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探偵は死体を推理しない、爆弾の場所を当てる  作者: 早野 茂


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第19話「内部を知る人間」

汐留のテレビ局の奥深く、複雑に入り組む機材通路のさらに裏側。

相馬環と黒瀬透は、むき出しの配管と冷たいコンクリートに囲まれた極めて狭い空間を、身を屈めるようにして無言で進んでいた。

頼りになるのは、相馬が片手に握る懐中電灯の細い光だけだ。

周囲の壁からは不快な湿気が立ち上り、足元には剥がれ落ちたコンクリートの破片が散乱している。

頭上からは大型の空調設備が発する重い唸り声が響き、表のスタジオを包む熱狂的な喧騒は、分厚い壁と防音材に遮られて微かな振動としてしか伝わってこない。

相馬の耳に装着された通信機から、情報解析班の篠宮蒼司の緊迫した声がナビゲートを続けている。

『公式のフロア図にはありませんが、建築時の古い配管図を照合しました。現在地から十五メートル先に、一階ロビーへ続く正規の非常階段の真下を通るメンテナンス用の空間があります』

黒瀬は現場の空気の淀みから隠された空間の構造を読み解き、一切の迷いなく暗闇の奥へと足を踏み入れていく。

彼の足取りは、見えない出題者の意図を正確にトレースしていた。


「そこだ」

黒瀬のひどく掠れた声に、相馬は懐中電灯の光を前方の壁際へと向けた。

光の円が冷たいコンクリートの壁を滑り、巨大な空調ダクトの陰で一度ピタリと止まる。

その奥の鉄骨の接合部に、幾重にも黒いダクトテープで固定された分厚いボストンバッグが隠されていた。

バッグのわずかな隙間からは、無慈悲に時を刻むタイマーの赤い数字が、暗闇の中に不気味に浮かび上がっている。

配線は複雑に絡み合い、少しでも不用意に動かせば危険な状態に見えた。

「……見つけたぞ。処理班を裏口からこっちへ回せ」

相馬が通信機で短く指示を飛ばし、額に浮かんだ冷や汗を手の甲で拭う。

もし鷹城たちが避難マニュアル通りに正規の非常階段へ逃げ込んでいれば、頭上の混乱とともに、この爆弾は最悪の結果を招いていたはずだ。

数分後、静まり返った裏口から駆けつけた爆発物処理班によって、起爆装置の配線が極めて慎重に切断された。

明滅していた赤い数字が完全に停止し、巨大な密室に訪れるはずだったパニックは、水面下で静かに回避された。


相馬が短く息を吐き出し、極限まで張り詰めていた肩の力を抜いたときだった。

「これは……」

黒瀬が、床に下ろされたボストンバッグの側面に貼られた一枚の白いテープを静かに見つめていた。

そこには、明朝体の印字で短い文字列が記されている。


『ブラインドの先に、正しい答えを』


その一文を見た瞬間、黒瀬の絶対零度の瞳に、微かな、しかし確かな動揺の光が走った。

相馬は怪訝な顔で黒瀬の横顔を見つめる。

「五年前の、制作会議だ」

黒瀬は誰に言うでもなく、極限まで削ぎ落された声で呟いた。

「参加者の視線を本命から逸らすための、ダミーの謎。私はそれを、会議の中で『ブラインド』と呼んでいた」

相馬の表情が鋭く引き締まる。

「外部には一切出していない言葉だ。企画書や進行マニュアルにも載っていない、私が自分の頭の中の設計を現場のスタッフに伝えるためだけに、口頭で使った隠語だ」

黒瀬の目は、白いテープの文字から離れなかった。

公式の記録にも、警察の調書にも残っていないはずの言葉。

出題者は、五年前のイベントの内部構造だけでなく、黒瀬個人の思考の癖や、会議室で交わされた言葉にまで触れている。


深夜の首都高速。事後処理を終え、警察署へと戻る覆面パトカーの車内。

助手席の黒瀬は、黒いコートのポケットに両手を突っ込んだまま深い沈黙に沈んでいる。

相馬のダッシュボードの通信機から、捜査本部に残る篠宮の報告がノイズ混じりに響いていた。

「久我真尋の過去五年間について、いくつか異常な記録が出てきました」

篠宮の声には、明らかな緊張が混じっていた。

「彼は事故から三ヶ月後には仕事を辞めています。その後、警察の公式発表に納得せず、たった一人で調査を続けていたようです。行政へ送られた情報公開請求の数は、合計で百八十件を超えていました。黒塗りだらけの書類を、彼は諦めずに何度も何度も請求し直していたんです」

