第十三話 「歴史の裏と一見順調な迎えの準備(上)」
「シャナン! 昔みたいに一緒に寝るわよ~! 久しぶりだものね!! 良いでしょう? ……って、なんでテウタテスがシャナンの部屋にいるのよ?」
ルクサルディアにて、明日到着するアズルガート王国第三王子ヴィーダルを迎える手順を確認し、侯爵家の皆と晩餐と談話を楽しんだシャナン達は、今夜はそのままルクサルディア城に宿泊する事になっている。
「扉」を使えば簡単に王城へ帰ることが出来るのだが、たまには息抜きも必要だろうという父王の判断で、ルクサルディアで一夜を過ごす手筈になっているのだ。
テウタテスもシャナンも、ルクサルディア城には幼い頃から幾度となく滞在しているが、普段と違う場所で一夜を過ごすのは大人になっても楽しいもので、二人とも子供のように喜んでいる。
浮かれ気分のどさくさに紛れてシャナンの部屋に居座わり、あわよくばそのまま添い寝でもと妄想していたテウタテスが、いつもどおり説教されているところに、シャナンの親友のイーディスが訪ねて来たのだ。
「お前こそ、こんな時間に姉上の部屋に来るとは何事だ? 姉上の安眠を妨げる気か?」
扉を開けた状態で睨み合う、ルクサルド公爵次女でネーゼタウィ王国の第二王子妃のイーディスと、ケルトレア王国次期国王のテウタテス。
イーディスはシャナンの幼い頃からの学友で、毎日王城に来ていた為、必然的にテウタテスとも姉弟のような関係だが、会う度に喧嘩をしている。
「は? それはこっちの台詞よ。あんた、弟っていったって一応成人男子でしょ? 頭おかしーんじゃないの?」
「なんだと!?」
言動に色々問題はあれど一応王子なのでこんな風に邪険にされる機会の少ないテウタテスは、憤慨して頬を染めた。
イーディスは猫のような印象の大きな青い瞳を細めて、テウタテスを馬鹿にしたように見た。
ケルトレアでは珍しい栗色の真っ直ぐな髪は、前髪を眉上で切りそろえて左右二つに束ねていて、気が強そうだが愛らしく憎めない容姿の姫である。
「でかい図体して邪魔ねぇ。さっさと出て行きなさいよ」
「こ、この、無礼者が!!」
テウタテスが怒りに声を荒げてイーディスを睨んだが、彼女は全く動じない。
「銀の軍神」と崇められる程の人を圧倒する存在感も華やかな容姿も、テウタテスを生まれた時から知っているイーディスには通用しないらしい。
イーディスはケルトレアの平均身長くらいなので大変小柄なシャナンよりは背が高いが、それでもテウタテスより頭一つ分以上小さい。しかし、華奢で可愛いらしい容姿のイーディスの方が、大柄なテウタテスを圧倒している。
「あー鬱陶しい、ほら、どいたどいた」
「くっ……」
いつもイーディスに王子らしからぬ扱いをされているテウタテスは、悔しそうに肩を震わせた。
「しっしっ」
虫でも追い払うかのように、イーディスはもうテウタテスの顔さえ見ずに、手を振る。
5才年上のイーディスと喧嘩をして勝てた例の無いテウタテスなのだが、今日も諦めが悪い。
大好きなお姉ちゃんの前で恥を掻かされてたまるか! といった心境である。
「お前とお前以外のお前の兄弟が兄弟だということが納得出来ないぞ!」
悔し紛れに言うテウタテスに、イーディスは冷たい視線を向ける。
「何よそれ? 早口言葉? 私だってあなたとディアン陛下が父子だなんて許せないわよ。陛下はあんなに素敵なのに」
はぁ~っと、残念そうな溜息を大げさに吐くイーディス。
ちなみに、シャナンは椅子に座ってハーブティーを飲みながら本を読んでいる。
二人の喧嘩はいつもの事なので、完全無視を決め込んでいた。
「なんだと!? それではまるで俺が素敵ではないと言っているようではないか!!」
「言ってるのよ」
「お、お前だって、ロリーナやアリスの可愛さの百分の一も無いだろうが!」
「なんですって!?」
姉と妹の名を上げられてイーディスが食いついた事に気を良くしたテウタテスは、嬉々として意地の悪い顔をしてみせた。
「ふん! お前のような姫を娶らねばならなかったネーゼタウィの王子に同情するな」
テウタテスが、くだらない喧嘩の勝利を確信しながら放った言葉に、イーディスはにやりと笑った。
