第十二話 「騎士の国の便利な扉」
ケルトレア王国の一般的な陸上交通手段は、「馬」である。
貴族や大変裕福商人などの一握りの者達は屋敷に馬屋を持ち、高価な動物である馬を所有しているが、街に住む多くの民は馬を所有してはいないので、乗合馬車を利用する。
この場合の「馬」とは、農業などにも使用される気性の穏やかな草食動物を指す。
この一般的な「馬」とは別に、ケルトレア王国では「草原の馬」と呼ばれることの多い「馬」が存在する。こちらは、「馬」と呼ばれてはいるが、通常の「馬」とは異なる「妖獣」の一種である。
二種類の「馬」は、その体の大きさ、走る速さ、頑丈さ、気性の荒さ、の点において全く違なる。そして何よりも、魔力を持つか持たないかという違いがある。
この二種類以外にも「馬」と呼ばれる動物が何種類か存在するが、どれも交配が可能である為に同じ括りで「馬」と呼ばれている。
「草原の馬」のは純血種は大変気性が荒く手懐ける事は難しいので、通常の「馬」と掛け合わせて気性を穏やかにしたり体格を小さくして利用されている。
「草原の馬」の血を引く馬は力が強く持久力がある上に魔力がある為、その走る速度を更に上げる魔具を着用させる事も、防御力を上げる魔具を着用させる事も出来る。
これは、通常の馬との用途と価値の違いを生む。
一般人の乗る馬車でも長距離を走る時は血の混ざった力のある馬に引かせる場合があり、貴族階級は勿論「草原の馬」の血を持つ馬を保有する。
戦場で騎士達が跨るのも、丈夫で魔具を受け入れることの出来るよう交配された馬達である。
魔具を受け入れることの出来る「草原の馬」は、ケルトレア王国建国時に「アドー」と呼ばれる騎馬民族によって持ち込まれ、建国に大いに貢献した。
この馬をケルトレアに持ち込んだ騎馬民族が、ネグリタ聖騎士爵家の始祖でもある。
400年以上の間定期的にアドーから嫁を貰っているネグリタ家は、現在も馬の飼育・交配に力を入れており、ケルトレア王国の「草原の馬」の血はどれも元を辿ればネグリタ家の馬に繋がるという。
ケルトレア王国には、馬以外にもう一つの陸上移動手段がある。
この移動手段は、基本的に国王の許可を得た者しか使う事が出来ず、更に移動元と移動先が限られているので、一般国民が使用することは一生に一度もないだろう。
その移動手段とは、「扉魔法」という魔法を使用したものである。
「扉魔法」は「古代魔法」と呼ばれる失われた太古の文明の残された数少ない遺産の一つであり、灰色の瞳を持つ「時魔法」の属性を持つ者が使用できる高位魔法の一つである。
「建国の聖五騎士」の一人であったグレンファー家の騎士とその母が、400年以上前にこの王城と領主達の城を結ぶ幾多もの魔方陣の「扉」を築いた。
古くから続くグレンファー家の血は、代々「時魔法」を得意としていて、今でもそれは受け継がれている。
殉死した前騎士長のスタントン・グレンファーも「時魔法」で幾度となく部下の命を救った事で有名であり、彼の娘達で魔道師隊長を務める双子のサラとセーラは勿論の事、テウタテス王子の護衛責任者であるグレンファー家の跡取り息子ショーンも、その妹で騎士隊に務めるシエナも、まだ幼い末娘のソアラも、グレンファー家の分家出身であり魔道師隊長だった彼の妻シャーリーも、全員がこの限られた者しか使う事の出来ない「時魔法」の一種である「扉魔法」を使う事が出来る。
「時魔法」の一種である「扉魔法」は、基本的には移動元と移動先に「扉」の存在が必須であり、その双方で「許可」が必要である。
この「扉」とは魔法陣のことであり、「許可」とは魔方陣に組み込まれた名前を指す。つまり、「誰某が移動する」という事を、送り出し元だけでなく、受け入れ先が事前に知っている必要があるのだ。
