦笑する王に、騎士達は大きく頷いた。
同盟を結ぶアズルガート王国で、世継ぎの王子がケルトレア王国の印象を悪くしては大問題になりかねない。
「私が不在の間、両陛下の護衛責任者は誰になさいますか?」
自分もアズルガートへ行く事になるとは思いもよらず驚いているナサニエルだが、動揺を見せない落ち着き払った顔と口調でディアンとチャーリーの顔を見る。
「そうだな……。チャーリー、キリアンを借りても良いか?」
騎士長を見てディアンが尋ねると、娘のターニャ同様に真面目な顔が常の騎士長は頷いた。
「はい、適任かと思います。ある意味一番良く統率された赤部隊と私がまとめ易い白部隊ならば、聖五騎士不在でもあまり長期でなければ問題無いでしょう」
テッドの率いている白部隊はバカルディ聖騎士爵家の部隊で、騎士長になるまではチャーリーが率いていた。キリアン・ブラヴォドの率いるブラヴォド聖騎士爵家の赤部隊は、様々な理由から妙な連帯感いっぱいの部隊で「ある意味」一番良くまとまっているのだ。
ターニャの正義感にあふれて真っ直ぐ真面目な所は父似だが、天然な所は母似なので、チャーリーには天然要素はない。華やかさには少々欠けるが、堅実で優しく平等で気も利くチャーリーは騎士長として優秀で、部下達にも大変慕われている。
王城勤めの女性達にも密かに人気が高いのだが、それについては本人は全く気付いていない。彼に好意を寄せる女性達は、異性関係に控えめできゃーきゃー騒がない者が多い事が原因かもしれない。
既婚者で愛妻家なことも有名だが、王城の侍女達主催で毎年行われている(侍女だけでなく王族や騎士達や高位文官達も参加)「夫にしたい男番付」では常に上位争いに食い込んでいる。
目は茶色がかった明るい橙色で、肩に付かない長さの髪は杏色を混ぜた薄茶色の珍しい綺麗な色のくせ毛の、すっきりした顔立ちの長身の騎士長は、確認するようにテッドを見た。
母似の可愛らしい童顔を気にしていて父に似たかったと思っているテッドは、瞳の色だけは同じの尊敬する父に頷いて見せた。
事の成り行きを黙って見守っていたミズノトが、わざとらしい溜息を吐いた。
「ナサニエルより更に表情の読めぬ男か、難儀なことじゃのう……」
その言葉に、その場にいた全員の緊張が緩んだ。
ディアンの指名したキリアン・ブラヴォドはテッドと同じく聖五騎士として赤部隊を束ねる隊長で、ブラヴォド聖騎士爵家の跡取りである。
ナサニエルと同様、幼い頃から常に冷静沈着で何事があっても慌てることのないように見える男なのだが、彼が次期騎士長を3歳年下のナサニエルと並んで争わない理由は、無口さと無表情さであった。
彼のことを良く知った者で無い限り、無口で無表情な彼の喜怒哀楽の表情を読み取る事は出来ない。
極稀に、常人でも微笑を見ることが出来るが、それは彼が爆笑している時と思って良い。怒りの表情を見た者の命は無いだろう。無表情で美しい顔の下で、意外と独特の感性を持っているのだが、何を考えているのか知る事は大変難しい。
「そうじゃ、良い事を考えたぞえ。アリスを呼ぶのじゃ。アリスは、ああ見えてとても賢い。あれに色々とわらわの仕事を手伝わせて、能面男の周りをうろつかせるのじゃ。王宮らぶろまんすじゃ!」
キリアンの幼い頃からの婚約者の名を上げて、ミズノトは楽しそうに笑った。
現存する唯一のケルトレア王家の分家であるルクサルド公爵家の三女アリスは、テウタテス王子の3歳年上なのだが、1歳下の弟ロビンと共に王子の学友として幼い頃から毎日王城へ来ていたので、王城は第二の家の様なものだ。
「王宮らぶろまんすの定義は、片方が王女か王子であることが条件かと」
ナサニエルがいつもの微笑を湛えた顔のまま冷静にツッコミを入れると、ミズノトはフンッと鼻で笑った。
「細かいのう、おぬしは。王城の中でらぶろまんすが繰り広げられれば良いのじゃ。アリスは王家の血を引く者ゆえ、王女でなくとも王宮らぶろまんすじゃ」
