第二十四話 「鳥使いの焼き菓子と不安定な椅子(下)」
ケルトレアの面々は、シャナン王女と王女の護衛騎士ターニャを残して(若干一名、シスコン王子は言い包められて無理矢理にであったが)ダグ王子の部屋から退室した。
「ナサニエル君、ナサニエル君」
自室の前まで帰ってくると、つんつん、と後ろから袖を引っ張られて振り返る。
袖を握って自分を見上げている頭一つ分小さな魔術師に、ナサニエルは首を傾げる。
「どうしましたか、リヴァーちゃん?」
「密談。室内」
鮮やかな緑の猫目で深刻そうに眉を寄せた顔が妙に可愛らしい幼馴染に、ナサニエルは何事かと思いつつ彼女の為に部屋の扉を開けた。
子供の頃の呼び方である「リヴァーちゃん」という呼び方を未だに幼馴染達に希望しているリヴァーを、ナサニエルも例に漏れず「リヴァーちゃん」と呼んでいる。
幼い頃ならばまだしも成人した女性を「ちゃん」付けで呼ぶ事に抵抗があるので、公式な場では「リヴァー殿」と呼ぶのだが、普段は「リヴァーちゃん」と呼ばないと彼女のご機嫌を損ねてしまうので仕方がない。
扉が閉まると、まだ袖を掴んだままのリヴァーはナサニエルを見上げて言った。
「えっち、駄目。断固、阻止」
唐突な言葉に、ナサニエルの微笑は凍りつく。
先程のランスロットの発言の事を言っているのだと理解し、微笑を引き攣らせながらも優しく諭すように言った。
「ダグ王子はランスロットの言葉を鵜呑みにされるような方ではないでしょうから、大丈夫ですよ。ターニャ殿も付いていますし」
ナサニエルの言葉にリヴァーは不満そうな顔をして、握っていた彼の袖を放した。
「ナサニエル君、利用不可能。リヴァー、単独阻止」
くるり、と背を向けて部屋を出ようとするリヴァーの腕を、ナサニエルは咄嗟に掴んだ。
「リヴァーちゃん! ……シャナン様とダグ王子の縁談は決定事項なのですから、お二人が仲良くされる事は我が国にとって喜ばしい事なのですよ?」
少し困った顔をするナサニエルに、リヴァーは眉を寄せた。
「シャナン様、可哀想、リヴァー、嫌」
「待って下さい、リヴァーちゃん……」
振り解こうとするリヴァーに、ナサニエルは手に力を込める。
自分の腕を握るナサニエルを暫くじっと見つめていたリヴァーは、ナサニエルの手を握ると、彼を自分と一緒に連れて行こうと扉に手をかける。
「ターニャちゃんとナサニエル君、シャナン様とダグ王子。ショーン君不在、最終決戦」
「……意味が良くわからないのですが」
独り言のようにリヴァーが呟いた台詞に、ナサニエルは首を捻る。
「ナサニエル君、不完全熱焼。リヴァー、悲しい」
悲しそうな顔をして肩を落したリヴァーの猫のような印象の大きな緑の瞳が潤んでいるのを見て、ナサニエルは抵抗を止めた。
基本的には誰にでも優しいナサニエルだが、リヴァーには特に甘い。
その理由の半分は、彼女を熱愛している彼女の父親達や彼女の兄や兄嫁達が、揃いも揃って恐ろしい魔力と権力の保持者且つ変人なことによる条件反射である。
リヴァーを泣かせたら、命が危ない。いや、死以上に恐ろしい、想像することさえ身の毛のよだつ災害が身に降りかかるに違いない。
理由の後半分は、リヴァーが喋る事が苦手なので、昔から色々世話を焼いてきて妹のように可愛がっているからだ。
