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第二話 「騎士の国の可憐な王女様」



「は!? 冗談でしょ!?」


 ケルトレア王国第一王女のシャナン・ケルダーナは、腰まで螺旋を描く見事な金髪を振り乱さん勢いで、可憐な王女からかけ離れた叫び声を上げた。

 美しい姫君ではあるが、母親譲りで小柄な体(胸と尻は立派だが)と父親譲りの温かみのある雰囲気の顔立ちを持つ所為か、美人というよりも可愛らしいと称されている。だが今は、陶器の様に白く滑らかな肌は朱に染まり、鮮やかな青緑色の瞳は怒りに燃え、可愛らしいどころか鬼のようと称されそうな様子である。


 両親の私室に呼ばれて食後の団欒をしていたシャナンは、突然の父の発言に衝撃を受けて、思わず豪勢な長椅子から立ち上がり、驚きと怒りに体を振るわせた。

 淡い水色で柔らかな色合いの上品なドレスも、彼女の感情を抑える効果は全く無さそうだ。

 手にしていたグラスを母に取り上げられたのは、これを聞かされる為だったのか、と合点がいった。その葡萄酒の入ったグラスを手にしたままだったら、思わず父の顔にぶちまけていたかもしれない。母を睨むと、彼女はそ知らぬ顔で娘から取り上げた葡萄酒を、悠々と楽しんでいる。



「……他国に嫁ぐのは嫌だって、生まれてこのかた24年間申し上げて来たと思うのですが」  

 ぎりっと歯を食いしばって、自分に良く似た兄のような容姿の父を睨んだ。  

 この世界の人間は25歳から35歳頃で一度老化が止まり、3、40年程はそのままを維持した後、80歳から100歳頃に亡くなる。

 特に魔力の強い者は70歳を越えても老化が始まらないので、見た目だけでは年齢が全くわからない。

 その為、良く似た顔立ちのシャナンと彼女の父ディアン・ケルダーナも、親子ではなく兄妹のように見えるのだ。


 娘と同じ髪と瞳の色を持つ長身に穏やかな顔の王は、「ああ、そうだな」と少し困った顔で相槌を打ち、手にしていたグラスから葡萄酒を一口飲んだ。   

「だが、お前には王位継承権が無い」

「そんなこと、解かっています」


 騎士が建国したケルトレア王国には、400年程の歴史の中で一度も女王が存在していない。

 王は騎士の頂点であり、軍を率いて国を守る勇猛な男であるべきとの考えなのだ。忠誠心の塊の様な騎士達が支える国であることからも、400年の間、国を治めてきたのはとぎれ同一のケルダーナ王家である。

 シャナンの兄弟は弟が一人だけなので、必然的に彼が次期国王となる事が決まっていた。


 王位を狙って彼を排そうとする輩が国内にいるとしたら、王家の血の入った親族位や、彼らを担ぎ出す貴族、野心のある臣下というのが常だろう。王が愚王ならば、民の為に反旗を翻す者もいるかもしれない。

 しかし、賢王として名高いディアン・ケルダーナ王の治世のケルトレア王国は、王位継承権を持つ親戚の誰もが全く王位に興味が無く、臣下も王を慕い、内政的にはとても平和である。


「王位継承権の無い王族の第一の任務は、国の利益になる為の婚姻だ」

「……そんなこと、解かっています」  

 もちろん、シャナンとて王族。政略結婚は当然のことだと心得ている。

 恋に憧れないわけではないし、24歳にもなれば、恋の一つや二つや三つや四つ……。シャナンは、惚れっぽい王女だった。それでも、政略結婚自体に異議は無い。

 政略結婚をしても、自分の両親のように相手を愛せるかもしれないし、愛せなかったら愛せなかったで、子供を産んだ後は愛人を囲えば良い、と開き直っている。シャナンは、我慢をして耐えるなどという考えは、全く持ち合わせていない前向きな王女だった。