「……王宮らぶろまんすではなく、王后様の仰るところの『ばかっぷる』見学になると思いますが、刺激を求めてお二人の仲を裂こうなどなさらないで下さいね」
ナサニエルの忠告に、王后は否定とも肯定とも読める笑いをして見せた。
その夜、二人の名門騎士が行き付けの落ち着いた酒場の個室で、愚痴の言い合いを繰り広げていた。
「……で、僕が巻き込まれた、と? ……僕っていっつもこういう役回りだよね……」
事の成り行きを詳しく聞いて、肩に付かない長さの珍しい茶色がかった明るい橙色の髪と同じ色の目を持つ童顔の聖五騎士は、大きな溜息を吐いた。
ターニャと同じ色の目と髪を持ち、面差しも似ていて、二人はどう見ても姉弟にしか見えない。
少しだけ父に似てすっきりした顔立ちの姉と比べて、自分の方は完全に母似で可愛らしい顔立ちである事を、テッドは大変残念に思っている。
女性としてかなり長身のターニャとケルトレア男性の平均的な背の高さのテッドは、背格好も良く似ている。実はターニャの方が指一本分だけ背が高いのは、仲の良い姉弟だけの秘密である。
「なんだよ、テディ、こういう役回りって?」
「テウタテス様とショーンと姉さんのお守り」
その答えに、ショーンはにやりと笑う。
「最後のだけ、俺と代わんねー?」
「ショーンに姉さんのお守りなんか無理だろ。相手にされてもいない癖に」
フンッと馬鹿にしたようにテッドが鼻を鳴らして酒を煽った。
酒を飲むのを止められそうな童顔のテッドだが、ターニャやショーンと2歳しか違わない。つまり、到底そうは見えないが、ナサニエルの1歳だけ年下の22歳である。
成人をまだ迎えていない少年のように見えるテッドは、その気安い性格からも、聖五騎士という騎士長の次に位のある肩書きを持つというのに、周りの騎士達から弟や息子のように可愛がられてしまうのだ。
一度剣を交えなければ、彼が聖五騎士の地位を得たのは家名と騎士長である父親の七光りではなく実力なのだとを、誰も到底信じられはしない。
可愛い見た目にそぐわない素晴らしい剣の腕と洞察力のあるテッドは、ショーンが物心付いた時から姉に恋心を抱いている事を良く知っている。姉が彼を全く男として見ていない事も。
「クソッ。今に見てろよ!!」
そう言って酒を飲み干したショーンを見て、テッドは悲しそうに目を伏せた。
「……もう無理だよ」
「あ? ……なんだよ、無理って」
眉を寄せる親友に、テッドは溜息を吐いた。
「だって、シャナン様がアズルガートに嫁げば、姉さんのことだから、断られても付いて行くだろ。それこそ船底にしがみついてでも付いて行くよ……」
「……ターニャが、アズルガートに?」
考えていなかった現実を突きつけられて、ショーンは頭が真っ白になった。
ケルトレア王国に5つしかない「聖騎士爵家」の一人娘であるターニャが、他国へ行く事は全く想像していなかったのだ。
ショーン以外に4人も娘のいるグレンファアー家とは違い、バカルディ家にはターニャとテッドの二人姉弟だけなので、子を残す前に嫡男のテッドに何かあればターニャの子が家を継ぐ。
聖騎士爵家にとっては、家の存続は一番の大きな使命であると言っても過言ではないし、ケルトレア王に仕える事が当然の事なので、子供を他国へやるなど常識的にはありえない。
まして、二人しかいない子供のうちの一人を他国へやるなど論外だ。
しかし、ターニャはシャナンを心から慕い、シャナンを守る事こそが王に仕える事であり自分の使命なのだと認識している。テッドに言われてみると、ショーンはターニャがシャナンに付いてアズルガートへ行かないわけがないじゃないか、と思った。
ナサニエルにではなく、他国に愛するターニャが奪われるなんて、まさか考えてもいなかった。
「……誰かさんの甲斐性が無くって、姉さんがまだ一人身だからいけないんだよ。姉さんが唯一身を許しそうなナーサを、たらし込んで孕んでいる様子もないし……」