この「扉」は王の把握している限られた場所にのみ存在が許され、主に各領土の領主の城と王都ケルアの王城を結んでいる。つまり、「扉魔法」で移動することが可能なのは、王城から領主の城へ、又は、領主の城から王城へ、というのが基本である。
「扉」の魔方陣を双方で組みさえすれば、どこでも「扉」を使用する事が出来るのだが、この「扉」の魔方陣を一から組むことは、非常に難しく、膨大な知識と魔力と時魔法の才能を必要とし、時間もかかる。
現在ケルトレア王国政府で公表している限り、ケルトレア王国内でこの扉魔法を一から組むことが出来るのは、シャーリーとサラとセーラだけである。
殆どの「扉」において、常時に扉の魔方陣に組み込まれている名は、領主、領主の配偶者、次期領主、王都で学ぶ領主の子供達、中央政府に勤める領主の成人した子供の名に加え、王、王后、王子、王女、青い印を持つ騎士と魔道師達の名である。
魔方陣の変更の申請無しに領主の城から王城に扉を使って移動出来るのはこの予め名を刻まれた者達のみであり、王やその忠臣が領主の城へ移動できる事は、いつでも地方領土に中央政府の目が届いている事を示す。
予め名を書かれていない者も、双方の魔方陣を書き換える事により、扉を通って移動する事が可能になる。
一から扉魔法を組むことが出来ない時魔法使いでも、一部を組み替える事は可能なので、状況により、この名前の部分を変える事があるのだ。
しかしながら、行き先を変えて領主の城から他の領主の城へ移動する事などは出来ない。
行き先を決める事が魔方陣を組む一番最初の段階なので、ここを変える事は即ち、魔方陣を一から組み替える事と同じだからである。
つまり、ある領主が別の領主の城に行きたい場合は、一旦王城に移動し、自分の名前を別の領主の城と王城を繋ぐ扉の双方の魔方陣に組み入れてもらい、別の領主の城へ王城から移動する事になる。帰る際も同じ道を辿り、無事に帰った後には足された名前は魔方陣から削除される。
この面倒な手順は、地方政治を担う領主達に王城を一旦経由させる事により、地方の情勢を中央が監視する為である。
今回のアズルガート王国からの迎えは、ルクサルド公爵家の主都ルクサルディアからケルトレア王国入りをする。
ケルトレア王国最大の貿易港を持つルクサルディアは、元々はブレリア王国の一領地であったケルトレアが、建国時に滅ぼしたブレリア王国の王都があった場所である。
現在でも王都ケルアに次ぐ大都市であり、海を渡って訪れる他国からの賓客は必ずルクサルディアからケルアへ向う。
シャナン達は、アズルガートの第三王子ヴィーダル達を迎え入れる為に、ケルアの王城からルクサルディアに「扉」を使って移動して来た。
明日の夜にルクサルディアの城で行われる歓迎会の前には、王と王后や宰相も、「扉」を使ってルクサルディアに来る予定である。
シャナン王女、テウタテス王子、王女の護衛のターニャ、王子の護衛のショーン、の他に、赤の聖五騎士のキリアンとルクサルド公爵家の末息子であり白の聖五騎士テッドの副官を務めるロビンが、アズルガートの末王子ヴィーダルを迎える為に王城やって来た面子だ。
キリアンとロビンがルクサルディアに連れてこられたのは、ルクサルド公爵家の人々を喜ばせる為の王の計らいである。
先代ケルトレア王の従兄弟であり王位継承権第四位を持つルクサルド公爵は、ディアン王の後見人であり、王が兄の様に慕う存在でもある。
王家の唯一の分家である公爵家の子供達は例外として、次期領主の長男だけではなく6人全員が王城とルクサルディアを繋ぐ「扉」に常時名前を組み込まれている。
しかし、公爵家の末息子でありながら騎士隊に所属するロビンは、騎士隊で王族である事が目立ち特別扱いされる事を嫌い、あまり頻繁に扉を使って里帰りをしていない。
それを知っている王は、ルクサルディアで何かある場合、里帰りの良い機会なので、ロビンを必ずルクサルディアに行かせる。