「お前はこの国でたった一人の王女だというのに24歳になっても一人身で、このままでは嫁き遅れかねない」

「そんなこと、解かって……むぅ」

 からかうように言う父にシャナンが言葉を詰まらせると、母も面白そうに口を開いた。

「どんなに年増になろうとて、ケルトレアの王女という肩書きさえあれば、嫁き遅れることはないじゃろうが、良き婚姻は無理であろうの。10歳も年下の夫に初夜から放っておかれ、数多の若い妾を作られ、子を授かることものうて……あな、情けなし! 手塩に掛けた可愛い我が娘が……」

「お母様!! 妄想も大概にして下さい!!」


 よよよ、とわざとらしく扇で顔を隠して泣き崩れ、夫にすがりつく煌く銀髪の美貌の母を、シャナンは睨み付けた。母は扇からちらりと美しく神秘的な紫色の瞳を覗かせ、「怒りっぽい娘じゃのう」と言って笑った。

 「他国に嫁ぎたくない」と幼い頃からどんなに訴えても、他国から嫁いで来た母は「なんじゃ、そなたは腰抜けか」と笑って相手にしてはくれなかった。知らない人だらけの知らない場所で、違う文化に囲まれて一生を過さなければならない辛さを、遠い国から嫁いで来た母が一番理解しているはずなのに。



「まぁ、そういうわけだから、ケルトレア王女として喜んでアズルガート王国に嫁に行くと良い。これを断れば、こんな良縁はもう来ないかもしれないぞ?」

「……そりゃ、アズルガートの海軍力は、喉から手が出るほど欲しいものでしょうよ」

 半ばヤケになって、シャナンはフンッと鼻を鳴らして笑った。  

「当然じゃ。群を抜いて秀でておる彼奴らの造船技術も、盗みとうて涎が出るわ」

 王后はふふふふと妖艶に笑い、王は愛妻の肩を優しく抱いて言った。

「今アズルガート王国と手を組むのが良策なのは無論の事、この縁談は可愛い娘の結婚相手としても申し分の無い相手だからな」


「……私が向こうに行かなきゃ行けないんだから、第一王位継承者なんでしょうね?」

 シャナン自身に王位継承権が無くとも、シャナンが男子を産めば、シャナンの弟に次ぐケルトレア王国王位継承権保持者となる。シャナンは、もちろん弟が王位を継ぐ事を願っているが、この事を利用して、他国の王位を継がない王子を婿に貰い受けて祖国で一生暮らしたいと願っていたのだ。

 

 24歳というのは18歳で成人するケルトレア王国でもまだ十分に結婚適齢期だが、王侯貴族としては少々遅い事をシャナンも良く心得ている。

 王族の数が大変少ないケルトレア王国の唯一の王女として、シャナンにはこれまでに沢山縁談話はあったはずだが、父や宰相が政治的に慎重に厳選していたので今まで独り身だったのだろうと思っていた。

 自分の長年の希望を聞いてくれて、他国に嫁がなくて済む相手を選んでくれているので中々縁談が決まらないのだと思っていたのだ。今まで探りを入れてもはぐらかされていたが、シャナンに甘い彼らならきっと希望どおりにしてくれるだろうと思っていた。

 それが急に他国へ嫁げと言われるなど、まさに寝耳に水。裏切られたようで、まだ信じられない。

 

「ああ、第一子で次期王位継承者のダグ王子だ。お前が成人した時に山程来た縁談の中に、ダグ王子の物もあったぞ。あの頃は南の情勢が緊迫していたから、アズルガートにお前をやる事は出来なかったがな」

