純白の世界
店員さんが指さした時計は、本当に大きかった。
まるで小さい頃によく歌った、大きなのっぽの古時計みたいな、年季の入ったアンティーク調のそれ。
まるで、大樹のようだった。
古くからそこにあるのだ。
ふんわりとした木漏れ日を作り、動物たちを住まわせる。
雨に打たれても、風が吹いても。
どんな日だってそこに堂々と根を生やし、移り変わる景色と共に生きていく。
そんな時計だった。
渡されたレバーは、両手で抱えるほど重い。
大きな差し込み口に押し込むと、
ガチャン、と低い音が響いた。
回していいのだろうか。
そう思って店員さんを見ようとした瞬間。
——回せ。
時計が、そう言った気がした。
気づけば、私はレバーを回していた。
その瞬間。
体が、引きずり込まれる。
風。
強い風。
抗えない。
視界が白く弾けた。
………………………
………………
………
目を開けると、真っ白な世界だった。
どこを見渡しても、純白。
その中心に、一本の大樹。
ただの木ではない。
私を、知っている。
私の全部を、見ていたのかもしれない。
そんな気配。
吸い寄せられるように近づき、
そっと触れる。
また、風が吹いた。
今度は、緩やかな風。
春、穏やかな朝10時。うんと息を吸い込む。
春独特の、お日様の匂い。そんな日の風。
そして——音。
ホールに響く、
透明なのに、芯があるフルートの音色。
私が憧れた音。
妖精が舞うみたいに、軽やかで、
胸の奥まで澄んでいく。
ずっとここにいたい。
そう思った。
曲が終わる。
目を開ける。
⸻
そこはもう、こころ堂だった。
なんだったのか分からない。
でも、夢を見ていたみたいな…
カラン、と音が鳴る。
現実に引き戻される。
大きな机にあるはかりの上に、宝石が転がっていた。
「はい、これで15グラムですね。」
音の先にあったのは青い宝石。
海のいちばん深いところみたいな色。
群青色、というのだろう。
けれど、よく見ると濁りや傷がある。
なのに、目が離せない。
「こちらの宝石は、お客様の嫉妬が、形になったものです。」
恐る恐る、そっと触れてみる。
ひやりと冷たい。
でも、どこかあたたかい。
「綺麗な感情ではありませんから、
濁りも傷も生まれます。
ですが——」
店員さんは微笑む。
「それも含めて、お客様だけの宝石です。」
天窓にかざしてみたそれは、
月の光が反射して、
深い夜を手の中に閉じ込めたみたいだった。
「では、買取代金です。」
差し出されたのは——
音楽教室のチラシ。
「これが?」
思わず声が出る。
「えぇ。きっと、お客様の嫉妬を軽くする鍵になると思いますよ。」
“当店では、黒い感情に支配されて狭くなった視野を広くするお手伝いをしていますからね。”
ふわりと笑う。
その笑顔を見ていると、
なぜか反論する気がなくなった。
「……ありがとうございました。」
出口は別の扉だった、
あっ。忘れていた、一番重要なことを忘れていた。
「あの!帰り道が——」
言い終わる前に、
店員さんはいたずらっぽく手を振る。
バタン。
扉が閉まる。
どうしよう。
そう思って前を向くと。
そこは、家の前だった。
空の色は、
こころ堂に入ったときから
少しも変わっていなかった。