「ふふん。残念ながら、レブランは私に『ぞっこんらぶ』なのよ。愛され過ぎて困っちゃうわ~」
テウタテスは驚いて目を瞬かせた。
イーディスはネーゼタウィの王子を嫌っていた筈だ。二人は仲が悪かった筈だ。
混乱しつつも、テウタテスは眉をひそめて言った。
「信じられん趣味の悪さだな、それは」
「なんですってぇっ!? テウタテスなんかと結婚する未来の妃に同情するわよ!! ほんっとにあんたはディアン陛下の爪の垢を煎じて飲むべきよ!!」
「なんだと!? 汚いことを!! そんなもの飲めるか!!」
「文字どおりに受け取らないでよ、この馬鹿王子! 慣用句でしょうが!!」
「馬鹿王子だと!? お前こそ馬鹿姫だろう!! あんな軟弱王子と結婚して!!」
「は!? レブランは軟弱じゃないわよ!! テウタテスみたいに見るからにムキムキじゃなくて、着痩せするタイプなの! 脱ぐとイイ体なの! キリアンやテッドやロビンと同じよ!」
「ぬ、脱ぐとだと!? 破廉恥な!! そもそも、お前が何故キリアンやテッドやロビンの身体を知っているのだ!? お、お前まさか……」
突然、がたんっと派手な音を立てて、シャナンが立ち上がった。
「ああ、もう!! 二人とも煩い!! 落ち着いて読書も出来ないわよ!!」
青磁色の毛足の長い絨毯の床には、今までシャナンが座っていた椅子が倒れている。渋く銅色に光る金属製の脚と背には花と蔓が彫り込まれ、所々青い石と金細工がはめ込まれた大変高価な椅子である。
シャナンが椅子に手を伸ばすと、テウタテスは青ざめた。
その椅子で殴られたら、痛いだけでは済まない。せめてそっちの本にして欲しい。
「テウタテス! 他国の王子を侮辱するなんて、最低よ!! イーディスも大人気ないこと言わないの!」
「で、ですが、姉上! そもそもイーディスが……」
言い訳をしつつ、重い椅子を引きずって歩み寄るシャナンから逃げるように後ずさるテウタテス。
シャナンの標的はテウタテスのみである。騎士の国の王女たる者、女性には暴力を振らない。
普通の王女は、相手が男性だろうと椅子で殴りなどしないが。
思わずイーディスは、青ざめて震えるテウタテスの大きな体を自分の背に隠した。
「シャ、シャナン……その椅子で殴るのはちょっと……。馬鹿なテウタテスが余計馬鹿になるから……。っていうか、ほら、その椅子は美術的価値も結構あったりするし……ケルトレア国民が治めた税の塊だと思えば壊すのはどうかと……」
必死にテウタテスを庇うイーディス。仲が良いのか悪いのか良く分からない。
シャナンはしぶしぶ椅子を元あった場所に戻して座ると、少々不満そうに二人を見た。
「テウタテス、おやすみ。また明日」
落ち着いたらしいシャナンに声を掛けられて、テウタテスはほっと息を吐き頭を下げた。
「は、はい、姉上! おやすみなさい。……イーディスも……なんだ、その」
庇って貰ったお礼を言いどもるテウタテスに、イーディスは笑った。
「はいはい。良い子は歯を磨いてから寝るのよ~」
「ば、馬鹿にしているなお前! そんなことでは……」
台詞が終わる前に、イーディスに背中を押されて今度こそ部屋から強制的に追い出されたテウタテスは、廊下で機嫌の悪い顔をしたままシャナンの部屋の扉を睨んだ。
「……ネーゼタウィの王子、趣味悪過ぎるだろう。『ぞっこんらぶ』だと? ……イーディスのどこが良いのだ」
ぶつぶつ呟きながら、テウタテスは自室に向かう。
「愛され過ぎて困る」と言ったイーディスの得意げな顔を思い出すと、何故だかむしゃくしゃする。
ケルトレアではありえない華やかな若草色の髪と浅黒い肌が印象的なレブラン王子の勝ち誇った端正な顔が目に浮かんで、更に苛立った。
結局のところ、テウタテスはイーディスのことをロリーナやアリスと同じだけ好きなのだが、自覚出来ていないだけであった。
「さっすが、猛獣使いシャナン。テウタテスの扱いはお手の物ね」
「……人の弟を猛獣扱いしないように」
「だって、猛獣じゃないの」
可笑しそうに笑いながら、イーディスはシャナンの寝台にぴょんっと腰掛けた。溜息を吐きながら、シャナンもイーディスの横に腰掛ける。
