見透かされた心
古びたドアをぎいっと開けると、そこには非日常的な空間が広がっていた。
年代物の家具は古びていながらも、どこか重厚な存在感を放っている。
部屋のあちこちには植物が置かれ、柔らかな緑が静かに空間を満たしていた。
ふと上を見上げると
この部屋を丸ごと飲み込みそうなほど大きな天窓がある。
夕方と夜のあいだの、不思議な色をした空がこちらを覗き込んでいた。
まるで、最近始めたRPGに出てくる薬草屋みたいだ──。
「あのー、誰かいますか?」
誰もいない部屋に、俺の声だけが響く。
……誰もいないのか?
そう思った瞬間、急に背後から声がした。
「すみません。少し留守にしていまして。何か御用ですか?」
な、なんだこの男……。
高身長で、天パの髪がふわりと広がった眼鏡の男。
柔らかい雰囲気をまとっているが――
さっきまで、ここにいなかったはずだろ!?
色々な考えが頭の中でぐるぐる回る。
だが、手に持っている花の存在を思い出し、俺は事情を説明した。
「ああ、そういうことでしたか。わざわざ持ってきてくださってありがとうございます。」
男はそう言うと、黙々と花を整え始めた。
……帰っていいのだろうか。
いや、でもまだちゃんと謝っていないし…
なんとなく気まずい空気が流れる。
それに耐えられなくなって、俺は思わず口を開いた。
「あの、ここ『こころ堂』って看板が出てましたけど……何かお店をやってるんですか?」
「ええ。そういえば、まだ説明していませんでしたね。」
男は穏やかに答えた。
「人は毎日、たくさんの感情を抱えています。
その中には、黒くて重たいものもある。」
少し間を置いて続ける。
「当店では、その感情を“買取”という形で、少しだけお預かりしているのです。」
そしてにこにことしながら。
「もしよろしければ、感情の査定をしてみましょうか。」
どうぞ、と男に促され、俺は椅子に座らされた。
男も向かいに腰掛ける。
「差し支えなければ、お客様の中で今、渦巻いているものは何なのか。
教えていただけますか。」
そう問われた瞬間、
男のふわりとした笑顔とメガネの奥にある
何もかも見透かすような瞳にドキッとした。
渦巻いているもの……。
分からない。
いや、分からないんじゃない。
俺は何から目を背けているんだ?
仕事との向き合い方か。
上司や同僚との付き合い方か。
もっと上手く人生を生きる方法か。
……違う。
目を向けるのを避けていたもの。
向き合ったら情けなくて、泣いてしまいそうなもの。
気づいた瞬間、俺の口から小さく言葉がこぼれていた。
「こんな自分じゃなかったはずなんだけどな……」
おかしい。
この男は魔法使いなのかもしれない。
魔法をかけられたせいで、次々に弱音をはいてしまう。
「何度やっても失敗して、笑われて……
俺の知ってる俺じゃないみたいで……」
言葉が喉の奥で詰まる。
部屋の中はもう雨が降っていないはずなのに、
俺の顔はぐしょぐしょだった。
「それは、大変でしたね。」
ずっと黙っていた男が、小さな子供をなだめるような声で言った。
「今のお話から、査定結果をお出ししました。」
男はゆっくり息を吸い、告げる。
「それは──自己嫌悪ですね。」
「自分の言動や行動、あるいは性格などを理由に、
自分自身を嫌いになってしまう感情です。」
そうか。
胸の奥でざわざわしていた黒いものが、
少しだけ形を持った気がした。
「えっと……それで、どうすればいいんですか。」
社会人にもなって、
こんなことで悩んでいるなんて。
「自分自身というものは、人生において一番の課題なんですよ。」
男は穏やかに言う。
「どんな人も悩みながら、
向き合いながら生きていくものです。」
だから、決して恥ずかしいことではありませんよ。
……まるで心を読まれているみたいだ。
でも、不思議と少しだけ納得できた。
「では、どれくらいお売りになりますか?」
売る?
そういえば、感情を売る店だったか。
でも、感情の単位なんて分からない。
また俺の得意な“ぐるぐる思考”が始まりかけたが、
男は察したように言った。
「みなさん、一般的には10グラムほどお売りになります。」
「あ、じゃあ……それで。」
男は一度奥へ消え、
五分ほどして戻ってきた。
「準備が整いました。」
男の手には、大きくて重そうなレバーがあった。
「こちらのレバーを挿して、回してください。」