結婚していたら、他国に行く事は出来なかっただろうが、一人身ならば確実に王女に付いて他国に行ってしまうのだろう。そう思うと、テッドは心が沈んだ。
2歳違いのターニャとテッドは、昔からとても仲の良い姉弟だった。天然な姉の面倒を弟が見ていて、姉も弟を大変可愛がって頼りにしていて、剣の稽古も毎日のように一緒にしている。
ちなみに、テッドの姉に対する思慕は、テウタテス王子と違って全く持って健全なものである。
「あってたまるか! ナーサには他に想う相手が……」
「知ってるよ」
ナサニエルが誰を想っているのか、その相手の名を言うことは禁忌だ。
王女に恋心を抱いているなどという噂が広まったら、次期騎士長と呼び名の高いナサニエルの輝かしい将来に傷が付くのは避けられない。
「……マジ? テディも知ってたのか……」
驚いた顔をしたショーンに、テッドは今夜何回目かの大きな溜息を吐いた。
「っとに、なんで皆して不毛な恋をしているんだよ」
「ミズノト様に夢中のお前に言われたかねーよ!」
ショーンが食って掛かると、テッドはふふんっと得意気に笑った。
「僕のは恋じゃなくて崇拝だから良いんだよ。ミズノト様は僕の女神なんだ。足蹴にされたいとかいう純粋な願望はあるけど、どうこうしたい気なんか微塵も無いんだから」
「あったら、今ここでお前の頭と胴を切り離してるぜ」
少し真面目な顔をした親友に、テッドも同じ様に少し真面目な顔をして見せた。
「僕だって、ディアン陛下への忠義心は誰にも負けないつもりだよ。ミズノト様への僕の想いは、もっと神聖で崇高なものなんだからね! ……とにかく、もう姉さんのことは諦めるんだね。大体、20年間もずっと全く相手にされていないんだから、丁度良い機会だろ? ショーンもそろそろ結婚を真剣に考え始めなきゃいけない年なんだし、他の女に目を向けなよ」
子供の様な顔の親友の大人の発言に、苦虫を潰したような顔で黙って酒を注ぎ足し、ショーンはふと思いついたようにテッドを見た。
「……ケルトレアに婿に来て貰えばいーんじゃねーか」
「……何を言っているんだよ?」
テッドも自分のグラスに酒を注ぎながら、怪訝そうな顔でショーンを見た。
「だからさ! 第一王子じゃなくて、第二王子か第三王子とシャナン様がご結婚されて、アズルガートの王子にケルトレアに婿に来て貰えばいーじゃねーか! そうすりゃ、シャナン様とターニャがアズルガートに行く事もないだろ?」
「それはそうだけど……そんな事、僕達が口を出すことではないだろう? ディアン陛下とアズルガート王国との間のやり取りなんだから」
突拍子も無い事を言うショーンに、テッドは眉を寄せた。
「だってよー、もしさ、シャナン様が第一王子がどうしても嫌だとか、アズルガートに行くのはどうしても嫌だったらどーすんだよ? お前はそれでも無理やりシャナン様を嫁がせたいわけ?」
「……それは……」
シャナンの笑顔が目に浮かんだ。明るく元気で真っ直ぐな王女の悲しむ顔など見たくない。
聖騎士爵家の子として、テッドも物心付く頃からシャナンと親しくしている。特に姉がシャナン付きの護衛騎士になるべく育てられたものだから、シャナンとの接触も多かった。仕える主の娘としての王女という肩書きだけへの敬意ではなく、姉ほど盲目的にではないにしてもシャナン個人に対して敬愛を抱いている。
シャナンもテッドを弟のように可愛がっていて、テウタテスはテッドに対してもショーン同様に嫉妬している。
ナサニエルのシャナンに対する想いをテウタテスが気付いていないのは、ナサニエルの救いである。
「かわいそー、シャナン様」
ショーンの非難するような声に、テッドの心は揺れ動いた。
「……それは、僕だって……だけど、そんなこと僕達が口出すことではないだろ」
「表立って口出さなきゃいーんだよ。ディアン陛下だって、一人娘のシャナン様を手放したくないに決まっているだろ」