ナサニエルの妹がリヴァーととても仲が良いので家に遊びに来る事も多く、幼馴染の中でも特に兄のように慕われ懐かれているという自覚もある。
「……良くわかりませんがお供します。リヴァーちゃんを悲しませるわけにはいきませんからね」
少々困った顔で微笑みかけるナサニエルに、顔を上げたリヴァーは嬉しそうに笑った。
「ナサニエル君、大好き。リヴァー、ナサニエル君、応援」
「応援? 良くわかりませんが、ありがとうございます。私もリヴァーちゃんのことが大好きですよ」
「リヴァー、嬉しい……」
えへへ、と少し頬を染めて笑い、リヴァーは握ったままのナサニエルの手を嬉しそうに振りながらダグの部屋へナサニエルを引っ張って行った。
「あー、じゃー、俺とリズィが屋根と窓を担当するから、ターニャさんは扉を頼むよ。我が君、お邪魔虫は席を外しますんで、シャナン王女と宜しく楽しく仲良くして下さい。んじゃあ、御前失礼」
ケルトレアの面々がダグの部屋から出ると直ぐに、ダグの護衛を務める鳥使いのラズがそう言った。
「あっ! 待て、ラズ!! お前は又勝手に!!」
リズィが双子の兄の背に慌てて呼びかけたが、鳥使いの片割れは、ひらり、と窓から姿を消した。残された鳥使いは、溜息を付いて困ったように主を見る。
「……我が君、お茶をお入れ致しますか?」
「いや、自分でやりたいな」
「畏まりました」
にこにことご機嫌そうな笑みを浮かべている主に頷いてから、リズィはシャナンに頭を下げた。
「シャナン王女、ラズの無礼をお許しください。それでは、ターニャ殿、扉前の警備はお任せします。我が君、御前失礼」
「え!? あ、ちょっ、ちょっと!」
姿を消したリズィに「そんなぁ! 何考えているか分からないダグ王子を置いてかないでよ~!!」と心の中で叫びつつ、焦ったシャナンは助けを求めるようにターニャを見る。主の目配せの意図を理解したように深く頷いた後、ターニャはシャナンに真面目な顔で言った。
「シャナン様、扉の警備は私にお任せ下さい! 何人たりとて、お二人の密談の邪魔はさせません!! では、失礼致します」
密談って何よ!? ……っていうか、全く以って勘違いだし!! 再び心の中で叫ぶシャナンと、楽しそうに微笑むダグに礼を取ると、ターニャはさっさと扉の外に消えてしまった。
ダグ王子と二人きりで残されたシャナンは、不本意に陥った状況に困惑しながらも、とりあえず、いつもの可憐ぶりっ子でダグ王子に微笑んでみた。全く動じていない余裕な様子のダグ王子は、のほほん笑顔で微笑み返すと言った。
「やっと、二人きりですね?」
「そ、そうですわね」
(「やっと」って何よ!? 「やっと」って! ああ、どうしよう……さっき可憐ぶりっ子の下の本性をちょこっと見られちゃったし! ……でも、あれは動揺して少しおかしかっただけだって思ってくれているかも! ずっと可憐ぶりっ子を見せてきたわけだし……)
「とりあえず、お茶を入れましょうか」
楽しそうにそう言って立ち上がると、ダグ王子は長椅子の後ろにあるカウンターの向こう側に回った。水音の後に小さな火の魔法が唱えられたのを聞いて、シャナンは反射的に立ち上がった。
「ダグ王子、一体何を……」
シャナンもカウンターの後ろに回ると、予想外にもそこは小さな調理場になっていた。シャナンは、目を瞬かせた。ここはダグ王子の自室の筈だが、何故、調理場などが存在するのだろうか?
