第十七話 「鳥使いの憂鬱と一見和やかな古都の宴(下)」
「確かに難しいところよねぇ」
「でしょ? ……どうしたら良いのかしらね?」
部屋の隅に下がり、ヴィーダルを観察しながら相談をするシャナンとイーディス。
シャナンに対する反応は期待以上だが、あまりに純粋に憧れの視線を向けてくるヴィーダルをどうやって落とせば良いのかわからず相談をしているところだ。
「可憐ぶりっ子は、相手から襲われるように仕向けなきゃよ! 絶対にこっちから押し倒しちゃ駄目よね! 一気に目が覚めちゃうもの」
力説するイーディスに、シャナンもうんうんと頷く。
「そうよね。誘っている事を気付かれちゃ駄目よね」
「うん。『姫、もう、我慢できません!!』 ガバッ! 『ああ、王子、いけませんわ!』 って感じが良いわよね」
「ふふふ。『いけませんわ!』とか言いつつ、内心『しめしめ掛かったな!』って感じよね」
幼い頃からとても気が合い仲の良い二人がくすくすと笑っていると、そっと一人の男が側に来た。
「そんな隅で、お二人で楽しそうに何をお話されているのです?」
「「サイモン……」」
声をハモらせた二人に、眼鏡の奥の緑の瞳を光らせて、ケルトレア王国宰相がにやりと笑った。
「本当にお久しぶりですね、イーディス様。ネーゼタウィの暮らしは如何ですか?」
先程、サイモンとは挨拶を済ませただけで、個人的な話をしていないイーディスは、少し緊張したようにぎこちなくサイモンを見詰め返した。
「……楽しくやってるわよ。あなたこそ宰相業務はどうなの?」
イーディスのぶっきらぼうな言い方に、サイモンは懐かしげに目を細めた。
「こちらも楽しくやっていますよ」
サイモンの自分に向けられた優しい微笑みと声に、イーディスは頬が熱くなるのを感じて、急いで目を逸らした。
「リ、リヴァーは上手くやってるの?」
慌ててサイモンの妹を話題に上げる。
子供のように純粋で喋るのが下手で不器用なリヴァーの事をイーディスは可愛がっていて、リヴァーも幼い頃からイーディスに懐いていた。
「ええ。おかげさまで。イーディス様に明日お会い出来るのを楽しみにしています」
「私もリヴァーに久しぶりに会えるのが楽しみ。……子供達も奥さん達も元気?」
言うのに少し勇気がいった。
幼い頃からずっと好きだった男の妻と子に複雑な感情を抱かない女はいないだろう。
「ええ。おかげさまで。皆、息災です」
「良かった」
心からそう思えた。
そのことが嬉しかった。
「明日、皆、アズルガートの巨船を拝めにルクサルディアに参ります」
「そう。時間があったら顔を見せてよ」
きっと、もう大丈夫。そう思って、イーディスは穏やかにサイモンに微笑んだ。
「ええ、是非。皆、喜びます」
「イーディス」
怒った口調で名を呼ばれたイーディスは、はっとして振り返り、いつの間にかそこに立っていた夫を見上げた。
「レブラン……」
ケルトレア人にはない若草色の髪を、ケルトレア人よりかなり濃い肌の色をした手で機嫌悪く払いのけたレブラン王子は、イーディスの細い腰をぐいっと自分方へ引き寄せると、深い森を連想させる緑の瞳でサイモンを睨みつけた。
「レブラン王子殿下。この度は態々ケルトレアまでお越し下さいまして、真にありがとうございます。ネーゼタウィのお話は、後日ケルアでゆっくりお聞かせ下さい。お互いの祖国の為になる話が出来ると信じております。ケルトレア滞在中、私に出来ることがありましたら、なんなりとお申し付け下さい」
サイモンはレブランに深々と頭を下げる。
その様子を見て、レブランは切れ長の目を心底嫌そうに細め、威圧的な態度で言った。
「ああ。では、イーディスに近づくな」
「レブラン!」