赤の聖五騎士のキリアン・ブラヴォドは、ルクサルド公爵家の第五子アリスの最愛の婚約者なので、彼も又、機会がある毎にルクサルディアへロビンと共に派遣される。
魔方陣に名前が常時組み込まれているアリスは、キリアンの休みの日には、毎回のように王都ケルアのブラヴォド家を訪れる。
キリアンがこの件についてどう思っているかは、無口で無表情な為に読み取る事が出来ない。
明日の歓迎会には、引退した聖五騎士家の騎士達とその配偶者、アズルガート王国に行かない聖騎士爵家の子供達、他の有力貴族達も参加する事になっている。
これはアズルガートの巨船を一目見たいと思う人々の欲求を満足させる為であり、又、シャナン王女の結婚を滞りなく進める為の外堀を埋める魂胆でもある。
数少ない時魔法使い達は、魔方陣の名前の書き換えに大忙しだ。
扉を使って移動して来たシャナン、テウタテス、ターニャ、ショーン、キリアン、ロビンを、ルクサルディアで迎えたのは、ルクサルディアの次期領主であるエド・ルクサルド。
銀色に輝く足元の巨大な魔方の輝きが治まり、灰色の石床に彫られた魔方陣の外にシャナン達が出ると、エドが優雅な動きで彼らの側に寄り膝を折った。
シャナンとテウタテス以外の、エドより身分が低い騎士達が皆、同様にエドに膝を折って頭を垂れる。
「テウタテス王子殿下、シャナン王女殿下、誉れ高きケルトレアの騎士達、ルクサルディアへようこそ。お待ちしておりました」
ルクサルド公爵家の六人兄弟の第二子である長男エドが深く頭を下げた後、華やかな金髪の下に青緑色の瞳を細めて立ち上がり、にっこりと微笑んだ。
シャナンは久しぶりに見たエドの笑顔に、心からの微笑を返す。
「出迎えありがとう、エド。準備の方はどう?」
「はい、順調に進んでおります」
(うーん、いつ見ても、エドはテウタテスよりずっと国王に向いている気がするわね……)
エドと弟を見比べて、シャナンは心の中で苦笑した。
王族らしい整った容姿に「女神の祝福」と呼ばれる王家の象徴でもある青緑の瞳は勿論のこと、その確かな政治的手腕に穏やかな人格、そして臣下に信頼され民に慕われる人望は、王の条件を十分に満たしている。
エドは王位継承権は第五位ではあるが、事実上のテウタテスに次ぐ第二位の立場にいる。
何故ならば、第二位と第三位を持つのは他国に嫁いだ王姉の息子達で、自国の王位継承権を持ち、ケルトレアの王位に付く気は更々無く、第四位はルクサルド公爵で、ディアン王よりも年上だからだ。国民も、エドをテウタテスの次に王位に近い者として見ている。その後に、エドの弟であるハリーとロビンが続く。
実際、武人としては「銀の軍神」とまで詠われるが、政治家としての才能はまだ未知数(というより不安要素の大きい)のテウタテス王子よりも、エドの方が次期王に相応しいのではないか、と思っている者もいる。
それが派閥にまでは至らない理由は、エド本人が王になる気など微塵もないと事ある毎に主張している事、戦場を共にした騎士達がテウタテスに絶大の尊敬を寄せている事、臣下がテウタテスの父に強い忠誠心を持っている事、そして何よりも、テウタテスの母がエト王国の王女であった為に得られたエト王国という大国の後ろ盾によるものが大きい。
「エド、アリスはどこだ?」
周りを見回して、少し不満げに言ったテウタテスの言葉に、微妙な空気が流れたが、本人は全く気が付いていない。
ロビンと共に学友だったアリスを、シャナンと面影が似ていることもあり、テウタテスはとても気に入っている。
キリアンの婚約者だという以前に姉以外の女性には異性として興味が無いので、家族的な思慕である。
通常ならば、アリスへ向けられた姉を慕うような思いを実の姉であるシャナンへ、シャナンへ向けられた恋心をアリスへ向けるのが自然だが、何をどこで間違えたのか、幼い頃からテウタテスは、自分は姉以外には恋心など抱くはずが無いと思い込んでいる危険な王子だった。