「お茶を入れているだけですよ?」
水の入った小ぶりな鍋を火にかけながら、棚からビンをいくつも取り出していたダグは首を傾げた。
ダグがいくつものビンの中から3、4種類選んでその中身を鍋に入れ、くるり、と軽くかき混ぜると、シャナンは眉をひそめた。
「……変わったお茶ですわね。茶葉が見当たりませんけれど?」
「これが茶葉ですよ」
並んだビンの中で一つだけ大きいビンをシャナンに渡す。見慣れた茶葉とは全く違う、ころころした小さな茶色い粒状の物体を訝しげに見ながらシャナンがビン蓋を開けて香りを嗅ぐと、茶葉の良い香りがした。
「シャナン王女の部屋でお出ししているケルトレア産の茶葉と同じように発酵茶ですが、葉を非常に細かく砕いて粒状に丸めてあるのですよ」
ぽこぽこと煮立ってきた鍋からは、甘くて少しスパイシーな香りが立ち込めた。
「色々な香料と一緒に煮出して、練乳を入れて飲むのがアズルガート式です」
冷蔵庫から白色の液体の入ったビンを取り出して、鍋に注いで混ぜながら言うダグを、シャナンは感心そうに見る。
「今日は美味しい焼き菓子を引き立てる為に、あまり主張の強い香料は避けました。お気に召して頂けると良いのですが」
少し照れたように微笑んでシャナンの顔を見たダグに、シャナンはどきりとして慌てて頷いた。
「……とても、良い香りですわ」
嬉しそうに笑みながら、ダグはいつの間にか用意していた趣味の良い青白磁の茶器に、茶漉しを使いながら茶を注ぐ。今までの印象と違う印象を受けながら、シャナンはダグの優雅な手元を眺めた。
(なんて家庭的なの。次期国王の癖に、おかしいでしょ……)
長椅子に向き合って座っていた二人の間の座卓に、焼き菓子と茶が並んだ。
その美味しそうな見た目と香りに、シャナンの頬が思わず緩む。
「美味しそうですわ。よくご自分でお茶をお入れになりますの?」
「ええ。リズィや彼女の父の鳥使いの元締めリーヴの方が上手に入れてくれるのですが、自分で入れるのも楽しいので、よく自分でも入れています。彼らに入れ方を教わったので、飲めない程下手ではないはずですから、ご安心下さい」
シャナンの祖国ケルトレア王国で一般的に飲まれている茶とは、随分違った香りがして興味深い。
自分の為に用意された部屋で侍女が入れる茶は、ケルトレアで飲むものと変わりがなかったのを思い、シャナンは首を傾げる。
「わたくしの部屋で用意されるお茶とは違うようですが、本来はこちらのお茶がアズルガートで一般的に飲まれているものなのでしょうか?」
シャナンの問いに、ダグは少し嬉しそうに目を細めた。
その表情がいつもの微笑みと少し違って、何故かシャナンはどきりとした。先程から、何度もどきりとさせられていることに気が付きながら、シャナンは曖昧に微笑み返した。この王子は、どうも苦手だ。何を考えているのか良く解からないし、どれが本性なのか良く解からない。
「ええ。アズルガートでは、他にも各種の茶を飲みますが、ただ『茶』と言えば、この茶を指します。シャナン王女の部屋では、普段飲み慣れていらっしゃる物の方が落ち着かれるかと思いまして、ケルトレア産のものを出させています。こちらをお気に召しましたら、侍女に言って頂ければ用意できますので、いつでも申し付けて下さい」
「ありがとうございます。……美味しいですわ」
気遣いに礼をいい、ダグの入れた茶を一口飲むとシャナンは目を見開いた。いつも飲む茶とは全く違った独特の美味しさに、食べる事が大好きなシャナンは素直に嬉しくなった。
「……良かった」
心底ほっとした顔をした後、ダグは直ぐにいつもの微笑をシャナンに向けた。
「焼き菓子も、リーヴが作ったものなので、絶品ですよ」