イーディスが諌めるよう夫の名を呼ぶと、彼は苛ついた顔でイーディスを見た。
「何かお気に触ることを致しましたのでしたら、お詫び致します」
サイモンが頭を下げると、イーディスは慌てて弁解する。
「違うの、サイモン! レブランはちょっと今、神経衰弱で不眠症なの! ほら、目の下に隈が出来てるでしょ? 色黒だからよくわかんないかもしれないけど!」
「色黒で悪かったな」
不機嫌そうに噛み付くレブランにイーディスは眉を寄せる。
「悪いだなんて言ってないでしょ」
「体調が優れないようでしたら、何かご用意致しましょうか?」
サイモンの言葉に、レブランは機嫌悪そうに綺麗な萌黄色の髪をくしゃっと掴んだ。
「いらん。薬くらい自分で用意できる」
「ネーゼタウィの医学と薬学は、世界に知れていますからね」
サイモンが頷くと、レブランはふんっと鼻を鳴らした。
「解かっているのなら聞くな」
「では、私はシャナン様とお話がありますので、お二人で王宮らぶろまんすをお楽しみ下さい」
サイモンはにこにこと嬉しそうに二人を見てから頭を下げると、シャナンを連れてその場を去った。
「らぶろまんす? どういう意味だ?」
残されたのは、意味が解からず眉を寄せるレブランと、溜息を吐くイーディス。
「……エト王国の言葉よ。なんていうか、まぁ、恋人と仲良くするって意味よ。ミズノト王后の影響でエトの文化が流行ってるの」
「ふん。そうか。お前もエトの服が好きだしな」
自分を見るレブランの目が少し機嫌を取り戻していることを悟って、「しょうがないわねぇ、もう」とイーディスも心を落ち着かせながら、微笑んだ。
「うん。エトの服も好きだし、他にも色んな国の服が好きよ。多文化の港街ルクサルディア育ちだからね」
「今日はネーゼタウィの服だな」
柔らかな橙色と黄色を基調とした生地を使った服を眺めながら、レブランは真面目な顔でそっとイーディスの頬を撫でた。
イーディスは、くすぐったそうに瞬きをして頬を染める。
「そうよ。こう見えても、ネーゼタウィ王国レブラン王子様のお妃様なんですから」
照れ隠しにおどけて言うイーディスを、レブランは満足そうに抱きしめた。
「……良く似合っている。綺麗だ」
「え……?」
同様に照れ屋のレブランが小さな声で言った言葉に、イーディスが驚いて長身の夫の顔を見上げると、レブランは顔を赤くして力任せにイーディスの腕を引いた。
「部屋に帰るぞ」
「え? でも、まだ……」
「昨晩の埋め合わせをしろ。『らぶろまんす』するのだろう?」
「ちょ、ちょっと、そういう意味じゃ……」
抵抗するイーディスを問答無用で軽々と抱き上げると、レブランは照れ隠しに怒った顔をつくったまま嬉しそうな足取りで会場を後にした。
「シャナン様」
「……なによ? サイモン」
「ヴィーダル王子を誘惑されていましたね?」
中庭を歩きながら、サイモンはシャナンの顔を覗き込んだ。
シャナンは内心冷や汗をだらだらと流しながらも、そ知らぬ顔を作ってみせる。
「あら、親睦を深めていただけよ? 未来の義弟君と」
サイモンは眉を下げてふっと笑った。
「私はあなたのことが好きですよ、シャナン様。あなたは素晴らしい王女だと、誇りに思っています」
「……それはありがとう。私もあなたが好きよ、サイモン。あなたが宰相になってくれて安心だわ」
「では、私を信じてくださいませんか?」
眼鏡の奥の知的な緑の瞳にじっと見つめられて、シャナンは眉を寄せた。シャナンはサイモンを信頼しているし、彼の能力を高く評価している。
「……どういう意味? 信じているわよ?」
一歳年上のサイモンは、シャナンにとって幼い頃から、頼れる兄のような存在だ。
「アズルガート王国第一王子、ダグ・リグアズルガート殿下は、陛下も私もシャナン様に十分相応しいと認めた男です」