「ふーん。……6年も前の縁談がまた持ち上がったわけ。あっちも6年間結婚しなかったんだ。いくつなの?」

 からかってくる両親にこれ以上余計な動揺を見せるのも悔しいので、ドクドクと音を立てる胸を手で押さえて平常を装う。

「28歳だ。どうだ、ちょうど良いだろう? 老人の元に嫁ぐわけでもないし、初婚で庶子もなければ後宮もないぞ。良縁だろう?」

 宥めるように言う父に、シャナンは歯を食いしばっていつもどおりの顔を作って頷く。

「それは、まぁ、とても良い条件よね」



 この6年を振り返って、シャナンは少し感慨深くなる。縁談の資料は残っているはずだから、探してみようかと思った。

 今回は、「成人したのならウチの息子も考えてみてね?」というような紹介の縁談ではなく、二国間だけの具体的な話なので、縁談用の売り込み冊子は届いていないのだが、結婚するかもしれない相手の顔くらいは知りたいと思う。「まぁ、身売りされるなら、年の近い男の元に売られていく方が良いわね」と思ってシャナンは頷き、ふと思い当たった。


「……え? もしかして、アズルガートの王子って、例の『傾国の美姫』?」

 アズルガートの王子が、世にも美しい王子だという話は有名だ。

 シャナンは、そんなに美しい人から縁談が来て姿絵を見たら、6年前だろうとも覚えているのではないか、と訝しがる。アズルガートの王子と縁談があった事さえ覚えていないのだ。


「いや、傾国の美姫も裸足で逃げる美男子という噂の王子は、第二王子だ。『青き軍神』と呼ばれて恐れられるのは第三王子。『銀の軍神』と渾名の付いたお前の弟とはライバルだな」

「……第一王子じゃなくて、そのどっちかをケルトレアに貰えないの?」

「その案は断られた。第一王子でなければ、縁談はなかった事に、とな」

 シャナンは父の言葉に悔しく思いつつも、やはり父は自分の希望を蔑ろにせずに案を持ちかけてくれていた事を知って少し救われた思いがした。

「何よそれ。優秀な駒を手放す気は無いってことね? 第一王子自身は、どんな男なわけ?」

「さぁ? 噂は聞かないな」

「……第一王位継承者、なのよね?」

「ああ」


 不安になって眉を寄せるシャナンを、母が笑った。

「能ある鷹は爪を隠すものじゃ」

 母の言葉に、シャナンはフンッと鼻を鳴らした。

「弟達に比べて、ブサイクか無能なだけじゃないの?」

「それでも良いではないかえ。アズルガートには三人も王子がおるのじゃ。弟王子達は見目麗しと音に聞くのじゃから、第一王子に飽くれば、そちらと仲良うすれば良かろう? ぎゃくはーれむじゃのう。乙女の夢じゃのう。羨ましいのう」


「ミズノト……!! 私一人ではあなたを満足させていないのか……?」

 妖艶な美貌の妻の発言に、王は青ざめて目を潤ませ、ひしっと妻の手を取る。

「そのようなことは申しておらぬぞえ、ディアン。わらわはそなた一人で十分満足じゃ。そなたは、三人の男を相手にするよりも、相手にしがいがあるからのう。逞しゅうて、わらわは身が持たぬのじゃ」

 優しくゆっくりと頬を撫でられて、この国出身の者にはない神秘的な紫の瞳にうっとりと見つめられると、王は条件反射的にガバッと妻を押し倒した。


「ちょっと! 嫁入り前の娘の前で何をやってんのよ!!」

 シャナンがいちゃつく両親を睨んで立ち上がると、王后がにやりと笑って視線を寄こした。

「気を利かせて遠慮せぬと、馬に蹴られるぞえ?」

「馬?」

 夢中であちこちに口付けを落としていた夫に上気した顔で尋ねられ、王后は愛しそうに夫の頬を撫でた。

「そなたのことじゃ、ディアン。そなたは、まるで暴れ馬のようじゃ。わらわは乗りこなせるか自信が無いのう」


 ますます激しくいちゃつく両親を尻目に、シャナンは大きく音を立てて扉を閉めて、両親の私室を後にした。 二重の扉の外にいた警備の騎士二人がその音に驚き、護衛も連れていない王女を見ると、一人が「お部屋までお送り致します」と申し出たが、シャナンはプリプリ怒った顔のまま、丁重に断った。