「イーディスも大して変わらないでしょ」
「テウタテスと一緒にしないでよ」
「もう、なんであなた達って喧嘩してばかりなの?」
シャナンが呆れたように言うと、イーディスは可笑しそうに笑った。
「テウタテスを見ていると、ついからかいたくなっちゃうのよね。それより、シャナン。テウタテスも追い出したことだし、久しぶりに二人きりで一晩中お話しながら寝ましょ!」
嬉しそうな声でそう言うと、イーディスはシャナンに抱きついた。
「え? 一晩中ここにいるつもり? ……私は良いけど、イーディス、あなた、レブラン王子を放って置いて良いわけ?」
抱きつかれて寝台に押し倒されている状態のまま、シャナンは真面目な顔をした。
「いーの、いーの。……っていうか、寧ろ、面倒だから側にいたくないの」
ごろんっと大きな寝台の上で寝返りを打ち、シャナンに背を向けるイーディスに、シャナンは片眉を上げた。
「なによ、その面倒って? 上手くいってるんじゃなかったの?」
「えっ!? な、何を言ってるのよ……べ、別に上手くいってなんかないし!」
「自分で『ぞっこんらぶ』だっていってたじゃないの。『らぶらぶ』なんでしょ?」
にやにやと笑いながらイーディスの顔を覗き込むシャナンに、イーディスは顔を真っ赤に染めて起き上がった。
「売り言葉に買い言葉よ! そんなんじゃないわよ! 別に!」
ぷいっとそっぽを向くイーディスは、耳まで赤くなっている。
素直じゃないのは昔から変わらない。意地っ張りで強がりなイーディスが、彼女と似たような雰囲気のレブラン王子と上手くやっているかと思うと微笑ましく思えた。
「へ~~~。さっき会った時にも仲良さそうに見えたけど? 本当に見るからにレブラン王子はイーディスにぞっこんじゃないの。羨まし~」
「……べ、別に私は嬉しくないし!」
慌てて言い訳のように言うイーディスに、シャナンは笑いを堪える。
「へ~~」
「アイツの話なんか、どうでも良いでしょ! あなたの結婚についての話をしに来たのよ!」
「どうでも良くないわ。色々聞きたいもの。詳細を教えて下さいよ、先輩?」
「……先輩ってなによ?」
「政略結婚先輩」
シャナンの言葉に、イーディスは少し言葉を詰まらせてから、口を尖らした。
「……自分のお母様に聞いたら良いじゃないの! ミズノト陛下とディアン陛下の方が長年ずうっと『らぶらぶ』じゃないの!」
「……それこそ鬱陶しい位にね……。でも、親のそういう話聞くのは何かむず痒いっていうか、こっちが恥ずかしくなるでしょ?」
「まぁ、確かにそうよね。うん」
納得して頷くイーディスに、シャナンはにっこり微笑んだ。
「だ・か・ら・イーディス?」
「……そ、そうだわ! エパーニャから嫁いできたイゾルデ王女に聞きなさいよ! トリストラムと上手くやってるんでしょ? 結婚式の時に話したけど、イゾルデ王女って話し易くて素敵な人じゃない」
「うん。本当に素敵よね、イゾルデ王女! そう言えば、イゾルデ王女とトリストラムの組み合わせって、イーディスとレブラン王子の組み合わせと似てるかもね。でも、あの二人は政略結婚じゃないから」
昨年結婚したネグリタ聖騎士爵家の跡取りで黒の聖五騎士を勤めるトリストラムと、エパーニャ王国の王女イゾルデは国同士が敵対していたにもかかわらず、恋愛結婚である。
恋愛結婚らしからぬ肩書きを持つ二人の取り合わせに、それを失念していたイーディスは、ぽんっと手を打った。
「ああ、そうだったわね」
「ここはやっぱり、政略結婚して幸せになった親友の話を詳しく聞いておかないとね。それとも、親友だと思っているのは私だけなの?」
わざと悲しそうな顔を作ってみせるシャナンに、イーディスは溜息を吐いた。
「……わ、わかったわよ! 話せばいいんでしょ! 話せば!」
「らぶらぶなんでしょ~?」
「……らぶらぶよ! 悪い!?」
良い話のはずが、何故か自棄になっているようにしか聞こえない。
「悪くないってば~。羨ましいって言ってるじゃない。それで、『面倒だから側にいたくない』っていうのは何でなの?」
シャナンの質問にイーディスはいくつも転がっている枕の一つを抱きかかえて顔を埋めた。