その言葉に、シャナンは眉を寄せる。「相応しいって、何よ?」と心の中で呟く。
「そうやって、勝手に……イーディスの時だって……イーディスの気も知らずに!」
「イーディス様は、レブラン様との婚姻にご満足されているのではないでしょうか? とても仲良さげにされていましたよ」
「……それは、そうだけど! でも、それは結果論でしょう? ……凄く嫌がってたのよ!! 凄く辛いって……ケルトレアに帰りたいって、ずっと言ってた!!」
「それで、シャナン様はヴィーダル王子を誘惑して、ケルトレアに婿に来てもらおうと?」
サイモンの冷静な声と顔に、全てお見通しなのだと解ったシャナンは開き直って見せた。
「何が悪いのよ!? 優秀な武人のヴィーダル王子がケルトレアに来たら利益があるでしょ? 私がケルトレアに残ろうが、アズルガートと同盟が結べれば良いでしょ?」
「確かにシャナン様の婚姻の目的は同盟です。だからこそ、次期国王とご結婚頂きたいのです。シャナン様が王后になられて、シャナン様の御子がアズルガート王国の王になられれば、ケルトレアとの同盟は益々強固なものになるでしょう」
「……第三王子じゃ、力不足だと言うのね?」
今直ぐではなく、二代先を見据えた結婚と解かって口角が上がった。
「いいえ。シャナン様のご結婚相手が次期国王になりさえすれば、三人のどの王子でも結構ですよ。最終目的は、シャナン様の御子がアズルガート国王になられることです」
淡々と言うサイモンを、シャナンは睨みつけた。
「じゃあ、私はどうしたってケルトレアにはいられないってことじゃない!!」
「そうなりますね。まぁ、あちらはダグ王子を次期国王と決めていますし、諦めて素直にダグ王子の元に嫁いで下さい。中々のお方の様ですから、きっとシャナン様もお気に召されますよ」
そう言うと、サイモンはにっこりと笑った。
ぎりっと奥歯を噛み、シャナンは王女らしい微笑を無理やり作ってサイモンに向けた。
「解かったわ」
「流石、シャナン様。ディアン陛下とミズノト陛下のご自慢の御子なだけはありますね。それでは、私はこちらで御前失礼致します。護衛にターニャが控えているので、お一人にしても宜しいですね?」
満足げに笑うサイモンに、シャナンは頷いて見せた。
「ええ。放って置いてくれて結構よ。他にも仕事があるんでしょ」
「それでは、また後ほど」
そう言って、サイモンは場内に戻り、その姿が見えなくなるとシャナンは地団太を踏んだ。
「……解かるもんですか! なによ、サイモンのヤツ!! ちっとも乙女心を解かっていないわよ!!」
きーっ!! っと怒って、自分の体の半分ほどもある大きさの庭の飾り石を投げつけて割るシャナンは、鳥を肩に乗せた黒い影が自分を見ている事を知らない。
(……さて、我が君に何処まで報告すべきか。我が君ではなくダグ殿下に報告した方が我が君の為になるか? ……いや、俺の任務は飽く迄も我が君の護衛。ならば見て見ぬ振りを決め込むか? ……だが、それが後でばれたらダグ殿下に殺されるな。……とりあえず、ラズに相談するか)
ガルムは暴れるシャナンを眺めながら、シャナンが暴れていることに対するツッコミは驚き過ぎて脳が拒否していることを自覚していない。
ルクサルディアに宰相と一緒に来ると思っていた同僚は、王都ケルアに留まっているらしい。一体何をやっているのだか、真面目に仕事しているのだろうか? と思いつつ、ガルムは溜息を吐いた。
(こういう任務は一番苦手だ。……早く家に帰って、フリムを抱きたい。……こうやってアズルガートを離れている間に、俺のフリムに害虫が寄って来たらどうするのだ。ああ、心配だ……)