「何が、恋路を邪魔すると、よ! 自分達だけ幸せで盛り上がっちゃって!! フンッ!! ……っていうか、確実に乗りこなしてるわよ!! お母様はお父様の手綱をしっかり握ってるもの!」




 シャナンは苛立ちと焦燥感と怒りとを混ぜこぜに抱えて、王家に関わる書類等を管理している部屋の扉の前に立った。

 美しい浮き彫りの施された赤褐色の堅木扉には魔法が掛けられており、特定の人物しか入室出来ない様になっている。扉の中央に埋め込まれた青緑色の魔石に手を当てて魔気を送ると、彼女である事を認識した扉は、音を立てずに真ん中から左右に割れて開いた。


「6年前、6年前……あ! これね! うわ~凄い」

 所々、金や宝石で飾り付けられたいくつもの豪勢な冊子の背表紙がずらりと並ぶ棚を見つけ、その豪華さにシャナンは思わず感嘆の声を上げた。近辺の国々だけではなく、随分と遠い国々の名前も見受けられる。

「懐かしいなぁ。本当に山程来たのよね。私ってば、モッテモテ! ええと……アズルガート、アズルガート、と……」


 金で書かれた目当ての名を見つけると、青玉が嵌め込まれたその背表紙をそっと撫で、棚から引き抜いた。

 青く染められた革表紙と、弧を描くような金の縁取りが美しく、しっとりと冷たく手に馴染む。保存の魔法がかけられているのだろう。6年の月日が経っている様には見えない。

 誰もいない書庫に自分の心臓の音が鳴り響き、緊張に手に汗が滲むのを感じて、シャナンは冊子を開かずに胸に抱えて書庫を出た。



 自室に戻ると、いつもどおり侍女が湯浴みの用意をして待っていた。

 冊子を寝台の脇卓に置き、高潮した頬と高鳴る胸の鼓動を気付かれないように侍女を皆部屋から下がらせ、服を脱ぐ。

 シャナンは、特別な時以外は侍女に手伝わせずにのんびり一人で湯を浴びる。生花がたっぷりと浮かび花の香りに満ちた湯の中で、シャナンは溜息を付いた。温かい湯船に浸かっているというのに、体が震える。


(どうしよう。どうしよう。どうしよう。……ケルトレアから追い出されちゃう!)


 本当は、いつかこんな日が来ると、心のどこかで予感がしていた。

 国を離れて、一人で他国に嫁ぐ日が来ると。

 愛する祖国の為ならば、仕方が無いと理解している。これが自分に出来る最高の仕事で、自分にしか出来ない仕事なのだという事も。

 だけれど、男であったならば。女でも、せめて軍神と詠われる弟のような戦の才能があったならば。魔法に秀でていたならば……。そう思って、今更そんなことを思う自分を笑った。笑って緩んだ頬を、一筋、涙が伝った。


 身を守る位の剣技や体術や馬術の心得はある。けれど、戦で国の役に立つには程遠い。

 一般的な魔法は使える。魔術師部隊にも入れる程だが、部隊を率いる程ではない。青緑の瞳を持つケルトレア王家に伝わる魔法を使える能力も持っている。けれど、その珍しい属性の魔力を使いこなす程の魔法制御能力はない。

 他国との橋渡しの大役になるよりも国に残る方が有意義である程の、決定的な強い力や能力は持ち合わせていない。

 ならば、国の為に出来る一番のことは政略結婚だ。シャナンは、自分の価値を良く理解する程の聡明さと、それでも自分らしく生きたいという自我を持っていた。

 ただの我侭だと、彼女は自分を笑ってみた。 

 無理やりに自分を奮い立たせて、ザバッと音を立てて湯船から上がると、シャナンは大声で叫んだ。



「騎士が姫を救うなんて、嘘っぱちもいいところだわ!!」

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