「え!? 鳥使いの元締めがお菓子を作るの!? そういえば、お茶もリーヴが入れてくれた方が美味しいとか言ってたわよね。どういうこと!?」
思わず本性を出して言うシャナンに、ダグは目を細めた。
「……あ、いえ、驚きましたわ。器用な方ですのね?」
又、本性を出してしまった事に気付いて言い直すシャナンに、ダグが微笑みながら頷く。
「ええ。忙しい身の彼に菓子まで作らせて悪いとは思うのですが、彼の作った焼き菓子を一度食べたら、他の者が作った焼き菓子では中々満足できないのですよ。焼き菓子ではない食後の口直しは料理人が作っていまして、それで十分満足できるのですが、おやつの焼き菓子はどうしてもリーヴの作ったものが一番美味しいのです」
「鳥使い」というのは、ケルトレアでいうところの近衛騎士だろうとシャナンは認識している。その元締めのリーヴは王と王后の専属だというのだから、ナサニエルの立場だろうか。
一度、王と王后に目通りした時に、シャナンはリーヴに会っている。あの精悍な面持ちの怖そうな男が、こんなに美味しそうな焼き菓子を作るというのが信じられない。
一体どんな顔をして作っているのか見てみたいわ、と思いながらシャナンは黄金色に焼き上がった、丸いカークを一つ摘んで口に入れた。
さくり、と一噛みして口に広がったチーズの旨みに絡まる絶妙な甘さと舌触りに衝撃が走った。
「な、な、な、何これ!? 凄く美味しいわ!! サクッとしていて、口の中でじゅわーっと消えてなくなって……程よい甘さで、絶妙な味!! 美味しい!! 美味し過ぎるわ!!」
カークを飲み込むが否や、思わず声を上げたシャナンに、ダグは誇らしそうに頷いた。
「そうでしょう! ……ああ、嬉しいな。ずっと、シャナン王女にリーヴの作った焼き菓子を食べて貰いたかったのです」
「え!? ……そ、そうでしたか。ありがとうございます。本当に美味しいですわ」
うふふ、と可憐に微笑みつつも、シャナンの目は爛々と輝き次なる獲物を捕らえている。
チョコレートと胡桃のカーィエを食べると、シャナンは、ああっ、と聞き様によっては艶かしくさえある溜息を吐いた。
「これも、美味しい……物凄~く美味しいわ!! もう、一体どうなっているのってくらい美味しいわ!! ……いえ、その、大変おいしゅうございますわ。リーヴ殿は、素晴らしい腕前ですのね?」
うふ、と可愛らしく微笑むシャナンに、ダグは苦しそうに眉を寄せた。
「すみません……ちょっと、もう、耐えられないかも……」
ぷるぷると震える手を顔に当てて下を向いた後、ダグはくつくつと笑いながら肩を震わせて顔を上げた。
「何で、いちいち言い直すのかなぁ、君は。もう、可笑しくって! バレバレなのに、いつまで猫被りしてるの?」
あははは! と本当に可笑しそうに笑うダグを、シャナンは赤面しつつ睨んだ。
「ちょっと! 自分だって仮面を被っているくせに、人の猫被りを笑う資格ないわよ!」
「あはは。それもそうだね」
怒った顔のシャナンを見詰めてから、又、ダグは苦しそうに腹を押さえて笑う。
「笑い過ぎだってば! ……大体、あなたは何で仮面を被ってるのよ?」
「……君はどうして猫を被っているんだい?」
くすくすと笑い続けたまま、ちらりと鋭い視線を向けられて、シャナンは言い吃った。
「それは……」
「利益があるからでしょう? 私も同じだよ」
少し冷たく笑うダグに、シャナンは眉をしかめた。
「でも、あなたは自分の国にいるのに……そんなに危ういの、あなたの王座は?」
シャナンが少し緊張して静かに言うと、ダグはじっとシャナンの瞳を見つめた。
「そうだね。……でも、君のアズルガートでの地位は保証するよ。どういう結果が出ようと、ケルトレアに損はさせないよ」
「損はさせないって……」
