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愛の怪物

 雲一つない快晴の昼下がり、今は懐かしい故郷の風がアルディアスをゆく当てもなく過ぎていった。


「アルディアス、ご飯よ~」


 アルディアスは自分の名前を呼ぶ人を知っていた。彼がどんなに愛してもらいたくても愛してもらえなかった、一人の女性。


「今行くよ!母さん」


 アルディアスが家に帰ると、炉の傍に母が座り、二人分のご飯が置かれていた。母は採ってきた木の実の仕分けをしているようで下を向いている。


「ただいま、作業手伝おうか?」

「いいわ、先にごはん食べちゃいなさい」


 アルディアスは「いただきます」と言って、土器に盛り付けられたいっぱいの木の実を口に頬張る。別に温かいごはんと言うわけではないけど、一口、一口が彼の心を溶かしていく。その食事は、アルディアスの人生でいちばん美味しいものとなった。


 気付くと、ぽつりぽつりと、今まで我慢していた気持ちが溢れだし、気付くと彼の頬には涙がつたっている。あんなにも自分を見てくれていなかった母が食事を作ってくれたのだ。


「兄ちゃん、ごはん美味しいね」


 ――その声に、心臓が止まった。


 横を見ると、焚き火の赤が頬を照らす小さな影。あの日と同じ、あの笑顔。

 世界の音が、ふっと消えた。


 風も、火も、母の姿も――泥のように形を失っていく。


 アルディアスは驚きのあまり、木の実をのどに詰まらせ、せき込む。さっきまでの感動が台無しだ。だけれども、アルディアスにとってそれはどうでもいい事だった。だって、彼の横に居る子供は──“弟”だったから。


「兄ちゃん、そんなに驚いてどうしたのさ。僕にあんなことをしといて──」


 アルディアスはひどく体の震わせ、弟を見つめる。その目は恐れを抱いていた。


「別に怒りに来たんじゃないよ。ただ、“僕の名前”を奪って生きているんだから、こんな所で死なないでよね、これは……文句だよ。」


「……っ!」


 弟に目をくれず、アルディアスは今の状況を抜け出せないかと辺りを見回す。


「駄目だよ、逃げちゃ。逃げるんだったら、僕の──アルディアスを返してよ、ねぇ。お母さんから貰った大切な名を汚すな」


 弟の核心的な言葉がアルディアスの心を刺し、禁忌に触れる。母に愛される弟がうっとうしくて、憎らしくて、妬ましくて、彼はとんでもない過ちを犯す。


 その罪には爽快感と母に対する罪悪感だけを残し、アルディアスは母の顔を見ることは二度と出来なくなった。その後悔は彼にとって深いものとなった。


 だから、せめてでも母が考えた名を誰かに覚え、愛してもらいたかった。それが贖罪だと思ったから。それを投げ出そうなんて、アルディアスのプライドが許さない。


 アルディアスは足を地面に擦りつけるように踏ん張り、絞り出すように声をあげる。


「分かっている……分かっているから、俺は逃げ出さないんだ、愛されてやるんだ。このアルディアスの名に懸けて」


 それはアルディアスが集落を離れる時に宣言した言葉の一つだ。誰か一人でもこの名を覚えてくれるよう決めた、台詞。それを弟──本当のアルディアスに向かって言うとは何と自分本位な事だろう。


「兄ちゃん……ほんと何も変わっていないね。その言葉、忘れんなよ」


 そう言って、弟は煙のように消えてゆき、アルディアスが立っている地面が崩れて、大きな穴ができる。


 アルディアスは抵抗する間もなく落ちていく。そこに恐れも不安もない、あるのは覚悟だけだ。


 ふと、自分の小指に赤い糸が結びついているのに気付いた。


 すると、落下が止まり、糸の続く先に小さな炎を見つける。それは糸をつたって、アルディアスを包み込んで、現実へと引き上げていく。


 アルディアスは一命を取り留めたのだ。


 ****


 火の暖かな光で満たされた洞窟の寝室でアルディアスは目を覚ます。ずっと目を開けていなかったせいか、中々、光に慣れない。体を起こそうと動かすも、体は鉛のように重く、モゾモゾとする事しかできない。それを洞窟内に居る赤髪の女の子──アメリアが発見する。


「お父さん!彼が起きたわ」


 そう言って、彼女はアルディアスの元に駆け寄り、腰を支えて、起こしてあげた。


「あなた、体は大丈夫?」


 アルディアスはまだ状況がつかめていないようで部屋を見渡し、自分の体を触って、無事を確かめる。


「体が重いけれど、何とか……」

「そう、なら良いわ。あなた、私たちが発見してから10日も目を覚まさなかったのよ」

「!?......」


 アルディアスは口を開けて、呆然とする。自分の生命力がいかに人間離れしていたのか自覚したのだ。だけども、そんな自分が生きられるのも目の前にいる彼女の発見と看病のおかげであることを思い出す。


「俺の名前はアルディアス。助けてくれてありがとう」

「どういたしまして、私の名前はアメリア。もう一人いるんだけど……」


「おい、アメリア!坊主が起きたってホントか」


 洞窟内で野太い声が響く。すると、ドスドスと音を立てながら大柄な男が寝室へと入って来る。


「お父さん!こっちには病人がいるんだから静かにして」


 アメリアも大柄な男に負けじと大声で注意する。


「えぇと。この大男が私のお父さんでアリオスって言うの」


 アリオスは「よろしく」と言った後、アルディアスの体を慎重に見て、判断する。


「坊主、良く生き抜いた、頑張ったな。まだ安静にした方が良いが、なぁに山場を越えたから心配する事はねぇ」


 アルディアスは自分の旅がまだ終わらない事に安心を覚え、ホッと息を吐く。夢の中だけれども、弟に宣言してしまったことを成し遂げないで死ねなかった。


「まぁ、治るまでここに居ればいい。食料に関しては余りがあるからな」


 アリオスの提案はアルディアスにとって初めて受けた優しさだった。アルディアスは目頭が熱くなったのを感じ、心から感謝を述べる。


「アリオスさん、ありがとう」

「感謝するなら、可愛い娘と冬ギツネにするんだな」


 アリオスは少し照れ臭そうにしながら、寝室を出ていき、アメリアはその姿を見てニヤニヤしている。


「ちょっと、五月蠅いかもだけど、ゆっくりしていってね」


 それから、アルディアスはアリオス達に助けられながら、徐々に元気になってゆき、リハビリを出来るまでに回復した。


 気付けば、冬も残り少しで終わりを迎えようとしている。


 アリオス達は未だ、気を利かせてか、アルディアスが何故、吹雪の中倒れていたのかを聞いてこない。そこにアルディアスは居心地の悪さを感じていた。


 しばらく唸ったのち、アルディアスは決意したように目を見開いた。


  「俺の事を知ってもらおう……」


 今更になるが、アルディアスは自己紹介をしていなかった。つまり、アリオス達も得体のしれない彼を触れずらいに違いない。


 ならば、自分の事を知ってもらって……愛してほしい。


 こうして——


 アルディアスは寝室から出て、アリオス達の元に向かいだした。


 彼が去った後の寝室には少し早めの春がやって来たと言う。


諸事情により、投稿が少しストップします。

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