「……それは、そうだろうけど……ディアン陛下……」
敬愛する国王を想い苦悩の表情を見せるデッドに、ショーンは「これはもう一息だぞ」とにやりと笑った。
「きっと、ミズノト様だって、とても寂しい想いをされていて、胸を痛めておいでだろうなぁ……」
とどめの言葉に、テッドははっと顔を上げた。
「……ミズノト様、お労しやっ!!!」
テッドは、幼い頃からミズノト王后に心酔しているのだった。
「だろ? だろ? だから、俺達がさ、こう、皆が幸せになれるように手伝うべきだろ?」
「ミズノト様がお幸せになられる為ならば、僕は何だってするよっ!! ああ、今日もミズノト様は麗しいお姿だった!!!! ああ……なんて美しく気高い方なんだろう!! 足元にひれ伏している所に『おぬしはわらわの下僕じゃ』とか言われたいっ!!! ああ、寧ろ、足蹴にされたり、あの扇で頬をばしっと叩かれたい!! くそう、ナーサのヤツ羨まし過ぎる!!! きっとそんな良い目に毎日合っているに違いない!! はっ!! 僕は残ってナーサがアズルガートに行けば、僕がミズノト様のお側で足蹴にしていただけるんじゃ……!?」
妄想全開のテッドに、ショーンは顔を引き攣らせる。
「いや、お前が残っても、護衛担当はお前じゃなくてキリアンだろ。……つーか、そんな目に合いたくねーよ、フツー。いや、ナーサがそんな目に合うところを想像すると、腹がよじれて死にそうなほど笑えるけどな。お前の場合笑えねーよ。アブナイ世界にしか見えねーから。……まぁ、妄想はどうでもいーや。じゃ、ミズノト様の為にも協力しよーぜ?」
ミズノトのことで頭がいっぱいのテッドは、力強く頷いた。
「解かったよ! 我が女神ミズノト様の為だっ!! ……でもどうやって?」
「まぁ、あれだな……うーん、どーやってかね?」
ショーンは何も考えていなかったらしい、と悟ってテッドは呆れた顔をした。
「……とりあえず、第一王子ではなく、第二王子か第三王子とシャナン様がご結婚なされば良いんだろう?」
「ああ。ま、早い話がそうだな」
「ナーサなら色々思い付くんだろうけど、やっぱり、ナーサは巻き込まない方が良いよね。……可哀想だもんね」
しゅんっと下を向いたテッドに、ショーンも沈んだ顔をした。
「……まぁ、好きな女の結婚相手を取り替える裏工作なんか、普通やりたかねーよな。……いつかはこんな日が来るって覚悟は出来てただろうけど、きっとすげーつれーだろうな。つーか、アズルガートに連れて行くの酷だよな……。俺、ナーサも連れて行きたいなんて、考え無しに言わなきゃ良かったな……」
「いや、ナーサがいるといないとじゃ、全く違うからね。アズルガートがどんな状況か分からないから、ナーサを連れて行くに越したことは無いよ。ショーンが言わなくても、ディアン陛下がそうなさったよ、きっと」
テッドがショーンを励ますように少し笑って見せると、ショーンも眉を下げて笑みを作った。
「そーかな? ……そーだよな」
「うん。……それにさ、残酷かもしれないけど、アズルガートに行けば気持ちに区切りが付くんじゃないかな……。嫁ぐ相手も国も自分の目で見たらさ、現実として受け止めるしかないじゃない?」
小さく溜息を吐きながらテッドは悲しそうに目を伏せた。
「……あのナーサが落ち込んでるとこなんか想像出来ないけど、相当落ち込んでるんだろうな……」
ショーンにとっては本来なら恋敵かもしれないナサニエルだが、親友としての友情の方が強い。自分の事のように切なくなった。
そんなショーンの顔を見て、テッドは複雑な思いでぐいっと酒を呷りグラスを空ける。
自分達の恋の行方に心を痛めてくれているらしい親友の空いたグラスに酒を注いでやりながら、ショーンは呟いた。
「そっとしておくべきか、娼館に連れて行くべきか……」
真面目な顔で言う親友のグラスに酒を注ぎ返しながら、テッドはもう今夜何回目か分からない溜息を吐いた。
「……頼むから、そっとしておいてやってよ」