「あまり大人数で扉の部屋に待機しては扉を開く邪魔になりますので、今回は出迎えは私だけで失礼致しました」
そう言って、いつも一緒に出迎えるアリスがいないことに不満そうなテウタテスにエドは頭を下げる。
今回は移動させる人数が多いので、数多くの時魔法使いがその場で魔力を使う為、集中力を下げない為にも出迎えは公爵の名代のエドだけにしたのだ。
「アリスとイーディスとロリーナは母と共に、皆様とアズルガートの王子に快適に屋敷を使って頂くために色々と働き回っております。ハリーと父は女性陣の邪魔にならぬように部屋の隅でこっそり策を練っています。明日の歓迎会は盛大に行いますよ」
「イーディスも、もう着いてるの!?」
シャナンが歓喜の声を上げた。
次男ハリーと共にシャナンの学友をしていたルクサルド公爵家の第四子で次女のイーディスはシャナンと同い年で親友なのだが、他国に嫁いでいるので中々会うことができない。
政略結婚で他国に嫁いだイーディスに、今回のアズルガートとの縁談について手紙を書いて話してあったのだが、「直接会って話が出来たら良いのに」と、ずっともどかしく思っていたのだ。
他国に嫁いだ身で勝手な行動の出来ないイーディスだが、嫁ぎ先と話をつけて来てくれる事になったと聞いて会えるのを心待ちにしていた。
「ええ。レブラン殿下も一緒にいらしています。仲良くやっているようで、兄としても、ケルトレアの一国民としても喜ばしい限りです」
シャナンはエドの言葉に少し驚いて目を見開いてから、嬉しそうに微笑んだ。
「……そっか、仲良くやっているのね。良かった……」
(アズルガートの巨船を見ることができるし、アズルガートの第三王子と直接会える良い機会だから、と王子を丸め込んだのね? 流石、イーディス)
結婚当初のイーディスからの手紙は、夫であるネーゼラルド王国第二王子に対する文句だらけだったが、「そういえば、最近の手紙では文句が少なくなっていたわ」と、シャナンは思い付く。
文句が少なくなってきているものの、夫に対する褒め言葉や愛情表現は一切手紙で読んだ事がない。「本当に素直じゃないんだから」と親友を思い、シャナンは笑った。
(好きなら好きって言えばいいのに。同じように政略結婚をするけれど、まだ幸せになれるかわからない私に遠慮しているのかしら? ……イーディスのことだから、意地張って素直になれないだけね、きっと。よ~し、からかっちゃおう)
「ロリーナに会うのも久しぶりだな」
テウタテスが、イーディスの話題を切るように言った。
自分と似たような性格の(しかしそれは決して認めない)イーディスとはテウタテスは幼い頃から顔を合わせれば喧嘩ばかりしているが、11歳年上のルクサルド家の第一子ロリーナには懐いている。
7年前にルクサルディア一の貿易商と結婚して、夫と3人の子供達と共に世界中を飛び回っているロリーナは、穏やかな気性ののんびりした性格である。
誰にでも優しいロリーナは、もちろんテウタテスにも優しい。母親らしくない母を持ち、姉を姉と思わぬテウタテスにとって、ロリーナは母のような姉のような存在でもある。
「よし、ロリーナとアリスに会いに行くぞ。エド、案内しろ」
「私も早くイーディスと話をしたいわ」
逸る気持ちを隠せない二人に、エドはにっこりと微笑む。
「とりあえず、客間にお通しさせて下さい。父と母とハリーも両殿下にご挨拶をさせていただきたいでしょうから。その席で、今回のアズルガートからの使者を迎える手順について、詳しいご説明をさせていただきます」
久しぶりに会う親友に色々と相談することに気を取られていたシャナンは、落ち着いたエドの言葉に、今一度思った。
(やっぱり、エドの方が王様らしいかも。……ちょっと、テウタテスってば、面倒くさそうな顔し過ぎ!)