相馬は前を見据えたまま、ハンドルを握る手にぐっと力を込めた。深夜の冷たい風が車体を揺らしている。

「さらには、イベント運営会社の下請け業者が倒産した後も、元従業員の現在の勤務先を調べ上げ、待ち伏せしてまで聞き取りを行っていた記録が残っています。仕事も生活も投げうって、関係者の証言を集め続けていました。五年間、ずっとです」

「遺族としての執念が、関係者の口を開かせたということか」

相馬は小さく息を吐き出すと、隣で凍りついている黒瀬を一瞥した。


「説明はつく」

相馬は事実を冷徹に整理し、黒瀬に提示した。

「彼が元スタッフから執拗に聞き取りを行う中で、誰かがポロリとこぼした『ブラインド』という言葉を偶然拾い上げたのだろう」

届かなかった説明の壁を、一人の遺族が五年かけて少しずつ削っていった。

真尋が集めていたのは、証言だけではなかった。当時の進行表の断片、元スタッフの証言メモ、関係者名簿の写し、黒塗りで返された開示資料。

どれも普通なら価値のない紙片だった。

だが五年間それだけを見続けた真尋にとっては、それら一つ一つが、五年前の空白を埋めるための細かな地図になっていた。

それならば、内部の人間しか知らないはずの言葉に辿り着いたこと自体には、説明がつく。


だが、黒瀬の顔からは深い沈黙の色が消えていなかった。

彼は窓ガラスに頭をもたせかけ、外の暗闇をただ虚ろに見つめ続けている。

窓ガラスに映る自分の顔が、ひどく遠いものに見えた。

相馬の言う通り、表層的な説明としては通る。

真尋の冷徹で精密な作業が、隠された言葉のピースを見つけ出したのだと。

だが黒瀬の胸の奥には、ひどく冷たい小さな違和感が重い鉛のように沈んでいた。


情報を集めることはできる。

関係者の言葉を拾い上げることもできるだろう。

しかし、知識の量と、論理の構造を構築する能力は全くの別物だ。

読む者の反射を利用して、進む先を変える独特の間合い、人間の心理の盲点を突く冷酷なまでのパズルの設計。

今の出題者が作る問題は、黒瀬がかつて構築した美しい論理の迷路と、どこか似た呼吸をしている。

パズルの設計には、その人間の持つ固有の美学や思考の型が否応なく反映される。

部品である言葉を外側から集めることと、それを使いこなして黒瀬と同質のパズルを組み上げることは、次元の違う能力なのだ。


まるで黒瀬の思考の癖を、長い時間をかけてなぞってきたかのような理解の深さ。

それは単なる模倣ではなく、本質的な理解でなければ不可能だ。

外部の人間が、単なる聞き取りの蓄積だけで、出題者の思考の根源まで到達できるものなのだろうか。


「五年前、あの制作会議のテーブルにつき、私の思考プロセスを間近で見ていた人間……」

黒瀬のひどく掠れた呟きが、車内に落ちた。

相馬が鋭い視線を黒瀬へ向ける。

「内部の事情と私の設計思想を熟知している『誰か』が、裏にいるということか」

相馬の言葉に、黒瀬は微かに顎を引いた。

「真尋が拾った言葉だけではない。制作側に近い誰かの影が混ざっている可能性はある」

疑いの線は、どうしても五年前の制作内部へ戻っていく。

「鷹城梓か。しかし、彼女自身が標的になるような真似をするだろうか」

「盤面に置かれた人間が、必ずしも解答者側とは限らない」

黒瀬は一切の感情を交えずに答えた。


黒瀬はそれ以上の反論や断定を口にせず、ただ己の内の違和感と向き合うようにゆっくりと目を閉じた。

彼が沈黙の奥に抱え込んだその疑念は、まだ確信には至っていない。

オレンジ色の街灯の光が、黒瀬の凍りついた横顔を等間隔で照らし出していく。

答えは出ていない。だが、疑いの矛先だけは、少しずつ制作内部へ戻り始めていた。

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