第四話 「騎士の国の不審な返答」
「視察、ですか。あれほど細かく条約の提案をしたのに、それに対しての返答は一切が視察後に持ち越しで?」
お茶に呼ばれて来た兄王子の執務室で、他国にも知れ渡る程の美貌を持つアズルガート王国第二王子デリングは怪訝そうな顔をして兄に問うた。
飲んでいた茶を座卓に置いて、ダグは頷く。
「うん。流石に24歳まで結婚をしていないだけあるね。慎重だ」
ふふふ、と、なにやら楽しそうに笑っている兄に、デリングは納得のいかない顔をして思案する。
「……視察って、ケルトレアからアズルガートに視察団が派遣されて来るのですか!? け、ケルトレア国王もですか!?」
ヴィーダルは驚きと興奮で顔を赤く染めている。
末王子が騎士物語のマニアで「ケルトレア王国の騎士伝説物語の本に、建国の聖王の末裔であるケルトレア国王にサインを貰えるかも」などと考えている事をアズルガート国民が知ったら、確実に「青き軍神」の異名は取り上げられそうである。
「いや、流石に王と王后はいらっしゃらないよ。でも、王女本人がいらっしゃる。結婚を決める前に、アズルガートを見てみたいとの事だよ」
「……王はいらっしゃらないのですか……」
あからさまに肩を落とす末弟の口に、慰めのカークを突っ込んでダグは笑った。
三兄弟は、今日も長男の執務室で仲良くお茶会を開催中である。
本日のおやつはチーズクリームの乗ったカークと胡桃とレーズンのカーク。サクサクした香ばしい焼き菓子は、長男の大のお気に入りだ。
もぐもぐと口を動かしてカークを飲み込み、茶を一口飲んだ後、ヴィーダルは頷いた。
「良く考えたら、姫が輿入れ前にアズルガートを見てみたいっていうのは当たり前ですよね。嫁ぐ国に足を踏み入れたことも無かったら、姫も不安でしょうからね」
「王族の婚姻など通常そういうものですよ、ヴィーダル」
茶を飲みながらデリングが苛立ったように言うと、ヴィーダルはムッとした顔で自分の横に座っている次兄を見た。
「そんなの可哀想ではないですか! ここは一つ、不安になっていらっしゃる姫にアズルガートとダグ兄の良さを知っていただいて、安心させて差し上げましょうよ」
長兄に同意を求める末弟を横目に、デリングも意見を仰ぐように、黙って兄を見た。
「じゃあ、ヴィーダルは、あちらの要望を飲む事に賛成なんだね?」
のほほんとした笑顔で長男が聞くと、ヴィーダルは嬉しそうに頷いた。
「はい。勿論です! アズルガートとダグ兄の良さを知れば、姫も安心して嫁いでいらっしゃいますよ!」
「私は反対です」
手にしていた茶器を静かに置いて、デリングがきっぱりと言った。
「なんでですか、デリング兄!? 不安になっている可憐な姫を気遣う心がないんですか!?」
食って掛かる弟に、デリングは諭すように言う。
「ヴィーダル、先程も言いましたが、相手の顔も知らずに足を踏み入れたことの無い土地に嫁ぐなど、王族ならば当然の事です。王女もそれくらい心得ているはずです。私には、何か裏があるようにしか思えません」
デリングの言葉に、カークを頬張りながらダグは笑った。
「もしくは、王女が駄々を捏ねているとかね。24歳にもなって。政略結婚は嫌だとか、好きな男がいるとか。実は隠し子がいたりして」
「そんな! 清楚可憐なシャナン姫は、そんなふしだらな女ではありません!」
何を根拠にか、ヴィーダルは身を乗り出してケルトレアの王女を擁護する。
「あはは。王女を良く知っているみたいな言い方だね。清楚可憐、かぁ。どうかなぁ? 24歳だしねぇ」
ダグはのほほんと笑い、ヴィーダルは恥ずかしそうに少し頬を染めた。
「想像でしかありませんけど、騎士に守られている姫ですよ! きっと清楚可憐に違いありません!」
目をきらきらさせた弟の言葉に、デリングは呆れたように首を横に振った。
「……ヴィーダル、そろそろ女に幻想を描くのはやめなさい。そもそも、お前の好きなケルトレア王国の騎士物語の姫達だって、ふしだらな女ばかりですよ」
「何を言うんですか! そんなわけないじゃないですか!」
物語の中の理想の姫達を貶されて、ヴィーダルはデリングに食って掛かかり、デリングはうんざりと溜息を吐いた。
「物語では、騎士が助け出した姫と結ばれるのでしょう? 姫は国の為に他国に嫁ぐべきだというのに。姫が騎士の功労に対する褒賞だとしても、国の利益を考えたら、騎士は辞退すべきでしょう? まぁ、それを国民が望んでいたのならば話は別ですが」
「そんな業務的な話ではなくて、美しい愛の物語なんです!! 二人は、心から愛し合って結ばれたんですよ!!」
夢を壊す次兄の発言に、ヴィーダルは思わず立ち上がった。