「ねぇ、君はケルトレアにいる時は、いつも本性を出しているの?」
シャナンの言葉を遮る様にダグが首を傾げて言うと、シャナンは釈然としないまま頷いた。
「公式の場以外はね」
その答えにダグは少し寂しげに目を伏せた後、にっこりと笑った。
「……そう。じゃあ、ケルトレアから同行している騎士達は君の猫は気味が悪いだろうね?」
「まぁ、彼らは私の猫を見慣れているからね。あ、キースとランスロットはまだ公式の場で一緒にいることが無いから、かなり違和感があるみたいで、特にランスロットはあからさまに嫌がってるわね」
「あの、何色って言うのかな、黒っぽい髪の子だね? さっき素敵な助言をしてくれて、この楽しい場が持てたのは彼のお陰だね。……リズィが言うには何やら凄い剣の腕らしいね? 口の利き方は知らないみたいだけどね」
くすり、と笑うダグに、シャナンはバツの悪そうな顔をする。
「ランスロットの口の利き方の所為で気分を悪くしたらごめんなさい。あの子、あの容姿で剣の腕が凄く良いこともあって、色々特別扱いされてて……」
「いや、気分を害してはいないよ。面白くて良いよ」
目を瞬いて、シャナンはダグを意外そうに見た。
「そう思う?」
「うん。からかいがいもありそうだし、可愛いよね」
ふふふ、と笑うダグに、シャナンは嬉しそうに頷く。
「そうなの! 憎めないのよ。だから甘やかしちゃって。……私の弟もそうなのだけど……」
「うん。テウタテス王子も可愛いよね」
その言葉に、シャナンは無意識に少し上目使いでダグを見る。
「あの子こそ、あなたに失礼な事を言っているかと思うのだけど、許してやって欲しいの」
甘えるようなシャナンの声に、ダグは目を細めた。
「……もちろんだよ。私の未来の義弟君だからね。……君が私と結婚しても、私の弟のどちらかと結婚しても」
「……え?」
自分の思惑がばれているのかと、ぎくり、としてシャナンがダグの言葉の意味を探るように見つめると、ダグは視線を逸らして立ち上がった。
「さて、義弟君が心配しているだろうから、今日はこの辺でお開きにしよう。でーととえっちは又今度の機会にね」
「えっ!?」
「ふふふ。……次回も、私の前では猫を被らないで良いからね?」
ダグがにっこり微笑むと、計算したかのように、ちょうど扉が叩かれた。
「密談はちょうど終わったところだよ。お迎えご苦労様」
ダグは扉を開けて、そこに立っていたナサニエルとリヴァーとターニャに、のほほんと笑った。
「ちょっと待ってよ、ダグ王子! 私はまだ聞きたい事が山程あるんだから、勝手に切り上げないでよ!」
立ち上がって詰め寄るシャナンに、ダグはにっこりと微笑んだ。
「積極的ですね、シャナン王女?」
「誤解を招くような言い方しないでよ!」
打ち解けた様子の二人に、ナサニエルとリヴァーが意外そうな顔をする。
「密談が功を奏して、ダグ王子と親密になられたのですね! 流石、シャナン様!」
嬉しそうなターニャに、シャナンは眉を寄せた。
「だ・か・ら! 誤解を招く言い方しないでってば!」
やり取りを楽しそうに眺めていたダグは、ナサニエルに向き合うと言った。
「ナサニエル君と言ったね、君には少し聞きたい事があるから良いかな?」
訝しげな顔をするシャナンに、では又、と微笑んで扉を閉めたダグは、長椅子に座り、ナサニエルにも向かいの席に座るように手で合図する。ナサニエルはそれに従い一礼して長椅子に座ると、座卓の上の茶器と菓子が目に入った。
シャナンが使ったであろう茶器と、シャナンが食べたであろう菓子を見ると、少々胸が騒めいた。
二人きりで、何を話していたのか、気にならないわけがない。その上、シャナンはダグの前で猫被りをやめていた。それだけ二人が接近したということだ。