「……嫉妬が鬱陶しいのよ」
「嫉妬? ……誰に対して?」
「私がケルトレアを懐かしんでいるのが不安みたいで、誰に対してもなんだけど……まぁ……なんて言うか……特に一人を対象としているっていうか……」
歯切れの悪さに思い当たる節があり、シャナンは眉を寄せた。
「……もしかして、サイモンのこと話したの?」
イーディスが長い間サイモンを想っていた事をシャナンは知っている。
サイモンは幼い頃にショーンの双子の姉達と婚約していて、成人して直ぐに結婚した。意地っ張りのイーディスは、サイモンに自分の想いを伝えることはなく、一年前にネーゼタウィ王国のレブラン王子と政略結婚をしたのだ。
縁談をまとめたのは、宰相になったばかりのサイモンだった。
「……話したっていうか、バレちゃったっていうか……」
気まずそうに目を逸らしつつ、イーディスが言った。
政略結婚した相手に他に愛している人がいたというのは珍しい事ではないが、今はお互い愛し合っているようなので厄介な話だ。
「……サイモン、明日の夜の歓迎会でルクサルディアに来るけど、大丈夫?」
シャナンが心配そうに言うと、イーディスは少し困った顔をした。
「流石にレブランでも、他国の宰相にそんなに失礼なことはしないと思う……多分」
「レブラン殿じゃなくて、あなたがよ、イーディス。……サイモンのこと、まだ好きなの?」
シャナンの言葉に、イーディスはきょとんとした顔をする。
「サイモンのことは、勿論好きだけど……今は、レブランを愛してるわ」
真っ赤な顔で言ったイーディスの言葉に、シャナンは驚いて目を見開いた後、少し切なげに微笑んだ。
「私も、いつかそんな風に結婚相手を愛せるようになるのかしら?」
目を伏せたシャナンが、誰を想っているのか、イーディスには直ぐに解かった。
本当の恋なんてしても無駄だと解かっていて、色々な相手と「片思いごっこ」をしている王女が、自分の立場を理解する以前に唯一本当に恋をした相手。子供の頃の初恋の相手だ。
「……あの無礼でお調子者なショーンのことを、未だに好きなわけ?」
「大好き。あの人の心の奥を知っているから」
えへへ、と嬉しそうに頬を染めて笑うシャナンに、イーディスは溜息を吐く。
「……だからこそ、絶対にあなたを恋愛対象としては見ないのよ?」
「知ってるわ」
「馬鹿な男だわ」
「知ってるわ」
「……もっと馬鹿だったら良かったんだわ」
「知ってるわ」
「あの男、気を使い過ぎなのよ。馬鹿じゃないの?」
「知ってるわ……って結局どっち? 馬鹿なの? 馬鹿じゃないの?」
首を傾げるシャナンに、イーディスは声を荒げた。
「馬鹿よ!! あの馬鹿、ターニャだって落とせない癖に、シャナンに愛されてるなんて生意気よ!」
「それは変な言いがかりだと思う……」
「良いのよ! 馬鹿なんだから!!」
怒ったイーディスは、ぼすぼすっと枕を殴る。
「ショーン、可哀想……」
「私は、シャナンが可哀想よ!!」
泣きそうな顔をしたイーディスを見て、シャナンは胸が痛くなった。
イーディスが夫と上手くいったからといって、自分も上手くいくとは限らないのだ。
「……イーディス……」
「どれだけ辛いか、知ってるから。……私、知ってるから」
ぎゅっと自分を抱きしめるイーディスに、シャナンはそっと口を開いた。
「……イーディス……私、考えていることがあるの」
「……何?」
「……第一王子と結婚したらアズルガートに嫁がなきゃいけないから、第二王子か第三王子を誘惑してケルトレアに連れてこようと思っているの。どっちもとっても有能だって話だし」
イーディスは驚いて顔を上げ、シャナンを見つめた。
苦しげな表情だったイーディスの顔がぱっと明るくなり、目が輝いた。
「流石、シャナン!! 私に出来ることがあったら言って! 協力するわ!」
自分のことのように張り切るイーディスに、シャナンは嬉しくて笑った。
「イーディスなら、そう言ってくれると思ったわ」
「当然よ。親友だからね!」
結局その夜イーディスは夫の待つ寝室には帰らず、一晩中シャナンと策を練り、積もる話に花を咲かせ、次の日のレブラン王子のご機嫌は最悪だったとか。