ダグは微笑ましそうに弟二人を眺め、デリングはヴィーダルを座らせて「私が言い過ぎましたよ」と謝った。 あからさまに、心は込められていない謝罪だったが。
「兎に角、私は反対です。ケルトレアの要求を呑む必要はありません。王女は有無を言わずに、素直に輿入れして来れば良いんですよ。ぐだぐだ言っていると、この縁談は無かったことにすると言えば、どうせ断りはしませんよ」
フンッとデリングが鼻で笑うと、ダグはにこやかな顔のまま少し首を傾げた。
「うん、でも、24歳になるまで断り続けた王女だからね」
「……兄上、先ほどから24歳24歳と、拘りますね? もっと若い女が宜しかったですか?」
眉を少し寄せたデリングの思ってもみなかった言葉に、ダグは目を丸くする。
「え? ううん。あんまり年が離れていない方が良いから、丁度良いんだけど……ただ、その歳まで縁談を断り続けた理由があるんだろうなぁと思って。無かったら寧ろ、ちょっと、どういう感情を持って良いのか解からないなぁと思って。……ああでも、それはそれで良いような、いや、やっぱり悪いような」
珍しく困った顔で言葉を濁らすダグに、弟二人は顔を見合わせた。
「??? ……デリング兄、解説お願いします」
「……私にも理解不可能な事はあるんですよ。自分で考えなさい」
「とりあえず、まぁ、断れなくしてしまえば良いね」
気を取り直した様に、のほほんと笑いながらカークを食べる長兄の台詞に、ヴィーダルは青ざめて体を乗り出した。
「そんな!! ダグ兄! いけません! 姫が視察で滞在中に既成事実を作ってしまえだなんて!! そんな!! ああ、でも羨ましい!!」
「あはは。違うよ。……でも、まぁ、それも悪くないかなぁ。私が王女に欲情して我慢出来なかったら、それもありかな?」
ちょっと真剣に想像する様に視線を上の方に向けるダグを、ヴィーダルは顔を赤くして見つめ、デリングは眉を寄せた。
「兄上、それこそ、あちらの思う壺になりかねません。王女を傷ものにしたと誹られ、向こうの都合の良い条約を結ばす手順やも知れません」
「うん、そうだね。我慢するよ」
素直に頷く兄に、デリングは「まったく、兄上はご冗談ばっかり」と溜息を吐いた後、「冗談だったのか!」とショックを受けている弟を見やった。末弟は自分が勘違いをして振った話題だとは気が付いていない。
「ヴィーダル、お前も気を付けなさい。誘惑されても誘いに乗るんじゃありませんよ」
「姫はそんな女ではありません!!」
「女なんて、誰でも娼婦になりかねないのですよ」
フンッ、と女性不信気味、というか人間不信気味の次男が言うと、末っ子は子供じみた啖呵を切った。
「デリング兄の根暗!!」
「な、誰が根暗ですか! ヴィーダルが子供なんですよ! 女の怖さも知らないのですから! 私は常日頃から、お前が悪い女に騙されないか心配で……!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。デリングは、妄想癖のある信者やら、想い人がデリングに魅了された逆恨みを持った輩やらに、大変な目に合って来たからね。デリングを煩わせる者は、老若男女漏れなく私が始末したけどね」
長男が平和そうな笑みを湛えて言った。
「え!? 笑顔でそんな衝撃の事実を!」
ヴィーダルのツッコミを軽く微笑みで流して、ダグは長椅子に座り直した。
ゆっくりと細められた目に、王者の光が燈った。
「我らが自慢の海軍を見せつけて断れないようにするよ。……海神に守られし我が国の力を、目の当たりにするが良い」
目を見開く弟二人を笑って見た後に、ダグは末弟を見据えた。
「ヴィーダル、行ってくれるね?」
「……え!? 俺が……ケルトレアに、ですか?」
驚いて状況を把握できない弟に、ダグは頷く。
「うん。憧れの国だろう? 折角の機会だ。急いで帰って来なくて良いから、じっくり見ておいで」
「は、はい!! ありがとうございます!!」
ヴィーダルは頬を染めて目を輝かせながら、ダグの言葉に頷いた。
「私の自慢の弟の雄姿と我等の海軍を見て、ケルトレア王も素直に王女を差し出す気になるだろうね。ケルトレアの王子は君と同じ様に『銀の軍神』と詠われる勇猛な騎士だから、将来の為にも友好を深めておいで」
「はい! ダグ兄!」
「デリング」
「はい、兄上」
ダグはデリングの方を向くと、神妙な顔で自分を見つめる美貌の弟に微笑んだ。
「君の考慮は十分に理解しているよ。視察の意図が何であれ、あちらの思うようにはさせないから任せておくれ」
「……解かりました」
「君には、ヴィーダルが王女を迎えに行っている間に色々準備を手伝ってもらうからね」
デリングが納得した顔で頷くと、ダグは満足そうな顔をして頷き返して言った。
「どう出てこようが、シャナン王女はアズルガートで貰い受けるよ」