国交の為には良い事で、自分のシャナンへの想いは無駄且つ多方に害のあるものだとわかっている。それでも、幼い頃から想っている人が他の男と仲良くなるのは、やはり辛い。
今までもシャナンが「片思いごっこ」をする度に、その様子を見るのは辛かった。
「ごっこ」はお遊びだとわかっていたが、今回は違う。本当に、シャナンは永遠に他の男のものになるのだ。そう思うと、やるせなかった。
失礼します、という声の後に、空になっていた茶器と皿が目の前からすっと消えて、新しく茶が置かれた。
珍しい香りに少し目を見開いた後、茶を置いたリズィに礼を言ってから、ナサニエルはダグを見た。
「私にお話というのは、何でしょうか?」
あくまで表面上は冷静で落ち着いた物腰のナサニエルを、観察するように眺めて、ダグは頷いた。
「私より少し年上の、精悍な顔立ちにデリングと同じような色合いの金髪で短髪の騎士がいるだろう? 彼はどうしているのかな?」
思ってもいなかったことを聞かれて、ナサニエルはその質問の意図が解からずに、少し眉を寄せた。
「……ケルトレアでは金髪の者が半数を占めますので、それだけの情報では誰のことだか判断しかねます」
「君のような高位の騎士で、少々荒っぽく真っ直ぐな気性の持ち主だよ。背の高さは私くらいで、目の色は綺麗な琥珀色だ」
自分と同じ位の地位のある騎士といえば、ほぼ間違いなく聖騎士爵家の者だろう。
金髪の短髪で、現在30歳位といえば、丁度ぴったりの騎士がいる。琥珀色の瞳をした、気性が荒く曲がった事が嫌いなその騎士も、一時期シャナンの「片思いごっこ」の相手だった。
「……トリストラム・ネグリタでしょうか? 聖五騎士、つまり、ケルトレア王国騎士隊の五つある部隊の内の一つを任されている部隊長ですが……彼がどうかしましたか? 何故、トリストラムをご存知なのですか?」
「うん? ラズを過去に何度かケルトレアに行かせてあってね。シャナン王女の護衛はその騎士だったと思ったものだから」
鳥使いを色々な国の情勢を知る為に使っているのだと聞いていたので、ナサニエルは頷いた。
「5年前にターニャが任に就くまでは、彼がシャナン様の筆頭護衛でした」
「……そうか。そんなに前に交代していたのか」
「はい」
少し考えるように黙って茶を飲むダグを見て、ナサニエルは思考を巡らす。
鳥使いの情報でシャナンの護衛のことを知っていたというのは、一見納得がいくようで、少しも納得がいかない。
元王位継承者であったエパーニャ王国の王女を妻にしているトリストラムに、何か用だったのだろうか? それこそ、何故だろうか? アズルガートとエパーニャは仲が良いとは言えない。国交の橋渡しでも頼むつもりだったのだろうか? それとも弱みでも握るつもりだったのだろうか? 気になるが、ダグは答える気が無さそうだ。
「初めて口にした茶ですが、美味しいですね」
ナサニエルが茶を一口飲んでそう言うと、ダグはにっこりと微笑んだ。
「口に合って良かったよ。シャナン王女も気に入ってくれたようだよ」
「そうでしたか。……ランスロットはトリストラムの弟です。何かお聞きになられたい事がおありでしたら、呼んで参りましょうか?」
「いや、いいよ。……君達は子供の頃からシャナン王女やテウタテス王子と仲が良いのかい?」
又、予想していなかった質問をされて、ナサニエルの頭の中には疑問が増える。
「はい。我々聖騎士爵家の子供達は皆、首都ケルアで王家の方々と親しくして頂きながら育ちます」
「そう」
少し伏し目がちに頷いて優雅に茶を飲むダグをじっと見ながら、ナサニエルは自分が呼び止められた意図がさっぱりわからなかった。
(ダグ王子は、一体何を考えているのだろうか?)